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 チベットの歴史は古い。彼らチベット人の祖となる猿に生命をあたえたのも観世音菩薩であると信じられていた。この地では、人は菩薩の慈悲のもと生まれたのだ。

 この天空の神秘なる仏教王国は幾多の不可思議なめぐり合わせの上に成り立ってきた。七世紀にソンツェン・ガムポ王が仏教への信仰にあつい唐の文成公主を妃に迎え、その影響を受けた吐蕃王朝を生んだ。それ以降、幾度かの分裂の危機を切り抜け、他国の侵攻を退けながら独立を保ってきた。しかし十三世紀より事情が変わった。この王国は、元、明、清とそれぞれの王朝に服従を強いられた。

 それを厭うた五世はチベットの聖俗両方の統一者として、紅い山の上にあった観音菩薩像をまつり、ダライ・ラマの宮殿、ポタラ宮を建造した。チベットの統一支配者は菩薩の化身ダライ・ラマであるという信仰を、真実のものとして知らしめたのである。

 そうした偉業を達成したのが五世であり、その全幅の信頼を寄せられていたのがこの大摂政、五世とは親子以上に年が離れていた年若いサンギィエー・ギャムツォだ。彼が、ようやく口にした。

「統一チベットの崩壊の予兆、その発端の原因はすべて、五世の決断の中に内在していたことは事実です。モンゴルにおいてあれほどの勢力を誇った五世は、呉三桂の乱の際、彼を庇護したことで清朝の不興をかい、挙句、疎まれはじめました。五世を支えたグシ汗の跡をガルダンに継がせたことも清朝の不信をうみ、ラプサン汗の台頭を許しました。また、パンチェン・ラマをタシルンポ寺においたことは反ダライ・ラマ派の勢力を助長するだけのものとなっております。たしかに」

 彼はそこで言葉をとめた。重苦しい吐息をもらすかと思われたが、そのまま。

「ラプサン汗はパンチェン・ラマと手を組み、そして清朝が、この神の地に襲い来ることでしょう」

淡々と、大摂政は必ず起こるだろうチベットの未来をも語った。

 サンギィエーは政治家であり仏教学者であり、歴史、医学、暦学、文学においてもその天才をほしいままにしていた。一六七九年、二十七歳という若さで摂政となった彼は五世の死後、そのすべてを委ねられた。五世の死を十五年ちかくも隠蔽し、彼は政権を維持しつとめた。ガルダンを支えたのも彼の努力であった。

 しかしながらこの今、ガルダンは清朝に滅ぼされ、モンゴルは清朝にくみするラプサン汗の力が優勢だ。

 おそらく、大摂政の言葉は予言となる。

 そう思いながら、六世は睫を伏せた。

 ひたすらに重い沈黙が一室を満たしている。あでやかな色彩に埋もれる豪奢な部屋のしつらえがうわついた空虚に変わるのを、黙って、ふたりは感じていた。


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