幸せ
翌日、衛兵に身分証明を行い、呆気ないほど簡潔に終わった審査を経て王都の門を潜ると、一本道に整備された長い街道が目の前に続いていた。今は見えないが、この先の随所で分岐するようにできている。
今回の目的地である【ルジャ】は、馬車でおおよそ四日ほどかかる距離にある場所だ。討伐対象の竜は山奥で暮らしていて、定期的に近くの村や街を荒らしているそうだ。すでに死者も出ているらしい。
ある程度整備されているとはいえ、街道で害獣に襲われたというのはよく聞く話なので、リンを含む四人が交代で運転手兼見張りをしていた。
馬車の中でリンは、三人の最近の冒険譚を聴いて過ごした。
地下迷宮で遭遇した炎を纏うゴーレムや、雲の上まで続く山の頂上で戦った雷竜。海の上に住む、霧の魔法を使う巨大な蠍など、 S級冒険者の話はどれも信じられないくらい現実離れしたものばかりで、聞いているだけで胸が高揚感で満たされ、時間はあっという間に過ぎていった。
道中、一ヶ所だけ寄りたいところがあったので一度ルートを外れ、王都から少し離れたところにある森の中へと入って行く。
まだ日が出ている時間ではあるが、普通の森より木が大きく密度も高いため、ここはいつも薄暗い印象がある。
鬱蒼と茂る木々はまるで人間の侵入を拒んでいるかのようで、木々の間にはかろうじて馬車が入れる程度の隙間はあったが、お世辞にも道と呼べるようなものではなかった。
ただ、害獣が嫌う特殊な結界が張られているらしく、少なくとも今までこの森の中で害獣をみたことがないうえ、木の実や薬草などは豊富にある。そのため人が住んでも問題ないのだが、好き好んで住む人もそういないだろう。
それでもこの森には、リンたちの昔馴染みの人がいる。
「元気にしてるかなあ、アリスさん」
アリスとは、リンたちがまだ故郷の村にいた時、隣に引っ越してきて以来の仲だ。
村が魔族に襲われた時は丁度遠方まで買い物に行ってもらっていたので難を逃れたのだが、リンたちが王都で暮らすようになってもアリスだけはこの森で暮らすことを選んだ。本人曰く、「人が多すぎるところが苦手」らしい。
ここに来るのも数ヶ月ぶりだが、変わらずにいるだろうか。そんなことを考えているうちに、夕方頃には木造の建物が見えてきた。
この森には大昔に人が住んでいたそうで、木々の生い茂った森の中にぽつんと建っているその建物は、その時の残りなのではないかとアリスが言っていた。
「あいっかわらずボロい家」
「俺だったら三日も住めねえや」
ローレン姉弟が口々に散々なことを言っているが、言いたいことはわかる。
恐らく何十年も前に建てられたであろうその家は、所々穴が空いていて人が住んでいるようには見えない。
おまけに今アリスは出かけているらしく、人の気配もないため余計ただの廃屋に見えた。
「あら、珍しいわね」
そんなことを考えてる時、不意に後ろから声がかかった。
振り返った先に、目当ての人物を見つけて思わず顔が緩む。栗色の髪を腰あたりまでストレートに下ろし、同じ色の瞳はどんな宝石よりも美しく輝いている。
人口の多い王都でも滅多にいないような美人で、リンにとってはシオンと同様家族の一人。
【アリス・イルミナート】
どうやら水浴びをしていたようで、髪に水が滴っている。
騎士とはいえ、リンだって年頃の男子だ。芸術的なまでのプロポーションに着ているのは薄着一枚では刺激が強く、欲情的な気分になって顔を赤くするのを誰も責められないだろう。
――両隣の二人を除けば
「いひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「リーンー? 顔がエロくなってんぞ?」
「兄さん。最低です」
「ご、ごふぇんなふぁい!!」
頬を思い切り捻りあげられ、あまりの痛みにただ謝ることしかできない。
S級冒険者ともなるとあらゆる能力で規格外で、握力一つとってもリンとは雲泥の差がある。
「うちだってローブ脱いだら結構あるんだから」
「………サラ、なんの自慢ですか? 脂肪が多いことを誇るとは滑稽ですね」
「……あーごめんね?リンはおっきい方が好きっぽいからちょっと口に出ちゃっただけなの。他の人の中にはあんたの薄っすい胸筋の方がいいって物好きがいるかもね」
「ちょっと!? お前人の妹に何言って――」
「はい? 私より弱いくせに調子に乗らないでもらえますか?」
「あぁ!? 上等だコラァ!」
「いや待っ」
「待ちなさい」
シオンが腰の刀を抜き、サラが杖を構える一触即発の空気の中、鈴の根を転がすような、それでいて力強い声が響き、今にも戦闘がはじまりそうだった緊張感は徐々に霧散され、騒がしかった森に静寂が戻る。
「ここでは喧嘩厳禁よ。ただでさえボロボロの家なのだから、あなたたちの魔法が掠っただけで壊れてしまうでしょう?」
喧嘩寸前だった二人も、バツが悪そうに視線を下げる。なんだかんだこの二人も、アリスには弱いところがあるのだ。昔から親の言うことは聞かずとも、アリスに言われれば不思議と従っていた。一種のカリスマのようなものだろうか。
「とりあえず、よく来たわね。お茶を淹れるから上がって」
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やはりというか、家の中も前とあまり変わっておらず、必要最低限の家具があるだけの質素な部屋だった。
たまに街に出て必要なものは買っているそうなのだが、娯楽のようなものは見当たらない。
「半年ぶりくらいかしら? 元気そうでよかったわ」
アリスがお茶を淹れてくれたので少し口に含む。これもこの森で栽培しているらしく、独特の苦味があり好みの分かれる味だろうが、リンとしては雰囲気と合っていて落ち着くので好きだった。
「アリスさん。やっぱり王都に住む気はないの?」
来るたびにこの質問を投げかけているので何度目かも分からないが、それでもリンとしては王都に一緒に来てほしかった。こんな森の中で一人暮らしというのは大変だろうし、何より心配だったからだ。ただ、向こうの答えは変わらない。
「ごめんなさい。私にはこっちの方が性に合ってるみたいなの」
「……そっかあ」
無意識のうちに項垂れてしまう。故郷でもアリスは姉代わりのような人だったので、リンはどうにもアリスの前でだけは甘えた態度をとってしまう自覚があった。
「うふふ。リンくんったら、寂しそうにしないで。こうしてたまに来てくれれば私は嬉しいわよ」
そう言って微笑むアリスは、母が息子に向けるような慈愛の眼差しをしていた。
時々、リンはアリスにとって自分がどういう存在なのか気になることがある。少し前まで一緒に住んでいたとはいえ、血のつながりは無いし、何よりこんな美人だ。王都に行ったら貴族や高ランク冒険者に求婚されることは間違いないだろう。
そんな人にこんなに優しくされたら好きにもなる。実際、リンの初恋はアリスだった。
「さて、そろそろお昼ご飯の準備をしましょうか」
「あ、手伝うよ」
「私も手伝いましょう」
「じゃーうちも」
サラが手伝いに乗り出した時、他の四人に緊張が走った。
別にサラの発言は変な流れでもないのだが、それでもリン達はアイコンタクトをして意思の疎通を図る。
「サラちゃん。無理しなくていいのよ? 休んでいなさい」
「え? なんでうちだけ」
「姉ちゃん! 疲れたろ? お言葉に甘えとこう」
「シオンだって手伝うんでしょ? だったら―」
「やっぱり私はやめておきます。今になって疲労が。明日には移動するのですし、無理は禁物ですから」
「そんなんうちは一晩寝れば」
「役割分担だって! ほら、俺戦闘では何もできないし、ここまでの道も一番サラが活躍してたから!」
「そ、そう? ならまあ、うん」
勢いに押されたのか、呆気に取られながらも席についたサラ。四人は自分達のチームワークに心の中でハイタッチを交わした。
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サラを無理矢理押さえ込んだ結果、台所にはアリスとリンが並んで料理を作ることになった。
その後ろ。三人で机につきながらその光景を眺めていると、不意にライルが懐かしむように呟く。
「なんか、七年前を思い出すなぁ」
その頃は、まさか自分達が王都で冒険者をしているなんて想像もしていなかった。
ここにいる三人は幼少期から能力がずば抜けていたし、周りの大人達には冒険者や騎士団に入って活躍してもらいたいと思っていた人が多かったはずだ。
ただ、当時はまだ小さかったので、自分の将来のことなど考えておらず、あののどかで幸せな時間がずっと続くと思っていた。
だが、
「……うちは、やっぱり思い出したくないかな」
サラが珍しいことに、影のある表情でそんな心情を吐露する。
両親を思い出したくないわけではない。自分達が幼い頃からサラ、ライルの親とリン、シオンの親は仲が良く、よく遊んでいたからわかる。両家とも文句のつけようがない親だったと思うし、彼らに愛されていた時間は、時が経っても色褪せることなく、自分達の中でかけがえのない思い出になっている。
ただ、それでも
「村が滅んだ、あの日のことですね」
「……リンは今、うちらのことどう思ってんのかな?」
「くだらねーこと聞くなよ? それ聞いたら、きっとリン兄が責任感じるからさ」
「っ、……そう、だね」
共有する、"あの日"という地獄の出来事。
迫り来る害獣に成す術もなく殺されていった人々は、その遺体すら残らないものも少なくないほど徹底的に蹂躙された。
飛び散る血飛沫、腕、足、首。今でもそれらは、自分達にとって深い心の傷となっていることは間違いない。
だが、この三人にとって何よりもトラウマとなった出来事は、その後のリンとの関係性を一度粉々に破壊し、結果、リンは三人と離れ、その生死すら分からない日々が続いた。
自業自得だと、何度自分を呪ったかわからないほどの後悔を背負ったあの夜。自分達にとって一番大切な人を、最も残酷な方法で傷付けたのだと、理解した時には遅すぎて。
謝りたくて、元の関係に戻りたくて、側にいたいと願い彼を探し続けた日々。儚い希望に胸を焦がし、折れそうな心を奮い立たせ続けた。
この広大な王国内で、一人の人間を見つけるなんてことは奇跡に近いと理解していながら、諦めきれずにいたあの日々に思いを馳せ、そして今、目の前の幸せを噛み締める。
リン・アルテミスがいる、この幸せを。
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「な、なんだよ? どうした?」
料理が出来たので皿に乗せて運ぶと、三人がリンに何やら優しげな視線を送っていた。
「……いや、リンだなーと思って」
「………何言ってんの?」
「ふふっ、そのままの意味だよ」
上機嫌にそう笑うサラの真意が分からず、リンは首を傾げる。
「……いや、意味わかんないし。シオン? どうした?」
「いえ、ただ兄さんだなーと思ってました」
「え? お前も?」
何が言いたいのか本気で理解できず、ライルに視線を向けてみるが、不思議そうな顔をするでもなくそのままの顔で笑っている。
アリスをみても口元に手を当てて笑みを浮かべるだけだ。
どうやら理解できていないのは自分だけらしいが、考えても埒が開かないので頭を切り替えた。
テーブルに並んだ料理はどれも自信作だ。この森の山菜を中心に作ったが、サラは肉料理が好きなので道中狩ってきた動物の肉も使った。
調味料が限られているためあまり凝った味付けではないのだが、それでも素材がいいのかアリスの腕がいいのか、王都のレストランに負けないくらいのものになった。
リンたちは出来立ての料理に舌鼓を打ちつつ、アリスと最後にあった日から今日までのことを話して盛り上がった。




