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明治洛中で死神没落令嬢に捧ぐ1万本の桜 ~嘘つき婚約者は、地獄の果てでも君の手を離さない~  作者: 京太郎


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【5】財力と権力による「文明化」。何も持たない二人が見た絶望

六道珍皇寺の山門を出ると、夜気は冷たく、湿っていた。  

先ほどまでの地獄の熱気とは裏腹に、現世の夜は死んだように静まり返っている。  

財前征一郎や伊集院エリザたちは、待たせていた自家用の馬車や人力車に乗り込み、泥一つ跳ね上げることなく去っていった。  

鉄の車輪が石畳を鳴らす音が遠ざかり、後には静寂と、置き去りにされた飛鳥京吾と入江紗夜だけが残った。


「……はは。言われ放題だったな、俺たち」

京吾は遠ざかる馬車の音を聞きながら、乾いた笑いを漏らした。  

拳を強く握りしめる。爪が掌に食い込む痛みだけが、現実感を繋ぎ止めていた。


「……京吾くん。私、悔しいわ」

隣で紗夜が呟く。その声は震えていた。  

無理もない。金もコネも人脈も彼らは全て持っている。  

対して自分たちは、明日の米にも困る没落士族だ。


「財前さんたちに勝てるのかな……。現実のところ、私たちは……ゼロだよ?」

紗夜の不安げな瞳が、京吾を映す。

京吾は、ふっと息を吐き、口元をニヤリと歪めた。道化の仮面ではなく、策士の顔で。


「関係ない」

「え?」

「金がなけりゃ、知恵を使えばいい。コネがなけりゃ、ハッタリで作ればいい」

京吾は紗夜の方を向き、その細い肩に手を置いた。

「俺のハッタリと、お前の……『観察眼』、そしてその『優しさ』があれば、勝てる」

「京吾くん……」

「俺たちが力を合わせれば、絶対に何かできるはずだ。見返してやろうぜ、紗夜。……あの閻魔も財前もエリザも。全員だ!」


その言葉に、紗夜の瞳に光が宿る。

「うん。一緒に大きな挑戦ができる。……わくわくしてきたわ」

「安心しろ。金も権力もないが、俺には『話術』がある。愛もある……世界ごと騙してやるよ」


京吾は強気に言い放ったが、内心では冷や汗が止まらなかった。

先ほど閻魔大王の前で切った啖呵を思い出す。


「こいつは俺の婚約者だ」  

その嘘もまた、彼らの退路を断つ鎖となっていた。  

しかし不思議と後悔はなかった。

(まあ、もともと、そうなればいいなとは……ずっと願っていたことだ)


月明かりの下、二人の影が長く伸びる。  

その背後、閉ざされた山門の奥で、井戸の底から赤い光が一瞬だけ漏れ、すぐに闇へと消えた。  

それはまるで地獄からの嘲笑のようだった。


それから一週間後。  

京都のメインストリート、四条通しじょうどおり。  

多くの人々が行き交う大通りは、どこか殺伐とした空気に包まれていた。  

近代化の槌音が響く一方で、取り残された人々の焦燥が渦巻いている。


「ええい! 嘆かわしい!」  

怒号が響く。

上級生の烏丸玄五郎が、数名の取り巻き(風紀委員)を引き連れて練り歩いていた。  

彼は洋装の町人を捕まえ、ステッキで地面を叩いて説教をしている。


「貴様、日本人ならはかまを履け!その西洋かぶれの格好は何だ!」

「ひ、ひぃ!勘弁してくださいよぉ」

「そんな軟弱な精神だから、京都は衰退したのだ!復興とは、古き良き日本の心を取り戻すこと!洋装など言語道断!」


物陰からその様子を窺っていた京吾は、げんなりと顔をしかめた。

「……うわ。烏丸先輩だ」

「何してるの? あの人たち」

「『風紀粛正』だとさ。……時代錯誤もいいとこだな」  

京吾は吐き捨てるように言った。

「あんな精神論で腹が膨れるなら、誰も苦労しねえよ」


その時、烏丸が二人を見つけた。

「おお、飛鳥!入江!ちょうどいいところに!」

「げっ」

「貴様らも手伝え!この街から西洋の毒を排除し、美しき封建の世を取り戻すのだ!」


京吾は瞬時に「道化」の愛想笑いを張り付け、後ずさった。

「い、いえ……俺たちは俺たちのやり方があるんで……へへっ」

「フン。貧乏人のやり方など知れておる。……邪魔だけはするなよ?」  

烏丸は鼻を鳴らし、再び通行人に怒鳴り散らしながら去っていった。  

市民たちは「関わりたくない」という顔で、迷惑そうに道を空けている。  


烏丸なりに「国を憂う正義」があるのだろうが、それは民衆の生活とはあまりに乖離していた。

気を取り直して路地裏へ入ると、今度は長屋の前で人だかりができていた。


「どきなさい!ここは私が買い上げましたのよ!」  

白川紗代子だ。扇子で口元を隠し、貧しい住人たちを見下ろしている。  

背後には、強面の地上げ屋たちが控えていた。


「そ、そんな殺生な……ここを追い出されたら、わしらはどこへ……」

「知りませんわ。手切れ金(小銭)は払いましたでしょう?」

白川はうっとりと、ボロボロの長屋を見上げた。  

彼女の目には、目の前の貧困ではなく、脳内にある理想郷しか映っていない。


「ここを更地にして……富裕層限定の『会員制サロン』を作りますの。貧乏人は排除して、選ばれた人間だけが優雅に過ごせる真の京都……素敵でしょう?」


そこへ通りがかった二人を見つけ、白川が冷ややかな視線を向ける。

「あら、飛鳥さん。入江さんも。ごきげんよう」

「……」

「まだ登用試験に参加するおつもり?資金も人脈もないのに?」


紗夜は無言で白川を見つめ返した。  

その儚げな表情の裏で、彼女の冷徹な観察眼が白川を解剖する。

(……かわいそうな人)

(お金で高い壁を作らないと、自分の価値も守れないの?)

(京吾くんが見ている「未来」に比べたら……あんたのサロンなんて、ただの鳥籠よ)


「ここは『持てる者』が動かす世界ですの。……身の程を知りなさいな」  

白川の高笑いを背に、二人は逃げるようにその場を離れた。  

金と権力を持つ者の「正義」は、持たざる者にとっては暴力でしかなかった。


烏丸も白川も、やり方は乱暴だが実際に人を動かす「力」を持っていることには変わりない。  

そして何より恐ろしいのは、彼ら以上に強力な、本物のエリートたちの存在だ。


街角の掲示板には、『琵琶湖疏水計画、着工』『電気鉄道、敷設計画進行中』という大きな見出しの新聞が貼られている。  

財前の水路と、エリザの鉄道。  それらは、市民の生活を根本から変える、巨大なインフラ事業だ。  

水不足に喘ぐ京に、琵琶湖の水を引く。遅い移動手段を一変させる、文明の乗り物を走らせる。  

誰もがその恩恵を期待している。

その圧倒的な「正しさ」の前では、京吾たちの存在など霞んで消えてしまいそうだった。


夕暮れの通りを、二人は重い足取りで歩いていた。

「……はぁ。どうしよう」  

京吾が道端の石ころを力なく蹴る。コロコロと転がる音が、虚しく響く。

「烏丸先輩も白川先輩も、やり方は最悪だけど……『力(金と権威)』は持ってる。実際に人を動かして、場所を確保して……着々と進んでる」

「でもあの二人、方向性は何だかズレてるわね」 「それに比べて、俺たちは……」


京吾は立ち止まり、自分の空っぽの手のひらを見つめた。

「京都を復興させるって言ったけど……金もコネもない、ただの学生にそんなことできるのかな」

「財前さんたちも『鉄道』『疏水』とかスケールの違う話をしてるのに……」


絶望感が、二人の肩に重くのしかかる。

自分たちの無力さを噛み締めていた、その時だった。  

通りがかった神社の境内に一本だけ、季節外れの桜が咲いているのが見えた。  

日当たりの関係か、あるいは品種の違いか。そこだけ春が来たように明るい。


「わあ、綺麗!」

「咲いてるぞ!」

「春やなぁ」  

その木の下だけ、人々が立ち止まり、笑顔で花を見上げている。  

着物の町人も、洋装の紳士も、ボロボロの服を着た子供も。  

桜の下では、貧富の差もなく、誰もが平等に笑っていた。


「……あ」  

京吾が足を止める。  

その光景に、雷に打たれたように動けなくなる。


「……これだ」

「え?」

「見ろよ紗夜。……みんな笑ってる」  

京吾の瞳に、生気が戻る。彼の脳内で、瞬時に計算式が組み上がっていく。

「金なんかなくても、立派な建物なんかなくても……『桜』が一本あるだけで、人は集まって、笑顔になるんだ」


京吾の脳裏に、灰色の京都が鮮やかに塗り替えられていくビジョンが広がった。  

黒い煙とすすに汚れた街が、薄紅色の花びらで埋め尽くされる光景。  

それは単なる感傷ではない。巨大な経済効果を生むシステムだ。


「京都中を桜の名所にするんだ」

「桜の……名所?」

「そうだ!そうすれば日本中から観光客が来る。宿も潤う、土産も売れる。

しかも桜は、一度植えれば毎年咲く。100年先、200年先も……この街の財産として残り続ける!」


京吾は興奮して、紗夜の肩をガシッと掴んだ。

「これぞ、未来への投資だ!これ以上の復興案はねえ!」

「す、すごい……! 

それなら私にも手伝える!苗木を植えるだけなら……」


二人の顔が輝く。勝てる。財前の疏水やエリザの鉄道なんかより、よっぽど人の心に届く。  

人の心を動かせば、金は後からついてくる。


「勝てるぞ!財前の疏水なんかより、よっぽど人の心を動かせる!」

「よし、すぐに苗木の手配を……」  

言いかけた京吾の表情が、急に凍りついた。

「……いや、待て」

「何? どうしたの?」  

京吾は指を折って数え始めた。顔色がみるみる青ざめていく。


「苗木を植えて……花が咲くまで、何年かかる?」

「えっと……桜の種類にもよるけど、早くて三年……普通は五年以上かな」

「…………」


ガクリ、と京吾はその場に膝をついた。膝の泥汚れなど気にする余裕もない。

「……ダメだ」

「京吾くん?」

「閻魔の期限は『一年』だ。……五年も待ってられない」

「あ……」


希望が大きかった分、絶望の落差は深かった。  

植物の成長という、絶対的な「時間」の壁。  

それは金や知恵ではどうしようもない自然の摂理だ。


「時間はどうしようもないわね。……このアイデアはボツ?」

「はは……。そうだよな、そんな上手い話あるわけないよな」


京吾は地面に手をつき、乾いた笑いを漏らした。


「時間を飛び越える魔法でもなきゃ、無理だ……」  

京吾は空を見上げて深いため息をついた。  

茜色の空を、カラスが鳴いて飛び去っていく。  

それはまるで、二人の不吉な未来を暗示しているかのようだった。


「あーあ……閻魔大王様の言ってた『報酬』って、一体なんなんだろうな」

「『未来永劫の繁栄』……?」

「ああ。それさえあれば、俺たちの家も、借金も、全部解決するのに」

「……楽しみだね。どんなものなのかな」

「金塊の山か、魔法の杖か……」


京吾は自嘲気味に笑い、泥だらけの手を払った。

「まあ、考えてもしょうがねえ。この疑問の答えは……登用試験に合格して確かめるしかねえよな」

「今の私たちは、合格どころかまだスタートラインにすら立ててないし……」


灰色の都に、夜が降りようとしていた。  

起死回生のアイデアは、時間という壁の前に、脆くも崩れ去った。

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