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明治洛中で死神没落令嬢に捧ぐ1万本の桜 ~嘘つき婚約者は、地獄の果てでも君の手を離さない~  作者: 京太郎


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【2】「地獄の底まで付き合ってあげる」――少女が押した、運命の背中

翌朝。 名門・鳳凰院ほうおういん学舎の正門前は、いつものように残酷なほど華やかな喧騒に包まれていた。  

赤煉瓦の校門をくぐるのは、未来の日本を背負うエリートたちだ。彼らの靴音は高く、自信に満ちている。


そこへ、一台の黒塗りの馬車が滑り込んだ。  

馬の蹄が砂利を蹴る乾いた音と共に、御者がうやうやしく扉を開けた。  

そこから、伊集院エリザが優雅に降り立つ。


「ごきげんよう、エリザ様!」

「今日のドレスも素敵です!」

取り巻きの男子生徒たちが、甘い声を上げて駆け寄る。  

だがエリザは扇子でピシャリと彼らを制した。


「……寄らないでくださる?」  

エリザは露骨に顔をしかめ、バッスル・ドレスの裾を払った。  

彼女からは、フランス製の香水と、高級な石鹸の香りが漂っている。

それは汗と埃にまみれたこの国には不釣り合いな「文明」の匂いだった。


「このドレスはパリ直輸入のオートクチュールよ。埃が舞うだけで価値が下がりますわ」  

彼女の言葉は鋭利な刃物のようだ。

「あなたたちの軽薄な称賛よりも、清潔な空間を用意していただきたいものね」


彼女が歩き出すと、生徒たちはモーゼの十戒のように左右へ道を開ける。  

続いて一台の人力車が砂利を噛んで止まった。降り立ったのは、財前征一郎だ。


「財前様……かっこいい……!」

「今日もクールでいらっしゃるわ……」

女子生徒たちの黄色い声援が飛ぶ。  

しかし財前は彼女たちに目もくれず、懐中時計を取り出した。


「……予定より遅れている」

低い声。

「車夫の交代に無駄な動作があった。……君たちの黄色い声援を聞く時間は、今日のスケジュールには組み込まれていない」


財前は冷徹に吐き捨て、カツカツと靴音を鳴らして校舎へと消えていく。  

彼にとって他人は、時間を浪費させる「ノイズ」か、利用すべき「リソース」でしかない。


そんな「選ばれし者」たちのパレードの脇を、影のように通り過ぎる二人がいた。  

飛鳥京吾と、入江紗夜だ。


京吾は使い古して革が剥げた学生鞄を抱え、紗夜は継ぎ接ぎを隠すように袖を合わせている。  

すぐ横を生徒たちが通り過ぎるが、誰一人として二人に気づかない。ぶつかりそうになっても、謝りもしない。  

まるで、道端の石ころか、透明人間であるかのような扱いだった。


「……今日も平常運転だな」  

京吾が自嘲気味に呟く。  

自分たちからは、カビ臭い古畳と、安っぽい防虫香の匂いがする気がして、京吾は思わず身を縮めた。


「……うん。行こ、京吾くん」  

紗夜が小さな声で促す。 二人は誰とも目を合わせず、ひっそりと校門をくぐった。


放課後。終業の鐘が鳴り響く。

「えー、では今日はここまで。……あー、それと」


担任教師が、黒板を消しながら言った。

「財前、伊集院!」  

名前を呼ばれた二人が顔を上げる。


「お前たち二名は、このあと校長室へ行くように。校長がお呼びだ」  

クラス中がどよめいた。

「すげえ、選抜メンバーか?」

「何かの表彰だろ」

「さすがエリートは違うな」  

称賛と羨望の声。教室の空気が華やぐ。  

しかし教師は続けて言った。


「それと……飛鳥」  

京吾は、荷物をまとめて帰ろうとしていた手を止めた。心臓が嫌な音を立てる。


「……はい?」

「お前もだ」


一瞬の静寂。次の瞬間、クラス全員が一斉に京吾を振り返った。

「は?」

「なんで飛鳥?」

「聞き間違いじゃね?」

「怒られるんじゃね?」  

嘲笑と困惑の視線が、針のように京吾に突き刺さる。居心地の悪さに、胃液が逆流しそうだ。


(……嫌な予感しかしないな)  

京吾は胃を押さえながら、渋々立ち上がった。


校長室。 重厚な扉の奥には、マホガニーの家具で統一された重苦しい空間が広がっていた。  

革張りのソファ、磨き上げられた床、そして微かに漂う高級な珈琲の香り。  

執務机に座っているのは、校長の花山院雅房かざんいん まさふさ

六十二歳になる元公家の子爵だ。

柔和な垂れ目と、立派な白いカイゼル髭が特徴的な人格者である。


その前には、財前とエリザに加え、上級生の烏丸玄五郎(十七歳)と白川紗代子(十七歳)が並んでいる。  

京吾は、その煌びやかなラインナップから一人だけ浮くように、一番端に居心地悪そうに立っていた。

自分の着ている学ランの袖口が擦り切れているのが、この部屋ではやけに目立つ。


「校長。……これは何かの冗談ですか?」

口火を切ったのは烏丸だった。

「そうですわ。私たちと……その彼(飛鳥)が同席だなんて」  

白川も扇子で口元を隠し、露骨に嫌悪感を示す。  

財前は、冷ややかな目で花山院を見据えると、懐中時計をパチンと閉じた。


「不愉快です。この無駄な問答で、僕の生産性は著しく低下しました」  

財前の視線が、氷の矢のように京吾を射抜く。

「なぜ、そこにいる薄汚れた男まで呼んだのですか?我々と同列に扱われるわれはない。時間の無駄だ」


「私も同感ですわ。彼の服、何日洗っていないのかしら?部屋の空気が汚染されます」  

エリザがハンカチで鼻を押さえる。  

その仕草一つ一つが、京吾の自尊心をやすりで削るように傷つけていく。


(……ほんと、帰りたい。こいつらと一緒とか地獄だろ)  

京吾は心の中で悪態をつきながら、表面上は「すんませんねえ、臭くて」と卑屈に縮こまってみせた。


「おや、財前くん。京都という街は、公家や財閥だけで出来ているわけではありませんよ」  

花山院は穏やかに微笑むと、ステッキを突いて生徒たちの前に歩み出た。

「ここに集まってもらったのは、『天』『地』『人』……この街の全ての要素を背負う若者たちです」


花山院の視線が、財前と烏丸(天・権威)、エリザと白川(地・富)を順に巡り、最後に京吾で止まった。


「そして……」  

花山院は、真っ直ぐに京吾を見た。

「飛鳥くん。君はかつて、初等部の頃、誰よりもこの学舎で輝いていた。……そして今は、誰よりも『痛み』を知っている。違いますか?」

「……あ……は、はい。多分」


京吾は自嘲気味に笑い、頭をかいた。

「……買い被りすぎですよ、校長。俺はただの血筋だけの貧乏人です」

「ふふ。その『地を這う目線』こそが、今の京都には必要なのですよ」


花山院は表情を引き締め、本題に入った。

「さて。今から話すことは、他言無用です」

「君たちも聞いたことがあるでしょう。『六道珍皇寺』の伝説を」

「ええ。地獄への入り口があるとかいう、迷信でしょう? 非科学的ですわ」

エリザが肩をすくめる。


「実はあれ、迷信ではありません。……真実です」

「!?」


生徒たちの顔色が変わる。財前が眉をひそめた。

「……は? いつも権威のある校長先生が、何を言い出すんですか?」

「校長。ふざけたことを言わないでいただきたい」


烏丸も抗議するが、花山院は真剣な眼差しを崩さない。

「まあ聞きなさい。この国には平安時代から代々、現世と冥界の均衡を保つ役職が存在します。名を『冥府検分役めいふけんぶんやく』」

「その第三十九代目が、先日引退を宣言されました。……そこで次代の冥府検分役を選ぶことになったのです」


室内が静まり返る。あまりに荒唐無稽な話に、誰も言葉が出ない。


「はあ? 何を馬鹿な……」

「おとぎ話はお嫌いですわ」

「この明治京都の超名門校、鳳凰院学舎の選抜された生徒、つまり君たちに次世代の冥府検分役登用試験を受けてもらう」


花山院の言葉に、京吾はため息をついた。

「本当だったとしても、そんな面倒なことやりたくないですよ」

「飛鳥、初めて意見が合ったな。試験など非生産的だ。そんな暇はない」


財前が冷たく言い放ち、帰ろうとする。  

花山院は、慌てず騒がず、最後の一手を投じた。


「この話が真実だと、君たちにもすぐにわかります」

「私たちに何かメリットがあるのですか?」  

白川が尋ねる。


「見事、第四十代目に選ばれた者には、閻魔大王より特別な『報酬』が与えられます」

「……報酬?」


京吾の目の色が変わった。

「内容は私も知りませんが……過去、その報酬を手に入れた一族は、代々末永く繁栄しています」

「……!」

(繁栄……?)  

京吾の心臓が早鐘を打つ。 没落した家を、元に戻せるのか?

莫大な借金を返し、かつてのような生活を……

そして、紗夜を守れるだけのアドバンテージを手に入れられるのか?  

それは、喉から手が出るほど欲しい「蜘蛛の糸」だった。


その時、校長室の扉がガラリと乱暴に開いた。


「おいおい、花山院の旦那。話が長えよ」

入ってきたのは、着流し姿の中年男だった。  

室内に入った瞬間、むせ返るような安酒の臭いが充満した。

無精髭に、だらしない帯。神聖な教育の場に最もふさわしくない男だ。


「……貴様は誰だ。部外者は出て行け」  

財前が鋭く睨む。  

男は悪びれもせず、校長の革張りの椅子に勝手に座り込んだ。


「俺か?名乗ってやる。六角紫門ろっかく しもん

俺がその『引退したい第三十九代目』だよ。……あー、肩凝った」


六角紫門(五十五歳)は懐からキセルを取り出し、弄びながら言った。

その瞳は濁っているようでいて、底知れぬ凄みを宿している。


「要するにだ。閻魔の旦那の使いっ走りをして、京都を救ってみせろってことだ」

「やる気のある奴は、地獄へ連れて行ってやる。閻魔大王に会わせてやるよ」

「地獄……閻魔……。狂っていますわ」  

エリザが呆れ果てたように首を振る。


「時間の無駄だ。失礼する」  

財前が背を向け、部屋を出て行こうとする。  

紫門が、低い声で言った。


「明日の夜二十二時。六道珍皇寺」

その声には、有無を言わせない重圧プレッシャーがあった。  

酔っ払いの戯言ではない。幾多の修羅場をくぐり抜けてきた者だけが持つ、血の匂いがした。


「来なければ不合格。……一生、その『退屈な日常』で満足してな」  

財前がピクリと眉を動かす。彼は何も言わず、部屋を出て行った。


「登用試験の詳しい内容は、地獄で話す。絶対来いよ~」  

紫門がひらひらと手を振る中、エリザたち他の生徒も不満げに出て行く。  

最後に、京吾が一礼して部屋を出ようとした時だ。


「……おや」  

花山院が、開いたドアの向こう――廊下に目を向けた。  

そこには、心配そうに待っていた紗夜の姿があった。  

廊下の陰にひっそりと佇む彼女は、どこかこの世の者ではないような静謐な空気を纏っていた。


「あ、すみません。こいつは俺の連れで……すぐ帰らせます」

「……いいえ」

花山院は、紗夜をじっと見た。  

怯えているようでいて、その瞳の奥にある「強さ」を感じ取るように。

あるいは彼女の背後に視える「何か」を見定めるように。


「名簿にはなかったが……ふむ。君もいいだろう」

「え……?」

「六角さんなら、君のような『静かな客』を歓迎するでしょう」

「どういうことですか?」

紗夜は戸惑い、京吾を見る。京吾は小さく頷いた。

「詳しくは飛鳥くんから聞いてください。六角さん。いいですよね」

「ああ。お嬢さんの参加、大歓迎だ」


紫門がニヤリと笑った。  

その笑顔は、どこか獲物を見つけた獣のようだった。


帰り道。夕暮れの鴨川沿いを、二人は並んで歩いていた。  

夕焼けが、二人の影を長く伸ばしている。  

川のせせらぎが、日中の喧騒を洗い流していくようだ。


「……どう思う?今の話」  

京吾が切り出した。


「嘘には……聞こえなかった。校長先生も、あの着物の人も」

「信じられないな。迷信だと昨日も馬鹿にしていた話だ」

「でも、騙されてみるのもいいんじゃない?」


紗夜が、静かに言った。  

京吾は自分の掌を見つめる。豆だらけで、ささくれだった手。


「ああ。『家が繁栄する』って話……もし本当なら、これは千載一遇のチャンスだ」

「飛鳥家を再興できる。借金も返せる。……もう一度、一族が這い上がれる」


だが、すぐにその手から力が抜けた。

「でも……勝てるわけないよな」

「相手は、財前家に伊集院家だぞ?金も人脈も桁違いだ。俺には本当に何もない」


弱音を吐く京吾。

すると紗夜が立ち止まった。


「……あるよ」

「え?」

「京吾くんには、私にはない『話術』がある。人を動かす魅力がある」


紗夜は京吾の背中を、トン、と押した。  

その手は華奢だが、温かく力強かった。


「それに……一人じゃないもん」

「……紗夜」

「行こう、京吾くん。私も一緒よ。……地獄の底まで付き合ってあげる」


京吾は驚いた顔をした後、ニッと笑った。  

かつての自信が少しだけ戻ったような顔。

「……ああ。やってやるか」


翌日の夜。時計の針は二十二時を指している。  

闇に包まれた六道珍皇寺の山門前。京吾と紗夜が並んで立っている。  

門の奥からは、この世のものとは思えない冷たい風が吹き出していた。


「……行くぞ」

「うん」

二人は意を決して、常世と幽世の境目へと足を踏み入れた。  

それが、もう二度と引き返せない運命の入り口だとは知らずに。

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