緊迫の王城
赤い絨毯が敷き詰められた広大な部屋。煌びやかな装飾が施された壁と窓。そこから覗く空は既に黒く塗り潰されているものの、上を見上げた先にある巨大なシャンデリアが夜の闇を寄せ付けない。
その反面、室内にあるものは極端に少なく、目を引くものは、部屋の一番奥、三層の段を上がったところにある、備えつけの椅子くらいだ。
玉座と呼ばれるその椅子には、威風堂々とした佇まいで座る壮年の男。金色に輝く髪は珍しくもないが、同じ色の瞳はその男の血を示す大切な証の一つ。
肩書は、《第二十五代リガレア国王》
その場にいることを許された、この国に――いや、この世界にただ一人の人物。名を、『アルザック・レイダル・リガレア』という。
二百を超える種々雑多な国々の中で、特に国力の大きい『列強』と呼ばれる八つの大国の一つ。リガレア王国を統治する、国王陛下その人だ。
「……九鬼」
目の前で告げられた報告に忌々しげにそう呟き、アルザックは奥歯を強く軋らせる。
その悍ましいまでの名を口にし、改めて事態の緊急性を実感したアルザックと同じように、側に控えていた護衛の騎士達にも緊張が走った。
「ラーバス。今すぐ戦える魔導士を集めろ。リガレアを汚した者共は、一人残らず潰す」
既に国内で犠牲者が出ていることも確認したアルザックが、鋭い視線と声に責任を乗せ、控えていた宰相。『ラーバス・ロルス』に告げたそれは、一切の交渉を必要としない全面戦争の気構えだ。
「はい。………しかし、九鬼の『組織的危険指数』はSS級です。最低でも、冒険者ならS級。騎士団であれば、連隊長クラスの実力がなければ太刀打ちできません」
ラーバスはその開いているかも分からないような目を更に細め、一瞬の思案の後にアルザックに告げる。
『組織的危険指数』とは、その名の通り犯罪組織の危険度を表す。SS級ともなると、それは一国の軍事力に匹敵する。
世界第四位の軍事力を持つリガレア王国であれば、真正面から戦えば勝てるだろう。だが、敵が国や場所ではなく、組織となった場合、そう簡単な話ではなくなる。
まず、戦力を向ける場所が不明なこと。これが最も厄介な問題だ。
敵がどこに潜んでいるか分からないこちら側は、下手に戦力を分散させれば各個撃破されるため、人海戦術という方法が出来ない。
だからこそ、ルジャという巨大な都市の周りにある、広大な自然の中をしらみ潰しに探して行かなくてはならないのだが、これには膨大な時間が掛かる。
そうなった場合、たった今報告された可能性の話が無視できなくなる。
『九鬼の計画は、リガレア王国の魔導士をルジャに誘い込み、中央に設置した水晶を解放して一気に殲滅すること』だと。
捕えられた九鬼の二人が口を割らないために確定ではないが、仮にその話が現実味を帯びた場合のことを考えると、ルジャを拠点にできないのはかなりの痛手となる。
だが、それは魔力が無属性魔法の許容を超えるまでは問題ないはずだ。サラ・ローレンからの報告では、まだ水晶の魔力が溜まりきるのには時間がかかる。
九鬼の狙いが何であれ、それまでは猶予があるはずだ。
「仕方がない。ルジャはこの国の東部。つまり、《レンデイラ共和国》の近くだ。借りを作ることにはなるが、レンデイラに援軍の要請をしろ」
「承知致しました」
リガレアが隣接している国は三つある。一つは、過去の因縁から軋轢のある《ガリバー帝国》。もう一つが、こちらも過去の事件が尾を引いた関係性の《ナグラベール公国》。そして、比較的友好関係にある《レンデイラ共和国》だ。
それらの反対側を海に面しているリガレアは、その三国のうち唯一の内陸国であるレンデイラと、特に魚介類の輸出という面で多大な交流がある。ある程度の要請には応えてくれるだろう。
「何れにせよ、『空間の魔纒』を操る少女を、この王都まで移送することが最優先だ。至急――」
「し、失礼します!」
その時、扉が勢いよく開かれ、一人の兵士が走り込んできた。
「なっ!? ぶ、無礼な! 国王様の御前だぞ!!」
「もっ、申し訳ございません。しかし、一刻も早く国王様へとお話しせねばならぬことが――」
「よい。話せ」
そのあまりの暴挙に、中にいた護衛の騎士が声を荒げる。
ともすれば首の飛びかねない行動ではあるが、兵士の只事ではない焦燥感にアルザックは無駄な問答を静止。一刻も早くという兵士の願いを聞き入れる。
「はっ! じ、実は、たった今入った連絡なのですが――」
呼吸を整える間もないまま、兵士は情報を話し始めた。これは異例の措置であることは間違いないし、だからこそ、兵士が走り込んでくる前から張り詰めていたその場の空気は、その全てが兵士の言葉に集中する。
「――――――――」
しかし、その内容は、只事ではないと構えていたその場の全員に、覚悟の上を超えていく衝撃を与えた。
「なっ、なんだと!?」
アルザックが不意に立ち上がり、胸に収まらなかった驚愕が声となって響く。戦慄に震える瞳と唇。そして、拳は血を流しそうなほどに力強く握り込まれていた。
だが、一番信じ難いことは、最も注意せねばならぬ国王の異常とも取れる様子の変化に、この場の全員が気付いていなかったことだろう。
「………そ、そんな」
ある兵士はその場に膝を折り、ある兵士は呆然と虚空を見つめ、ある兵士は恐怖に頭を抱える。
そして、宰相は――
「……………どうやら我々は、事態を甘く見すぎていたようですな」
未だ衝撃の残る中、それでも国の未来へと目を向けた姿は賞賛に値するが、頬を伝う冷や汗は隠しきれない。
「っっ! ラーバス! 今すぐ緊急戦時体制を発令しろ! 周辺各国及び同盟国には伝達と援軍の要請! それと――」
風を切るようなアルザックの怒号。その内容は全て只事ではない状況の証左だが、事態の重さを最も表したのは、その最後の指令だった。
「《天名会》を、招集しろ」




