満ち足りし時
虹色のほとりに、色とりどりの花が咲いている。よく見ていれば、虹色の影響を受けているようで、淡い揺らぎをまとい、光を宿していた。
蝶妖精はそのひとつひとつの花びらに、頭を突っ込んでいた。花から花へと飛んでいく姿は蝶そのもので、楽しげな様子は目にも楽しい。
「セレンも食べる?」
小さな壺に収められているのは蜂蜜らしい。ねぐらに取っておいたものだと言う。熊妖精は手に持ったそれを、セレンへと差し出した。反対側の手はべっとりと蜂蜜に染まっている。
人差し指をその壺へと突っ込むと、粘着質な例の感触が伝う。手を引けば雫が尾を引く。あわてて口を寄せれば、シオンは軽く笑った。
「とっときのだからね。ものすごく甘いんだ」
「……ホントだ」
口の中に広がる甘さは、遠い記憶にある蜂蜜の味とはまた少し違った。どこかきついイメージのあった蜂蜜の味が、ふんわりとやわらかな甘さへと上書きされていく。
「ふぅ……おなかいっぱい」
ふらふらと飛びながら、蝶妖精が戻る。頭に黄色い花粉がついており、セレンは手のひらに留まった彼女の頭を、指先で払おうとして躊躇う。
――今、舐めたんだった。
「あ、蜂蜜ー」
黄色の粉を肩にもちりばめたまま、ファラーシャは目を輝かせた。その匂いが判るようで、うれしそうに指先に飛びつく。あわててそのままシオンへと移す。
「こっちじゃないよ。シオンのだから」
「いるならあげるよー」
熊妖精は同じ姿勢のまま、ファラーシャにも差し出した。指先にとまったまま、蝶妖精は首を傾げる。
「シオンのごはんじゃないの?」
「ファラーシャが食べるのなんてほんのちょっとじゃん。へーきだよ」
機嫌よく壺を持ち上げて見せるシオンに、ファラーシャは羽を広げて飛び移る。セレンはこっそりと服の裾で指先を拭った。
揃って食事を摂る姿は微笑ましい。とりあえず水場はどこだろうか。どちらも蜂蜜でべとべとだ。
視線を彷徨わせると、樹木にもたれ腕を組んだままこちらを眺める木妖精の姿があった。
その緑みを帯びた肌色に、朱がさす。
「――何?」
「あー……川とか、近くにある?」
「あっちに小川があるわ」
「そっか、さんきゅ」
顎をしゃくる彼女に、一言礼を告げて立ち上がる。両手にそれぞれシオンを抱き、ファラーシャを乗せた。
「え、洗わなくっても全部食べるよ?」
「割と食い意地張ってんのな……」
「私も食べるー!」
「え、まだ食うのかよ」
にぎやかに喚くふたりを抱えたまま歩き出す。すると、何故か木妖精もついてきた。彼女のおかげなのか、草も木も道を勝手に拓いていく。視界に小川のほとりが見え、セレンは足を早めた。
小川と妖精の遊び場は歩いて数分ほどの距離だった。木々にまぎれて見えなかったらしい。
水場が嫌いなわけではないようで、シオンはそのまま手で掬って水を飲み始めた。ただ、ファラーシャは羽が濡れるのが嫌だと、シオンの頭の上で飛沫を浴びては羽を震わせている。
またカエルいたりしないよな。
川原、というよりも、川の淵には大ぶりの石が無数に転がっており、ガメリオンの西側の川とは様相が異なっていた。あちらは小石が散らばっていたが、ここはもっと歩きにくい。また、川の中ほどは深く見えた。セレンは岩と言えるほどの大きさの石に腰を下ろし、周囲を警戒した。
背負ったクレイモアの鞘が岩にあたり、小さく音を立てる。
「この森の妖精は、あなたたちに攻撃を加えたりしないわよ」
「あ、うん。そう思ってるけど……まあ、でも妖精ばっかりってわけじゃないだろ」
「妖精の遊び場の領域を離れるなら、魔物には気をつけたほうがいいわね」
受け入れられたとは言え、ウルスの森の魔物すべてが非アクティブ化したわけではない。弱肉強食も、縄張り争いという意味合いでも戦いは避けられない。あくまで妖精の遊び場に認められたにすぎないのだ。その領域の範囲では魔物に襲われることもないらしいが、小川はやはり範囲外だという。
ただ、どれだけセレンが警戒しようとも、シオンの力のほうが強いので、そちらで撃退されるか……もしくはしっぽを巻いて逃げられる可能性のほうが高い。
「あ、そうだ」
木妖精と話していて、ようやくセレンは思い出した。
施療院の薬師マーキムとの約束である。
――北の森で何か薬草類を見つけたら、報告時に譲ってほしい。
「薬草? どんなのがほしいの?」
「薬師が見たら喜びそうなの。施療院で使えるものがいいな。HP回復系とか、MP回復系とかあれば、俺もほしい」
「ふぅん。それなら、さっき蝶妖精が花の蜜を吸ってた、あの花たちがいいかも。かなり効果は高いから」
妖精の遊び場近くの草花は、その力を秘めて育つ。中にある草花を摘むことは荒らしていることになってしまうが、周辺ならばかまわないという。摘まれてもすぐに成長してしまうほど、生育環境が良いらしい。
「摘んでも効果ってなくならない?」
「摘み方によるけど……あなた、採集スキルあるの?」
「ない」
「じゃあ、どうしようもないわね。せいぜい丁寧に摘めば?」
ありがたい忠告を聞き、セレンは頷いた。
川原の淵で、シオンが濡れた身体を震わせる。その飛沫が、セレンにまで少し届いた。どうやら、ある程度は落とせたらしい。一足早くファラーシャがセレンの肩に乗り、シオンは歩きにくそうにしながらも急いで戻ってきた。
「ちょっと薬草もらって、それからガメリオンに行くか」
徐々に太陽は傾きを見せている。できれば夕方にはガメリオンに戻りたいところだ。薬草類が多少生活費になればとは思うが、摘み過ぎても長に叱られる気がする。
「え……森を出るの?」
セレンが腰を上げれば、意外そうに問われた。
数時間前まで殺されかかっていたはずの相手のしおらしさに、苦笑が漏れる。
「約束もあるからな。蜂蜜とか花の蜜探しにまた来るよ。壺とか……花の蜜ってどうやって集めればいいかな」
「私、花があればだいじょうぶ!」
どうやら、花の蜜は花から直接飲むもののようだ。草地に生えているものでも、摘んだものでもかまわないという。もちろん、蜂蜜も美味しかったとのことなので、ファラーシャの食事にはある程度余裕ができそうだった。
「シオンは、別に蜂蜜じゃなくったっていいよ? そりゃあ、蜂蜜あったらすっごくうれしいけど」
熊妖精の食事は、人間と同じでも問題ないという。ありがたい話だったが、せっかくなら好きなものを食べさせてやりたいと思うセレンだった。
「また来るなら、いいわ」
「うん。長のことも気になるし」
あの戦いのあと。
森の長は「しばし休む」と、森でいちばん大きな木のウロで横たわり、眠ってしまった。普段も基本的には眠ってばかりいるそうだ。セレンが森を騒がせたせいで目覚め、あれほど荒れ狂ったために、かなり消耗しているようだった。シオンが大怪我をした分だけ、長もまた怪我を負っているにもかかわらず、長は妖精の遊び場で癒さなかった。
その理由が、セレンには気になった。
「おなかすいたら起きるわよ」
「それなら、長の分の蜂蜜も用意しておこうかな。シオン、お母さんも蜂蜜好きだろ?」
「え、何でわかるの?」
「な、何となく……」
熊が蜂蜜好きなのは絵本の世界や昔話だが、このパラミシアでも同じようだ。
壺を入れるとなると、今の皮袋だけでは心もとない。できるだけ稼いで、良いものにしていく必要がある。『商会』にあるだろうか。
「薬草を摘むの? それならシオンに任せてよ」
「私は甘さについて教えるー!」
森の知識人に、花のソムリエが口添えする。
セレンはテディベアの頭に手を添えた。撫でると少し、湿り気を感じる。
「薬草の種類なら、私がいちばん詳しいんだから!」
何故か木妖精までが訴え、セレンは吹き出した。
「ははっ、怒られない程度にもらっていこうか。マーキム、喜ぶだろうなあ……」
木漏れ日が弱まっている。セレンは少し先を急ぐことにした。