表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明治洛中で死神没落令嬢に捧ぐ1万本の桜 ~嘘つき婚約者は、地獄の果てでも君の手を離さない~  作者: 京太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/17

【3】暗闇の「恋人繋ぎ」。恐怖を塗りつぶす、はぐれないための体温

翌日の夜、二十二時。  丑三つ時にはまだ早いが、明治の夜は漆黒の闇に支配されていた。  

ガス灯の青白い光も届かぬ松原通の突き当たり。

「六道の辻」と刻まれた石碑が、亡霊のように白く浮かび上がっている。


六道珍皇寺。  

この世とあの世の境目とされるその場所には、湿度を含んだ重苦しい静寂が張り詰めていた。

カエルの鳴き声すら聞こえない、真空のような静けさだ。


「……えっ」

山門をくぐった紗夜が、小さく息を呑んだ。  

闇に沈む境内には、すでに四つの人影があったからだ。


財前征一郎、伊集院エリザ、そして上級生の烏丸玄五郎と白川紗代子。  

昨日の昼間に、校長室で顔を合わせた「選ばれしエリート」たちが、全員揃っていた。


「お前ら……結局、全員来たのかよ」

京吾が呆れたように声をかける。

財前が懐中時計をパチンと閉じた。月明かりの下、その銀縁眼鏡が冷ややかに光る。


「勘違いするな。オカルトを信じたわけではない」  

財前の声には、一切の揺らぎがない。

「だが……調べたところ、花山院校長の実家は代々、朝廷の祭祀を司る家系だ。

彼が『真実』と言うなら、確認する義務タスクがある。もし詐欺なら、その場で警察に突き出すだけだ」


徹底した合理主義。  

だがその瞳の奥には隠しきれない好奇心と、得体の知れない利益への嗅覚が光っている。  

リスクを恐れず、一縷の可能性に賭ける貪欲さ。それが財閥を率いる者の資質なのだろう。


「私もよ。パパに話したら『一%でも利益になる可能性があるなら、ドブの中でも拾いに行け』と言われたわ」

エリザが扇子で口元を隠しながら、不快そうに周囲を見回した。

「万が一、本当に『繁栄』が手に入るなら、みすみす逃すわけにはいかないもの。……もっとも、こんな不潔な場所だとは思わなかったけれど」  

彼女はドレスの裾が地面につかないよう、神経質に持ち上げている。その表情には、泥臭い場所への生理的な嫌悪感が滲んでいた。


「わ、私は……財前君が行くと言うから、見届け人としてだな……」

「わたくしもですわ!」

烏丸と白川も、不安そうにしつつも帰ろうとはしない。


(……なるほどな。こいつら、抜け目がない)

京吾は鼻を鳴らした。  

プライドは高いが、利益のためなら泥水でもすする覚悟がある。その執着心だけは、認めざるを得ない。


(偉そうなだけじゃない。彼らは貪欲なんだわ)  

紗夜もまた、冷めた目で彼らを見ていた。

(あなたたちが欲しいのは『更なる富』でしょうけど……私たちが欲しいのは『生存』なのよ。覚悟の次元が違うわ)


その時、山門の外から、調子の外れた鼻歌が聞こえてきた。


「六道の~辻~♪ 酒の~入り口~♪」

千鳥足で現れたのは、六角紫門だった。  

片手に一升瓶をぶら下げ、顔はほんのりと赤い。完全に出来上がっている。

酒臭い息が、境内の張り詰めた空気を一瞬で緩ませた。


「……来たわね。昨日の『酔っ払い』」

「指定時刻に遅刻とは。……これが『冥府検分役』の規律か?」


エリザと財前が詰め寄るが、紫門は悪びれもせず一升瓶を振った。

「んあ?……おー、揃ってる揃ってる。悪いな、現世の酒が美味すぎて、つい一本空けちまった」

「ふざけるな!やはりタチの悪い悪戯だったか。帰るぞ!」  

烏丸が激昂してきびすを返そうとする。


「ま、疑いながらも全員来たわけだ。……その『欲深さ』こそが、冥府検分役の第一条件だぜ?」

「なんだと?」 「帰るのか?……ハッ、こいつを見てから言いな」


紫門の目が、一瞬で鋭く細められた。 彼は本堂の裏手にある、古びた井戸の前に立った。

苔むした石組みの井戸からは、冷蔵庫を開けたような冷たい風が吹き上げている。  

紫門は持っていた一升瓶を傾け、中身の酒をドボドボと井戸の中へ注ぎ込んだ。


「清めの酒だ。……けろ」

ボウッ!!

井戸の底から、突如として青白い鬼火が吹き上がった。  

化学的な炎ではない。肌に触れれば魂ごと凍りつきそうな、冷たく、禍々しい霊気だ。


「なッ……!?」

「きゃあっ!」  

白川が悲鳴を上げて尻餅をつく。  

財前さえも、論理を超えた現象に後ずさった。


「さあ、来な。地獄への片道切符だ」  

紫門はニヤリと笑うと、躊躇なく井戸の中へ身を躍らせた。  

ドプン、という重い水音もなく、男の姿が闇に消える。

波紋が消えた後には、底知れぬ闇を湛えた水面だけが残り、鬼火がゆらゆらと手招きしている。


「こ、ここに入るんですの? 泥だらけになりますわ……」

「嫌なら帰れ。誰も止めねえよ」  

井戸の底から、紫門の声が反響して響く。  

顔を見合わせる生徒たち。誰も動けない。

足がすくんでいるのだ。

未知への恐怖と、生理的な嫌悪感が彼らを縛り付けている。


「……行くぞ」

沈黙を破ったのは、京吾だった。  

彼は震える脚を叱咤し、迷わず井戸の縁に足をかけた。


「正気か、飛鳥?」

財前が信じられないものを見る目で問う。  

京吾は、強がって不敵に笑ってみせた。


「チャンスが底にあるなら、肥溜めだって潜るさ。……貧乏人は失うもんがねえからな」  

京吾に続いて、紗夜も小さく頷いて降りる。  

それを見て、財前が舌打ちをした。


「……チッ。行くぞ」  

彼らのプライドと欲望が、恐怖に勝ったのだ。次々と井戸へ飛び込んでいく。

「……あなたたちも全員が狂人ね。信じられませんわ」  

最後にエリザが、ドレスの裾をまくり上げて井戸に入っていく。


井戸の底には、水ではなく、横穴のトンネルが続いていた。  

壁は土ではなかった。脈打つような黒い岩肌で覆われ、触れると生温かい。

まるで巨大な生物の食道の中を歩いているような感覚に、強烈な吐き気を催す。  

松明たいまつの炎が青白く燃え、一行の影を長く不気味に引き伸ばしていた。


「京吾くん。……私、ちょっと怖い」

紗夜が京吾の学ランの裾を掴む。その手は小刻みに震えていた。  

京吾は彼女の手を、力強く握り返した。


「大丈夫だ。俺が側にいる。……何とかなるっしょ」  

軽口を叩くが、その掌も汗ばんでいる。

京吾自身も、恐怖で足が動かなくなりそうだった。


「な、何なのここは……悪夢ナイトメアだわ」

先を行くエリザが悲鳴を上げ、財前の背後に隠れる。  

最後尾を歩く紗夜もまた、足元の悪さと生理的な嫌悪感に、足がすくんで動けなくなっていた。


「……っ」  

紗夜がよろめき、壁に手をつこうとした、その時だ。

「触るな。……岩盤が突起している。危ない」  

バシッ、と紗夜の手が空中で掴まれた。

京吾だ。彼は紗夜の手首を掴むと、そのまま強引に自分の懐へと引き寄せた。


「きゃっ……」  

紗夜の体が京吾の胸にぶつかる。近すぎる。

暗闇の中で、彼の心臓の音が聞こえそうな距離だ。


「さ、京吾くん……?」

「離れるなよ。……みんなに置いていかれたら、俺たち二人で、ここを彷徨うことになる」

「う、うん……」

「お前が転んだら、俺まで共倒れだ。……ほら」


京吾はぶっきらぼうに言うと、掴んでいた紗夜の手首から、手のひらへと指を滑らせた。  

そして、指を絡めるようにギュッと握り込んだ。恋人繋ぎだ。


「えっ……」

「この方が力が入りやすいだろ。……行くぞ」

京吾は前を向いたまま歩き出す。  

その耳が、松明の灯りを受けて微かに赤くなっているのを、紗夜は見逃さなかった。


(……昔と、変わらない)  

紗夜は胸が高鳴るのを感じた。  

子供の頃、いじめっ子から逃げる時も、こうして手を引いてくれた。  

没落して、ひねくれて、道化を演じていても……いざという時、この手は私を一番に守ってくれる。


その様子を、前を行くエリザが振り返って目撃した。

「あらあら。……『空気』な貧乏人同士、随分と仲がよろしいこと」  

エリザが冷やかすようにクスクスと笑う。


紗夜は恥ずかしさで手を引っ込めようとしたが、京吾は逆に力を込めて離さなかった。

「悪いね。幼馴染なもんで、はぐれないように必死なんだよ。……君らみたいなエリートと違って、余裕がないもんでね」


京吾はヘラヘラと笑い飛ばしたが、その繋いだ手は、紗夜を安心させるように優しく力強かった。


(……あったかい)  

暗闇と恐怖の中で、京吾の体温だけが、紗夜にとっての唯一の光だった。  

この温もりがなければ、紗夜はこの異界の空気に飲まれて発狂していたかもしれない。  

京吾もまた、紗夜の手を握ることで、震えを止めているのだと分かった。  

二人は互いに支え合わなければ、立っていることすらできない。


この温もりが、間もなく訪れる閻魔との対面で、二人の運命を変える「嘘」の源泉になるとは、まだ誰も知らなかった。


「おい、出口はあるんだろうな!」  

エリザと烏丸が叫ぶ。先頭を行く紫門が、足を止めた。


「もう少しだ。……ほら、見えてきたぞ」  

トンネルの先に、眩いあかい光が見えた。  

血のような、鮮烈な赤。


一行がトンネルを抜けた瞬間、視界が一気に開けた。


「…………!」  

全員が息を呑み、言葉を失った。  

そこは、地下とは思えない広大な空間だった。  

天井はなく、どこまでも続く夜空には、見たこともない巨大な赤い月が浮かんでいる。  

そして大地を埋め尽くすのは、見渡す限りの彼岸花まんじゅしゃげ。  

血のような真紅の花が、風もないのにざわめき、妖艶に咲き乱れている。むせ返るような花の香りが、鼻腔を刺激する。


「きれい……」  

紗夜が、夢遊病のように呟いた。  

恐怖を忘れるほどの、圧倒的な「死の美」がそこにあった。  

エリザも扇子を取り落とし、呆然と立ち尽くす。

「嘘でしょう……? 美しい……」


それは、この世のものとは思えない、美しくも残酷な「死の世界」の絶景だった。  

紫門が、彼岸花の海を割って歩く。


「ここは『さいの河原』の特別区。閻魔王庁えんまおうちょうへの正面玄関だ」

庭園の中央に、見上げるほど巨大な黒塗りの門がそびえ立っていた。  

その威圧感だけで、押し潰されそうだ。


紫門が門に手を当てる。

けろ。客を連れてきた」  

紫門の手から青白い「念」が放たれる。  

ゴゴゴゴ……と地響きを立てて、巨大な門がひとりでに開いた。  

中から、強烈な威圧感プレッシャーが暴風となって吹き出してくる。


「くっ……!」  

京吾は思わず腕で顔を覆った。  

肌が粟立ち、本能が「入るな、死ぬぞ」と警鐘を鳴らしている。


門の奥は、朱塗りの柱が並ぶ広大な部屋だった。  

その最奥。一段高い玉座に、一人の美青年が座っていた。  

年の頃は二十代後半。豪奢な狩衣かりぎぬを纏い、長い黒髪を緩く束ねている。  

その周囲には、うず高く積まれた巻物の山。  彼は一心不乱に筆を走らせていた。


「連れてきましたぜ、大王様」  

紫門の声に、美青年――閻魔大王の手が止まる。


「…………」  

衣擦れの音と共に、彼がゆっくりと顔を上げる。


長い睫毛が持ち上がり、その瞳が露わになる。  

血のように赤く、宝石のように硬質な瞳。  

この世の者とは思えない、凍てつくような美貌。


閻魔の視線が、京吾たち一人一人を舐めるように動く。  

ただ見られただけで、心臓を鷲掴みにされたような圧迫感。空気が鉛のように重くなる。  

紗夜も、エリザも、白川も、思わず小さく悲鳴を上げて硬直した。  

京吾は、蛇に睨まれた蛙のように動けない。


「ここまでくると……信じるも信じないもなくなったな」

「思ってたのと違う。……若くて美しい方ね」

京吾とエリザが、乾いた唇で呟くのが精一杯だった。  

閻魔が、薄い唇を開く。


「……遅い」

低く、よく通る声。  

その一言が、絶対的な審判として響き渡る。


「報告が遅れるごとに、貴様の寿命を縮めるぞ、紫門」

冗談には聞こえないその言葉に、六人は息をするのも忘れて立ち尽くした。  

ここが「地獄」の中枢であることを、彼らは肌で理解させられたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ