成程納得のセレクション
「久しぶり」
そう言って玄関ドアを開けたのは、
迂闊に近付くのも憚られるような、凄みのある美形であった。
切れ長の目元に斜めにかかる漆黒の髪、細身の身体、
ドーベルマンを彷彿とさせるしなやかな身のこなし。
「いらっしゃい」
案内されたリビングで微笑んだのも、これまたえらい美女であった。
アーモンド形のぱっちりした目、すっと通った鼻筋に形の良い唇。
ウェーブのある長い髪をルーズにまとめ上げている。
こっちはアフガンハウンドといったところ。
「待ってたわよー」
その隣で赤ちゃんを抱えている日本人形のような美女は、
ついこの間偶然お目にかかった『常務の奥様』だ。
シャム猫のような気品がある。
今浮かべている笑顔はチェシャ猫みたいだけど。
「瑞穂も千速ちゃんもお久しぶり。
実里ちゃんは十日ぶりくらいかな」
私の隣に立つ司さんだって、
金色のゴールデンレトリバーといった雰囲気。
クレバーで穏やかで、見目麗しい。
はい、そこに一匹、若干場違いなトイプー。
「こちらは佐久間文月さん」
「はじめまして。佐久間文月です」
何だこの、やたら綺羅綺羅しい人たちは。
文月は、目に眩しいぜ、と思いつつ、ぺこりと頭を下げた。
「これ、僕の同期だった人たち」
数年前の人事の采配は、ビジュアル重視だったに違いない。
「森瑞穂です」
「森千速です」
「桜井実里です。この子は薫」
好奇心に満ちた視線を一身に浴びて、文月は頬を引き攣らせた。
私、上手く笑えてるのかな。
本日は、クリスマスが終わってすぐの週末だ。
休暇でアメリカから一時帰国している森夫妻のマンションに、
常盤に連れられてやってきた。
同期の集まりなんだそうな。
「いきなりこんな内輪の集まりに連れてくるとか、ハードル高すぎです」
こそっと呟くと、常盤が、ふふ、と笑って返した。
「やだな。そういったハードルを踏み倒していくの得意なくせに」
今、その下を全力で潜り抜けたいって思ってますけどねっ。
ドーベルマンの美形に、L字型にゆったりと据えられたソファに案内され、
文月は常盤の横に腰掛けた。
おおぅ、座面が広い上にクッションが利いてて、
うっかり深く腰掛けたら足が浮いちゃうんですけど。
「じゃあ、取り敢えず全員揃ったところで、お昼にしようか」
アフガンの美女がそう言って、キッチンに向かう。
「あ、お手伝いしますっ」
常務夫人は赤ちゃん連れだし、と文月は立ち上がった。
「そう? 来たばっかりなのにごめんなさいね」
もう既に、ほとんどの料理は皿に盛り付けられ運ぶばかりとなっている。
「うわぁ、凄い」
「向こうでホームパーティーを開いてるうちに、
適当に手を抜くことを覚えちゃって、
見栄えはするけど手の掛からないものばかりなのよ」
「でもこれだけ用意するのって、大変ですよね」
「まあ仕事と同じで、ちゃんと段取りすればそれほどでも。
慣れもあるけどね。
それに助手がいるから」
アフガンの美女はそう言って肩を竦め、
ドーベルマンの美形をちらりと見て笑った。
「サラダは瑞穂が作ったの。
他の盛り付けも、結構手伝ってくれたかな」
縦の物を横にすることもなさそうなあのドーベルマンを使役するとは、
このアフガンは侮れない。
「そ、そうなんですね」
「あ、私のこと『加藤さん』って旧姓で呼んでくれてもいいんだけど、
瑞穂が拗ねるから『千速さん』って名前で呼んでくれる?」
――加藤さん?
「――あ゛ーっ! 『成程納得のセレクション』!?」
「はい?」
思わず叫んだ文月の目の前で、美女が、こて、と首を傾けた。
振り返ると常盤が面白そうにこちらを見ている。
というか、皆、こちらに注目していた。
――う゛。
「す、すみません……」
文月は赤面して、アフガンの美女が手渡そうとしていた取り皿を、
急いで受け取った。
それを運んでテーブルの上に置くと、常盤が身を寄せてきて囁いた。
「どう? 『成程納得のセレクション』は両方とも、
僕には荷が勝ちすぎると思わない?」
「そうですか?
どちらが並んでも、手出し無用な雰囲気で、
確かに『成程納得』ですよ」
「なあに? その成程納得の何とかって」
聞きかじった常務夫人が身を乗り出す。
文月とアフガンの美女が料理を運び、テーブルを整える間、
常盤は文月を取り巻く状況をかいつまんで語った。
「あっらー。どこかで聞いたような話ね」
「何で俺を見るんだ」
ドーベルマンの彼が常務夫人に向かって唸った。
「いや、イイ男ってそこに存在するだけで罪深いんだわってね。
瑞穂然り、誠さん然り、司然り。
一緒にいる方は大変よ」
「そう?
実里ちゃんも千速ちゃんも、上手くあしらってたように見えたけど」
「私はともかく、千速のスルースキルは色んな意味で素晴らしかったわ」
常務夫人が、ぐふふ、と笑った。
「『仕事に差し障りが無ければいい。鬱陶しいけど』って、
千速が言い放った時の瑞穂の顔ったらなかった」
「ちょっ! 実里っ!」
慌てて止めたアフガン美女であるが、自身が更なるトドメを刺した。
「だって、本当に鬱陶しかったんだもの。
あの頃は、単なる同期以上の関係じゃなかったものね?」
「……そうだな」
はい、無意識の爆弾投下。
氷点下の冷気が、ドーベルマンの彼から噴出する。
が、アフガンの美女は平然とその隣に座った。
常務夫人の口許が、笑いを堪えてピクピク震える。
当時、単なる同期以上の想いを抱えていたらしきドーベルマンの彼に、
文月は甚く同情した。
グラスにアルコールが注がれて、仲間との久々の再会を祝すとともに、
文月の参加が歓迎される。
「どうぞ、手をつけて」と料理を勧めるアフガンの美女を眺めながら、
文月は、ふと首を傾げる。
こんな美女に、どこの誰が文句をつけるというのだろう。
「千速さんでも、そんなことがあったなんて」
「ああ私、当時、眼鏡をかけてひっつめ髪で、
グレーのスーツがデフォルトだったから。
このメンバーの中にいると、確かに悪目立ちしていたわね」
アフガンの美女は、そう言って苦笑する。
つまり、人事采配は決してビジュアル重視だったわけではなかったのだ。
ま、当然だけど。
でもって、やっぱり外見的にそぐわないと付け入られる、ということだ。
文月は俯いた。
じゃあ、私はどうしたらいいんだろう。
トイプーはアフガンハウンドにはなれない。
「でも、どんな格好をしていようと私は私よ。
瑞穂に拒まれるならともかく、
相応しいとか相応しくないかとか、
誰がどんな立場で言えるっていうの?」
視線を上げると、アフガンの美女がにっこり微笑んだ。
「そう思わない?」
「……思い、ますっ」
そうだ。
トイプーにも、トイプーの矜持がある。
常盤も言っていたではないか。
私が私であることに満足しているということは、
十分足りてるってことだ、誰が、何と言おうと。
文月は強く頷き、アフガンの美女に微笑み返した。
「ところで、佐久間さんは営業って言っていたでしょう?
誰と一緒なのかしら?」
赤ちゃんを構いながら、常務夫人が尋ねる。
「三課の都築課長の下についています。
曽根さんとか――」
「曽根?」
ドーベルマンの彼が、さながら耳をピンとさせ、
警戒態勢を取るような反応をした。
何故だ。
「はい。チューターだった先輩社員と色々あった時にも、
随分と助けていただきました」
常盤がそれに相槌を打つ。
「そうそう。
意外と面倒見がいいんで、僕も驚いたんだけど。
昔はともかく、今は自分で言う程遊んでいるわけではなさそうだよ」
「どこかに落ちている『ロマンス』を探しているって言ってました」
「――何だって?」
ドーベルマンの彼が片眉を跳ね上げた。
「えっと、
『打算も駆け引きも越えた所にある、ピュア・ラブ』
だっけな」
文月が空を見つめながらそらんじると、
一瞬の沈黙の後、その場は爆笑に包まれた。
「曽根さん、何があったんだろう」
アフガンの美女が、目尻の涙を指先で弾いて言った。
「でも、それを聞いていた須藤さんが、
『ロマンスは落ちてなんかいない』って……」
「あら! 須藤君は元気なの?」
「はい。
私の同期のチューターなんです。
で、『気付いたらその渦中にあるっていうのがロマンスですよ』って……」
「やだ、須藤君も何かあったのかしら」
「隣でロマンスの嵐が吹き荒れていて、
精神をガリガリ削られたことがあるとか……」
「はいはい、文月ちゃん、その位にしておこうか」
常盤が笑いながら文月を止める。
見回すと、アフガンの美女は赤面し、
ドーベルマンの彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、
常務夫人はお腹を抱えて笑っていた。
「――あれ?」
初めて顔を合わせた、あるいはそれに等しい人たちであったにも関わらず、
気付けば文月は、この場を楽しんでいた。
* * *
「――どうだった?」
森夫妻のマンションを辞した帰り道、常盤は文月に微笑んだ。
「楽しかったです。
司さんの同期の皆さんは、魅力的な方ばかりですね」
「そうでしょ」
「それに、千速さんの横には、森さんが並んでこそ、
『成程納得』な組み合わせになるんだと理解しました。
常務夫人も常務と並んでこそ、なんですよね?」
「その通り。
だけど、彼らも最初からそうだったわけじゃないよ」
文月は横に並ぶ常盤を見上げる。
「僕は、瑞穂と千速ちゃんの時も、
実里ちゃんと常務の時も、傍で見ていたからね。
色々なことを乗り越えて出来上がった絆が、
結局彼らをそんな風に見せているんじゃないのかな」
「――じゃあ」
常盤の手にそっと自分の手を滑り込ませて、文月は言った。
「私もいつか、司さんの隣に並んだ時に、
『成程納得』って思ってもらえるようになりたい、かな」
自分で言ってちょっと照れる。
「色々なことを乗り越えて?」
「……この間、結構ヘビーなのを乗り越えたばかりなんですけど、
神様はその辺りを斟酌してくれると思います?」
「どうかな」
くすっと常盤は笑った。
「文月ちゃんの神様は、そこのところ容赦ないんでしょ?」
「……そうでした」
「でも、僕がいるから」
「え?」
「一緒に乗り越えていけばいいでしょ?」
ぽしゅっと頬が熱くなる。
「かわい」
――別の意味で、乗り越えるのが大変なものがある、と文月は思った。
「通りすがりの王子」の千速と瑞穂、「恋をするなら」の実里が久々に登場。
楽しんでいただけたら幸いです。