名前がほしい
テディベアが、熊妖精になった。
アナウンスがその事実を告げ、回避し得ない状況を生み出す。セレンはその手のあたたかさを感じながら、黒々とした瞳を覗き込んだ。それはどこか楽しげにセレンを見返している。
もう、遅いとわかっていても、つい唇から念押しが零れた。
「――危ないんだぞ?」
「それ、さっきも聞いたよ。まあ、そうかもしれないけど……アンタと同じ。
決めたんだ、いっしょに行くって」
だから、契約しよう。
熊妖精はセレンの手を柔らかく握って、そう繰り返した。
小さくセレンは嘆息し、剣を背中に戻しつつ、握られている手はそのままに膝を折る。視線を熊妖精に合わせ、彼は――苦笑した。
「妖精って義理堅いなあ。負けたよ」
そして、指先で赤いハートに触れる。『はい』と重なるそれは、一際大きく明滅した。赤い魔方陣がふたりを包み、熊妖精の情報をセレンへ書き込む。
熊妖精にも、いろいろと種類があるらしい。このテディベアの種族名は熊妖精(陽)といい、驚くことに、この見た目で物理攻撃系のステータスを有していた。熊妖精(陽)レベル一でありながら、その数値はどれも種族レベル十のセレンより上である。しかも、術は自己限定の身体強化、解除、熊烈掌と三つも有していた。何故か、称号に「森の知識人」とある。
セレンは首を傾げた。
「……おまえ、何でカマキリにやられてたんだ?」
「ウロに嵌まって抜けなかったからだよ!」
手を離して両肩を怒らせ、テディベアは怒鳴った。
言われてみると、あれだけの攻撃を受けながら、テディベアは生きていた。たった一撃で、青虫妖精が蛹にならなければ生きられなかったほどのダメージである。もともとの数値が高いからこそ、テディベアは生き延びることができたのだろう。
納得していると、一度離れたテディベアの手が、また寄ってきた。今度は手を握るのではなく、袖口を摘まむ。
「それより、名前……ほしいんだけど」
その声音に合わせて、ウィンドウがまた開く。熊妖精(陽)の名前を決めて下さい、と書かれた下部には、空白のボックスがあり……ご丁寧に、キーボード表示まで浮かんでいた。これはどうやら、今すぐに決めなければならないようだ。
青虫妖精の羽化後の名前は考えていたが、さすがに熊妖精と契約することまでは考えていなかった。
セレンは苦し紛れに尋ねた。
「ど、どんな名前がいい?」
「それを妖精に訊くの?」
鼻の頭に皺を寄せ、テディベアは不満げである。一応、セレンは言い訳をした。
「妙な名前つけられるほうがイヤじゃないか?」
「妙じゃなかったらいいよ」
ひどい。
しかも、まったく参考にならないリクエストだ。
短い腕のくせに腕組みまでして、テディベアはセレンの名づけを待っている。
何か参考になるものはないかと、セレンは周囲を見回す。草、木、空、雲、太陽、風……ふと、その視線が大地に落ちた。白とピンク色の、小さな花。その名は確か――。
「えー、えーっと、シオン、ってのは?」
その名を口にすると、テディベアの腕がするりと解けた。覗き込むと、ぷいっとセレンから顔を背ける。
「な、な、なかなかいい名前なんじゃない、かなっ」
顔色がまったくわからないが、どうやら喜んでもらえたようだ。
安堵して、セレンは指先でキーボードを打つ。すると、テディベアの頭上にあった『アルクトゥス』の文字が、『シオン』に変わった。
「よし、じゃあよろしくな。シオン」
呼びかけると、即座に振り返る。
その身体の両脇に手を入れ、そっと抱き上げた。さすがにぬいぐるみではないので、見た目よりは重い。ふわふわとした感触はすぐに首筋に回され、短い腕ながらも抱きしめられた。
「うん……よろしく、セレン」
耳元で囁かれたことばは、とてもうれしそうに聞こえて。
セレンは青虫妖精とは違うやわらかさに頬を寄せ、抱きしめ返したのだった。