エルフの松本さんは勤続二百年
「松本ルーニアさん、勤続二百年おめでとうございます!私が入社して以来四十二年、ゼロから百まで教えてくださって、本当にありがとうございます!私はもうすぐ定年ですが、松本さんはこれからもこの会社をよろしくお願いします!乾杯っ!」
「かんぱーい!」
ジュースやお茶の入ったプラコップが掲げられて、一瞬の空白があって、盛大な拍手が起こる。
「さあ、座って座って。食べましょう」
「はーい」
わいわいとランチを囲む社員たち。
「ピザにハーブかけちゃって大丈夫ですかー?」
「ポテトとってもらえません?」
「普段の食堂のメニューより豪華だね」
乾杯の挨拶をした本部長が、今日の主役である松本さんの尖った耳に、そっと耳打ちした。
「せっかくの勤続二百年会なのに、社員食堂でのランチ会で本当によかったんですか?会長や社長からは『ホテルで豪華にやれ』と言われていたんですよ」
松本さんはくすっと笑った。
三十歳そこそこにしか見えない、むしろあどけなさすら残る笑顔から、森の気配がする。
「そんな大げさにするようなものではありませんよ」
「いやだって、二百年ですよ?それに松本さんは、この会社を倒産の危機から何度も救ったと聞きました」
「それこそ大げさですよ」
松本さんは同僚に目をやる。
「業務時間外に個人のお祝い会だなんて、とくに子育てや介護をしている人には負担でしかないでしょう。お酒の苦手な人もいるし、参加したところでお給料だって出ないのに、『私のために来てね』なんて言えません」
「松本さんのそういうところが好きなんだよね」と、野村さんと田宮さんが頷きあった。
「二百年もいるのに面倒なお局になってないの、奇跡すぎて」
「まさに聖人」
松本さんは「違う違う」と手を振る。
エルフである松本さんは、人間より耳がいい。ほんの小さな社員の声を聞き取って、我がふりを直すことがよくあるだけなのだ。
ただ、気づいて我がふりを直せることが素晴らしいという点には、松本さんはまだ気づいていない。
「ところで」と、新人の吉田さんが松本さんに顔を向けた。
「勤続二百年てことは、松本さんて二百年以上前から日本にいるんですよね?どういう経緯で日本に来て、ここで働き始めたんですか?」
「そういえばちゃんと聞いたことないかも」
異種族が共存する社会とはいえ、日本に西洋由来のエルフやドワーフはあまり住んでいない。
「河童さんや天狗さんは見かけるけど」
「うちの子のスイミングのコーチ、河童だよ」
最近では漫画やアニメへの憧れから日本に住むエルフも少しずつ増えてきたものの、二百年以上前から住んでいるエルフは、さすがに珍しいのだ。
同僚たちの目が自分に集中するのを感じて、松本さんは肩をすくめた。
「大した話じゃないんですけど…」
◆
松本さんは寒い国の深い森に生まれた。
魔法と薬で森の周りに住む異種族を助ける代わりに、人間からは農作物を、ドワーフからは便利な道具をわけてもらい、平和に暮らしていた。
けれど松本さんがまだ十歳にもならないとき、悪い人間がやってきて、松本さんと母親を捕まえて、エルフ商人に売った。
エルフは魔法を使うけれど、平和を好み争いを避けるので、相手を攻撃するような魔法は使えない。だから松本さん親子は人間に抵抗できなかった。
彼女たちを助けようとした人間も、ドワーフも、武器をもった悪い人間に返り討ちにされてしまった。
結局松本さんは母親と離れ離れにされて、まず現在の中国に売られ、そこから銀と交換で日本にやってきた。
「それが確か、江戸時代が始まるか始まらないかくらい。だからもう、日本に来てから四百年以上経っていることになります」
「これは南蛮の河童みたいなもの。殺して薬にするとよい」と言われて松本さんを買った大商人は、息子に「殺生はなりませぬ」と諭されて思いとどまり、屋敷の中に清潔な部屋と十分な食事を用意してくれた。
「あとから聞いたら、その家には、生きていたら私と同じくらいの年だった娘がいたそうなんです。大旦那様は、亡くなった娘のことを思い出したのかもしれませんね」
そして松本さんは、その商人の息子に外国語や世界について教える家庭教師のような、あるいは彼から日本語や日本について教わる生徒のような、そんな暮らしをするようになった。
「若旦那様には、エルフの薬のレシピを教えました。若旦那様はのちに薬屋をつくり、その薬屋は、今では世界に名だたる製薬会社です」
「…なんで」と吉田さんが唇を噛む。
「人間は松本さんにもお母さんにもひどいことをしたじゃないですか。なのにどうして松本さんは、人間に薬の作り方なんて教えてあげたんですか」
「んん」と松本さんは顎に指をあてる。
「人間にもエルフにも個体差があって、いい者もいれば悪い者もいます。私を助けてくれる人もいれば、傷つける人もいます。若旦那様は私を助けてくれたので、私も彼に優しくしたいと思ったんです。それだけですよ」
吉田さんは黙ってしまった。
松本さんは話を続ける。
「そこでお世話になって、もう百七十年かそこら経ったころでしょうか。運命の出逢いがあったんです」
「運命!?つまり、恋…っ!?」
なんだか暗い雰囲気になっていたのに、野村さんと田宮さんが急に色めき立つ。吉田さんも、エルフのようには立たない耳を、ぴんと立てた。
「ええ。仕事で屋敷に出入りしていた夫と出逢って」
ピンク髪の松本さんに一目惚れした彼は、彼女にプロポーズした。
《私はあなたより、ゆうに百五十歳は年上です。いいのですか?》
《もちろんです》
今の時代なら人間とエルフの交際や結婚も十分に想像できるが、まだエルフどころか欧米人すら珍しかっただろう当時、一般の日本人男性が松本さんに愛を伝えるのは、相当な勇気が必要だったことだろう。
「その勇気に惚れたんです。顔もかっこよかったんですけどね。ほらあの、最近不倫して会見してた俳優さんみたいな感じ」
「いや松本さん、その例えは…」
とにかく、「彼女には多大な恩がある」という先祖の言葉を大切にしていた当主は、松本さんに今までのことを感謝したうえで、結婚式を世話し、当面の生活費をもたせて屋敷から送り出してくれた。
「それで私は、松本ルーニアになったというわけです」
二人の結婚生活は夫が亡くなるまで五十年ほど続き、子どもにも恵まれた。
「夫が亡くなったとき、自分で働くことにしました。またあの商家に頼るのも気が引けて。それで、近所にあった小さな醤油蔵元に雇ってもらえるよう頼み込んで。それがこの会社の前身ですね。以来、もう二百年ですか」
最初は掃除係だった松本さんは、努力を重ねておそらくエルフ初の醤油職人になり、しかし腰を痛めて経理担当になり、広報部や人事部を経て、今や総合食品メーカーになったこの会社の企画・マーケティング部で、主にSNS運用を担当している。
本人と当時の経営層にしか真相はわからないが、この二百年の間に何度も「役員になってくれ」と頼まれたのに、松本さんが固辞したという噂がある。
「私は管理職とか役員とか、そんな器じゃありませんよ。だから二百年ずっと平社員」と、松本さんは笑った。
「そしてこの二百年の間に、子どもも孫も見送ってきましたね。ハーフエルフやクオーターエルフは、寿命が短いので」
自分の命よりも大切だと思っていた家族や、仲良くなれた人間たちは、いつも松本さんより先に老いて去っていった。
今ここにいる同僚も上司も、誰一人として松本さんを見送ってはあげられない。
松本さんが寂しそうに見えて、テーブルを囲む同僚たちは、顔を見合わせる。
「やだ、暗くならないでくださいね。エルフが人間と一緒に生きていくというのは、こういうことですから」
人やエルフが生まれ、老いて死に、時代が変わる。
変わっていく時代の中で、松本さんは大切な思い出を胸に抱き、また新たな思い出を増やしながら生きていく。
「長く生きていれば、その時代時代で、楽しいことがありますから」と笑って。
「ディスコで踊り狂うのもよかったけど、今はK-POPアイドルが好きなの。天然ピンク髪のエルフは、サイン会とかヨントンで推しに覚えてもらえるんですよ。あら、こんなこと言ったら認知厨みたいで嫌ね」
誰かがぷっと吹き出して、一気にまたランチ会が和やかになる。
ここにいる全員が先にいなくなっても、いつか松本さんがこの世界からいなくなるときには、きっと誰かがそばにいるはずだ。
「だって松本さんのこと、みんな大好きですから」
「この髙橋さん、はしごだか」と教えてくれる松本さん。
体調不良を予防する魔法の飴ちゃんを配ってくれる松本さん。
「無駄な紙で、故郷の森を削らないでください」と、FAXの送付状を廃止した松本さん。
取引先のオヤジに茶を出すときにセクハラされそうになったら、会社のどこにいようとも飛んできて、「うちの社員になにしてくれとんじゃ。五十年しか生きとらんガキやゆうて、容赦せんけえの」と怒ってくれる松本さん。
コピー機を詰まらせて「魔力による干渉」と言い訳して、吉田さんに「魔力で機械が壊れるなら、パソコンもエアコンも全部壊れてないとおかしい」と論破される松本さん。
そんな松本さんのことが、みんな好きなのだ。
「ありがとう」
あいたお皿を、松本さんが掃除魔法できれいにして匂いをとる。
それを吉田さんと本部長がまとめて、返却口へ持っていく。
「本部長、こんなの下っ端がやりますよ」
「だめだめ、松本さんに怒られるから。『自分が新人のときにやらされて嫌だったことを、新人に押し付けるな』『次世代への復讐に、意味はあるのか』ってね」
田宮さんは「外回りから直帰します」と会社を出て、野村さんは「ランチ会の様子、公式アカウントであげときますね」と言いながら戻っていく。
そして松本さんはというと、コーヒー自販機の前でルンバに合わせて身体を揺らしながら、これからも勤続年数を伸ばすつもりなのである。




