ひねくれ者の幸福
そっと身を寄せたトワが、柔らかい仕草で遥を抱きしめた。
こんなふうに接せられるのは初めてで、びっくりしてしまう。
トワは使用人で、乳母の息子で、乳兄弟で。だから、きっちり線引きがあったはずなのに。
「こうするのは、嫌ですか?」
「全然。トワのすることで嫌なことは、一つもないよ」
「じゃあ、これは?」
手の甲に、頬に、目元に、額に、くすぐるようなキスが降る。
────なんか。なんだか、これって。
触れる手はあくまで柔らかく、でも確かに熱が灯っていて。
トワの色素の薄い瞳も、いつもより温度が高い。気が、する。
「トワ。好きって、どの好き?」
やっと聞いてくれたとばかりに、トワが満面の笑みになる。
「恋です」
「こい……」
「私はあなたに触れたいし、口づけがしたいし、抱きしめたい。唯一無二の男になりたい」
「それは、もうそうだけど……」
「ジュエル様があなたに求婚したと聞いて、脳みそが沸騰するかと思いました。嫉妬のあまり、グラスをもう一つ投げました」
「……」
「姫様は、たった一人の女の子です。生まれた時から知っています。一緒に飢えて食事を分け合って、寄り添って生きてきた私の半分です。奪われるなんて真っ平だ」
知らなかった。知らなかったよ、トワ。
あなたの中には、こんなに熱い感情が秘められていたんだ。
「皇女だなんて、だったら、こんなに、痩せ細るまで飢えさせないでくれ。死を選ぶほど、追い詰めないでくれ。なんで、姫様ばっかり、こんな……」
垂れ目気味の目が潤んで、宝石みたいな雫が落ちる。
もったいなくて、つい手を伸ばしてしまった。
「大事な女の子なんだ。俺の、たった一人の、大事な子なんだ。傷つけないでくれ。大切にしてくれ」
まるで、決壊した濁流のような悲鳴。
華奢といって過言じゃない全身で、トワが遥を好きだと叫ぶ。
「わかった。トワ、わかった。ごめんね」
トワの大切なものを傷つけていたのは、遥も同じだった。
そんなに大切だなんて知らなかったんだ。でも、そんなのは傲慢だ。
だって、同じだけの時を、同じように過ごしていたのだから。
「大事にするよ、トワ。わたしが、わたしを大事にする」
だから、そんなにつらそうに泣かないで。
遥が傷つけられる現実にトワが泣くのなら、遥は傷つかないほど強くなろう。
いつか、トワを守れるくらいに。
「だから、一緒にいて」
「……姫様。本当にわかってますか? 俺は、あなたを手篭めにしたいって意味で、好きと言ってるんですよ」
「ふは。うん、わかったよ」
伊達に、前世の記憶を持っているわけじゃない。
愛だの恋だのの知識は、ちゃんとある。これが恋の始まりだという自覚も。
「姫様……歩けるようになったら、一緒に腕輪を選びましょう」
腕輪。確かこの世界では、婚姻すると揃いの腕輪を付けるのだったか。
恋から一飛びで婚姻になった。でもまあ、うん。それがいい。
「俺はずっと、死ぬまで姫様が好きです。姫様だけを愛しています。そう、知っているんです」
知っている。うん、そうかもしれない。
生まれてから今日まで、二人とも揺らいだことのない絆で結ばれてきた。
「そうだね。わたしもそう思う。わたしも、死ぬまでトワが一番だよ」
愛だの恋だの、この気持ちに名前を付けるには、少々不似合いかもしれない。
歪で醜くて、とても人様に見せられるようなものではない。
だけど、二人だけで秘めておくというのも、素敵なんじゃないだろうか。
「生涯を約束します。だから、姫様」
微笑んだトワの瞳から、もう一つ涙が落ちる。
きらきら、きらきら。彼のように優しく光る。
「死にたくなったら、今度は置いて行かないでください」
共に。生涯、共に。
揺らめいた灯火が、消えない前に。
「どこまでも、一緒にいきますから」
「ふは。うん、そうしよう」
ごきげんよう、憎らしき異世界。
その時には、愛を込めた呪いでもくれてやる。
お粗末様でございましたm(*_ _)m




