襲来
「っ!?」
今一度地平線の先に視線を向けると、先ほどまでは見えなかった赤い影が空を飛び、こちらに向かって来ているのが見えた。
初めは何かわからなかったその存在は、あっという間にその全容が分かるほどの距離に迫る。
肌は無数の赤い鱗に守られており、その一つ一つが上級冒険者の防具や武器の素材に使われる程硬いのは有名な話だ。
巨大な羽は一振りでその下に砂煙を上げ、巨体を浮かせる力強さを周りへの暴威に変えていく。
近付いたことでこちらの存在に気がついたのか、空の王者としての貫禄を存分に見せつける鋭い牙を並べた口を開き、咆哮が辺りに響いた。
「ゴアアアアア!!!」
それだけで大地が震え、自然界の圧倒的な強者たる威圧感を放ちながら、竜はリン達に向かって突進して来た。
「ちょっ!?」
「ん〜? 思ったより小さいかなー」
「そもそも、依頼の対象ってあいつなの?」
「正確に確認したわけではないので何とも言えませんが、あちらは丁度巣の報告があった場所です。依頼書の写真とも似ていますが、番の可能性もありますね」
並の人間なら半狂乱に陥り、一目散に逃げ出す状況だが、リン以外の三人は各々冷静に竜の分析を始めていた。
もう目と鼻の先に山のような化物が来ていると言うのに、自分以外の全員が普段と変わらない態度でいることにとてつもない不安が襲う。
「ライ」
「はいよ〜」
相変わらずの間伸びした声からは緊張感が感じられないものの、前に出たライルの纏う雰囲気が徐々に変化していき、魔力の波動がライルを中心に周りを焦がす。
「『魔纒体合 炎腕』」
その言葉に呼応するように、ライルの両腕に炎の魔力が迸った。二の腕あたりから先が炎に包まれ、リンが息苦しさを感じるほど、その一帯の熱を急激に上げる。
この世界の魔法は、体の一部、もしくは武器に自分の魔力を流してから使うのが一般的だ。
『魔纒』と呼ばれるその戦法は、足に風の魔力を纏えば文字通り風のように速く走り、盾に土の魔力を纏えば防御力が飛躍的に上がるなど、属性と組み合わせによって様々な効力を発揮する。
人によって得意な属性、武器は様々な中、最も基本の属性となるのが、"四元の魔力"と呼ばれる炎、水、風、土の四種類。その他の魔力もほとんどそこから派生している。
ライルはその中でも、攻撃力特化とされる炎魔法の使い手だ。纏った魔力を燃え上がらせながら、最強の冒険者パーティで前衛を務める男は、目の前の強敵を前に不敵に笑う。
「っっらぁ!」
瞬間、地面を蹴ったライルは、一瞬にして竜の目の前まで飛躍。炎に包まれたその右腕を、その顔に叩きつけた。
轟音が響き、顔だけで人間の五倍の大きさはあろうかという竜が冗談のように吹っ飛ばされ、体を地面にめり込ませる。
砂埃が舞い、その姿の隠れた竜へライルは、追い打ちをかけるべく両手を組み、頭上に掲げる。
纏われた炎の火力が一段と上がる。一気に広がったそれは瞬く間に大柄な使用者本人を超える程大きくなり、離れていても尚焼かれるような熱さから、その魔法の膨大なエネルギーを感じ取れた。
「『双炎火』」
その落下の勢いのまま、ライルは両手を振り下ろし、竜の脳天を撃ち抜く。
「ギャオォォォォォ!」
断末魔のような声を発し、かち割れ血が飛び散っている竜の横顔を、炎小槌を解いたライルの炎腕が容赦なく襲い、その体が宙を舞った。
勢いそのままに地面に叩きつけられた体は、鈍重な動きで顔を上げ、ライルを睨みつける。
その時、竜の目が明確に変わった。
圧倒的な巨躯からなる自信ゆえか、過去の経験による確信ゆえか、人間を敵とは認識していなかったのだろう。人間をただ狩る対象としかみていなかった、言うなれば油断していた怪物の眼に、初めて戦意と殺意が宿る。
その迫力だけで並の冒険者なら膝を屈するだろうが、ライルはお構いなしに一直線に竜に突っ込んでいく。
それを勝機と見たのか、竜が口に魔力を集中させ始めた。
「あいつ魔獣だったのか!?」
事前情報は無かったし、そもそも魔獣の数はそこまで多くない。ライルにとってもこの攻撃は不意打ちだろう。
慌てたリンは横の二人に視線を送るが、どちらも対して焦っている様子はない。通常の竜でさえ脅威だというのに、その上魔力を持っているとなると護衛などと言っている場合ではないはずだ。
「サラ! シオン! ライに――」
「ゴアアアアアア!!」
加勢してくれと続けられるはずだった言葉は、大地を揺るがすほどの咆哮にかき消された。爆音と共に竜の口から、巨大な炎がライルに向かって一直線に飛んでくる。それは先程のライルの魔法とは比べ物にならないほどの規模で、直撃すれば街が一つ消し飛ぶくらいの威力はあるだろう。
その攻撃の直線上にいたリンは咄嗟に回避行動に移ろうとしたが、その目に信じられない光景が飛び込んできた。
あろうことかライルは、その爆炎の中に自ら突っ込んでいったのだ。
「ライ!!」
思わず出た声に呼応するようにリンの足が一歩前に出るが、そこで前にいたシオンに制止される。
「兄さん。大丈夫です」
先程と同じように、その声からは焦りはなく、余裕すら感じさせた。そのままライルが爆炎に飲み込まれ、それでも勢いの止まらない炎が後ろのリン達にも襲いかかる。
その寸前
「『魔纒器合 水杖』」
サラ・ローレンが持つ杖が水の魔力を纏い、それを前に突き出した。
「『水壁』」
現れたのは、竜の炎に勝るとも劣らない質量と大きさをもった、巨大な水の壁。
他の武器と違い、杖使いは流した属性の魔力をそのまま強化する。水属性の魔力を流せば、水魔法の威力が増すのは常識だ。
ただ、この魔法はその常識の範疇を超えている。
水壁とは本来、人一人分の防御魔法として使われるものであり、普通の魔導士ならそれで限界のはずだが、目の前で瞬時に作られた壁は少なくとも百人は守れるであろう規模のものだった。
前が見えないほどの巨大な水の盾は、圧倒的な炎の暴力を飲み込み、周りに大量の水蒸気を撒き散らしながら、その勢いを完全に殺し消滅させた。
「――ラ、ライは?」
目前の脅威が消えたことで、改めて炎の中に消えたライルを心配するリンだが、それは杞憂に終わる。
ライルの姿が、いつの間にかドラゴンの頭上まで迫っていた。その体には火傷一つ無く、炎に包まれた先程の光景と矛盾すら感じる。
「『炎型 不知火』」
ライルが右腕を空に掲げた時、纏った炎の色が変色していった。
赤から黄色に、そして白く、最後は青に変わり、色を変えるごとに、そのエネルギーは熱量と共に別次元へと昇華する。
膨大な魔力を練り上げたそれは瞬く間に空を覆うほどの巨大な球体となり、目の前の敵を焼き尽くさんと轟音を上げ襲いかかった。
「『大燐火』」
凄まじい衝撃と共に、爆風が辺りに吹き荒れる時、サラがもう一度"水壁"を展開し、リンとシオンを守る。
二度目となる目の前の壁だが、今度はその両横から嵐並みの砂塵の暴威が吹き荒れ、真後ろに隠れていたリンにすら少なくない衝撃が走った。
風が吹き止み、水壁が解かれたことでリンの視界に広がったのは、先程まで竜がいた場所にぽっかり空いた巨大な穴だ。
円形に地面を抉ったその穴は、底を確認する事もできないほど地中深くにその表面を沈め、魔法の威力を証明する。
もはや竜は姿を確認することもできず、地面に沈んだのか跡形もなく消滅したのかも分からない。
(……これが、今のライ)
驚愕に染まる思考の中、ライルに付けられた二つ名がリンの頭を過ぎる。
王国一と言われる炎魔法の使い手にして、《月華の銀輪》の中で最も殲滅力を持った魔導士に付けられた、その悍ましさすら感じる二つ名に相応しい目の前の光景はしかし、それを過大だと思わせない壮絶な暴力の証。
蒼炎を操る稀代の破壊者
「《怪炎》」
その名が決して大袈裟ではない、人智を超えた怪物が如き炎だった。




