その2
木にとまったセミたちの大合唱が辺りに響く。どのセミのたった一週間の命なのに、いやむしろそれだけの命だからこそ自分の存在主張をするように声を上げる。この公園の中から聞こえてくるのはそんな音たちだった。
だが今はそんな情景などはどうでもいい。今の俺の状況の方が大切だ。
今は何の時間か?
俺にとったら学校が終わり放課後になり、家に下校する時間だ。
じゃあ今は一体どういう状況下にいるんだ?
……そんなの、俺の方が知りたい。むしろ教えてくれ。
俺は本日何回目になるかも分からないため息をついた。
「わー、ジュースです! 懐かしいですっ」
横目で声の主を確認する。同じベンチで隣に座っている少女は、目をキラキラさせ、俺がそこにあった自販機で買ったジュースをしげしげと見つめていた。
……それ、ただのジュースだぞ。何にも珍しいものじゃないぞ…。
少女の嬉しそうな横顔を見て、もう一度ため息をする。
どうしてこんなことに…?
俺は自問自答を繰り返した。
そもそもは俺がこいつに告白されたところから始まる。
『わ、私とつきあってくれませんかっ!?』
『………』
聞いたとき、目が点になった。俺はまず、その少女の顔を確認する。前にどっかで会ったっけな…? 可愛らしい幼顔にちょっと大きめの瞳。前髪は眉にかかるかかからないかの微妙なラインの短さ。はだ色というよりどちらかと言ったら白色になるだろう肌の色。俺の肩くらいまでにしか頭が届かないことからするに、身長はかなり低め。どこのものか分からない学校のセーラー服に身を纏い、真面目なのかスカートの丈は膝より少し上くらいの長さ。見た感じ、分かるのはこのくらいなもんだ。そこで改めて考える。初対面、だよな……。今まで会ったことないな……。頭の中が疑問符で埋め尽くされる。一体何故俺は告白されたんだ……? ……あ、もしや今時よくあるつきあってくださいっ、とは買い物かどこかについてきて欲しい、というオチか? うん、そうだよな。だって知らない人同士だし。きっと何かの間違いさ。一応確認を取っておこう。
『あのさ、それはどういう意味の?』
『?』
少女は閉じていた目を開き、少し首を傾げる。意味が伝わらなかったようだ。もう一度説明するか、と俺が口を開こうとした時、少女が「あぁ」と気がついたように声を上げた。次には俺に満面の笑みを浮かべる。
『もちろん彼氏になって欲しい、の意味です』
『……………』
うわぁ……。マジかよ…。
俺にとって初めての告白で、しかもこんな笑顔で言われてしまうと顔が火照ってくる。そりゃ中三だし、恋愛に疎い訳じゃない。一度はこういうの言われてみたいと思う。それが俺の場合は今だったのだ。……恥ずかしい…。どうしようもなく顔が赤くなるのが自分でも分かる。ええと、この場合はどうすれば……! 俺は何か良い物はないかと顔を動かし、きょろきょろと辺りを見渡す。そこで近くに人もあまりいない公園があるのが目に入った。
『あ、と、とりあえずあそこで話そうか』
言いながら指を公園に向ける。少女は指の先を目で追ってそして、
『はい、分かりました』
了承したと笑顔で頷いた。
さすがにただ話すだけなのもあれだろうと思ってそのついでにと俺は自分の分ブラス少女の分のジュースも自販で買ったのだ。少女にはペコリと頭を下げ、感激したように「あ、ありがとうございますっ!」とお礼を言われた。…まぁ、喜んでもらえたらそれでいいか。公園の片隅にあるベンチに二人で腰掛ける。そんなこんなで今に至る訳である。
…………。
って俺何しちゃってるの!?
冷静に考えるとさ、俺何やってんの!?
なに普通に和んじゃってるの!?
やらなきゃいけないことあるよね、俺。確認しなきゃいけないことがあるよね、俺。一人小さく息をつき、動悸を押さえる。大丈夫、大丈夫だ。冷静に対応すればこれくらいなんてこともないはず。…よし。俺は気を取り直して、嬉しそうに足をベンチから浮かせてブラブラさせながらほわわんとした笑顔でジュースに口をつけている少女に向き直る。
「? なんですか?」
俺のその動きに気づき、少女はきょとんとした顔でこちらを見た。うん、普通に可愛い。なんか俺が想像していた怖い図と正反対だ…。口裂け女とかオオカミ男とかとは全然違うじゃん。普通に可愛い女の子じゃん。………。ええーい、こんなことで気にしてられっかあああ! そう吹っ切り、俺は少女を見た。
「あのよっ」
「は、はい」
気迫に押され、少女はおっかなびっくりに返事をする。俺はゴクリと唾を呑み、決意を固めた。
「何でその…、俺に告白なんかしたんだ? 俺たち、初対面だろ?」
「え、あ、はい。そうです、初対面です」
やや遅れて少女は首肯する。
「だよな。じゃあ何か? どうして告白なんかしたんだ?」
「えっと、彼氏が欲しかったから、です…」
恥ずかしそうに目を伏せる。そこに俺は言葉を続けた。
「そこなんだよ。理由は彼氏が欲しかったからなんだろ? つまり彼氏になれば俺じゃなくても誰でもよかったのか?」
「それは、その……」
少女は言いづらいようで言葉を濁しながら、少し俯く。まるで悪役が少女を追い詰めているような気分になるが、この場合は仕方がない。ここをはっきりさせておかないと、話が掴めない。言い淀んだ少女はそのまま数秒固まる。俺がそろそろ自分からもう一度質問しようかと考えたとき、やっと少女は小さく口を開いた。
「………が、…………からです」
「え?」
しかしその声はあまりにも小さかったため、聞き返す。少女は決心したように、今度は俺にでも聞こえる声で言った。
「つきあうことが、したかったんですっ……。そうしなければ、いけないんです」
言葉の最後が沈んだ。少女の言葉は自分の意志というより、むしろ義務、絶対のことのように聞こえた。自分の気持ちどうこうではなく、無理矢理なようなそんか感じを感じさせた。少なからず俺はそれに違和感を覚える。少女は自分の顔を少し上げて、俺の顔を覗いた。
「…えへへ」
そして寂しそうに声を絞り出すかのように笑う。見ている方が心が締め付けられるような笑顔だった。次に少女はちょっと躊躇いながら、とんでもないことを口にした。
「私、死んでるんです」
「……え…?」
俺は一瞬動きを止めた。
「何、て……?」
意味が分からず、聞き返す。
「だから私、死んでるんです。つきあいたいというのは、成仏するためなんです」
呆気にとられ、口をポカンと開く俺。少女はこの会話は長くしたくはないのか、言いたいことを一気にまくし立てるように話す。
「誰でも夢ってありますよね。例えば宇宙飛行士になりたいだとか、先生になりたいだとか、とにかくいろいろです。私にも夢がありました。それはつきあうことです。好きな人と一緒に歩いたり、手を繋いだり、隣で笑ったり、してみたかったんです。そんなことが、してみたかったんです」
ここで少女は言葉を句切る。
「でも私にはそれが叶いませんでした。死んじゃったからです。この世からいなくなったからです。それは自分の意志からではありませんでした。だから私には未練というか、したいことが残ってしまったんです。それが、人とつきあうということでした。私は死んだのにもかかわらず、この世界にそれを理由に残されたのです。私が成仏するには、人とつきあうことが条件となっていました」
「え…、話がいきなりすぎてついていけないんだけど」
頭が混乱する。意味が分からないという問題でもない。人が死んだ。未練があったので幽霊になった。とてもじゃないが、はいそうですか、ではすまされない問題だ。そもそも俺は幽霊は信じていない。素直に頷ける訳がなかった。俺が正直に言うと、少女は弱く少し微笑む。自分でも自覚はあるのだろう。
「そもそもあんたは今こうして目の前で見えてるし、話せるし、実体もある。それがどうして幽霊なんかになるんだ?」
そう訊くと、少女はおもむろにベンチから立ち上がった。夕日を背にして立つ。そして俺の方に体を向けた。
「見て下さい。私の足下です」
「? …………あ」
訝しながらも言われた通りに目を向ける。そこであることに気がついた。普通の人なら誰でも持っていて、持っていないとおかしいそれが、この少女にはない。俺が言葉にする前に、少女が先に明かした。
「そうです。私には影が、ないんです。普通はないとおかしいんです。でも私は、この世に本当に存在している訳ではないから、ないんです」
夕日により存在がより濃くなる影。今この場に俺と少女の二人が居て、俺だけが地面に影を伸ばしていた。
「他にもあるんですよ。私、痛みや空腹は感じないんです。実際この一ヶ月くらいの間、何も食べてないです」
「………」
「空腹に関しては立証するには時間がかかるので、ためしに痛みの方でしてみましょうか?」
茫然とする俺と向き合い、少女は笑顔でとんでもないことを口にした。
「私を思いっきり殴って下さい。そしたら、分かると思います」
「…………は?」
まさかそんなことを言われるとは思わなかったので、聞き返してしまった。殴って下さいだ…? 俺は一応男だぞ? 思いっきり、しかも女の子を殴るなんてことをしたらその子がどうなるかなんて…。だから自分からその提案をした少女の言葉を疑わないわけはなかった。
「どうしたんですか? 試さないんですか?」
何も反応しない俺を見て少女は顔を覗かせる。顔には不思議という表情が映っていた。逆に俺はそんな少女が不思議すぎた。平然と言ってのける少女が異様だった。俺は返答に詰まる。確かに幽霊というものの存在は考えられない。あるはずがない。でもこの少女は本気で言っている。つまりそれだけ自信があるということなのか…? 体を張って言うなんて滅多なことだからこそ、少女の言っていることは本当のことなんじゃないのか…? ………。しかも女の子を殴るなんて行為、したくない訳だし。しちゃったら俺、いろいろいけない気がする訳だし。そう自分に言い聞かせた。うん、しょうがないからここは話に合わせておいてやるとしよう。今はそれが一番な気がする。結論出した俺は、若干引きつった笑みを浮かべ、言った。
「…いや、いいよ。分かった。君が幽霊だって認めるよ」
「ほんとですかっ? よかったです」
それに少女は嬉しそうに笑った。俺の言葉に満足したのか、よいしょと少女はまたベンチに腰を下ろす。いや、幽霊だと認められて嬉しいってどんな奴だよ……。
「信じてもらえてよかったです。いつも他の方々に言ってもわかってもらえませんでした。だからよかったです」
「……」
そりゃ、信じれないよなぁ…。いきなり死んでるなんて言われても。ていうか俺もまだ同じ気持ちだし…。今その人たちの気持ち、凄く分かる。きっと話しを聞いて困惑の表情を浮かべていたに違いない。
渡り鳥なのか数羽がまとまりになってオレンジの空の上を飛んでいった。自分たちの真上にあった雲もずいぶん風に流され、遠くに動いている。公園のジャングリジムや滑り台などの遊具たちの下に落ちる影も細く長くなっていた。
さっきから黙ったままだな……。少女は椅子に座ってから口を噤んでいた。笑っていた表情はどこかにいき、今は何かを考えているような難しそうな顔をしている。
「どうしたよ」
「………すみません、確かに言われた通り、私はつきあえるなら誰でもよかったのかもしれません…」
少女の口から出てきた言葉は、予期せず謝罪の言葉だった。どうやら思い悩んでいたのは、俺がさっき質問した、だれでも良いのか、に対する回答だったようだ。
おそらく少女は自分より他人を尊重するタイプの人間だ。自分だって成仏したいはずなのに、他人の気持ちを読み取り考えてしまう。俺が困っていると思って少女はそう口にしたのだろう。俺は少女の顔を窺う。
「あ…」
その時少女と目が合った。戸惑ったように目の光が揺れた。が、少女は健気に俺に気を遣わせまいと、えへへと笑う。でもそれはあまりにも痛々しすぎた。見ていられなかった。今まで少女はここでいろんな人に勇気を振り絞って告白してきたのだ。しかしそれは自分が幽霊だ、とか馬鹿正直に話してしまうから結局いつも成功せずに終わっている。変なことを言う女の子だとからかわれたりもしたかもしれない。この子は毎回一生懸命話しても信じてくれなくて、でもそれでもめげないで頑張ってきて。泣きそうになったことだってあっただろう。実際に辛くて、しだいに話しかけるのが恐くなって泣いたことだってあったかもしれない。それでも少女は諦めずに、頑張ってきたのだろう。それを考えると、胸が熱くなった。目の前の女の子を助けてあげたいと、そう思った。
「しょうがないな……」
「え?」
気がついたら俺はもう言葉にしていた。
「俺がつきあってやるよ。おまえとつきあってやる。これでいいか?」
「…え? えっと、その……」
俺の言葉が信じられないようで、少女は目をパチクリしていた。
「それはどういう意味で、ですか…?」
どうしても信じられないようだ。大きな瞳でこちらの意志を確認するように見つめる。……くそ、やはりここはきちんと言葉にしてやらなきゃいけないのか……。………よし。
「つまりだな、お前は今日から俺の彼女だってことだ」
ぐわぁぁああ、言ってて自分が恥ずかしくなってきたのだが…! 顔に出てないことを切実に願うことにしよう。
しばらく少女はきょとんとしていた。でも数秒経ち、言葉の意味をようやく理解すると、忙しなく慌て始めた。顔は俺のなんかと比較にならないほどの真っ赤な顔をしている。
「えっと、それはつまり………。あわわ……」
煙を放出することができるのならば、おそらく少女の頭からはプシューと勢いよく煙が出ていただろう……。というか慌てすぎだ…。少女はそうあわあわしていたが、少し経つとやっと落ち着きを取り戻してきた。今は無言で椅子に座っている。まぁ顔は赤いままなのだが。少女はすーはーと深呼吸をした。そして自分でよしっと声を掛けて俺の顔を見る。
「…ありがとうございます。その…、とても嬉しいです」
言葉だけではなく、少女はほんとうにうれしそうに言葉を紡ぐ。目の端にはうっすら涙が滲んでいた。顔を綻ばせ、満面の笑みを浮かべる。こんな俺が言ったことなんかが嬉しいのか…? ……よく分からない。でも俺は知らず知らずの内に少女の微笑みにつられて口元を緩めていた。
「あ、そういえば自己紹介がまだですっ」
笑い合って少しの間、少女が思い出したように声を上げた。慌てて俺に向き直る。
「私は木野小豆です」
少女は名を名乗る。
「俺は佐々木淳だ」
だから俺も同じように自己紹介を返す。
それからしばらくの間、間があった。少女は目の前で照れ笑いをしている。朗らかに笑っている。次に少女は手を前に添え、
「よろしくお願いします」
そう言い、頭を下げた。俺も気さくな風に「よろしく」とだけ返した。
歯車が回り出す。
カラカラと動き出す。
今日のこの時から、俺たちは始まったんだ。