杖と水晶
大都市の中でも有数の、人通りの多い道を歩く少女二人と少年一人。遠目から見れば仲睦まじい兄妹か、もしかしたら家族連れにも見えるかもしれない。
だが、すれ違う人々が三人の様子を見た時に感じたものは、断じてそんな微笑ましものではなかった。
水色の髪をかきあげ、美しく整った顔に鬼の形相を浮かべる少女は、不機嫌のお手本のような歩き方で足を進める。
その後ろでは、何かに怯えているように体を震わせ、血の気の引いた青白い顔でおぼつかない足取りの少女を、少年が寄り添いながらゆっくり歩く。
誰もが視線を奪われ、誰もが気を向けてしまう三人の様子に、しかし誰も声をかける様子はない。
主な理由は二つ。
少女に寄り添っている少年が騎士服を着ていたことと、不機嫌な少女が《天名会》であったこと。主に後者の理由が原因だ。
騎士がいるなら事件性はないだろうし、気が立っていると分かっているのに、わざわざ虎の尾を踏みにいく人間はそういないだろう。
そのせいもあって、三人は目的地までの道のりを、誰にも声をかけられることなく進む。だが、それもあって無言に耐えられなくなった少年が、目の前を歩く少女に声をかける。
「なあ、悪かったって。機嫌直してよ」
だが、見つめる背中は振り返るどころか、返事すら拒絶するように無視を決め込んでいた。
少し引っ掛かるものを感じながらも、ここで怒っても何にもならないと気持ちを抑えるリンは、サラの説得を続けるが、
「サラ。さっきは俺が悪かったよ。ごめんって」
「…………」
「そりゃあ、他に言いようがあったんじゃないかって、今なら思うけど」
「…………」
「配慮がなかったというか……うん。考えが足りなかったなって」
「…………」
「…………」
なおも無視するサラに対し、流石のリンも額に青筋を浮かべたところで言葉が途切れる。そもそも、サラは散々無茶な冒険をしているくせに、ここまで怒られるのは少し納得がいってない部分もあった。
口を尖らせ、自身も拗ねていることをアピールしても、見られていないのでは意味もない。
だが、
「………けど俺、言ったことは間違ってねーし」
「あ゛あ゛ん!?」
今までどれだけ話しかけてもなんの反応も示さなかったサラが、リンがぼそりと言った言葉に大きく首を振り向かせた。
ようやく見れたサラの顔だが、反応はリンの想像以上に最悪だ。シーナの手前、早めに仲直りするに越したことはないが、リンもこれ以上下から目線で行くのは限界だった。
「リンてめえ! 全く反省してねーじゃねーか!!」
「してるわ! 確かに伝え方は悪かったよごめんって何度も謝っただろ!」
「そんな事言ってんじゃねーよ! 自分を大事にしろって言ってんの!」
「もうそーゆう次元の話じゃないんだよ! もしもの時のことは考えておくべきだろ!」
「ざっけんな! もしもなんてないんだよ!」
「分かんないだろ!? じゃあそうなったらさっき言った通りにしてくれよ?」
「嫌に決まってんじゃん!」
「どうしろってんだよ!? 駄々こねてる場合じゃないんだよ!!」
お互い、完全に糸が切れた状態で言い合い、相手の主張を真っ向から否定する。感情と、理論的に見せかけた感情のぶつかり合いだ。
だが、繋いだ手から伝わる力が少し強くなったことで、リンは少しだけ冷静さを取り戻す。
下を向き、今にも泣き出しそうなシーナの様子を確認した瞬間、リンは慌てて腰を落とし、シーナより視線を低くした。
「……ま、また喧嘩してる。仲直りするって言ったのに」
「ちっ、違うぞ!? シーナ、これはなっ、えっと、そう! 喧嘩するほど仲がいいってやつだ!」
「…………なに? それ」
未だ沈んだ表情のまま、シーナは半分信じていない声色でリンと視線を合わせる。
「知らないかー! まあでも、付き合いが長いと喧嘩はしちゃうんだよ、やっぱり。けどそれは、相手に気を許してる証拠ね。だから、俺とサラは喧嘩するけど、その分仲がいいってこと」
「けど、リンって私とは喧嘩しないよ?」
「無理にすることでもないから! それで俺とシーナが仲悪いってことにはならないよ。そのうちしちゃうかもしれないけどな」
あえて明るい声、笑った顔を意識して、シーナの心配緩和に努める。道化であることは自覚してるが、これはリンが唯一任された特別依頼の一部だ。シーナを守りたいからと言って、我を忘れて言い合いなどしてしまった事は反省しきり。
ただ、こんな子供騙しの空元気で誤魔化されてくれるのかという心配はあるが。
「…………そのうち」
「ん? どうした?」
「……んーん。なんでもない」
思ったより手応えを感じるシーナの反応。笑ってはいないが、心なしか嬉しそうな顔をしている気がする。
どの言葉が琴線に触れたのかは不明だが、結果オーライということで、サラとも視線で手打ちの相談を済ませる。
「サラ。そーゆうことだから、今は――」
「皆まで言わなくていいよ。………うちも、少しだけ感情的になっちゃったから」
「少し?」という言葉を喉のギリギリで止めて、話し合いとは呼べないぶつかり合いはとりあえずの収束を迎えた。何も解決していないことには目を瞑り、その場の空気を優先した年長者二人とも、お互いに譲ってのことだったので憂いは残ったが、三人は再度目的地に向かって歩き始めた。
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城塞都市ルジャの中心部。そこは、円形に形取られた広場になっている。その日は休日だったこともあり、広場は多くの人で賑わいを見せていた。
家族連れが行き交い、子供が駆け回り、ベンチでは老齢の夫婦が会話に花を咲かせているような、どこにでもありふれた光景がその場に広がる。
それを見たリンは、少し拍子抜けしてしまった。
戦闘はないとは聞いていたが、ここまで平和的 だと気を張り続けるのも難しい。とてもじゃないが、世界屈指の犯罪組織がたった今も関わっているとは思えなかった。
「あった。あそこだ」
ただ、そんな憩いの場でサラが指差したのは、ある一箇所を中心に人が円を描くように集まっている場所だった。
側から見ればサーカスのショーでも見ているように見えるが、リン達のいる場所からではその中心は人に隠れていて、彼らが何に群がっているのかは分からない。
「何を見てんだろ?」
「何か、気持ち悪い感じだけど。実際に見てみるしかない……かな」
「………そっか」
少しギクシャクした空気の中、そう言って歩き出したサラに、シーナと手を繋いだリンも続く。周りがざわつき始めたのは、それからすぐだった。
「………え? おいっ、あれってサラ・ローレンじゃないか?」
「はあっ!? い、いや、マジだぞ!? 何でこんなところにっ!」
子供の声が響くとは言え、初めは静かな様子を見せていた広場だが、徐々にサラを見つける人が多くなり、誰かが叫んでからはその興奮が爆発的に伝播した。
思い思いに過ごしていた広場の人々は、サラが現れたことで一様に注意を向ける。それは何かを囲んでいた人も例外ではなく、サラが向かってくることを察知した時には誰に言われるでもなく道を開けた。それにより、見えなかった目的のものへの道が確保される。
そこを抜け、人の輪の中心に辿り着いたリンが、それを見た時真っ先に感じたのは、理解の及ばないものに対する不信感だった。
「………何だ? これ」
簡単に言えばそれは、地面に垂直に立っている杖だった。
サラが持っている杖よりも小さく、シーナの身長よりも少し低いくらいのもの。杖頭には白い水晶がはめられていて、それ自体は魔導士が持っているようなありふれた見た目の杖。
異質なのは、それがひとりでに立っていることだ。
誰かが支えているわけでもなく、地面に突き刺さっているわけでもない。ただ、その杖はそこに立っていた。
風が吹けば傾きそうな見た目の杖だが、直立する姿は安定していて、倒れる想像すら出来ないことには不気味な心象を与えられる。
「ただの杖………だよな?」
「リン。待って」
近付こうとするリンに向かって、サラは緊迫感のある声で止まるよう呼びかける。
振り向いたリンが見たのは、真剣な眼差しで杖を睨みつけるサラの姿だ。
ここまで真剣な顔をするサラは珍しい。害獣の大群が来たと、そう言われたギルドでの様子より切迫した空気を感じる。
そして、観察するように、どこか畏れるように杖を見つめた後、サラがとった行動に、リンは呆気にとられた。
「『魔纒器合 水杖』」
「え?」
「『水魔法 錐波乱』」
止める暇もなかった。サラの水杖から放たれた膨大な水が円錐の形に固定されたかと思えば、次の瞬間には目の前の杖へと一直線に飛んでいく。
水魔法とはいえ、その圧倒的な物量を誇る魔法は、並の風魔法とは比べものにならないほどの速度で打ち出された。当然、それに比例して威力も上がる。普通に考えれば杖など粉々に粉砕し、その後ろの建物に甚大な被害を及ぼすことは必至だ。
普通であれば、そうなっていた。
サラが作り上げた凶器とすら呼べる水の塊は、杖にぶつかる直前、上に付いていた水晶に"吸い込まれる"ように消えた。
「…………………は?」
目の前で起きた現象に、リンは理解が追いつかない。呆然と立ち尽くし、時間をかけて今自身の目を通った映像を解析するが、今まで培ってきた知識や常識のどれもが理解不能だと叫ぶ。
「………やっぱり、『無属性魔法』か」
しかし、隣で同じものを見たサラは、納得したように一つの結論を口にした。
「無属性魔法?」
「あんまり有名じゃないんだけど、『幻界魔導』の一つに『無ノ魔纒』ってゆうのがあって、その魔力がこの水晶に込められてるみたい。無属性魔法はちょっと特殊でさ、それ自体に攻撃力はないんだけど、その魔力の中に他の魔力を吸収することができるの」
混乱するリンに、サラは無属性魔法の特徴を話しながら、視線は杖から一度も離れない。
その反応が、リンが考えている以上にこの魔法が危険なのだと言われている気がして、しかしだからこそ解せない疑問はある。
「防御特化みたいな魔法か。でもそれだと、あんまり危ないようには聞こえないけど?」
「あくまで、無属性魔法で吸い取った魔力ってのは消えるわけじゃなくて、その魔法の中に留まってるだけなんだよね」
「つまり?」
「魔法を解除したら、そこに溜まった魔力は行き場を失って一気に暴発する」
「っっ! シャレになんねえって!」
続けられたサラの説明を聞いて、ようやくリンはこの魔力の危険性を理解する。
"四元の魔力"の中で、最も防御力に特化しているのは土の魔力だが、その理由は単純明快な硬さにある。相手の魔法の威力を殺し、完全に消滅させることを目的とした魔法で、シンプルであるからこそ悪用もしづらい。
対して、無属性魔法がサラの説明通りの魔法ならば、その魔力を込めたこの杖の危険性は相当なものだ。仮にこんな人が多いところで魔力が消えたら大惨事になりかねない。
「けど、それって吸収できる魔力にも許容量はあるだろ? さっきのサラの魔法も受けたし、もう結構いっぱいいっぱいなんじゃないか?」
「今の魔法で決壊するなら楽だったんだけどね。………正直、全く満たされてる感じはしないかな。許容量って意味なら、うちが今ある全魔力をぶち込んだとしても全然足りないと思う」
「――――」
今度こそ、リンは絶句した。
先程の魔法だけでも、この広場一帯を吹き飛ばせるだけの威力はあった。それを受けてなお、全く満たされることはない許容量。その全てが埋まるほどに魔力が溜まったら、どれだけ破滅的な爆弾になるのか想像もつかない。
「それに、魔力を使わないで動かす事も出来なさそう」
杖に近付いたサラがそれを握り、力を込めて引っ張る動作をする。
優れた魔導士になるには、魔法だけではなく身体能力も優れている必要がある。まして《天名会》にもなれば、A級の害獣程度なら魔法を使わずに倒せる程度の実力は最低条件だ。
そのサラが力を込めても、その杖はびくともしなかった。引っ張る動作にかかる力の強さは、地面に沈んだサラの足が物語っている。
「っっ! じゃあこの中に、シーナの魔力が吸われ続けてるっことか?」
水晶に手を添え、何かを確かめるように何度か輪郭をなぞった後、サラは確信した様子ではっきりと口にした。
「間違いないね。今も、シーナの魔力は少しずつこの水晶に吸収されてる。まぁ、まだ許容量には満たないし、全然抑え込める程度だけどね」
「何で、こんなこと……」
「うちにも意味は分からない。けど、どうせ碌な理由じゃないよ」
吐き捨てるように言い放ったサラの心境に、今一番共感しているのはリンだろう。
意図は分からない。だが、世界的な犯罪組織である九鬼が、無駄なことをする訳がない。そんな最悪の信頼が、リンの危機感を引き上げた。
「ッッ、すみません。この杖っていつ誰がここに置いたのか分かる方いますか?」
そこでリンは周りを見渡し、周囲にいた人にそう問いかける。
これは明らかに人為的に置かれたものだ。――もっと正確に言うならば、《九鬼》の関与が最も疑わしい。
だが、珍しい形ではないとはいえ、こんな公共の場所に杖を置いたら目立つはずだ。人はまばらでも少ないわけではなく、そこに集まっているだけでも四十人はいる。
周囲の人間はそれぞれ顔を見合わせた後、その場を代表するように一人の男からリンへ結論が伝えられた。
「それが、誰も分からないんです。気付いたらここにこの杖があって。私は杖が現れた当初からここにいますが、その時に集まっていた人も誰も見ていないと言ってました」
「誰も? そんな事が――」
「出来ない事はないんじゃない? この場の誰も意識下にない時に杖置くだけなら、うちでも出来る。………狙ってやるなら、相当な実力者じゃないと無理だろうけど」
思うような答えを得られず、舌打ちしたくなる気持ちを抑える。右手で掴んでるシーナを見れば、ここにくる前と変わらない怯えた瞳が揺れていた。
一刻も早く解決してしまいたいのに、これでは手掛かりすら掴めない。逸る気持ちは苛立ちとなり、リンから余裕を奪っていく。
「くそっ! 本当に後手に回ってる。これじゃあ何が目的かも………」
「まあ、それに関しては―――置いた本人に聞いてみようか」
その時、逸るリンの目の前で、サラの魔法。『水縛鎖錠』が奔った。
「――――っっ!?」
瞬きの間に、水の鎖は少し離れたところにいた一人を拘束し、その場にひれ伏させる。あまりに突然起きた状況の変化に、リンに限らずその場の全員が呼吸すら忘れるほど呆気に取られた。
フードを被っているため顔は確認できないが、漏れた苦悶の声は男のものに聞こえた。その男を鋭い視線で見下ろしながらサラが近づき、話す。
「ねえ、あんたでしょ? あの杖置いたの」
確信に満ちた、その言葉を。




