4話:夜襲
「今夜は風が強いですのね……」
赤外套を耳付フードまですっぽりと被ったリーゼロッテが言う。その後に続いて外に出た俺も、羽織るようにして着ていた外套の前を合わせた。金属製のギブスで固められた左腕に袖を通す事が難しかったからだ。
見上げた夜空の星々が足の速い雲に覆われたり、かと思えば姿を現したりと、上空に吹きすさぶ風の強さを目の当たりにする。
風が強いのは上空だけではなく地上も同じ事だ。木々は揺れて草は舞い、隊宿舎の柱が軽く軋みを上げる。窓ガラスが鳴る音が時折聞こえてくる程だ。
こんな風の強い夜に好んで外に出ようなどという物好きはそういないだろうと考え、ここにふたりいる事に気付かされて苦笑してしまう。
「ハインリヒ隊長のおっしゃりたい事はわかっていますの。何もこんな風の強い夜に、外へ出て星を見ようなどと……」
「これでは、星を見に来ているのか、流れる雲を見に来ているのかわからないからね」
俺がそう言うと、リーゼロッテは中庭の椅子に腰かけて黙り込んでしまった。耳が垂れているという事は落ち込んでいるのだろう。俺を外へ連れ出す事で頭がいっぱいだったのかも知れない。
「ありがとう、リーゼロッテ。大事な戦いを明日に控えているのに、俺の体たらくが見ていられなくなって、わざわざこうして気分転換に連れ出してくれたんだろ?」
ここ二日間の俺と言えば、我ながらひどい有様だったと思う。心ここにあらずで、いつもは絶対にしないミスをして、ハンナなど呆れ顔で「隊長。もういいのでベッドにお戻りください」とまで言ってくる始末だ。
「しっかりしろ」ではなく「もういい」と言われた事が思ったよりも傷が深く、午後は立ち直れずにずっと机仕事に徹していた。
それでも、最低限の仕事は手癖で何とかこなせていた。訓練時代の積み重ねと、ここに来てからハンナに散々鍛えられた成果だろう。
「いえ。実はわたくし、自分の事で頭がいっぱいで、隊長のご様子など気に掛ける余裕がなくて。今夜、隊長をお散歩にお誘いしたのも、わたくし自身のためですの」
申し訳なさそうに言うリーゼロッテは、フードの奥から困ったような視線を向けてくる。耳も垂れたままだ。テーブルを挟んで反対側の椅子に座れば、いつだか彼女の尻尾を見てしまった時のように、顔を隠して身を縮めてしまった。
「すみません。隊長のお気持ちなど考えずに……」
「構わないよ。俺に何かできる事があるかい? このところ、本当にいいとこなしだったものだから、何か役に立てるなら嬉しいよ」
テーブルの上で手を組んでそう告げると、リーゼロッテはまだ幾分か申し訳なさそうな表情だったものの、「お話を聞いて頂きたいですの」と告げて、こちらを向いた。風の音が強く、俺の声は彼女に聞こえているようだが、彼女が発した声はなかなか俺まで届かない。その事に気付いたリーゼロッテは、椅子を引いて立ち上がると、小走りで俺の隣に椅子を置いて座りなおした。
「ここなら聞こえますの?」
「ああ。リーゼロッテの顔も良く見えるよ」
「隊長。そのお言葉は、わたくしを口説いていますの?」
「あ、気を付けないとダメかな。マルグリットにも注意されているし」
「……口説いてくださったわけではないのですね」
「ん?」
最後のセリフは聞き取れないくらいの声量だった。せっかく近くに来たというのに、これでは先ほどと変わらないではないか。ちょっとだけリーゼロッテの方に顔を近づけてみると、彼女は慌てて俺から顔を背けてしまった。怒らせてしまっただろうか。
「ごめんね。俺はどうも女性との接し方がうまくはないみたいだから、リーゼロッテにも度々失礼な事を言ってしまって」
「お気になさらずに、ですの。そんな事はもう充分承知しておりますのよ? ハインリヒ隊長とお会いして、もう二か月近くになるのです。隊長はわたくしたちや伐採班のみなさんとも良くお話しされるので、どういう方であるのかは、わたくしなりに理解しているつもりですの」
これはどうした事か。いつものハンナのような手厳しさだ。まじまじとリーゼロッテを見つめると、先ほどと同じように顔を反らされてしまった。
「いえ。謝るのはわたくしの方ですの。隊長から女性の名前を聞くと、どうしても心がざわついてしまって……。ご迷惑だとわかってはいるのですが……」
「そんな事はないけれど。でも、どうして? 俺は、女性とお付き合いするには不相応な人物かな?」
「そ、それは、そういうわけではありませんの! ただ……」
ただ。そう言いかけて、リーゼロッテは再び顔を背けようとする。しかし、今度はそれを留まり、隣に座る俺をまっすぐ見上げてきた。目元には力があり、口元も固く結ばれている。何らかの意を決した事は明らかで、俺の方も自然と体に力が入ってしまう。
「わたくし、隊長の事が好きです。……の?」
「ごめん、リーゼロッテ。それは俺に聞かれても困るよ」
「そ、その通りですの。わたくしったらいったいなにを……」
ああ、だからといって、リーゼロッテ。テーブルにこつこつと頭をぶつけるのはやめよう。おでこに傷がついてしまうよ。
「ええと、言い直しですの。わたくし、ハインリヒ隊長の事が、好き、かもしれません」
「断定ではないんだね」
何とかそれだけを言う事が出来たが、俺は気恥ずかしさで頬に熱が上がってくるのを感じていた。俺ですらそうなのだから、俯いてしまったリーゼロッテはさらにたいへんな事になっているだろ。
「すみません。断定では、ないですの。わたくし、これまで殿方に好意を寄せないようにして来ましたので、今の感情が恋心であるかどうか、自信がないのです」
「どういう事だい?」
リーゼロッテは俯き加減ではあったが、声量を落とす事無く言葉をつづけた。
「わたくしが“隻眼”と姉さまとを討とうと心に決めた時の事ですの。それを果たした時は、わたくし自らも命を断とうと考えていましたの。今では赤衣隊という帰る場所ができた事で、そう簡単に死んではならないと考えるようになりましたが……」
「それは良かったよ、リーゼロッテ。キミの口からその言葉が聞けて、とても安心しているよ」
「あ、ありがとうございます。……でも、そのせい、というか。ここに来るまで自分はずっと、こう考えておりましたの。いずれ死んで居なくなるのなら、好きな殿方など見つけてもしょうがない。どうせ半人狼に好意を寄せる殿方などいないでしょうし、と」
自嘲を含んだ言葉と表情はリーゼロッテには似合わない。彼女が今まで自身に強いてきた無理を、今さら馬鹿馬鹿しいものだとあざけり笑う様は、見ていてあまりにも痛々しかった。
「だから、隊長の事を目で追うようになっていた事も、ただの気の迷い、錯覚だと思っていましたの。だって隊長、ここに配属されてすぐに、半人狼を人間の女性として扱うなどと言ったり、わたくしの尻尾見たり……」
「ああ、すまない。あの時は本当に」
「いえ。あれはわたくしの不注意でもありましたので。それに、もうあまり気にしていませんから。伐採班の女性隊員からも聞きましたが、さすがに尻尾を見て欲情なさる殿方はいないだろうとの事なので、わたくしもそういうものだと思って割り切る事にしましたの。ええ、もう大丈夫ですのよ?」
「……割り切ってくれたところすまない、リーゼロッテ。俺も尻尾の話を聞いていなかったら何も感じなかったのかもしれないが、話を聞いてしまった後だと、どうしてもそういうものだと思って見てしまうよ」
リーゼロッテがまたテーブルに頭を打ち付け始める。今度は音も勢いも洒落にならないものがあったので止めに入る。上げた顔が涙目になっているのは、羞恥のせいか痛みのせいか。まあ、どちらにしろ俺のせいだろう。
「隊長、ハインリヒ隊長! 隊長はその一言が余計ですのよ? わたくしやっとの思いで割り切りましたのに……!」
「ごめんね。でも、黙ったままだといけないと思ったんだ。リーゼロッテにも俺自身にも嘘をついているみたいで」
「正直ですのね、隊長。それでは下心をお隠しになるのも苦労されるでしょうに……」
「そうだね。だから女性との付き合いが苦手なのかも」
笑って言えば、「笑い事じゃありませんの」と眉をひそめたリーゼロッテにぴしゃりと返されてしまう。いつもは赤くなる頬が若干膨れている気がする。怒っているともまた違う反応に困惑していると、リーゼロッテはため息交じりに言葉を続けた。
「隊長。隊長が、伐採班の女性隊員からそこそこ人気がある事、ご存じですの?」
「え。初耳だよ?」
「ですのね。ハインリヒ隊長は、殿方特有の匂いというものがあまりしませんもの。まるで絵本の中から出て来た王子様のようで……。先ほどはああ言いましたが、隊長からは下心の欠片も感じた事がありませんのよ?」
「さすがに王子様は言い過ぎじゃないかな。俺にだって下心くらいはあるよ。それに、俺はただ貧弱なだけだよ。体が弱いからあまり動けなくて、汗もそんなにかかない体質なだけ」
「ああ、そういう事を言っているのではありませんの。隊長は物腰や動きに男性特有の荒さ、のようなものがあまり見られないと言っているのです。それに、貧弱だとおっしゃられますが、お体の方は結構鍛えられておいでのようで……」
「……いつ見たの?」
「すみません。マルグリットの手術が終わって、朝方まで交代で看病しておりまして。隊長、すごい汗だったものですから、着替えのために……」
今度は思いきりテーブルに頭を打ちつけようとしたリーゼロッテを、俺はその小さな両肩をつかんで止めた。もう一思いにやらせて下さいと呟く彼女を根気強く説得して、ようやくまともに顔が見られるくらいにまでは回復する事が出来た。
「そっか。でも、男臭くないって言われると、男としてはちょっと残念なんだけどね」
「それは、そうなのですから仕方ありませんの。それに、汗だくでがさつなハインリヒ隊長なんて、わたくし嫌ですのよ?」
「やっぱり汗だくなのは駄目なんだ。匂いがきついと嫌だよね」
「あ、いいえ。アリスをご覧になればお分かり頂けると思いますが、隊長の匂い、赤衣隊のみなは嫌いではありませんのよ? だから、その、汗だくでも大丈夫だと思いますの……」
何気にすごい事を聞いてしまった気がするが、リーゼロッテはその重大さに気付いていないようなので黙っておこう。しかし、俺は物腰と匂いで彼女に好かれたという事なのだろうか。それは嬉しいような、そうでないような複雑な気分なのだが、やはり嬉しさが勝る。
俺のそんな表情を鋭く察知したのか、リーゼロッテがにんまりと勝ち誇ったような顔をする。普段の彼女ならば、肉の日以外では絶対に見られないであろう表情だ。俺の虚を突いた事がそれほど嬉しかったという事だろうか。
「ふふ。ハインリヒ隊長、お顔が赤くなっておられますのよ?」
「か、からかっているのかい? リーゼロッテ」
「隊長にはいつも真っ赤にさせられているので、これくらい許してほしいものですのー」
まるでクラリッサのような口調で言って、リーゼロッテは俺の顔を下から覗き込むようにして見つめてくる。困り気味にリーゼロッテを見返せば、彼女の眼帯がいつもの黒いものではない事に気付く。以前俺がプレゼントした眼帯だ。マルグリットの話では自室でしか身に着けていないと言っていたのだが、どういう心境の変化であろうか。
「わたくしにもう片方の目が残されていて、本当に良かったですの。こうして隊長のお顔を見る事が出来るのですから……」
その言葉に、胸が締め付けられる思いだった。この感情は、彼女から大切なものを奪った“隻眼”に対する怒りだろうか。こういう時彼女にかける言葉が見当たらない、俺自身に対する不甲斐なさとも近いようで少し違う気がする。辛い境遇に置かれ自身の転機に直面しても、こうして笑う事の出来る彼女の芯の強さに感服を覚えているからかもしれない。
「リーゼロッテは強いね。大変なものを背負いながら、それでも笑う事が出来るのだから」
あるいは、今彼女が浮かべている表情は上辺だけのものかもしれない。本当は泣き出したくて堪らない程、明日という日を恐れているのかもしれないのだ。もしそうだったとしたら、俺は彼女に何をしてやれるだろう。
「わたくしが今笑う事が出来るのは、明日で人生を終わらせるわけにはいかないと考えているからですの。わたくしは明日、“隻眼”と、……姉さまを討ち果たします。そして明日以降、明後日も、その後も生きてゆきます。そして……」
リーゼロッテは俺を見た。残された左目で、まっすぐに俺の顔を見つめてくる。
「そして、わたくしが本当にハインリヒ隊長の事を好きなのかどうかを、確かめていきたいですの」
告げて、とうとう俺の顔を見ていられなくなったのか、リーゼロッテは真っ赤になった顔を背けた。俺はというと、彼女から目を背ける事ができないでいた。告げられた言葉に、あまりにも衝撃を受けて。
己の前に立ちはだかる障害を見据え、さらにその先に思いを馳せる事など。日ごとに近付いて来る死の影に怯えて、追いつかれる前に何かしなければと焦り続けている俺には、到底考え付きもしなかったのだ。己の死を緩慢に受け入れ、抗い立ち向かう事など考えもつかなかったのだから……。
「リーゼロッテ、俺は……」
彼女に告げてしまおうか。俺の命があと一年も持たないだろうと、医者から宣告されている事を。……いいや、駄目だ。これは俺の弱さだ。今を乗り越えようとしている彼女には、不要なものだ。
リーゼロッテが明日を乗り越えるというのならば、生きて赤衣隊のみなと共にあろうとするならば、俺も生きようとしなければならない。今の俺にできる事は、リーゼロッテの帰りをこのハンブルク城で待つ事だ。彼女が生きてゆこうとする明日の、その先で待つ事。
「? なんですの、隊長」
赤くなった頬を揉みほぐしながら聞いてくるリーゼロッテに、俺はなんでもないよと笑顔をつくる。彼女の明日を生きるための理由、そのひとつになれればいい。俺個人としては何とも情けなく、みじめな限りだが、今は俺自身の事より彼女の事が重要だ。
思い出した事がある。ここに配属される前の事だ。修繕兵として従軍するも、伐採班や護衛班の任務に同行できず、彼らの帰りを野営所や拠点で待ち続ける日々の思い出だ。得意な分野で人の役に立とうと考えていたにも関わらず、それ以上を俺は求めて燻っていたのだ。自分も前線に出て彼らと共に戦いたい、などと……。
ハンブルク城にて彼女たちの帰りを待つ事に、悔しさと歯がゆさを覚える。以前抱いた感情とほとんど同じだ。自分の役割すら満足に果たせないというのに、何とも身の程知らずな事だろう。俺には力がない。それどころか能も、財もない。彼女たち貢献できうる唯一の技術も、彼女たちを直接助ける事は出来ないではないか。
それらの感情を、俺はため息とともに押し殺した。ここで自分の内面を吐露しても仕方がない。大事な戦いを明日に控えたリーゼロッテに、そんな事を明かせるはずがないではないか。
リーゼロッテは俺の挙動に不審なものを感じたようだが、特に言及してくる事もなかった。代わりとばかりに、真面目な顔で俺に問いかけてくる。
「と、ところで隊長? ハインリヒ隊長は今、好きな方はおられますの……?」
リーゼロッテを見返すと、彼女の表情は徐々に不安げなものに変化していった。なるほど、好きかもしれない人にすでに思い人がいるとなれば、それはとても気になるものだろう。
「俺に好きな人か……。今はいない、かな。俺も、誰かひとりを特別好きになるような事がないように、今まで生きて来たから……」
そう告げると、リーゼロッテはまず安心したように顔を上げて、しかしすぐに表情を不満げなものに変えて俯いてしまった。感情の切り替わりが非常に早く、何を考えているのか察するのは難しい。
だが、一度俯いたリーゼロッテはすぐに顔を上げた。不満げな顔のまま、疑問を瞳に湛えている。
「隊長は、なぜ……?」
なぜ、好きな人をつくらぬようにしてきたのか。その理由ははっきりしている。だが、まさか病気のせいだとは、余命が少ないからだとは言えず、俺は口ごもってしまう。
黙る俺に不安の色を濃くしたリーゼロッテ。これ以上彼女を不安にさせまいと考えを巡らせれば、思いつく事がひとつ。
「その理由は、キミが帰って来てから話す事にするよ。リーゼロッテ」
「まあ、お預けですの!? 隊長に焦らす趣味があったなんて。わたくしもまだまだ見方が甘かったですの」
むすっと頬を膨らませるリーゼロッテの姿に内心で安堵を得て、それ以上の罪悪感が湧き上がってくる。嘘を付いたわけではないが、この先延ばしは卑怯ではないか。
だからと言って、今話せば彼女の重荷になってしまうかもしれない。余命や病気の事など、死線を潜り抜けて帰ってきた彼女に話せるようなものではない。
ならばやはり、答えを先延ばしにした方がいいだろう。明日を乗り越えた先に失望が用意されていたとしても、乗り越えた彼女ならば大丈夫なはずだ。
「そうですの。帰ったらじっくりと、隊長の事を問い詰めさせてもらいますの。根掘り葉掘り聞きますのよ?」
「お、お手柔らかに頼むよ。リーゼロッテ」
ふふんと、得意げに鼻を鳴らして意地悪そうに笑うリーゼロッテに、少し椅子を引いて距離を取る。これは、俺の事情を話す事も含めて、彼女に何を聞かれるか。それとも何を言われるか、覚悟しておいた方が良さそうだ。
「さあ、そろそろ中に戻ろう。この大事な時に風を引いてしまっては大変だ。それに、俺もまだ今夜の分の薬を飲んでいないからね」
「あら、そうでしたの? わたくし、そんな時に呼び出してしまって」
「構わないよ。さあ、戻ろうか」
椅子から立ち上がり、右手をリーゼロッテへと差し出す。われながら調子に乗っているなと内心冷や汗をかくが、リーゼロッテは微笑を見せて赤外套の端をつまむと、お辞儀ひとつして差し出した手を取ってくれた。さすがは貴族の子女だ。こういう作法が絡むと途端に大人びいて見える。
ただ、彼女の指先からは緊張が伝わってきた。震えと汗と、そして体温の低い冷たい手だ。リーゼロッテの手に触れるのはここに着任した日以来だが、その時はどうだったのだろう。人狼と初めて邂逅した衝撃が強すぎて、いまいち鮮明に思い出す事が出来ない。
彼女の手の冷たさ、震えの元はなんだろう。明日“隻眼”と相対する事への恐怖か、それとも意識してしまった相手に触れ緊張したものか。
「どちらにせよ、今夜は暖かくして眠ったほうがいいね」
「……隊長。そのお言葉、どこまで深読みしても?」
困ったような問いかけに、俺も少々困り気味な顔をしてしまう。言葉にそれ以上の意味を込めたつもりはなかったのだが、ここまでくると本当にそうだったのかと自信がなくなってくる。もしかしたら俺自身、リーゼロッテに惹かれはじめているのかもしれない。
そうして意識し始めると、途端に顔に熱が上がってくる。俺の顔はおそらく、いつものリーゼロッテのように真っ赤になっているに違いない。意識してはいけない。意識してしまえば、明日彼女を送り出す事が、もっとつらくなってしまう。
「ああ、隊長。どうなさったのですか!? まさか本当に女性に免疫がありませんの!?」
俺の様子に気付いたリーゼロッテが、慌てて握っていた手を離す。そして、俺の両頬を彼女の両手が覆った。ひんやりとして心地よい。なるほど。彼女が赤くなった頬を両手で覆う時の心境が、少しは理解できた気がする。
「わたくし、冷え症ですので」
そこで言葉を切ってしまうリーゼロッテ。なるほど。ならば、彼女用の手袋は熱の逃げにくい素材で作った方が良いだろうか。そうなると、どうしても素材が厚みを持ってしまい、ライフルを主武装にしている彼女にとって取り回しが悪くなってしまうかもしれない。
などと、つい職業病のような考えに陥ってしまう。そのおかげで熱は引いてきたが、冷静さを取り戻した俺は、リーゼロッテが真っ直ぐ見つめている事に気付いてしまった。
まるで途切れた言葉の先を待つかのような、問いかけ答えを引き出そうとする瞳だ。彼女はどんな答えを求めているのだろう。
だが、俺が彼女の瞳に対して言葉を返す機会は失われてしまう。この場に、予期せぬ来客があったからだ。風によって気配も匂いもかき消されたのか、それとも互いの瞳に映り込んだ自分とにらみ合って外界を遮断していたためか。
ほんの数メートルの距離まで人狼が近付いて来ていた事に、まったく気付かなかったのだ。加えてリーゼロッテにとっては死角からの接近だ。
「……馬鹿な!」
俺はとっさにリーゼロッテをかばおうと彼女の前に出て、人狼が力任せに薙ぎ払った剛腕を、ギブスで固めていた左腕に受けてしまった。金属のひしゃげる音と感触、そして一泊遅れて鈍い痛みがよみがえってくる。
「隊長!?」
地面を転がりながらリーゼロッテの声を聞いた。直後、彼女が俺と同じように人狼の剛腕を身に受けて隊宿舎の壁に叩き付けられた姿を反転する視界で捉える。
彼女の元へ、そして隊のみなを呼ばねば。そう考えて行動に移るより先に、人狼の追撃が来た。俺に飛び掛かるように組み付くと、一度、二度と、地面に叩き付けるように揺さぶられる。その拍子に頭を打ったのか、意識が徐々に遠のいてゆく。
意識を手放しかけ脱力した俺は、どういうわけか人狼に担ぎ上げられているようだった。このまま黒森まで連れ去るとでもいうのだろうか。視界の端で、倒れているリーゼロッテが身を起こそうとするのが目に入った。
だが、彼女が立ち上がるのを見届ける事無く、俺の意識は途切れてしまった。暗転する視界のなかで感じたものは、風に乗って聞こえてきたリーゼロッテの声と、鼻孔をくすぐる甘い香りだった。




