後衛の戦い方
魔導士がパーティーを組んだ際の戦い方は、魔法の長い歴史の中で洗練されてきた。
一般的なものから少し変わったものもあるが、多くの戦法で共通している陣形が、パーティーの役割を『前衛』と『後衛』に分けるやり方だ。
『前衛』は主に敵との近接戦を想定しているのに対し、『後衛』の役割は遠距離戦に加え、前衛の援護も加えられる。
離れた場所からより広い範囲を視界に収めるため、基本的に戦況を見て指示を出したり、連携や戦術を選択するのも後衛だ。
前衛よりも複雑で、様々な役割をこなす後衛だが、実はパーティーを組む時、メンバー全員が前衛のパーティーはあっても、後衛だけのパーティーはあまり無い。
その理由は、後衛が使う武器で最も代表的なものが"杖"だからだ。
戦場の後方から魔法を展開することが多い後衛には、魔法の威力を増幅する杖が一番向いているためなのだが、これには欠点もある。
魔纒を展開すれば、剣でも棒でも、腕でも脚でも、それ自体が強力な武器になる。だが、他の魔纒と違い、杖は武器として使われるように設計されておらず、あくまで使用する魔法の威力を高めるための補助を目的として作られていた。
ただ、魔法は体内で魔力を練り、それを魔纒に通して放つという順序が踏まれる分、繰り出すまでに時間がかかる。振ればそれだけで攻撃が成立する他の魔纒より、攻撃を繰り出すまでにどうしても少しの差が出てしまうのだ。戦場において、その差は命取りになる。
接近戦の一切を捨てて魔法の強化をしている性質上、杖使いは後衛しか出来ない。
なればこそ、杖使いの戦い方は他の武器とは違い制限が多かった。故に、戦い方はほぼ一択だ。
"相手との距離を常に空け続けて、遠距離から攻撃を加えること"
殊更、十キロ離れた標的すら攻撃できるサラ・ローレンほどの使い手であれば、距離が離れれば離れるほど有利だ。
だが、敵が害獣ではなく魔導士の場合、当然相手もそんなことは承知の上での戦闘となる。パーティーで戦えば余裕ができるし、同じ杖使いであれば同じ条件で戦えるが、そうでないのなら懐に飛び込まれるのは必然。そうなった時、杖使いの行動はどうしても後手に回ってしまう。
だから、
「俺が、前衛をやる」
その弱点を埋めるために、リンはそう決断した。
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暖かな日差しが降り注ぐ、気温に似つかわしくない氷の戦場。その中で少年が震えているのは、凍てつく寒さだけが原因じゃない。
背後に庇ったのは、自身より余程頼りになる最強の幼馴染だ。庇うということ自体、烏滸がましい行為なのだろう。今すぐその後ろに隠れてしまいたい気持ちももちろんある。
そんな弱気をねじ伏せ、リンは二人の男と向かい合った。
「何だ? まさかあのカス、俺たちに挑もうとしてやがんのか?」
「それは、随分と馬鹿にされたものだね」
目の前で上昇する、都市全体に広がる膨大な二つの魔力。言うまでもなく、密度も量もリンとは比べ物にならない次元のものだ。
一瞬先の死を幻視するほどに、高まる殺気がリンを飲み込む。つい先ほどまでの決心を鈍らせる圧倒的な力量差を前に、気概がどれほどの意味を持つだろうか。
それでも――
(……大丈夫………大丈夫だ)
呼吸が乱れるのは、寒さのせい。
体が震えるのは、武者震い。
動悸が止まらないのは、興奮してるから。
そうやって自分自身にすら嘘をつき、都合の悪い事実からは目を背ける。本当は目を瞑って一呼吸置きたいが、攻撃への警戒からそれは断念。
その代わり、相手へ送る敵意は一瞬も止めずに、その眼光を強めた。
「………リン」
すぐ後ろから、自身を呼ぶ声がする。
声の主は振り向くまでもなく分かるが、その声に込められた感情は窺い知れない。心配しているようにも聞こえるし、怒っているようにも聞こえる。あるいは、その両方か。
何にせよ、サラにとって余り歓迎できる感情ではなかったであろうことだけは、確信をもって言えた。
「あんた、魔法使う気?」
そのままの感情で問いかけたサラに、リンは少し罪悪感を覚える。
元々、ここにくるまでの話し合いは、こういった状況を想定したものだった。だが、今サラにそれを言ったところで、素直に言うことを聞くようなことはないだろう。
だから、これはリンが勝手に決めた折衷案だ。
相手が二人とはいえ、幸いサラが手も足も出ないような状況ではない。だが、魔力の相性と、狭い戦場。そして、相手の連携が取れていることも含めて、サラにとって不利な条件が多すぎた。
せめて連携のアドバンテージを消すことが出来れば、勝てる可能性は飛躍的に上がる。
「そりゃあ、この状況だしな。………それに、サラが得意なのは後衛だろ? 俺じゃあシオンたちと同じようにはいかないけど、形には出来る」
強がってそう言ったはいいものの、実際は大分抑えめに言った言葉だった。
パーティーの前衛として数々の実績があるシオン達と、実力ですら遠く及ばないのに、そのうえ付け焼き刃の心得しかないリンでは、同じ前衛という言葉の中ですら違う意味になるほどに遠い存在だ。
そして、そのシオン達と同格の相手が二人。
先の戦闘から、見るからに前衛向きなゴズと、杖ではないとはいえ、後衛向きと言えるノーランの魔法はバランスもいい。リン一人では、万に一つも勝ち目はなかった。
だが、唯一リンが敵の二人に優位を保てているのは、その二人がリンの魔法を知らないことだろう。そこを突ければ、相手に隙を作ることもできるかもしれない。
「だから、俺が突っ込むのに合わせてくれ。いざとなったら――」
「……………」
あえて、その後に続く言葉を発しなかったリンに対し、サラは無言で応える。
それは、リンとサラの間にある関係性とは真逆の対応だった。サラとは信頼し合っている自覚があるし、言葉を交わさなくても意思が通じた経験も幾度もある。
だが、今の対応の理由をサラに問えば、『応えたくない』という答えが返ってくるだろう。
リンの言葉の意味を理解したサラの、ささやかな抵抗だと結論付けて、リンは意識を正面に戻す。
サラとのやり取りの間にも、ノーランとゴズは魔力を練り上げ、魔力の波動をより大きくしていた。
「覚悟は決まったか? カス野郎」
「丁度こっちも、魔力を練り終わったところだ。……一瞬で殺してあげるよ」
冷たい視線がリンを穿ち、心の臓と身体が凍てつく中、最後に一つ息を吐き、リンは震える脚に力を入れる。
視線を、意識を、剣先を、脚を前に向け、固い氷を踏み抜いて合図とともに重心を前へ。
せめて勢いそのままに、始まりくらいは自分から。
「サラ、行くよ!! ――――おお?」
そして、覚悟を決めて走り出した直後、後ろから伸びてきた足に、自身の足を引っ掛けられた。
「―――へ? ちょんっ!? へぶっ!!」
元々滑りやすい床だったこともあり、リンは心境とは裏腹に綺麗な転倒を披露する。
咄嗟のことに思考が止まる中、スローモーションのように世界が回り、状況を理解する前に地面に顔をダイブ。衝撃で右手に握りしめていた剣が離れ、氷の上を跳ねる金属音が虚しく響いた。
「――――」
「――――」
「――――」
「――――」
「――――」
敵味方関係なく、今この場にいる人間の反応は無言に尽きるが、理由はいくつかに分けられる。シーナはもちろん、敵の二人も呆気に取られて言葉を失う形での静寂だが、行動を起こした張本人、サラに関しては無表情のまま何を考えてるのか分からない。
そして、呆気に取られた時間を超え、思考が戻ってからも何が起こったかを理解するのに数秒。さらに、理解してからはあまりの暴挙に言葉を失ったリンの顔が、怒りと羞恥によって赤く染まっていく。
「〜〜〜っ!! サラァ! お前何しやがんばがあッ!?」
顔を上げ、猛抗議に振り向いたリンの額を、およそ人の体から出てはいけないような鈍い音を立ててサラの中指が撃ち抜く。
所謂、『デコピン』だ。
ただ、行為はデコピンなれど、その威力は鉄の棒でフルスイングされたのかと思うほどの衝撃だった。
立て続けに自身の身に起こった謂れのない激痛に、リンは頭の整理が追いつかない。意識が飛びそうになるのを何とか堪え、自身を見下ろす元凶へと視線を向けると、思っていたよりも理性的な瞳と目が合った。
「ったく、何一人で盛り上がってんの。あんたが出るまでもないんだよ」
呆れた口調で話すサラの様子は、普段と何も変わらない。日常的な範囲に抑えられた抑揚のない言い方は、ある意味この場には相応しくない緊張感のなさ。威圧感という意味では、広場に来る前に喧嘩した時の方が遥かにあったくらいだ。
リンより前に立ったサラは、リンを守るように水杖を構える。敵に向けられていた視線が、一瞬、リンよりずっと後ろで立ち尽くす少女を見た。
「適材適所。あんたは、あの子のそばにいてやんな。あんな不安そうな顔させてんじゃねー」
投げやりな台詞の中に、確かな気遣いを乗せたサラが、もう一度リンを見下ろす。シーナを一人にしてしまったことは、確かにリンも憂慮していたことではあるが、それも今の状況を鑑みた結果だ。
「い、今はそんな場合じゃないだろ!? そもそも、俺なんかがそばにいたって何も――」
「そばにいるだけでいいんだよ」
リンの言葉を遮り、サラははっきりとそう告げる。まるで、それを確信しているような口振りで。
「強さなんか関係ない。大事なのは信頼でしょ? あの子の不安を取っ払えるのは、あんただけだよ。………それは、うちには出来ないことだから」
言葉だけを聞けば、自身の無力を嘆いているように取れるが、違う。その声に宿るのは、どこか誇らしさを感じるような温かい響きだ。
柔らかい声音でリンを誇ったその口で、サラは自身の役割をこう表した。
「それに比べれば、こっちの方がよっぽど楽だ」
********
「よっぽど楽? 何言ってやがんだオメェ。状況分かってんのか?」
苛立ちを表したゴズの呟きが、冷え切った空気を一層凍えさせる。
その圧力は、構成員の全員がS級と称される《九鬼》の一角を担う存在として、名に恥じない存在感を感じさせた。
軍事大国であるリガレア王国の魔導士達ですら、対抗できる者は一握りだろう。それこそ、冒険者ならS級以上の実力が求められる。
それが、二人だ。
「流石に本気じゃないだろうけど、強がりにしても現実的じゃないね。この都市じゃあ、僕ら相手に戦力になるのは、君たちのパーティーだけだ。外壁の二人が動けないのは分かってるだろ?」
無表情は崩さないまでも、声に挑発的な響きを含んだノーランを、サラの感情を感じさせない視線が穿つ。
「うるせーな。テメーらなんかうち一人で十分だって言ってんだよ」
「………強がりもここまでくると、いっそ尊敬するよ。だから一つ教えてあげるけど、君の魔法には致命的な弱点がある」
「あ?」
一度言葉を切ったノーランが、サラと魔法の応酬を交わした場所に視線を向ける。そこにあるのは、サラが展開した全ての水魔法が、例外なくノーランの氷魔法によって、その時を強制的に止められた様子だ。
だが、ノーランが注目したのは状態ではなく、凍った魔法の形状だった。
「攻撃魔法を使いながら、防御魔法を同時に展開できる魔導士はそういない。それも、両方とも高い水準を維持しながらだなんて、流石は《天名会》だ。攻防自在の水魔法。それが、君の最大の強みだよね」
並べられる言葉は、全てが賞賛するものばかり。実際に情報としてそれらを聞いてみれば、サラの魔導士としての力量がとてつもなく高いことは明らかだ。
それでも、ノーランはその先の言葉に、「けど」と前置きをする。
「それはあくまで、格下が相手ならの話さ。君の魔法は確かに強力だけど、僕らなら対応できる範囲だ。君の攻撃は僕が防げるし、君の防御はゴズが破れる。そうなった時、どちらも中途半端な君の魔法は脅威じゃなくなるんだよ」
冷たく言い放つノーランに萎縮した様子はなく、勝ちを確信しているその態度からは、出鱈目を言っているようには見えない。
竜の硬い鱗すら貫いた攻撃も、竜が放った巨大な炎すら防いだ防御も通じないと、そう言っているのだ。
実力が同じなら、一芸に秀でた者がその分野で有利になるのは、必然とも言えた。
「ガハハハハッ! まあそーいうこった! そもそもオメーは二つ名も微妙だよなぁ。他の奴らが『剣聖』、『怪炎』ときて、『万能』だ? ダッセェな、普通すぎんだろ!」
「ふっ、確かに。要は器用貧乏ってことでしょ? 魔力の相性次第で、万能は無能に変わる。そのうえ、あんな足手纏いまでいるんじゃ――」
「ごちゃごちゃうるせーな」
そんな侮蔑の言葉を断ち切り、サラがそう切り返す。
瞳に熱を灯し、戦意を昂らせ、それでも集中は乱れることなく。深く、細く、剣の切先のように鋭い視線が敵へ向けられる。
それは、これまで余裕を見せていた二匹の鬼を、一瞬怯ませるほどの殺気で――
「喋ってるヒマあったら気ぃ張りな。あんたらが相手してんのは、《天名会》だぞ?」




