マリーの為のスクンブルエッグ
誰がわかるもんか。
牢番は、怒り狂っていた。
出来損ないの王と平民仮装趣味の王妃なんかの心の内側なんかを。
王は、まあまあ狂ってたから、扱いやすい。
一日中、石を並べ泥をこね、藁で道や川を作り、遊んでいる。
冷静な王妃は、やっかいだった。
お仕着せの服を着て、ほうきとバケツを持ち、牢屋の中を掃除している。
まともに風呂にも入らず、腐った藁の上で寝て、硬いパンと薄い塩スープを飲まさてるのに、楽しそうな顔をしている。
髪はもつれ、スカートの裾は千切れていたが、益々牢屋の掃除に精を出す。
唄まで歌っていた。
視察に来たお偉いさんが、おかしくなってるな、と、つぶやいたが、牢番は知っていた。
王妃は、冠より、ほうきが好きだと。
こんな夫婦が、国を治めていたことは、確かに国を揺るがした。
訪れるお偉いさんはコロコロ変わり、その度に、確かに変な王と王妃だと、報告が行くだろう。
美しかった顔が、痩せすぎて、人相が変わったし、手が雑巾掛けで、ボロボロになっていったのに気がついた、何処かの小役人が、大あわてで、上に報告した。
侍女が現れたのは、その日の内だった。
彼女が、牢屋に一緒に住み、王妃の手からほうきとバケツを奪うのだ。
と、そうなるはずだった。
王妃には新しい服と下着と靴が与えられ、風呂が用意され、ブラシや爪磨きまで揃えられて、身綺麗にするように申し付けられた。
牢屋も、二人用に広く、前より清潔になった。
が、そもそも人選が不味い。
侍女は、若いだけで、品も作法も知らない田舎娘だった。
王妃の手にかかれば、犬猫以下で、スリッパをだますぐらいの気軽さで、すぐに手の内に垂らしこまれてしまった。
牢番は、手際の良さに呆気にとられ、そのままにしておいた。
奇妙な共同生活が始まった。
小役人共は、安心して、見回りにも来ないから、王妃はしたいように暮らした。
田舎者の侍女はまず、名前を変えさせられていた。
王妃の幼い頃の名だ。
王妃が着るはずだった下着と服と靴は、彼女にピッタリ。
王妃は、侍女から奪った物を身につけていた。
そして、教育が始まった。
立ち振る舞い、テーブルマナー、話し方。
これが侍女の仕事だと言われれば、従うしかないし、王妃は教え上手だった。
一流の家庭教師に幼い頃からしつけられていたのだから、彼女自身、最高の先生だったのだ。
少ない皿やホークやナイフを工夫して、テーブルマナーを教えているのを見るのが楽しかった。
器用な手先で、藁で編んだ皿やグラスは、もとより、木の枝に、魚用のナイフの模様を、消し炭なんかで描いたりして、壮大なおままごとをしている。
ここはお城の中なのかと、問いたいぐらいだった。
王族の暮らしが垣間見られて、その面倒な暮らしに、同情したくなったが、トイレは平民とかわらないが、一人でしないことが、笑える。
噂は本当で、出産も風呂も観衆凝視の真っ只中なのだ。
一人でボートを漕いで池に出た時、おつきの者が、次々飛び込み、たいして深くない池で、全員泥だらけになった話は、馬鹿馬鹿しくて、声を出して笑ってしまった。
王妃の畑仕事の話は、侍女を和ませた。
こんな仕事より、畑の方がよく知っているからだ。
その上、彼女は、馬にも乗れた。
王妃も乗馬が大好きだった。
おつきの者を振り切って走らせ、禁止になってしまったことなどを、面白おかしく話してくれるので、ついつい、聞いてしまう。
食事も改善されたが、ほとんどを侍女が食べていた。
三ヶ月もすると、王妃は、侍女の方だった。
歯を磨かせ、化粧を施し、良い椅子に柔らかな衣を着て腰掛けていると、美しかった。
シラミ退治をし、よく櫛削った髪をまとめ上げていると、本当に美しい。
立ち振る舞いにも品が感じられ、まさに王妃そのものだった。
1日、藁や石コロと遊ぶ王には、勿体無い王妃が出来上がっていた。
牢番も今や侍女に頭を下げる事をいとわないほど、変わってしまっていた。
王妃は小汚く、シラミがたかっていたが、気にしてないようだった。
腐った藁の匂いがして、手は老婆のようにガサガサだったが、毎日、たのしそうだった。
ワルツを教えて、口移しに宮廷で流行った詩を朗読した。
二人の美しい声が、牢内に響いた。
やがて、歌が歌われるようになった。
誰もが知ってる賛美歌や王妃の故郷の唄が、王の耳にもとどいていた。
そんなある日、役人が7人も来た。
最近では、珍しい事だ。
なにやら相談していたが、よしと、いい、小汚い女に、金貨の入った皮袋を渡し、牢番に外に連れて行くように言いつけた。
侍女の仕事は終わったのだ。
牢番が出すようにいい使ったのは、王妃の方だったが、言いつけに逆らう事など出来ない。
侍女は、王妃が躾けた通り、目玉も動かさず、ジッとしている。
王妃は、牢の外で、皮袋から、金貨を1枚だすと、牢番に与えた。
そして、軽い足取りで、スタスタと、歩き去った。
あまりの自然な後ろ姿に、牢番は知った。
王妃が、あの侍女の歩き方や話し方を勉強していたことを。
牢屋は空っぽになった。
王と王妃の首がはねられた事を知ったのは、1週間後だった。
元王妃は、国境を越え、どうにか生まれ故郷に、たどり着いていた。
父も母も兄も喜んでくれたが、公には出来ない。
何せ、嫁ぎ先は革命の嵐の真っ只中で、改革者達ですら、お互いに首をはねあっていたのだから。
命辛々、出戻った娘は、城の奥の森に住居を構え、花や野菜を育て、馬を走らせる暮らしを手に入れた。
父と母が来ると、育てた鶏の卵で、スクランブルエッグを作って、振る舞った。
もう、お嫁に行く事はない。
王族として振る舞う事もない。
卵料理が大好きだったし、お菓子作りも、上手だった。
口のきけない下男を連れて、近くのバザーに、ビスケットを出した事もあるが、絶品はやはり、スクンブルエッグだった。
まだ誰も使っていない香草が、鼻をくすぐる一品で、宿屋の主人が聞きつけ、ぜひ出したいと、持ちかけてきた。
「名前をつけてもらえませんでしょうか。」
牢の暮らしで前歯が抜け、しわだらけで、老婆に見間違えられるようになっていたが、どこか品があるので、村人たちも丁寧に接してくれる。
「では、先ごろ首をはねられた王妃の名をとって、マリーの為のスクンブルエッグ、と。」
宿屋の主人は、ビックリした。
いくら、よその国に嫁ぎ首を跳ねられたとは言え、我が国のお姫様だった方だ。
「大丈夫ですよ。歯の悪い祖母の為だと言えばよいのですよ。
でも皆さん、先だっての王妃マリーを思い出すでしょうね。
大丈夫、こんな村の宿屋の卵料理なんかに、この国の王が気にとめる事なんかありませんよ。」
宿屋の主人は、ホッと胸をなでおろした。
それに、マリーの為のスクンブルエッグという名前に、心が躍っていた。
下手くそなお辞儀をして、主人は、かえって行った。
彼は中々の料理上手で、すぐにこの卵料理を客に出して、絶賛受けた。
噂は、森の中まで、聞こえてきた。
やはり、マリーは、先だっての王妃だと言う、噂が立ったが、父も現在の王の兄も不問にしてくれたのは、言うまでもない。
元王妃は、籠を手にして、庭に出る。
もうすぐ来る父と母の為に、卵を集めに行こう。
マリーの為のスクンブルエッグの為に。
今は、ここまで。