裏切りの理由
「サラ」
自然と、その名が口から漏れたのは、何を意図したものだったのか。それは、リン自身にも分からない。
重力に逆らわず、その身は地に足をつけ、後を追うように水色の長髪が降り注ぐ。その様は、空の精霊が降り立ったのかと錯覚するほど美しく、同時に、死神の迎えを思わせる絶対的な存在感が混在していた。
ゆっくりと目を開けたサラが、その瞳にリンを捉える。数多の冒険者を虜にしてきた美しい顔の独占。そんな楽観ができるほど、リンは現状に余裕を持てない。
「………あ、サラ――」
知った顔の到来に、シーナが一歩前に出る。だが、その先をリンが手で制止し、それ以上近付くことを暗に防ぐ。
それは、明らかな警戒の証だった。
「サラ。お前は――」
「おい! こっちにいたぞ! サラ・ローレン殿も一緒だ!」
リンが問いかける前に、別の路地から男の声がした。そちらでは、騎士団の甲冑を着た男が、路地の先に声を張り上げていた。
そこから、ぞろぞろと団員達が出てくる。リンが想像していた数倍――いや、数十倍もの規模がありそうな勢いだ。
団員達は瞬く間に中央広場に集結し、サラの背後に陣取る。つまり、リンとシーナを対面にする形で、だ。その全員が、揃いも揃ってシーナに厳しい視線を向ける。
「あ、あいつが標的だ! 殺せ!」
その中の一人が、シーナを見てそう声を上げる。瞬間、それを聞いたリンが反射的に、腰の裏に隠してある短刀を抜き――
「っっ!?」
その短刀は、側面から飛んできた拳大の火球によって弾き飛ばされた。
「リン兄。そいつはさせねえよ」
この世界で唯一、リンをそう呼ぶ男が、サラの横に並ぶ。見慣れた長身がいつもより小さく見えるのは、ライルが纏う空気に、いつものような覇気が無いからだろうか。
「……………」
ある程度覚悟していたとはいえ、実際に目に見るとやはり胸に来るものがある。それでも、リンはシーナの前に立ち続けた。
万策は尽きた。と言えるほど、策があったわけじゃない。ただ、サラ達に会えば何とかなるかも知れないと、そう思っていたのは確かだ。
だから、動揺はある。悲観もある。
だが、迷いはない。いや、迷いようがない。
何せ、リンはまだ、何も知り得ていないのだから。
「………理由。聞いてもいいか?」
自身が思ったよりも優しい声音で、リンはサラとライルにそう問いかける。
今のリンの状況は、逃げていた時と比べてはるかに悪くなった。だが、心臓の動きはその時より余程落ち着いている。
あまりに絶望的な状況に、諦めてしまったのかも知れない。どんな感情が正解なのか、自分でも分からなかった。
それでも、信頼しているからだと思う。
リンの知る二人が、この状況で、大した理由もなく敵対するとはどうしても思えない。
だから、問いかける。怒りを持つなら、理由を全て聞いてからだ。
「――――」
だが、サラは感情の消えた瞳でリンを見つめ返し、ライルは視線すら合わない。
「――リン、今回は手を引いて。流石に、こっから先はうちらにも手に負えない」
ようやく口を開いたサラの言葉は、リンからの疑問を解消するものではなかった。
素直に答えを言えないのは、自分の選択への自信の無さからか、もしくは、罪悪感からか。喜怒哀楽のはっきりしているサラの初めて見る反応に、リンがもう一度問い直そうとした時――
「王命だ」
サラとライルの後ろから、リンの問いかけに対する答えが飛んだ。
「―――え?」
反射的にそこを見たリンは、答えた人物を確認して硬直する。
この場に集まったのは、きっと九鬼に対抗しうる戦力として呼ばれた精鋭達だろう。S級を相手に出来る騎士団の戦力となれば、連隊長クラスも何人かきているのかも知れない。
だが、それ以上となると話が違う。
「…………な、何で……貴方がここに………」
凪のようだった心臓が音を刻み、サラに対する時とは別の緊張感がリンを包んだ。
黄色い髪を一つに縛り、他の騎士とは違う荘厳な甲冑に身を包んだ男は、自身の身の丈を超える槍を携えて前に出る。
それは、リガレア王国騎士団という、所属する者が百八十万人を超える巨大な組織にとって、団長に次ぐ権力を有する人物。
四人の副団長が一人。そして――
「《天名会》、テラスト・ランガレイ殿」
この国に十二人しかいない、『二つ名』持ちの一人だ。
気品に満ちた所作は、名家の生まれとして恥じるところのない美しさ。だが、その体から滲み出る殺気は狂気的なものであり、只人であるリンでは受けただけで足が竦む。
サラの前に出たテラストは、そのエメラルドグリーンに輝く目を細め、リンを品定めするように一瞥した後、興味を無くしたのかシーナを見やる。
「まさか、貴様のような奴がそんな姿でいるとは驚いた。だが、ようやく尻尾を出したな」
「え?」
声をかけられたシーナは、その意味を測りかねるように空虚な声をあげる。その様子を見ていたリンも、テラストの言葉は何一つ理解できなかった。
「ま、待って下さい! それは一体……い、いや、そもそも………何で………」
疑問が多すぎて、その取捨選択もままならない。何から聞けばいいのか、ぐちゃぐちゃになった思考回路の中で、様々なことが沸いては消える。
ただ、その中で、最も聴き逃してはならない単語があった。
「――王命?」
「…………何だ? そんなことも聞いていないのか? ――ああ、貴様、ルジャの騎士か」
呆れたようにそう言うテラストが、シーナへの視線に力を強めながら、リンの無知に対する答えを自身の中で見出す。厳密には違うのだが、今はそんなことはどうでもいい。
『王命』とは、このリガレア王国に住む国民にとって何よりも遵守しなければならない、国王自らが下す命令だ。
場合によっては超法規的措置すら可能となるほどの強権。だが、法すら超える効力を発揮するが故に、過去には権力の暴走を危惧する国民が反乱を起こすきっかけにもなった。軽々しく行えるものではない。
リンにとっても、一度頭に浮かんだその可能性を、あり得ないと断じたものだ。
「王命って……それがっ、この子を………確かに、この子の魔力がそこの水晶に吸われているのは危険ですが、何もそこまで――」
「勘違いするな」
縋るようなリンの言葉を、テラストが一言で断ち切る。圧力に押し黙るリンの前で、テラストの冷酷な瞳がもう一度シーナを貫いた。
「確かに王命の内容は、其奴の抹殺だ。だが、貴様が言ったことが理由ではない」
言葉の前半で寒気を覚えながらも、その後半部分に思考を回す。
それが理由ではないのなら、いよいよシーナが狙われる理由が分からない。九鬼に囚われていた少女という点を除けば、リンと出会ってからのシーナは普通の生活を送っていた。リンの知る限り、シーナが何か大きな事件に関わったことはない。
いや、それ以前に――何故、テラストまでもがここにいる?
九鬼に対抗するため、強い魔導士を呼ぶことは理解できるが、騎士団の副団長は四人とも、国境の警備や王都の防衛など、国を守る上で最も重要な役割を担っていることが多い。
いくらグループリスクがSS級とはいえ、それらの仕事を他に任せてまで相手にするような組織じゃないはずだ。
だが、それらの答えは、続くテラストの口によって伝えられた。
「先日、其奴の魔力を解析するため、サンプルが王都の研究室に運ばれた。そこの水晶を解析する上で、吸収される魔力を調べるのは避けて通れんからな。――だが、調べていくうちに、その魔力の魔証紋が、ある魔導士のものと一致することが分かった」
どこか含みを持たせるテラストの説明。それは、これから話す事実を、心の底では拒んでいるかのようで。
だからこそ、その場の全員に、自身に言い聞かせるように、テラストはその重い口を開いたのだった。
「其奴の魔力は、世界最悪の組織、《終焉の十三人》の一人。【アリシア・センテンス】と同じものだ」




