危惧
対価として並べられた回復薬は、先だって都合してもらった瓶よりも大きめのものばかりだった。ありがたく受領し、まずは皮袋に仕舞う。どういう理屈で収められているのか。ガチャガチャとした不吉な音を想像していたが、袋はふくらんでいくものの、割れそうな気配はなかった。それをそのまま、ポーチのほうへと入れ込む。
「ほぅ、イウォルか」
シオンが森の知識人ならば、薬師は町の知識人だ。
その称号を有しているかどうかは知らないが、少なくとも、知識階級に属するものだという認識で、「イウォル」について問う。すると、彼は感心したように街の名を繰り返した。
片眼鏡が窓辺からの日射しを受け、きらめく。
「妙な先入観もどうかとは思うが、身を護る術として」
感情を排した、というよりも押さえ込んだその声音が、より一層の不吉さを感じさせた。
魔術学院の街イウォル。
薬師としてのマーキムもまた、その街についてある程度詳しいようだった。その忠告は、公平性とは程遠い内容だった。
この世界において、契約者は一定以上の評価を受ける。妖精と絆を結んだ者という社会的高評価から多くのプレイヤーは始まり、その恩恵を得られる。門番や商会、施療院や宿、あらゆる場でそれを感じる機会はあった。
だが、NPCは違う。
さまざまな形で生活を営む彼らは、現実と同じく日々を積み重ねている。そこには光と影がある。
マーキムの話も、そのうちのひとつだった。
契約者や妖精の使う魔法には種類や系統があり、そこには適性が必須となる。適性のない者は、どれだけ努力しようとも、その術を得られることはない。魔術は魔法とは異なり、誰にでも扱えるようにした魔法、のことらしい。その方法はさまざまらしいが、セレンは既に空間魔術師の存在を知っている。誰にでも使える魔術具は、まさに魔術の具現なのだろう。
魔術学院を中心とした街は、魔術に最上の価値を認める。「魔術によって世界を支える」という至上命題を抱き、日々、魔術師たちは研鑽に励むのだ。
本来万人を幸福に導くはずの魔術の担い手だが、街の仕組みまでも魔術を中心に作り替えられ、「魔術学院の」と呼ばれるようになり、狂い始めた。多くの商人が魔術具を求め、イウォルに来訪し、金貨を落とす。金貨の重さは、魔術師にとって世界を支えている自負へと変わった。そして今、契約者と妖精の絆すらも、魔術によって結べるのではないかという研究まであるという。
そんなめんどくさいことしなくても。
縁があれば。そこに気持ちがあれば。
セレンにとって、魔術を使うような代物ではない、というのが、契約者と妖精の関係だった。しかし、その話からして、本来は絆を結ぶことがどれほど難しいのかを物語っている。NPCと、プレイヤーとの差異かもしれない。
「他の町と異なり、イウォルでは、契約者やその契約妖精が軽んじられることもある。――それだけ知っていればいいだろう」
そう語る、薬師マーキム自身もまた、イウォル出身なのだと……苦々しく、彼は最後に付け加えた。
攻略サイトを少し調べれば、イウォルについての情報はそこそこ得られる。方角や、そこまでの旅程、注意しなければならないポイントなどはすべてまとめられているのだ。ただ、そこにはNPCのことばまではさすがにまとめられておらず、ランダム生成される彼らの発言の中に希少価値のあるものが含まれている可能性は、セレンのこれまでの経験上にも十二分に考えられた。何よりも、自身とのかかわりがなければ話さないものも多くある。
薬師マーキムの話もまた、そのうちのひとつだった。
「ひとの世界も、たいへんだね」
いくら森の知識人であれ、人間の世界について詳しいわけではない。
施療院を出、シオンは感慨深げに呟いた。そのことばを聞き、セレンは苦笑を洩らす。
「どこでも、たいへんなことはあるんじゃないかな。頻度はさておき」
「イウォル、こわいところ?」
「そのつもりで行け、ってことだと思うよ」
たれ目を不安げに揺らして訊くファラーシャへと、手を伸ばす。指先へと腰を下ろした彼女は、羽を休めた。
「けど、シオンとファラーシャがいたら、どこでもだいじょうぶだと思う」
不安や不満は、現実に置いてきた。
セレンは己の安易さに少し慎重さを求めるべきかと内心自嘲したが、ファラーシャはうれしそうに羽から光を零した。
「私、セレンを守るから!」
「うん、ぶちのめすならまかせて」
「イウォルは別に、敵じゃないからな!?」
薬師マーキムは、心配性なだけだろう。彼の配慮はひとえにセレンのためであり、その契約妖精への心配りである。
ただ、収納の付加を求めにいくだけだ。
セレンは旅立ちを決め、必要な物品を集めていく。もちろん、蜂蜜を入れるための壺も、今回は忘れなかった。行き交う者の中には契約者とその妖精の姿もちらほらあり、自分たちと同じく楽し気な様子を見せていた。
始まりのガメリオン。
シオンの故郷そばの町へと、セレンたちはしばしの別れを告げる。
そして、ひとこと断りを入れるべく、ウルスの森へと立ち寄るのだった。