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南方第七区赤衣隊隊長日誌  作者: アラック
南方第七区赤衣隊隊長日誌
6/22

6話:肉の日

 さて、とある夜の事だ。今晩の食堂はいつもと雰囲気が明らかに違っていた。なんというか、赤衣隊の少女たちはみなそわそわと落ち着きがなく、フランツィスカやクラリッサに至っては巨大な鉄板のようなものを何処からか持ち出して来ていた。それが彼女たち専用の「皿」だと気付くのに、そう時間はかからなかった。

 やがてマルグリットを伴ったアグネスさんが食堂に入ってくると、そわそわと待機していた少女たちは諸手を挙げて歓声を上げた。何事かと身構える俺は、同時にむせ返るような油脂の香りが部屋を包み込んだ事に気付く。

 そうか、以前アグネスさんが話していた「肉の日」とやらが今日なのだ。アグネスさんとマルグリットは香ばしく脂ののった肉料理をカートで運んでくると、少女たちの皿に切り分けてゆく。鉄板状の「皿」を用意していたフランツィスカとクラリッサのところには、子豚程の大きさがある肉塊がどんと置かれ、ふたりともうっとりとした目でそれを眺めている。クラリッサはともかくとして、フランツィスカの緩みきった表情を見るのはこの時が初めてで、俺は目の前に座っているのが“狂犬”とあだ名されている少女だとは、にわかには信じられなかった。

 鼻歌まで歌いだすくらい上機嫌なフランツィスカと目が合う。てっきり睨み返されるかと思ったがそんな事はなく、緩みきった笑顔で微笑み返されてしまった。「へへー」って。


「上機嫌だね、フランツィスカ」

「ああ、もちろんだ。ここ最近は肉の配給がほとんどなかったからな。ここらの黒森じゃあ食える肉になる動物はいないし、そこら辺の小鳥食っても腹の足しにならねえからな。やっぱ食うために飼われてるやつらの方が、野生のより何倍もうまいからな。なあ、アリス」


 上機嫌で滑らかに話すフランツィスカは、隣に座るクラリッサの肩を抱いてゆすり始める。目の前に置かれた肉塊に目を輝かせ、嬉しそうに口を半開きにしていたクラリッサはその動きに同調し、フランツィスカと共にゆらゆらと小躍りを始める。

 その様子をアグネスさんは苦笑して見守りつつ、俺の分を皿に切り分けてくれた。ついでとばかりに耳打ちしてくる事に寄れば、肉を目の前にした彼女たち姿はとても人には見せられない、はしたないものなのだという。


「アグネスさん!? 隊長に何を吹聴していますの!?」


 アグネスさんの言葉が聞こえていたのか、リーゼロッテが顔を真っ赤にして席から立ち上がるが、マルグリットが骨付きのラムを皿に乗せると大人しく席に座りなおした。羞恥心より肉が勝ったのだ。恐るべき肉の魔力。


「ほら、マルグリットも座りな。お代わり分持ってきといてやるから、もう食べ始めてもいいよ」


 笑ってそう告げるアグネスさん。その言葉を合図として、5人の少女たちは一斉に肉にかぶりつく。といっても、ほんとうに肉にかぶりついたのはフランツィスカとクラリッサのふたりで、比較的獣性の低い3人は笑顔で且つ優雅に自分の取り分を食してゆく。野性的な食べ方ではないものの、その速度は普段の比ではない。手元は優雅に見えるものの、皿の上にある料理に対する執着が尋常ではないのだ。


「あら、このラムくさみが少ないですね。いいところの羊さんでしょうか?」

「いや違うな。軍の配給、しかも最前線の赤衣隊に送られてくる肉だ、等級も品質も高いものではないだろう。これはアグネスさんの調理の腕前が優れている証拠だ」

「アグネスさん、うちに専属で雇われてほしいですの」

「あ? 馬鹿言うな。リゼのお家に雇われちまったら、俺たちのいつもの飯はどうなるんだよ。肉の日も味気なくなるぜ?」

「おいしいですのー」


 しっかりと会話しながらも食事のペースは落ちない。みな若干早口になっているが、それは食事のための時間を確保するためにそうなってしまうのだろう。なるほど、これは確かに人には見せられないものかもしれない。ふと、そういった場に身を置かせてもらえるのは、隊長としての特権だろうかと考えてしまう。ならばこれほど嬉しい事はない。彼女たちの素の姿にこうしてお目にかかることができるのだから。

 そんな事を考えていると、3人組の方の大皿の肉が早くも残り一切れとなり、食事の手が止まる。その様子を見守ってみると、3人ともフォークを一度置いて、互いに牽制するような雰囲気を醸し出す。真っ先に口を開いたのはリーゼロッテだ。


「ハンナ。普段から珈琲ばかりで内臓がお疲れでしょう? ここはわたくしが最後の一切れを食べてあげるのでご安心なさいですの」

「……何を言うのかと思えば。自分の胃は珈琲の過剰摂取にも耐えられるようにできている。一日、いや、一週間珈琲だけでも生きていけるほどにはな」

「今度やってみてくださいですの」

「その一切れをくれたら明日から実践して見せよう」

「お断りですの」

「それは残念だ。それより……」


 リーゼロッテの言葉をしのいだハンナが、今度は自分の番だと攻勢に出る。


「リゼ。肉を食うと獣性が上がると論じている研究者がいるのは知っているか? 半人狼は己の獣性を満たすように肉を喰らい、満たされるとさらに多くを求めるようになる。それが獣性の上昇にもつながるのだという論だ」

「その論に根拠はございますの? 実証は? それにもしそうだとしたら、アリスもアンジーも、今こうしてお肉を食べ続ける事ができませんのよ?」

「根拠があるかはわからない。だが、獣性そのものが上がらなくとも、獣性の特質が強化される可能性は捨てきれないだろう?」


 びくりと、リーゼロッテの体が大きく震え、血色がよかった顔がわずかに青ざめた。そういえば、リーゼロッテの獣性がどの領域に特化しているのかはまだ聞いた事がなかった。今の反応を見るに、あまり知られたくはないもののように見える。


「冬場はいつも大変なのだろう? 何せあのマルグリットが根を上げる程だ。それに今は隊長殿がおられる。自分を抑えられる自信があるのならば別だが」

「ひ、卑怯ですのよ! 隊長がいる前でそんなお話……!」


 勢いよく席から立ち上がったリーゼロッテだったが、事を見守っていた俺と目が合うと真っ赤になって静かに席に着いた。やはり、リーゼロッテの獣性はあまり人には知られたくないもののようだ。興味がないわけではないが、それがどんなものかまで追求するほど俺は野暮ではない。任務に支障が出なければ伏せておいてくれても差し支えないだろう。


「隊長。はい、あーん」


 隣に座っていたマルグリットが突然、そんな言葉と共にフォークに刺さった肉を差し出してきた。俺は反射的にそれを口の中に納めてしまう。鶏のソテーだ。かりかりに焼き上げられた皮の舌触りが素晴らしく、あふれる肉汁が口内に広がり幸せな気持ちになる。香草もくどくならない程の絶妙さで鼻に抜けゆき、香辛料の辛みが後味を整える。さすがはアグネスさん、いい仕事だ。


「さすがはアグネスさん、いい仕事だ」

「あら隊長。わたしがあーんした感想はございませんのでしょうか?」


 心情が思わず言葉に出てしまっていた。そしてマルグリットから小さな抗議の言葉が漏れる。表情に不満な様子はないが、俺の袖をつかみ身を寄せてきているのだから、これは明らかに抗議だろう。なんといっても、このままでは食事ができない。

 そして、最後の一切れを目の前に言い争っていたふたりから「あ!」と声が挙がり、席から立ち上がってこちらを睨んでくる。その原因がマルグリットであるのは確かだが、俺に肉を差出しその感想が得られなかったとして不満をぶつけている事が理由か、または彼女たちが争う原因となった最後の一切れがいつの間にか消えていた事が理由か、それが定かではない。最後の一切れは鶏のソテーだったので、それが俺の口に入ったのだと考えて間違いはないだろう。


「ふふふ、喧嘩していたので両成敗です。それに、私の方は隊長にあーんしてあげたので、隊長からあーんしてもらえる権利がございますよね?」

「ええ?」


 俺は疑問の表情を浮かべるが、マルグリットは「あーんしてくれますよね?」と、袖をつかんで離さない。それをするにはまず、利き手のある右腕を解放してほしいところなのだが、どうにもマルグリットは俺の右腕を解放してくれる気はないらしい。それとも俺を困らせたいだけなのだろうか。彼女も肉の魔力に魅入られてしまった乙女のひとりなのか。


「ああらなんだい。お代わり持ってきたのにもういらないのかい? あんたらいつの間にそんなに小食になったんだい?」


 そんなところへアグネスさんが肉の追加を持ってやってくると、3人とも大人しく自分の席に座りなおした。アグネスさんと肉の魔力は強大だ。少女たちに肉を分配すると、アグネスさんもテーブルに着いた。肉の日はこうしてアグネスさんも食卓に着くのが通例となっているのだという。


「だってねえ。こんなおいしそうに食べてる顔なんて、そうそう見られるものじゃありませんよう?」


 彼女たちの笑顔を肴に食事、というわけか。なるほど、気持ちはすごくわかる。俺は頷きながら、自分に追加された肉厚の牛のステーキを切り分け、マルグリットの名を呼ぶ。自分の皿に夢中になっていた彼女は、俺が「はい、あーん」とフォークに刺さった一切れを差し出すと、一瞬固まった後わずかに驚きの表情を見せた。俺の行動が予想外だったのか、視線を泳がせてあたふたとし始める。

 これは俺の方が予想外だ。マルグリットはやがて観念したかのように俺の方へ向き直ると、髪が垂れないように片手でかき上げて、フォークに刺さった肉を食んだ。若干顔を赤らめた上目使いは何とも妖艶で、いけない事をしているような錯覚に襲われる。

 その様子を見て固まるハンナとリーゼロッテ、対してアグネスさんは笑いをかみ殺している。いそいそとテーブルに向きを戻すマルグリットを見て、自分の分の肉塊を頬張っていたフランツィスカが顔を上げた。意地悪そうな笑みが浮かんでいる。


「隊長さんよ。マルグリットは見た目や態度は大人ぶっちゃいるが、うぶだからな?」

「あ、アンジー? ちょっと……」

「家が娼館だとか吹いて回ってるようだが、そいつ処女だから。匂いでわかる」


 奥のテーブルに着いていたふたりがそれぞれ紅茶と珈琲を噴き出した。意地悪げな笑みを浮かべていたフランツィスカは、アグネスさんがどこからともなく取り出した替えの鉄板に打ち据えられ、頭を押さえてうずくまる。ああ、やはりマルグリットはそうだったのか……。


「これ、食事中に何言ってるのさ。ハインツぼっちゃんだってお年頃なんだから、気を遣っちまうだろう?」

「……お、お気遣いどうも。アグネスさん」


 途端に食卓は気まずい雰囲気に包まれてしまった。クラリッサだけがわれ関せずと目の前の肉塊にかぶりついていて、おいしそうに鼻を鳴らす音で少しばかりその雰囲気が緩和された気がする。

 しかし、なぜフランツィスカは突然そんな事を言ったのだろう。せっかくの肉の日に、仲間の食事の手を止める行動を彼女が取るのは不自然に思う。何かフランツィスカなりの理由があるのかもしれない。


「無理して年上ぶんなくてもいいって言ってんだよ。確かに俺らはあんたに助けてもらってるさ。冬場のリゼなんか特にな」


 今度は、リーゼロッテは紅茶を噴き出さなかった。ただ、紅茶自体は口に含んでいたため、喉奥を変な風に通過してしまったのか、だいぶ長い時間むせ返る事にはなった。ハンナが呆れ顔で背中をさすっているので大丈夫だろう。


「人にばっか甘えさせて頼られて、だが自分がそうする相手がいないんじゃ、きついだろ」

「そうだねえ。マルグリットはできた娘だから……。あたしとしちゃあもっと頼ってほしいんだけどねえ?」

「アグネスさんまで……」


 普段は背筋が良くしっかり者としての印象が強いマルグリットだが、今は背を曲げて縮こまってしまっている。本人にとっても痛いところを突かれてしまったのだろう、余裕の笑顔が一転、いつものリーゼロッテのようになってしまっている。……俺の心の声が聞こえたのか、リーゼロッテがこちらを疑問の表情で見たが気にしな事にする。


「だからよ、さっきみたいにそうやって隊長に甘えりゃいいんだ。アグネスさんにもだ。あれがあんたの素なんだろう?」


 確かマルグリットは18歳、フランツィスカは15歳だと聞いている。年下にたしなめられるマルグリットという図が新鮮で、俺はもちろん、リーゼロッテやハンナまでもが目を丸くしてこの状況を見守っている。

 当のマルグリットは「そう言われましても……」と再び俯いてしまう。フランツィスカは言いたいことは言ったとばかりに自分の食事に戻ってしまい、再び食卓は肉を食む沈黙に支配されてしまう。アグネスさんは「しょうがないねえ」と苦笑いするばかりだし、はてここは俺が何かした方がいいのだろうかと思い始めていた頃、救いの手は思わぬところから差し伸べられた。

 マルグリットの目の前に、ひと口大の肉塊が差し出されたのだ。それはマルグリットの正面に座っていたクラリッサからのもので、彼女は自分の取り分である肉塊の一部を携行品のトマホークで器用に切り取り、席から身を乗り出してマルグリットの元へ差し出していたのだ。トマホークとはいえ、その形状は小型の斧やピック、または鍵の破壊や缶切りの代わりにできるような特殊な形状をしている。器用な者ならばそれで肉を切り分けて食事する事は造作もなく、そしてクラリッサはこの赤衣隊においては一番の器用さを誇っていた。


「マルグリットー。はい、あーんですのー」


 先ほどマルグリットが俺に、また俺がマルグリットにそうしたように、食えとばかりに肉を差し出すクラリッサ。目の間の好意に対し、マルグリットは明らかに戸惑っていた。普段ならば、彼女はこの行いに対して「大人として子供の好意に付き合ってあげた」という意味で、差し出された肉を食べるのだろう。だが、今の話の流れからではどうにもそうできないような心理的働きがあるようだ。

 それに、マルグリット自身は気付いていないのだろうが、この状況を食堂のみなが見守っている。特に、カップで口元を覆い隠し、横目でしっかりとマルグリットの方を見守っているふたり。フランツィスカも自分の食事をすすめてはいるが、時折視線を上げてマルグリットの方を気にしている。

 やがてクラリッサの表情が曇り出して、それを見たマルグリットが焦りだしたところで、今度は自分の番だとばかりに、俺は声をかける事にした。


「甘えん坊なクラリッサに甘やかしてもらえる機会なんて、あまりない事だと思うよ。マルグリット」


 何か言いたげな視線を向けてきたが、俺はそれに対して頷きを見せる。そして言葉を続ける。


「じゃあ、俺がマルグリットの代わりにクラリッサに甘やかしてもらおうかな?」


 言葉の意味を測り兼ねたクラリッサは小首を傾げたが、すぐに「その肉はこちらが頂こう」と俺が言わんとしていた事を理解したのか、トマホークの矛先をマルグリットから俺の方へ変えようとする。だが、理解の早さならクラリッサよりもマルグリットの方が断然早く、彼女は肉が自分の目の前から移動する前に急いでそれを口の中に納めた。

 結果として俺の眼前には脂の付いたトマホークの刃が差し出される事になる。その様子を不思議そうに見ていたクラリッサは、マルグリットが口元に手をやり咀嚼しているのを見て嬉しそうに顔を輝かせた。


「ふふふ、アリスに甘やかされてしまいましたね」


 その言葉に気を良くしたのか、クラリッサはもうひと口とばかりに肉塊を切り分けてマルグリットの元に運ぶ。傍目からは児戯に付き合う大人の図であるのだろうが、彼女たちの中ではその心情は別のものに変わっているはずだ。甘やかす側と、甘やかされる側に。

 そしてこの結末がどういう力を働かせたのか、なんと俺の目の前にも肉塊が差し出されていた。差し出し主はフランツィスカで、差し出されたのはひと口大どころか拳大もの大きさがある牛肉だ。自分の拳を口の中に納めてしまう大道芸があると聞いた事があるが、俺の口ではいくら頑張ってもこの大きさは無理だ。顎が外れてしまう。

 正面のフランツィスカに助けを乞うように視線を向ければ、彼女の意地悪げな目が俺を見返してきた。


「俺の肉が食えないっていうのかい、隊長さんよ」


 挑発だ。意地悪い表情でそう言われて、俺は乗ってやろうという気になっていた。何もひと口ですべて平らげる必要はない。何口かに分けて差し出された肉を味わえばいい。意気地なしと思われるかもしれないが、無理をしてせっかくの料理を台無しにしてしまっては元も子もない。そして、それはフランツィスカだって同じ考えのはずだ。

 俺は自分の席から腰を浮かせてテーブルに身を乗り出すと、肉塊の端に勢い良くかぶりついた。所々で意外そうな声が上がるが、構うものか。まずはひと口。噛み千切って咀嚼すると、口内の肉はすぐにその形を失い旨味となって広がった。こちらは香草の類はあまり使われておらず、その分香辛料の種類が他の肉料理よりも多めだ。この辛めの味付けがフランツィスカの好みなのだろうか。そして肉質だが、表面こそ堅めに焼かれてはいるが中は非常に柔らかく、これならばあと何口かで平らげる事ができるだろう。

 ふと、フランツィスカが食べる肉としては歯ごたえがないのが気になった。彼女に対するイメージとは少し違う気がしたのだ。これは彼女が気を使ってあえて柔らかい部分を選んでくれたのか、それともアグネスさんの調理の方針だったのか。どちらにしろ、そんな考えは次の瞬間には俺の頭の中から吹き飛んでいた。ふた口目にかぶりつこうと口を開けた瞬間、フランツィスカの発達した犬歯が目に飛び込んできたのだ。俺とフランツィスカはほぼ同時に、肉塊の端と端とを食い合っている状態になった。


「んふ」


 鼻を鳴らして笑うように、肉にかぶりついたままのフランツィスカは声を上げる。細められた眼差しと油分で煌めく口元が、マルグリットとはまた違った妖艶さを浮き上がらせる。それを挑発の上乗せと受け取り、俺は気圧されまいと急いで歯の立っている部分を噛み千切った。

 視界の端でリーゼロッテとハンナが席から立ち上がるのが見えたが、アグネスさんが無言で替えの鉄板を掲げるとすごすごと座りなおした。そして、俺たちを見て呆れ気味に笑うアグネスさんは、自分のカップにお茶を注いで一息入れる。


「あたしも歳だねえ。若い娘の考えてる事がさっぱりわからないよ」

「あら。それでは、これがなんとなくわかるわたしはまだ若い娘なのですね」

「……マルグリット、そこ予防線を張る必要はあるのか?」


 外野がそんな会話を繰り広げている間にも肉塊の面積は小さくなっていき、トマホークの刃先にはひと口大の分量がわずかに残る。フランツィスカを見ると、変わらず意地悪げな笑顔で微笑んでいる。どちらが早く食らいつくのか競おうとでもいうのだろうか。急いで食らいついてはトマホークの刃で怪我をするかもしれず、もしかすると互いの顔の肉をがぶり、という展開もあり得るだろう。

 だが、彼女の挑発は俺に度胸試しを強いている。俺としても、ここまで付き合ったのならば最後まで食らいつくつもりだ。恐れる事など無い。最後のひと口に食らいついたのはほぼ同時で、その時わずかにフランツィスカと唇が触れ合った。若干顔に熱が上がってきた俺に対して、フランツィスカは満足そうな笑みで口の中の肉を味わっている。

 俺はこの勝負めいた行いに、なぜか充足感のようなものが湧き上がるのを感じていた。そしてその充足感の正体には心当たりがある。なんというか、獣の群れに一員として認められたかのような感触、とでも表現すればいいだろうか。赤衣隊の中で一番の獣性を誇るフランツィスカに認められたような気がするのだ。


「隊長のは、無謀じゃなくてちゃんと度胸なんだな。ちょっとは見直したぜ」


 満足そうなフランツィスカは自分の皿へと戻り、さらに満足そうな表情で食事を再開する。無謀ではなく度胸。それはおそらく、俺も彼女もトマホークの刃で怪我をしないように配慮をした、という事指しているのだろう。肉に到達するのはほぼ同時だったが、俺の方が若干ではあるが早かった。だから、肉の端を加えるようにしてトマホークの刃から持ち上げ、その直後肉にかぶりついたフランツィスカが刃を噛んで怪我しないようにと、彼女の方へ差し出したのだ。


「そうか。ちょっとは男らしいところを見せられたかな?」

「そういうのとはまた別の話だけどな。どっちかってえと、雄としての度量だ。群れの主にふさわしいってやつ?」


 何と、フランツィスカはそういった目線で俺を値踏みしていたというのか。獣性の高さからくるものか、何とも粗野な考え方だ。しかしそうだとすれば、これまでの俺の行いは彼女の御眼鏡に適うものではなかったのだろう。だとすれば、このような儀式めいた行為で認められてしまっていいのだろうか疑問に思えてくる。

 表情に浮かんだものを読み取ったのか、フランツィスカは食事に集中しつつも俺に言葉をかけてくる。


「別に、隊長が気にしている事がわからねえわけじゃないぜ。だが俺にとっちゃ、仲間のみんなと上手くやってくれて、いざというとき体を張る覚悟があるなら、立派な頭として申し分ないって事だ。手前の誇りを満たすために仲間を危険に晒すようなやつじゃないって事は、ここに来た当初にはっきり見せてもらってるしな」


 それは、俺がここに着任した日に起きた、人狼たちの襲撃を言っているのだろう。あの時は彼女たちの連携を乱すくらいなら手を出さず静観しようという考えだったが、それが結果的に彼女の俺に対する見方、その下地を作ってくれていたのだろう。考えてみれば、あれからまだ二か月も経っていないというのに、ずいぶんいろいろな事があった気がする。


「では、これからの働きでキミを失望させないようにしないとね。フランツィスカ」

「アンジーでいい。仲間はみんなそう呼ぶ。俺も隊長じゃなくてハインツって呼ぶけどいいよな」


 これにはさすがにハンナが異議を唱えるが、続いてクラリッサが「じゃあアリスもですのー」と言い出したため収集が付けられなくなったのか、額を抑えて自分の席に座りなおした。ふたりを愛称で呼ぶのならば、リーゼロッテもそうするべきかと思い彼女の方を見るが、なぜかリーゼロッテは俯いて料理の残った皿を見つめていた。フランツィスカとの勝負に熱中して途中からリーゼロッテの事を見ていなかったのだが、その間に何か彼女の気に障るような事をしてしまったのだろうか。

 俺の視線に気付いたのか、リーゼロッテはすぐに表情を元に戻して食事を再開するが、どこか無理をして表情を作っているようにも思えてならなかった。思えばこの時から、彼女にまつわる物語、その中核が動き出していたのかもしれない。




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