技
ガメリオンを北に出ただけで、各段に敵が強くなることは覚悟の上だ。北の森の推奨レベルは三十だが、やはりそこへたどり着くまでも並みではない。レベル十で突撃するなど無謀にもほどがあると自覚はしていたが、どれほどのものなのかを確認したいという気持ちは抑えられなかった。
とりあえず、すぐにガメリオンへ逃げ帰れる位置で、セレンは腕試しの機会を得た。
見つけたのは、胴体の毛並みが棘になっている針ウサギである。毛玉ネズミに比べると二回り以上大きい。ぴょこんと飛び出た二つの耳が、それをウサギだとセレンに認識させた。針ウサギはこちらに気付くと即、全身の針をピンと尖らせた。一歩間違えると、セレンのほうが針セレンである。
「じゃあ、試してみるか……」
クレイモアの柄に力をこめ、唯一のアクティブスキルを叫ぶ。
「斬撃!」
強い踏み込みと同時に、任意の方向へと剣を振り切る。まさに『斬る』ための初期スキルは剣撃の速度を増し、威力を高めるものだ。クリーク・オンラインでは、こういった初期スキルを繋げ、アーツスキルとして連続技にしていたのを思い出す。
もちろん、剣の適性も、アクティブスキルもレベル一のセレンである。パラミシアではそのような芸当はできない。ましてレベル十でしかないひよっこである。ヒットアンドアウェイが己の命を救うとわかっていた。
しかし、クリーク・オンラインの自分と違うとわかっていながら、セレンは技の発動による硬直をすっかり忘れていた。以前ならばまったく体感しない初期スキルの硬直である。振り切った腕が動かない、と気づいた時にはもう遅かった。
針ウサギはうさぎらしく、俊敏だった。
その剣の一撃を回避すべく、軽くバックステップを踏む。クレイモアの刃を幾本かの針に受け、きらきらと白銀の軌跡が宙を舞った。
次いで、その身体が、セレン目掛けて飛び込んでくる。
技が発動したら即座に回避を、と思っていたセレンだったが、硬直によりそれは遅れた。やや胸より下にまでずり落ちている蛹を意識し、せめてと身を翻す。
左肩から背中に、複数の針を受ける――その覚悟を吹き飛ばすように、何かが飛来した。視界にあった針ウサギは殆ど真横からそれを受け、地面に叩きつけられた。
大岩だ。とわかった時には、針ウサギの身体が砕け散り、毛皮だけが残されていた。
セレンは呆然と大岩が飛来した方向を見た。そこには、巨大な熊が両手を振り下ろしたフォームのままで佇んでいた。やけにリアリティのあふれる熊だ、と目の前の状況を受け止めきれずにいたセレンだったが、熊が吠えたことで正気に返った。
熊を正面にして、クレイモアを握り直す。先ほどの針ウサギよりも遥かに強敵に見えるが、この時点でセレンに戦う気はない。
確か、熊の撃退方法は背中を見せないことだったよな。
これで逃げてくれよー!というセレンの内心が通じたのか、熊は唸りながら己の口元を押さえた。そして、セレンに背を向け、四つ足で駆けていく。遠ざかる背中が、不意に木陰で見えなくなり……セレンはクレイモアを下ろした。
「マジ、勘弁……」
街の近くにまで熊が出るとは、しかも、あのテディベアなんてかわいい代物とはまったく別だった。動物園で見る熊並みである。
おそらく、あの大岩は、セレンを狙っていたのだろう。
偶然、針ウサギに当たったからよかったものの、自身に当たっていたら、と考えると背筋が寒くなる。
スキルの硬直の感覚を思い出しながら、一人反省会を実施しつつ、セレンは針ウサギの毛皮を拾った。魔物が魔物を倒したのだが、まあ、おそらく所有権は主張されないだろう。ありがたく皮袋に入れておく。
その手が、蛹に触れる。
「やっぱ……妖精がいないときついかなあ」
宿で目覚めた時には、青虫妖精の蛹は完全に茶色へと変わっていた。温かみは若干あるものの、硬さが違う。その殻は釘でも打てそうなほどで、逆に中の青虫妖精が羽化できるのかと心配になった。それだけ強い妖精力が必要なのだと痛感する。
セレンは小さく溜息をつき、気合いを入れてクレイモアを担ぎ直した。
「よし、次こそは!」
少し離れたところに見える、また別種の魔物へと歩き出す。
しかし、その後方――先ほど、熊が消えた木陰で、小さな茶色い存在がセレンの様子を窺っていることには、まったくセレンは気付いていなかった。