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明治洛中で死神没落令嬢に捧ぐ1万本の桜 ~嘘つき婚約者は、地獄の果てでも君の手を離さない~  作者: 京太郎


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【11】深夜の堤防に咲いた、奇跡の一本桜。能力使用の代償と白髪

京都府庁の土木課。

薄暗いその部屋は、カビ臭い書類の山に埋もれていた。  

窓から差し込む光さえ、舞い散るほこりのせいで淀んで見える。  

その最奥の席で、土木課長の保科ほしなが、面倒くさそうに印鑑を布で拭いていた。  

四十代半ば。出世コースからは外れたが、今の地位にしがみつくことだけは得意そうな男だ。


そのデスクの前に、京吾と紗夜が立っていた。

「……桜の植樹場所の許可? ……却下だ」  

保科は、京吾が提出した申請書の束を、読みもせずに指先で弾いた。  

バサリ、と書類が床に散らばる。


「ちょっと保科課長!まだ中身も見てないでしょう!」  

京吾が抗議する。

「見なくても分かる。『前例がない』」

保科は鼻を鳴らし、あくびを噛み殺した。


「鴨川の堤防に桜?根が張って堤防が弱くなったらどうする。誰が責任を取るんだ」

「源蔵さん……元皇室御用達の庭師が監修します。土留めの計算もできてます!」

「あんな酔っ払いの言うことが信じられるか。却下だ、却下」


保科は新聞を広げ、二人の存在を完全に無視した。

(典型的な事なかれ主義。「何もしないこと」が「一番の仕事」だと思っている男)  

紗夜の冷ややかな観察眼が、保科の本質を見抜く。


「くそっ……この分からず屋が……!」  

京吾が机を叩こうとした。その手を、紗夜が制した。

「(小声)……京吾くん、ちょっと待って」  

紗夜は京吾の袖を引き、保科に一礼した。

「課長、少しお待ちください。二人で話し合いますね」

「勝手にしろ」


保科は新聞から顔も上げない。

二人は部屋の隅へ移動した。


「あの人の机……見て」  

紗夜が囁く。

保科の机の上は書類が乱雑に積まれているが、一箇所だけ、奇妙に整頓されたスペースがあった。  

そこに一枚の「行事予定表」が置かれている。  


赤ペンで『明日午前九時 北垣知事、三条大橋付近を査察』と記され、二重丸で囲まれている。  

保科の視線は、新聞を読んでいるふりをしながら、チラチラとその予定表と「知事室(2階)」を気にしていた。


(あの上は、知事室)

(あのおじさん、自分の意見なんてない。……常に「上」の顔色だけを伺ってる)

(判断基準は「正しいか」じゃない。「知事と同じ意見か」だけでは?)


紗夜の脳内で、パズルが組み上がる。


「(小声)……京吾くん。あの人、たぶん北垣知事の意向であれば、話を聞くよ」

「……!」

「(小声)彼は『知事が喜ぶこと』なら、何でもやるはず。明日、知事は三条大橋付近を査察するみたい」


京吾がニヤリと笑った。「策士」のスイッチが入る。

「(小声)……なるほどな」


紗夜はさらに、壁に飾られた額縁を指差した。  

『北垣知事、京都の未来を語る』という新聞記事の切り抜きだ。

「(小声)京吾くん。あそこの記事、読める?」

「(小声)あん? 『花と緑を取り戻したい』……?」

「(小声)そう。知事は今の殺風景な町を、良く思ってないはずよ。もし明日、査察場所に見事な『花』があったら……どう思うかな?」


京吾の目が輝いた。

「(小声)……なるほどな。じゃあ、知事に『喜んで』もらえばいいわけだ」

「(小声)へへ。私、よく観てるでしょう」

「(小声)……ああ、さすがだ」


二人は頷き合い、再び保科のデスクへ向かった。  

京吾はわざとらしいほど大きなため息をつき、芝居がかった声で言った。


「分かりました!では、出直します!」

「……あん?」

「いやあ、残念だなあ。明日の『知事の査察』に合わせて、少しでも景色を良くしようと思ったんですが」


保科がピクリと新聞を下ろした。

「……知事の査察だと?」

「ええ。実は明日、知事が鴨川付近の査察をされるそうですね。殺風景な川縁かわべりのまま、知事をお通しすることになりますね。……では!」

「な、何っ!?」

「では、失礼!」


保科が慌てて立ち上がるのを無視して、二人はさっさと部屋を出て行った。  

撒き餌は撒いた。あとは、食いつかせるための「実物」を見せるだけだ。


深夜。鴨川の堤防。  

月明かりだけが頼りの河川敷で、京吾と紗夜、そして源蔵がスコップで穴を掘っていた。


「おい若造。本当にやるんか?」  

源蔵が呆れたように聞く。

「ああ。既成事実を作っちまうんだ」

「紗夜、いけるか?」

「……うん」


紗夜の目の前には、一本の苗木があった。  

まだ花もついていない、ひょろりとした桜の苗木だ。  

紗夜は手袋を外し、深く深呼吸した。

(あのときの実験を思い出せ。イメージするのは「五年分の成長」)  

彼女は左手をかざした。


「……咲いて」  

紗夜が苗木の幹に触れる。  

星霜せいそうの手のひら』が発動する。


カチッ、コチッ、カチッ……。


突如、紗夜の耳元だけで、無数の「時計の針の音」が響き渡った。  

世界の色が変わる。月明かりの青白さが消え、周囲の風景が古びた写真のような「セピア色」に染まっていく。


 ザアァァァッ……!


風もないのに、どこからか無数の花びらが舞い降りる。  

それは幻影の桜吹雪。時間の奔流ほんりゅうが可視化されたものだ。


ドクンッ! 苗木が脈打った。  

幹がメリメリと音を立てて天に向かって伸びていく。  

枝が広がり、蕾が膨らみ、ほころび――。


バッッ!!


時計の音が止むと同時に、セピア色の世界が弾け飛び、満開の桜が爆ぜるように咲き誇った。  

静寂の中に、満開の桜が爆ぜるように咲き誇った。  

闇夜に浮かぶ、一本の奇跡。薄紅色の花びらが、月光を浴びて妖しく輝いている。


「おぉ……!こりゃあすげえ……!」  

源蔵が腰を抜かした。

「狐につままれたようじゃが……見事な桜じゃ」


その一方で、紗夜はふらりとよろめき、その場に膝をついた。  

顔色はろうのように白い。

(……なに、これ)

(体が……鉛みたいに重い)

(指先の感覚がない。……体の中身が、ごっそり抜け落ちたみたい)


月明かりの下、肩にかかる艶やかな黒髪の数本が、色素を失い、白く変色していた。  

それだけではない。  

能力を使った左手の指先が、微かに硬く、冷たくなっている。

まるで生きている人間の肌ではなく、樹木の表皮のように。


「……っ!」  

紗夜は息を呑んだ。

(白髪? それにこの指……)

(大木の「時間」を急激に進めた代償に、私の「生命力」も奪われたの?)


「紗夜!」  

京吾が慌てて駆け寄り、彼女の体を支えた。

「……っ」  

紗夜はハッとして、すぐに白い髪を内側に隠し、左手を袖の中に引っ込めた。精一杯の笑顔を作る。

(言えない。……絶対に)

(知られたら、京吾くんはもう二度と、私に能力を使わせてくれない)

(そうか。今まで触ったものは全て小さな生物や植物だった。だから影響は小さかったんだ。でも、木は……大きさが違う)


「だ、大丈夫……。ちょっと立ちくらみしただけ……」  

紗夜の声は震えていたが、京吾は暗がりの中でそれに気づかなかった。  

彼は紗夜の体を支えながら、満開の桜を見上げた。


京吾の瞳には、桜の輝きと計画成功への希望しか映っていない。  

その腕の中で、紗夜だけが、自分の髪と冷たい指先を強く握りしめ、忍び寄る恐怖に震えていた。


(……これくらい、平気。隠し通せばいい)

(京吾くんに心配かけちゃダメ。……これは、私だけの秘密)


「上出来だ。……これで『舞台』は整った」

「若造!意味が分からん。これはどういうこった!?」  

源蔵が詰め寄る。


「まあまあ、源蔵さん。細かいことは気にしない、気にしない」

「庭師としては、気になるぞ。説明しろ」

「偶然です。偶然。たまたま特殊な品種だったんですって」

「そんなわけあるか!」

「夜桜を見ながら、飲みましょう」


京吾は源蔵に酒を注いだ。

(酔わせて、忘れさせればいいだろ)  

京吾は不敵に笑ったが、紗夜の体温が失われていることにはまだ気づいていなかった。


翌朝、午前九時。三条大橋。 一台の立派な馬車が、橋をゆっくりと渡っていく。  

中には、立派な髭を蓄えた威厳ある男性――北垣国道知事。  

そして、その横で揉み手をしながら案内する保科課長の姿があった。


「……ええ、この橋の補修も順調に進んでおりまして……」

「うむ。……ん?」  

北垣知事が、ふと窓の外を見た。  

殺風景な河原の中に、ポツンと一本だけ、満開に咲き誇る桜がある。  

朝日に照らされ、そこだけ別世界のように美しい。風が吹くと、花びらが雪のように舞った。


「おお……。見事な桜だ」

「えっ?」

「しかしもう五月だろ。これは珍しい」


保科は慌てて窓の外を見た。  

昨日は影も形もなかった場所に、巨大な一本桜が咲いている。


「な、ななな……ッ!?」

保科は目を剥いた。

(なんだあれは!? 昨日はなかったぞ!?)


「殺風景な河原に、一本だけ植樹していたのか。無粋な工事現場の中に咲く、一輪の花。……風流だな、保科君」

「は、はひっ!?」

「誰の計らいだろう?なかなか粋なことをする。……やはり、京には花が必要だ。もっと桜を増やしてもいいかもな」


知事は満足そうに微笑んだ。  

保科は、開いた口が塞がらないまま、その場に取り残された。

己の保身と出世欲の天秤が、激しく揺れ動く。


数日後。京都府庁の応接室。  

ふかふかのソファに座らされた京吾と紗夜の前で、保科はバツが悪そうに咳払いをした。


「……コホン。検討した結果だ」  保科は尊大な態度を取り戻そうと必死だった。

「知事が……いや、私が!君たちの熱意に免じて、特別に許可を出そう」  

保科は、ドンと許可証の束をテーブルに置いた。


「鴨川だけじゃない。嵐山、岡崎、円山公園……申請のあった全箇所だ」

「おおっ!」 「その代わり!すべて『私の指導のもとに行われた事業』として報告するからな!いいな!」  

京吾は許可証の山を手に取り、ニヤリと笑った。


「ええ、もちろんですとも。保科課長の『英断』に、感謝します」


京吾たちが去った後の土木課。  

保科課長は、ぐったりと椅子に背中を預け、ハンカチで額の脂汗を拭っていた。


「……ふぅ。これで何とか知事のご機嫌は損ねずに済んだか」  

保科は許可証の控えを不安げに見つめた。

「しかし……あんな貧乏学生どもに、市の重要拠点の植樹を任せて本当に大丈夫か?

途中で資金が尽きて放置でもされたら、許可を出したワシの責任問題になるぞ……」

保身の塊である保科にとって、飛鳥たちの「危うさ」は爆弾を抱えているようなものだ。

「やはり、適当な理由をつけて規模を縮小させるか? 『予算の都合』とか『河川法の規制』とか言って……」  

保科がブツブツとリスク回避の言い訳を考えていた、その時だった。


「――その必要はない」

凛とした声が響いた。  保科が飛び上がって振り返ると、いつの間に入室していたのか、財前征一郎が立っていた。  

完璧に着こなした三つ揃えのスーツ。その佇まいは、若くとも財界のサラブレッドの風格を漂わせている。


「さ、財前様!? な、なぜここに……」

「琵琶湖疏水の件で決裁を貰いに来たのだが……君の『小市民的な愚痴』が聞こえたものでね」

財前は、コツコツと靴音を響かせて保科の机に近づいた。  

そして一枚の名刺をデスクに置いた。


「さ……財前財閥の直通名刺?」

「飛鳥たちの計画は無謀だ。資金も足りなくなるかもしれないし、行政上の些細なトラブルも起きるだろう」


財前は冷ややかに見下ろした。

「だが知事が気に入った桜だ。君の保身で勝手に縮小するな。

もし今後、彼らの計画が頓挫しそうになったり、行政上の壁にぶつかった時は、知事室にある『財前邸専用の電話機』を使え」


「え……?で、電話機……?」

「財前邸と府庁を、直通の私設線で結ばせてある。この名刺を見せれば、知事も使用を許可するはずだ」


「……は、はいぃぃぃッ!!」

「僕が裏から手を回して、行政上の些細なトラブルも抑えてやる」  

保科はあんぐりと口を開けた。


「勘違いするな。彼らに情けをかけるわけではない」  

財前は懐中時計をパチンと閉じた。

「彼らが『金や権力がない』という理由だけで不戦敗になるのは、僕の美学に反する。

……奴らを叩き潰すのは、僕の実績と実力であって、君のような役人の『事なかれ主義』であってはならない」


圧倒的な「強者の論理」

財前は、同じ土俵で戦い、勝つことにこだわっていた。


「彼らの邪魔はするな。……その代わり、彼らがコケそうになったら僕が支える。それで君のリスクはないだろう?」

「は、はいぃぃぃッ!!仰せの通りに!」


財前は保科を一瞥もしないまま、部屋を出て行った。

(……飛鳥。精々あがけよ)  

廊下を歩きながら、財前は眼鏡の位置を直した。

(舞台は整えておいてやる。……言い訳のできない状態で、僕に負けるがいい)


それは、彼なりの不器用で、高潔なフェアプレー精神だった。

夕日に照らされた鴨川堤防。  

正式な許可が下りた。京吾の手には、四箇所すべての「植樹許可証」が握られている。


「……すごい。全部、許可もらっちゃった」

「ああ。あの課長、保身と手柄のためなら見境なかったな」


京吾は許可証をヒラヒラさせた。


「権威に弱い奴ほど、扱いやすい手駒はいねえ。これで『場所』の問題はクリアだ。……あとは、植えるだけだ」

京吾は、紗夜の手をそっと握った。彼女はまだ手袋をしている。

「無理させたかな。……美味いもん食わせてやるから」

「ふふ。……うん、楽しみ」


紗夜は微笑んだが、その笑顔はどこか儚げだった。  

二人の背後で、あの奇跡の一本桜が風に揺れ、花びらを舞い散らせている。  

その花びらが、川面をピンク色に染めて流れていく様は、まるで何かの終わりと始まりを告げているようだった。


「よし、紗夜。これで資金、技術、植樹場所……全てが整った」  

京吾が遠くを見つめる。 準備は終わった。

ここからは、時間との、そして紗夜の命との戦いが始まる。


『第三の壁・行政。――京都府庁にて、突破』

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