笑顔なんかきみがいれば
ぱた、ぱた、と不思議な音がした。
瞬きのたび、なぜかまつ毛に水滴が付く。
トワの手が伸びて、優しく、柔らかく頬を拭った。
そこで初めて、遥は泣いていることに気づいた。
自分が『涙』を持っていることを、初めて知った。
呆然と布団に落ちていく水滴を眺めていたら、不意にトワが顔を近づけて、口で雫を吸い取った。
びっくりして瞬くと、ものすごく幸福そうな表情のトワがいて、心が震える。息を、吹き返す。
────トワ。今、幸せなんだね。よかったね。嬉しいな。
呪わしく憎らしいこの世界も、トワが幸福だというなら、耐えて生きよう。
たぶんトワは、遥を生かすために行動したのだ。
だったらやっぱり、遥は死ぬわけにはいかなくなった。
「トワ。生きてほしい?」
「はい。私は、姫様と共に生きたい」
「じゃあ、我慢する」
ふはっと笑うと、ちょっと首を傾げたトワが、考えるように黙り込む。
ぱっつんの髪も綺麗に洗われて、元の白金の色を取り戻している。うん、素敵だ。
「姫様」
「うん」
「一緒に、生きるのですよ?」
「わかってるよ。トワが望むなら、わたしも頑張るよ」
だって、ずっとそうだった。
逃げたくてやめたくてしんどくても、乳母とトワがいたから、遥はやめられなかった。やめたくなかった。
「私は、姫様が好きですよ」
「ふは。わたしも、トワが大好き」
そうじゃない、というふうにトワが眉を下げて笑う。
よくわからなくて、遥は首を傾げた。
「ここは、私と姫様に与えられた屋敷の、姫様の私室です」
「立派だね」
「ええ。実はあれから二ヶ月経っていて、その間に南方に移動したのです」
「二ヶ月……南方?」
なんだか覚えのある響きだ。
ちらっと扉の方を見やると、トワがまた笑う。今日はよく笑うんだな。嬉しい。
「ジュエル様の故郷です。王都から馬車でひと月はかかりますし、中央も南方にはなかなか手が出せません」
ジュエルって、まさか褐色イケメンのことだったのだろうか。意外すぎる。
「陛下とどんな取引をしたかはわかりませんが、ジュエル様は国軍を辞めて、共に南方に戻りました。レイバン様も一緒です。お二人とも、姫様にお仕えしたいと」
ごめん。名前が多すぎて、覚えられる気がしない。
やっぱり、褐色イケメンときらめきイケメンでいい。
というか、女帝のどうしよっかな〜から早々に離脱していいのか。
一応、人気職のはずだが。小説の設定どこいった。
「この屋敷は、南方領主より移住の歓迎を示すため用意されたものです。姫様の境遇を知って、大層同情的で。中央から守ってくださるそうですよ」
「……へえ」
「私も使用人という立場ではなく、南方領主の補佐官という肩書きと仕事をいただきます。もちろん、姫様が回復なさってからですが」
「すごいね……」
「私はここで、この地で、姫様と共に生きていきたい。意味は、わかりますか?」
「うん。今までみたいに、一緒にいようってことでしょ?」
いいことだ。いいこと、なんだろう。
こんなクソみたいな世界だが、トワと一緒ならまあ生きてやらんこともない。




