怪物が生まれる
学校の廊下の窓から、光が差し込んでいる。清子はまぶしそうに目を細めて、同級生たちが行き来する廊下をながめた。
火災報知器の前でたむろしていた同級生の女子たちが、清子を見て、ひそひそと笑う。その程度ならまだしも、なかには「清子って誰でもいいんだって!」と大きな声で悪口を言う者もいて、すっかり辟易している。
もしも今、火事が来たら、あの噂話も止まるのだろうか──清子はぼんやりとそんなことを考えながら、教室の机のなかをのぞいた。次の授業で使う教科書はロッカーのなかだった。
バレンタインデーの日に同級生の男子にチョコレートを渡して以来、根も葉もない噂を流されて、迷惑していた。
ロッカーを開けて次の授業の支度をしていると、「ちょっといい?」と声をかけられた。
バレンタインの日に清子が告白した男子生徒だった。
「なに?」
「いや、悪いことしたなと思ってさ。……付き合ってやるよ」
「は?」
清子は曖昧な謝罪に続く「付き合ってやるよ」という言葉に一切不快感を隠さず、すっとんきょうな声をあげた。
「お断りします」
「なんでだよ。俺のこと、好きだったんだろ?」
「こんなことされたら、百年の恋だって醒めるでしょ」
件の男子生徒がもごもごと口のなかで言い訳をしているのを聞かずに、清子は教科書を持って教室に戻った。
「ごめんって!」
背中に投げかけられた言葉を振り切るように、清子は扉をピシャリと閉めた。教室の窓からその様子を見ていた清子の女友達が、頬杖をついている。何か言いたそうな目をしていた。
清子が友人の元に寄ると、彼女は「ま、当然だわな」と呆れてつぶやいた。
「ひっどい噂だったもんねぇ。尻軽とか誰でもいいとか。清子、一途だったのに」
「もう昔の話だよ」
「あんなに好きだったのにね」
清子は手近な椅子に座ると、友人にぽつぽつと話しはじめた。
「この噂、誰が言い出したのかはわかんないよ。だけど、発端があの人だってことには代わりない」
「そうだね。ヤツが噂を流したんじゃないの?」
「その可能性はあるよね。でも取り巻きかもしれないし、決めつけたくないから、そこはどうでもいいよ」
「そうなの?」
「どうでもいい人になったからね。……大体、申し訳ないから付き合ってあげるって、何様なんだか」
清子は深々と息を吐き出した。噂を流されてひどい目に遭ったときに、すでに涙は枯れ果てている。
「なんであんな噂が流れたんだろうね」
「きっと、その噂で得をする人がいたんでしょ。恋のライバルかもしれないし、あの人がうっとうしがってたのかもしれない」
「うっとうしいんだったら、断ればいいのに。その場合、ヤツがすっごく遠回しで陰湿ってことにならない?」
「まあ、可能性の話だから。でも断れば済むっていうのは、本当にそうだよね。だからどちらかというと、他の誰かの方を疑ってるかな。さっき『悪いことしたなと思ってさ』って言ってたから、噂に関わってはいるんでしょ」
清子は教科書をトントンとそろえて、机に置いた。
「だけど、事実じゃない噂をばらまかれて、私が傷ついたのは変わらない。……噂になってる私、私本人とは別の、怪物みたい」
廊下の奥で、清子をにらんでひそひそと囁き合う女子生徒たちがいる。
本当の姿から切り離され、怪物のようになった噂が広がっていく。その様子をながめて、清子はため息をついた。
「どっちが怪物なんだか」
<おわり>




