裏切らない理由
「っっ! 何事だ!?」
予期せぬ場所からの奇襲に、真っ先に反応したのはテラストだった。
背後から飛来する人の頭ほどもある水玉は、明らかに自然の雨とは異なる質量と攻撃性を持つ。現に、騎士団員達は次々とそれを受け、広場を埋め尽くさんばかりだった騎士団は、理不尽な水の絨毯爆撃に耐えきれず地に伏せる。
その威力を物語るように、彼等が着用していた鎧はその殆どが円形に窪んでいた。
「っっ!!」
自身にも降り注いだそれらを、テラストは手に持つ槍だけで全て叩き落とし、周囲の警戒を強める。
《九鬼》か、《終焉の十三人》か、最悪の想像が真っ先に出てくるのは、テラストが数多の死線を潜り抜けたことで培われた感覚だ。一瞬の判断ミスが命取りになる戦場で、危機感以外の感情は邪魔になる。
だが、事態が最悪を超えうる可能性があることを、テラストは久しぶりに体感した。
「………サラ・ローレン、貴様、何を笑っている!?」
下を向いているため目元は見えないが、サラの口元が弧を描いていた。まるで、悪戯が成功した子供のような笑みは、テラストの疑念を裏付けるように深まる。
だが、確信が持てないのは、サラが魔纒を展開しているようには見えなかったからだ。魔法を使うのに魔纒の展開が必要なことは、『幻界魔導』を除いて例外はない。サラが構えた杖は未だ元の状態を保っており、戦場では逆に見慣れないただの杖。
ただ、そこまで確認して、サラの四肢に意識を向けたところ、杖使い特有のローブに、左腕だけが完全に隠れているのが見えた。
「正解」
その視線の動きに気付いたサラは、ローブから左腕を出し、水に纏われているそれを得意げに見せつける。自身の憶測が確信に変わったテラストは激しい怒りを覚えるが、それを言葉にする前に、違う脅威が斬り掛かってきた。
「っっ!! シオン・アルテミス!」
光の刀と雷の槍がかち合い、広場に金属音とは違う甲高い音が響き渡る。一瞬で距離を詰めたシオンの光刀を寸前で受け止め、前後に集中を分散させた。
《天名会》に挟まれる形になったテラストは、数秒前までとは打って変わり絶体絶命の状況と言えるだろう。
だが、それはサラの攻撃に耐えたのが、テラストだけだった時の話だ。
「流石に、連隊長クラスは杖通さないと厳しいか」
サラが壊滅させた騎士団の中から、四人の魔導士が飛び出す。全力ではないとはいえ、《天名会》の攻撃に耐えられる存在は騎士団にもそういない。
袖の色を見るまでもなく、騎士団の上から三番目の役職を賜る『連隊長』だ。
「『土魔法 土壊甲打』」
そのうちの一人、『土腕』を展開した男が、腕に纏った魔力の上から土の槌を造る。速さという面で最も劣る土魔法だが、それは本人の脚力でカバーされ、超重力級の魔法を出しながらその体は瞬く間にサラへと接近した。
「させねーよ」
そこに割って入ったのが、『炎腕』を展開していたライルだ。両手で『土壊甲打』を受け止め、完全に停止させたことに男の目が二つの意味で驚愕に開かれる。
本来の特性から、攻撃と防御が入れ替わった構図の二人。破壊の権化たる炎腕が、防御特化の土腕を受け止めた。それだけならいいが、決定的な違いはライルがまだ魔法を使っていないことだ。
当然、土魔法といえど攻撃魔法はある。敵を打倒する目的で魔力が練られ、その為に研ぎ澄まされた研鑽を最大限に発揮するのが攻撃魔法だ。魔纒にするだけでも攻撃力や防御力は上がるが、それは魔法に比肩するものではない。
そして、驚愕の理由はもう一つ。
「悪いな。姉ちゃん怒ると怖えからさ。サボれねーんだわ」
サラに続き、ライルまでもが敵対の意思を示したことだ。
「っっ! 『炎魔法 渦炎火』!」
「『光魔法 伝星』!」
「『水魔法 水円屠河』!」
それを見た他の三人の連隊長も、一斉にサラとライルに魔法を向けた。
炎の脚が渦巻く熱を放出し、光の杖が空から星と見紛う光芒を降らせ、水の弓矢が一直線に奔る河を作る。
三者三様の魔法。その全てが一線級の威力を誇り、冒険者になればS級と称されるその実力を裏付けるものだった。
「『魔纒器合 水杖』 『水護の堅牢 連水旋』」
すかさずサラは魔纒を展開し、自身とライルを水の囲いの中に入れるのと同時に、二つの渦を作り出した。敵の攻撃は水護の堅牢に阻まれ、連水旋が連隊長達に迫る。
「『土魔法 土壁』!」
だが、各々が卓越した実力を持つ連隊長を相手に防御をしながらの攻撃では、如何にサラといえど決定打にはならない。
ライルと打ち合った男が地に手をつけ、地面から盛り上がった土が目の前に頑強な壁を作り出す。四人を完全に隠したそれは、竜すら倒したサラの魔法を受け止めても破られる気配すらなかった。
「『天災の来降』」
その膠着を破ったのは、魔法ではなく、ライルが放ったその一言。水の防壁の中で、ライルがその言葉を発した瞬間、土壁の後ろに隠れていた連隊長達は顔色を変えた。
「まっ、まずいぞ! 止めろ!」
光の杖を携えた男が、他の連隊長にそう指示を出す。危機を共有した四人は即座に防御を捨て、ライルを覆っている水の防壁を破壊するべく攻撃魔法に移った。
「『水魔法 水集蒼』!」
だが、それはサラの魔法によって妨害される。四人全員を相手取れているわけではないが、どちらにも決定的な攻撃をする隙はなく、その程度の魔法で水護の堅牢は破れない。
「『終古の覇業は今なお渡り、その身に宿すは比類なき頂』」
その間にもライルの詠唱は続き、ライルの目の前に身の丈を大きく越える巨大な火の玉を形成する。
それは、ライルが得意とする魔法『大炎火』。だが、それだけならば詠唱は必要ない。そもそもその詠唱は、最強と謳われる生物の力を言霊に宿し、魔法の威力を飛躍的に上げるためのものだ。
「『暴虐 蹂躙 狂乱 災禍』」
詠唱に乗せられた魔力が、『大炎火』に生命を吹き込むかのように流れ、火球の脅威が飛躍的に上がるのを、連隊長達は肌で感じ取る。
「『森羅に轟く万死の咆哮』」
最後の一節を言い切ったライルの前で、『大炎火』が形を変えていった。
詠唱の名は、『龍紋の唱』
「『炎魔法 大龍炎火』!」
炎に形作られた龍が空に舞い、大気中が恐怖に震える。暴虐の化身が召喚されたことで、双方が決め手に欠けていた戦局は一気に傾いた。
「――――っっ!!」
炎の龍は三人の連隊長を次々に飲み込み、悲鳴さえ喰らい尽くして破壊を謳歌する。
唯一残った土腕の男は、連水旋を止めた時と同じように地面に両手を付け、魔力を流す。だが、前と違うのは、その魔力の量。
「『土魔法 土楼大門』!!」
男の目の前に、荘厳な分厚い門が出現。そこから感じる魔力は、先程披露した土壁とは比べ物にならないほど、堅固の魔力を存分に注がれた絶対防御と呼ぶに相応しい魔法だ。
「クソッタレが!」
そんな様相を嘲笑うように、緋色の龍は門を粉々に粉砕し、土腕の男を他と同じように容赦なく飲み込んだ。
爆炎に全身を蹂躙され、逃れることもできず、ただ災禍に見舞われる四人の連隊長。その地獄の果てにようやく辿り着いた時には、既に朦朧とした意識の中で体中を駆け巡る激痛に向き合うしかなかった。
「――くっ!!」
その惨劇を見て、シオンと交戦していたテラストが血相を変える。
テラストが驚愕するのも無理はない。確かにサラ達の謀反は想定外ではあったが、元々《終焉の十三人》の相手を想定し、その為に手練れの連隊長を四人も引き連れていたのだから。
その四人が一撃で敗れたことへの動揺。その隙を見逃してくれるほど、テラストが相対している相手は優しくない。
「よそ見ですか?」
一瞬でテラストとの距離を詰めたシオンが、上段からテラストに斬りかかる。初撃と似た構図だが、それをテラストは槍の腹で受け止め、鍔迫り合いの先にある黒瞳を睨みつけた。
「貴様ら! これだけの事をして、ただで済むと思うなぁ!!」
テラストが押し返した事で、シオンとの間に少しの距離が出来る。それは、刀が届かない槍の間合い。テラストは瞬時に体勢を立て直し、切先をシオンへと向け連続で刺突を繰り出す。
テラストの槍から繰り出される、雷の魔力によって速度の底上げされた刺突は、受ける者に残像すら見せない速さと威力を誇る。槍の間合い全てを、一撃掠めただけで致命傷になるような絶対的な死の領域へと変える理不尽な戦法だ。
しかし、今回その領域に足を踏み入れたのもまた、同じく埒外の存在だった。
刹那の間に何発も繰り出される雷光を、シオンは全て紙一重で避けていく。顔を穿つ槍を首だけで躱わし、時には刀で軌道を逸らし、一撃すら受ける事なく、最小限の動きで雷撃の中を掻い潜る姿に、テラストが言葉を失う。その隙に、今度はシオンから攻撃を仕掛けた。
ともすれば、敵のテラストですら見惚れるほどに美しい軌道で抜き放たれたシオンの一刀は、シオンの頭を狙った雷槍を的確に打ち上げる。
そして、勢いそのままにシオンは一回転し、無防備になったテラストの腹部へと飛び蹴りをぶち込んだ。
「がっ!?」
金属がひしゃげる音がしたかと思えば、蹴りとは思えない衝撃に吹き飛ばされる。一瞬の後、数十メートルは飛ばされたテラストは、勢いを殺さずに受け身を取った。
「ぐっ、クソ………」
膝をつき、しかし視線は屈する事なく前を睨みつける。視線の先には、三人の《天名会》が、テラストへと視線を向けていた。
テラストの人生で三十五年間、受けたことのない圧力が降りかかり、追撃の手を止めて警戒に努める。
「………………」
だが、そのうちの二人。サラとライルの姉弟は同時に後ろを振り向き、テラストに背を向けて歩き出した。
その歩みの先にいたのは、今までテラストが存在すら忘れていたもう一人の反逆者。
名前も知らぬ、ルジャの騎士だ。
********
今起きた数分間の出来事に、リンは一人取り残されていた。
いや、恐らくは、シーナもリンと同じような立場だろう。だが、それはそれとして、本来分かっていなければならない立場であろうリンは、未だ目の前で変わった情勢に何一つ理解が及ばない。
シオンがリンの抜剣を止めたことに始まり、明らかにリンを敵としていたサラとライルが、騎士団を壊滅させる意味がわからなかった。
だから、サラとライルが自分に向かって歩いてくる現状に、完全に警戒感を捨てきれていない。敵か、味方か、まずはそこから確認して――
「リン」
「――――――」
その時、自身を呼んだサラの顔を、ようやく認識した。
真っ直ぐリンを見つめる優しい瞳。それと同じものを向けるライル。普段と変わらない二人の態度が、リンの心を揺さぶる。
「――だ、だって、………な、何で?」
あまりにも、今まで向けられていたものと違いすぎて、覚悟していた反応と真逆すぎて、ただ、何かを聞かなければならないと、まとまっていない頭を回転させて出た事がそれだった。
そんなリンの問いかけとも呼べない問いかけに、二人は余計に笑みを深める。
「ったく、あんたいつまで警戒してんの。嘘に決まってんでしょ」
「そうそう。流石に俺らも傷付くぜ?」
「冗談っぽく言ってますけど、兄さんに敵認定された時は本気で泣きそうになってましたよね?」
「っっ!!? はっ、はあ!? そんな事ないし!!」
「な、泣いてねえわ! 何言ってんだシオン!! バーカバーカ!!」
シオンに指摘され、途端に顔を真っ赤にしたサラとライル。その反応はリンがよく知る二人のもので、途端に肩の力が抜けていくのが分かった。
いつもの、サラとライルだ。今まで、リンと共にいてくれた二人の空気が、また失ったと思っていた関係性が、そこにあった。
「ふざっ、けるな!!」
だが、そんな緩んだ空気を真っ向から否定する声に、リンは再び身を固くする。
「貴様ら! 初めから我々を奇襲するつもりだったのか!? 逆賊共が、恥を知れ!」
憤怒に身を震わせ、戦意を維持するテラストの侮蔑を孕んだ怒声が響く。リガレア王国騎士団。その副団長として、そして、全ての魔導士の見本であるべき《天名会》としての誇りから来るものだろう。
だが、サラは何でもないかのように、テラストに応えた。
「勘違いすんな。奇襲はあんたらのためにやってやったんだよ」
「何だと!?」
それだけを聞けば、あまりにも傍若無人な論理。犯罪者もかくやというような暴論に、普段のサラを知っているリンは少し不安を覚えるが、サラは気にする素振りもなく続けた。
「うちらとあんたらが初めから本気でぶつかれば、大半の奴らは巻き込まれて死ぬ。だから、最低限ついて来れる奴らだけ残るように間引いたんだ」
淡々とそう告げるサラの言葉には、サラにしか出せない説得力がある。事実、散々サラの《万能》を見せつけられてきたリンには尚更だろう。
だが、一番の問題はその前段階の話だ。
「っ! そもそも、何故王命に背くのだ!! それも《天名会》まで登り詰めた貴様らが何故!」
テラストの言葉には、何処かサラ達への畏敬が含まれているような気がした。
同じ天名会。それも、十代で入れるだけの実力を持ったこの三人のことを、誰よりも認めているのかもしれない。
だが、
「くっだらねー」
「全くだ」
「同感です」
そんなテラストの疑問は、ライル、サラ、シオンの異口同音で一蹴される。それに信じられないという思いを抱いたのは、目を見開くテラストとリンの二人。
唖然とするテラストに忠告するように、ライルが一歩前に出て、当たり前のことを話すように続ける。
「俺らが強くなったのも、天名会に入ったのも、全部、もう一度会わなきゃなんねえ人を探すためだ。――そんで、その目的はもう叶った」
言い切る前に、一度リンへと視線を向けたライルは、達成感すら思わせる声で言い放つ。
そのライルの宣誓に、シオンとサラは無反応を持って異議の有無を証明する。それが、天名会という立場を放棄するかのような発言であるにも関わらず。
未だに混乱の渦中にいるリンに対し、シオンは真っ直ぐリンを見つめて、
「兄さん。私たちは一度、大きな過ちを犯しました。その時、きっと一生分以上の後悔をした。………だから、もう間違えません。そのための、誓いですから」
「誓い?」
身に覚えのないその単語を思い出そうと、リンはそれを復唱する。だが、それでリンの中の結論が変わったわけではない。
犯罪者に堕ち、冒険者としての地位を、《天名会》を捨てるほどの何かがあるのかと、そう考えていた。しかし、ライルが継いだその先は、リンが思い描いていた大層な理由とはかけ離れたもの。
「もう二度と、俺たちは――"リン・アルテミスを裏切らない"。これが《月華の銀輪》、一丁目一番地だ!」
「――――っ!」
何でもない、日常の一つとして告げられたその誓いは、リンにとっては今の今まで忘れていたような何気ないものだ。
『そっか。ありがとな』
それを言われた時、確かリンはそう返したと思う。気恥ずかしさもあったが、本気にしていなかったのも半分ある。
その言葉に込められた意志の強さを、リンは見誤っていた。
「それに、あんだけ一緒にいれば、この子にも情は湧くよな」
そう話すサラは、リンの後ろにいたシーナに近付き、目線の高さを合わせてその頭に手を置いた。
泣き腫らした瞼を見て苦笑したサラが、目尻に残っていた涙を指に乗せて払う。母親が娘にするようなその仕草には、確かにシーナへの気遣いが見える。
そんなやり取りを終え、改めてサラの眼に力が入り、視線に込める感情を真反対に切り替えた。
「まあ、そーゆうことだから。まだリン達を狙うんなら、その時は――」
立ち上がり、下げていた杖をテラストに――いや、その先に見据える世界に向けて、サラ・ローレンは宣戦を布告する。
その眼光は、これから話す言葉が本気であると、そう確信させるには十分なものだった。
「死ぬ気で来てね? 殺すから」




