よく晴れた日に
「長はおやすみよ」
顔見知りの木妖精は、ウルスの森に入ってすぐ、姿を見せた。まるでセレンたちの訪れを待ちわびていたような様子に、自然と気持ちが明るくなる。しかし、そのことばはある種の懸念をセレンに生んだ。
「――具合、悪かったり?」
「こんなこと言うとあれだけど、もうお年だから……でも、必要な時には目覚めて、森への侵入者に対処されてるの。あなたたちは森の子だから、安心しきってるんじゃないかしら」
シオンとの戦いが原因というわけではない。
それを知り、セレンは少し気が楽になった。長がどれほどの年月を重ねた熊妖精なのかはわからないが、相応の存在なのだろう。ずっと眠っているということもないようなので、今はおそらく、時期ではないだけだ。
セレンは頷き、木妖精に断りを入れた。曰く、イウォルへ行ってくる、と。
木妖精は苦笑を洩らした。
「何故、それを私に?」
「えーっと、長に伝えてもらいたいっていうのと、一応?」
ウルスからガメリオンへ行くだけでも、不満げだった木妖精である。頬を指先で掻きながら、セレンは自分でも妙なことかもしれないと今更思った。彼女は、自分の妖精ではない。
その手が、ふと掲げられる。
そして、割れるような音が空から、木の枝ごと落ちてきた。彼女のてのひらに収まるほどの小枝には、その蔓草が絡まっている。
木妖精は、それをセレンへと差し出した。
「――何かの役には立つでしょう」
木妖精の枝、とシンプルに表示されたアイテムである。ある種の、クエストアイテムにも見える。セレンは摘まみ上げたそれを葉の隙間から落ちる光に翳し、その緑を目に焼きつけた。
「ありがとう、大事にする」
彼女の欠片だ。
預けるだけの理由がそこにあるはずだと判断し、セレンは感謝を口にした。少し、木妖精の表情が歪む。鼻先だけに皺が寄り、口の端が真横に引かれた。それを見られたのは、ほんの一瞬だった。
風が舞う。
蔓草が木妖精を包み込み、その姿を覆い隠す。
「――行きなさい」
続いた、囁くほどの小さな声が、耳元をくすぐる。
風がやむと同時にその姿は完全に、消えていた。
照れ隠しか、とセレンは肩を震わせる。そして、姿は見えなくても、きっと彼女はこちらを見ていると信じて、ことばを紡いだ。
「うん、行ってくるよ。帰りは妖精の遊び場を使いたいから、よろしく」
「素直じゃないー」
「シィーッ」
風にあおられ、とっさにセレンの服を掴んだ蝶妖精には、彼女のささやきがしっかり聞こえたようだ。
機嫌を損ねるほうが怖い、と、セレンは握ったままになっていた枝をまずは仕舞う。服の端にいたファラーシャもまた、彼の肩へと座り直した。
そのやりとりを黙って聞いていた熊妖精は、セレンを見上げ促す。
「行こ、セレン」
「……ん」
母の眠りに思うところはあるだろうに。
きれいな黒の瞳は、もう揺らがない。自分の選び取った道筋を行くために、テディベアは踵を返した。
そのふわふわな耳のあたりを一撫でし、セレンも森を出る。
とても天気の良い、旅立ちの日だった。




