奇縁
初心者御用達の宿らしく、この夜の食堂もそこそこ賑わっていた。熊妖精だけでなく、蝶妖精の存在までが各テーブルで、しかもこちらへチラチラと視線を向けながら、話題とされているようだった。
でかい声で視線を集めた裁縫師クロステルは身を縮こませ、向かい側に座るセレンへと小さな声で詫びた。
「ご、ごめんなさい」
愛らしい妖精を見て興奮する気持ちは、わからないでもない。
仏頂面のままのセレンに合わせ、テディベアもまた椅子に座って両腕を組み、顔をしかめている。その頭上ではファラーシャがこれまた両腕を組み、垂れ目を更に寄せて不満をあらわにしていた。しかし、しゅるしゅると蜘蛛妖精が声音を発した途端、ファラーシャはシオンの毛並みへと潜り込む。
「ダメよ、アニー。悪いのは私なんだから」
クロステルが窘めた途端、蜘蛛妖精はそのしゅるしゅるを低めた。反省しきり、といった様子に、セレンは小さく溜息をつき、肩から力を抜いた。
「まあ、あんまりでっかい声で吹聴しないでほしいかな……」
あいつ、テディベアを抱っこして寝るのかよ、とか陰口を叩かれたらたまらないし。
セレンの内心は伝わることなく、クロステルはただ真摯に大きく頷いた。明かりに、その金色の髪が煌いている。
「はいっ……ホントごめんなさい。
ガメリオンの周辺や北の森に、長以外にも熊妖精がいるっていうのは聞いたことあったんですけど……妖精契約、できたんですね」
「へえ、結構有名なんだ?」
当初は花妖精のことばかり考えて体験版を開始したセレンである。初期町についてなど調べてもいなかった。しかも、ログアウトしていた日中は、蛹がどの妖精になっても可愛がるべく己に言い聞かせつつ、名前について考えていた朝とは異なり、昼休みなど社食に行く暇もなく、ゼリー飲料とバー菓子で乗り切った身の上だ。帰りの満員電車では、生きるのが精いっぱいだった。
セレンがシオンを見ると、途端に熊妖精はふんわりと微笑んだ。そのやわらかな表情に、シオン自身はそれほど怒っているわけでも、困っているわけでもないことがわかる。いうなれば契約者である自分に付き合ってくれているだけだ。
命の危機にあった蜘蛛との邂逅は、かつての青虫妖精にはやはりきついようだ。毛並みからちらっと見える黒と青の羽は小さく震えている。
「二形態ってめずらしいですよねー。まるっきりテディベアだし」
「クロステルは長とはもう戦った?」
「いえ、私はアニーに連れて行ってもらったので、こっそりとですね」
いろいろな形で北の森はクリア方法があるらしい。正面切って喧嘩を売った自分を思い出し、セレンは視線を逸らした。
「このあたりの妖精の遊び場は見て回ったので、そろそろ次に進もうかなって思ってたんです。だから、今日会えてよかった。
明日には、イウォルへ出るつもりなので」
同じ目的地の名に、彼女のほうへと顔を戻した。
その碧眼と合えば、クロステルの中に申し訳なさがまた浮かぶ。
「アニーのおかげでかなりレベルがあがったので、魔石とか魔法陣を組み込んだ服とか作ってみたくなっちゃって」
「――あ、うん、今も仕事って」
「今夜も稼いでいましたよー。割と修理のおしごとはあるんです。熟練度上げにもなるし、縫うだけって実は元手タダなんですよ」
糸は蜘蛛妖精産だという意味のようだ。
肩にいるアニーは、ファラーシャに気を遣っているのか、ややクロステルの髪に埋もれているように見えた。その指先を小さな頭に触れさせて、彼女は優しく撫でていた。
「明日行くなら、ちょっと頼めるかな」
購入したばかりのポーチから、セレンは布を取り出した。
その生成りの色合いを目にして、クロステルの声がまた高まる。
「えっ、ご依頼ですか!?」
「ちゃんと払うよ。鞄の作成っていくらかな」
「タダでいいですよ! ――えーっと、ほら、今回のお詫びで」
指先を唇に合わせて立たせれば、さすがに意図は伝わった。
低まったお詫びの付け足しに、ふと、ファラーシャに確認すべき事柄を思い出す。
「ファラ、クロステルに鞄を作ってもらいたいんだけど……アニーの糸を使うんだよ。それって使えそうか?」
略して呼んでもわかるようで、ふわふわの中からファラーシャは頭を出した。そして、シオンの耳の影から蜘蛛妖精をうかがう。
「あ、あにーの……? かばん、私、食べないよ、ね?」
「食べない食べない」
むしろそれはどんな鞄だ。
ぱたぱたと手を振れば、小さくファラーシャは頷いた。クロステルは目を輝かせた。
「妖精の、鞄!? 考えたことありませんでした!!! 人形のみたいにちっちゃくすればいいのかな。え、この布地、ちょっと切ってもいいですか!?」
またクロステルは興奮し始めていく。セレンの了承を得ると、即座にはさみを取り出して端を長方形に切り落とした。次いで、細く、紐のように布地を切る。
家庭科でぬいぐるみを作らされた時には、すべて予めカットされた布地を縫い合わせるだけだったが、本来は型紙に合わせて云々という過程が必要だった気がする。
迷いなく布地を合わせ、取り出した小さな裁縫セットからピンを取り出して留めていく彼女の手並みは、見事なものだった。何となく、鞄っぽい。
「アニー」
クロステルが呼びかければ、髪に埋もれていた蜘蛛妖精から、細い糸が吐き出される。それを指先でくるくると裁縫師は弄びながら、力あることばを口にした。
「――糸よ、針となって我が意に従え」
以前の魔句はなく、ただ、その煌く糸は小さな布地を縫い合わせていく。細い布地までもが×印を描くように縫われていく過程が、セレンにもよく見えた。
「作成」
魔句によって、一瞬、布地が光を発する。
そして、小さな、小さな肩掛け鞄がテーブルに落ちた。指先でクロステルはそれを摘まみ上げ、セレンに差し出す。
「こんな感じのでいいですか?」
「……え、もうできたってこと?」
「え、あ、これは形のイメージをお伝えするためにですね!」
ボタンはなく、口の部分はただ折りたたんでいるだけだが、立派な鞄である。開いたところでセレンの指先は入らない。
「ファラーシャ、ちょっとつけて」
細い紐の部分を摘まみ、セレンはファラーシャに差し出した。蝶妖精の手の中にあると、その鞄はクラッチバッグよりは多少大きめのように見えた。しかし、紐を首から肩へと通そうとして、彼女はやめた。
「羽にあたりそう」
「あ、そっか!」
斜め掛けにしてしまうと、背中の羽にまともにあたってしまう。
クロステルは席を立ち、困惑したまま鞄を持つファラーシャに尋ねた。
「紐を結ぶのって、できる?」
首を傾げる蝶妖精の手から、今一度鞄を取り戻し、クロステルは躊躇いなく紐の部分を両断した。そして、ファラーシャに渡す。
次いで、自分のポーチから紐を取り出し、実演して見せた。
「こんなふうに……帯みたいに結べば、かわいいかも」
折り重ねて結ぶやり方は、セレンが見ていてもさっぱりわからなかった。
しかし、ファラーシャは一瞥しただけで理解できたようで、実際に鞄の紐を結んでいく。紐は長く、ファラーシャの細い腰の周りに結わえて、ちょうどリボンのような形ができあがるくらいだった。
「かばんー」
ひらひらした服装には、やや無骨な形に見える鞄だ。それでも、彼女は楽しそうに手を入れていたので、ちゃんと使えることがわかる。
「いいみたいですね。じゃあ、これを基本系にして……」
「いやいやいや、これでじゅうぶんだって!」
「えー。もっとかわいくしましょうよ」
かわいらしさは大事だが、そこがメインではない。
セレンが収納の魔法付加について話すと、クロステルは握ったままになっていた紐をぴんと張り、力を入れた。
「――イウォル、セレンさんたちも行くなら……もっともっと、かわいい鞄に……っ」
「クロステル、頼むから、紐片づけて座れ」
今から何を縛り上げる気だ。
まるで夢か現かといった具合に意識を飛ばしながらぶつぶつと呪いのようにことばを発する美少女の姿は、どうしようもなく目立っている。
正気に返ったクロステルは、セレンを睨みつけた。
「蝶妖精に合う、鞄作成……私、イウォルに着くまでに、もっと素敵な形に仕上げてみせますから!」
「はあ?」
奮起するクロステルに首を傾げていると、シオンが低い位置からセレンの服を強く引っ張った。体がまともに斜めになり、シオンは耳打ちをする。
「ファラーシャ、あのおねーさんとっていうか、蜘蛛妖精といっしょってだいじょうぶかなー? 行く気、まんまんだよね?」
そのことばに、ファラーシャが飛び上がる。そして、影に隠れるどころか、毛並みに全身を埋もれさせた。
「私、へーき……っ」
少しも平気そうに聞こえない、くぐもったファラーシャの声音に。
怖くないよ、ホントだよと繰り返し言うように、しゅるしゅるしゅるしゅると、蜘蛛妖精はやさしい音を小さく響かせたのだった。




