九匹の鬼
「……ん? なんだ?」
竜との激戦があった場所から遠く離れた山の中で、一人の男が異変を感じた。
灰色の髪をストレートに流し、鋭い切長の目が印象的な男は、その視線を一つの方向に向ける。
「んおー? どーしたーガイラぁ」
その頭上。木の上からその男を呼んだのは金髪の男。酒瓶を片手に、泥酔した様子を見せる男が、器用に枝に足をかけながら灰髪の男を見下ろす。街にいたらチンピラだと思われるであろう男の風貌は、その身にべっとりとついた血によってより凶悪なものとなっていた。
「ゴズか。いや、今向こうででっけえ音がした様な気がしてな」
「音だ? 街の方行ったドラゴンが暴れてんじゃねーの?」
「それにしては随分近い。それに、それだけじゃない魔力の振動を感じた」
「あっはー! 何々? 魔獣のドラゴンと誰かやり合ったってこと? バッカじゃねーの!? 俺っちよりバカだよそれ! なあ!? そうだよなぁ!」
冷静な対話の中、明らかに調子の違う声が混じり、ガイラと呼ばれた男は背後に目を向け、視線の先に少年の姿を捉える。
顔は黒い長髪に隠れて見えないが、目を引くのはそれよりも下。骨と皮しかないかの様な細い体だ。一切の脂肪を感じさせないそれは、どんな悪人でも同情してしまうだろうほどの細身だが、一切の不調を感じさせない声とのアンバランスさが逆に不気味に映る。
それを無視し、ガイラが話しかけたのはその隣。
「ノーラン、見ろ」
「…………ん」
それだけ答えた銀髪の男は、暖かい気候に関わらず随分と厚着をしているうえに、首にはマフラーが巻かれていた。ある意味その童顔には似合った格好ではあるが、気候を考えれば適しているとは言えない服装。その懐から片眼鏡のようなものを取り出し、半開きの眠そうな目にかける。
魔力を流して使用するそれは、魔導具と呼ばれるものの一つだ。流す魔力の強さによって、見える距離が変わる。ノーランはガイラが示した方向に対し視線を向け、しばらくして目を見開いた。
「………多分だけど、ドラゴンがやられてる」
「……何? どういうことだ?」
現場を見たにも関わらず、曖昧なことを話すその語り口に苛立ちを覚え、口調が厳しくなってしまうガイラ。しかし、気にした素振りもなくノーランは続けた。
「……人は四人見えるけど、さっきのドラゴンは見えない。ただ、戦闘の痕跡は色々あるから、きっとあの魔導士達が倒したんだろうね」
「なら、ドラゴンの死体が転がってんじゃないのか?」
「それが無いんだよ。ただ一箇所、ドラゴンの体長よりもよっぽど大きい穴があいてる。あれが魔法によるものなら相当な破壊力だ。当たったら魔獣のドラゴンとはいえ、きっと原型なんて留めてられない」
「あ゛ぁ? なんじゃそりゃあ? んなバカな話があるか!」
途端、ゴズは声を荒げて抗議の声を上げる。
魔獣の竜とはいえ、倒せるものはいるだろう。依頼として発注される魔獣の竜の討伐は、S級かSS級のどちらかだ。そしてS級の依頼とは、S級冒険者単独、もしくは、A級冒険者十人での依頼達成が可能であるという事でもある。
その強さにはばらつきがあるし、倒されたという情報だけなら頷けもする。
だが、原型を留めないとはどういう事なのか。
事前に確認した竜は特に小さいわけでもなかったし、何より魔獣は通常の個体より魔力に対する耐性もある。
「それが本当なら、バーラ君より火力あるんじゃない?」
そう言って茂みから顔を出したのは、ウェーブのかかった長い赤髪をたなびかせ、真紅のドレスを纏った妖艶な美女だ。
指や耳、首元などに光る装飾品は一目で高級品だと分かるものばかり。その中でも一層輝きを放つ琥珀のような瞳が、話の信憑性に疑問を投げかける。
「シャーロット殿。それくらいならバーラ殿にも出来るでしょう。魔法の破壊力は我々の中でも随一です。それに正直、条件が整えば拙者にもできる」
「…………」
そして、その後ろにいた着物を着崩した男が、腰に掛けた刀に手を置きながら声をかける。
話しながら視線を向けた先には、先ほどから会話に入らず、岩に腰掛けていた強面の大男がいた。頭抜けた威圧感はその規格外の体躯だけでなく、額に刻まれた大きな傷痕も起因している。話を振られても当の本人は関心がないのか、変わらずに空を見上げていた。
「そうだとしても、バーラ君やカライ君並みの火力って事でしょ? 何者なの?」
「ははははは! 何言ってんだよシャーロット! 初めて見たやつが誰かなんてわかるわけないだろ!? そんなん俺っちでも分かるぜ!? バカかよ!?」
「………レグ君には聞いてないわよ」
心底鬱陶しそうな態度に、しかし黒髪の少年は気づいてないかの様に興奮状態から冷めることがない。
「おそらく、《天名会》の奴らじゃろうなぁ」
場の雰囲気が最悪になる中、この中で最年長であろう老人が、全員の疑問に応える。
既に腰が曲がり、魔導士が使う杖を前について体を支えている姿は、長く無造作に伸ばされた白髪も相まって随分と弱々しく映る。だが、その身から溢れる魔力は見るものが見れば戦慄を覚えるであろう程、禍々しく強大なものだった。
同程度の魔力を持っている他の面々は、今更そんなことで怯むことはない。しかし、たった今老人が口にした《天名会》という言葉。それについては話が別だ。
その場の全員に緊張が走り、言葉の主に注目が集まる。少しの沈黙の後、ガイラは訝しむような声で追求を始めた。
「……ホーマックの爺さん、流石にノーランも天名会だったら顔わかるだろ」
「それがのう、つい最近新しい加入者がいたそうじゃ。しかも三人同時にのぉ。そちらは知らないんじゃないか?」
「……あぁ、冒険者のパーティーが丸々入ったんだっけ? 確かに僕も顔は知らないね」
「まぁ、わしらは殆ど街の中に入ったりはしないからのぉ。歳は確か全員十代だと聞くぞい」
「随分若いね。けど、多分それだよ。見た感じ四人ともそれくらいだし」
ノーランとの意思疎通により、懸念が確信に変わった面々。思いもよらないイレギュラーに対して、彼等の意思は一つでは無い。
ある者は高揚感に震え、またある者は戦慄に震え、そしてある者はその両方に震えた。
「……俺達のことが、国にバレたってことか? だとしたら、"あの人"に話さねぇと」
「それはわからない。けど、僕達を相手にするなら流石に戦力不足だ。今のルジャには大した騎士も冒険者もいない。いくら天名会とはいえ、派遣されたのが今言った三人と、……あとの一人はよく分からないけど、黒い髪の……男かな? あいつだけは隙だらけだ。僕らなら二秒で殺せる」
銀髪の青年は冷静なように見えて、先程よりも声に興奮が乗ることを制御出来ていない。普段はあまり動じない性格だが、これで意外と好戦的である事を知っているのは、同じ穴の狢であるここにいるメンバーだけだ。
「はっはっは! まさか天名会と相見えようとは! 面白い!」
「……まぁたうるさいのが来たわねぇ。もう少しなんとかならないの? ジラク君」
「ああ! すまんな! 性分なもので!」
そして、この場にいた者の最後の一人。ジラクと呼ばれた青年は大口を開けながら笑い、臆面もなく強敵との邂逅を歓迎する。
明るめの茶髪は短く整えられ、服装も白を基準にした清潔感のある装いだ。背負った弓は素朴な見た目だが、見るものが見ればそれが一級品のものであると理解出来る。ハキハキとした口調は他の面々と違い悪意を全く感じさせないが、それがこの場において誰よりも異常な証拠だ。
「とはいえ、所詮は一つの冒険者パーティーに過ぎない」
その異常を際立たせるように、ジラクの歩いてきた方向。その背後に見えるのは、火の手が上がった建物が密集してる村の景色。そして――
「我々《九鬼》の敵ではないさ」
悍ましい数の、人の死体。




