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【2.000pv感謝!】底辺騎士が紡ぐ物語 〜英雄になれなかった少年〜  作者: 達磨 紺紺


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人魚の鱗


「うわぁー!」



 ルジャの大通りで、少女の感嘆の声が上がる。


 そこは、この都市でも有数の人通りがある市場だった。左右で展開する露店の店頭には、食べ物や作り物の玩具が並び、見る人を楽しませている。


 そんな中でも一際大きな感動の声を上げたのが、冒頭の声の主であるシーナだ。右に左に、時には上にと視線を縦横無尽に向けていくその姿は、子供という事を差し引いても異常なほどの興奮が見える。


 見た目は十歳前後なのだが、まるで露店を初めて見たような反応は随分と幼い。だが、それを指摘して、せっかくの楽しそうな表情に影を落としかねないような事をしようとは思わない。


「ちょっと見てく? 時間は余裕あるし」


「うん!」


 目を輝かせながら今にも走り出しそうなシーナが、リンの提案に首を大きく縦に振る。


 ギルド支部で諸々の話し合いと手続きを終えたリン達は、リン、シーナ、ライル、シオンの四人で外へ買い物に出る事にした。

 一番の目的は、シーナの服を買う事だ。いつまでもボロボロなものを着せ続けるのは忍びないが、冒険者協会に少女用の服が置いてあるわけもない。


 軽い湯浴みだけは済ませ、護衛も含めて四人で出かけたはいいが、リンが後ろの二人の知名度を失念していた事に気がついたのは、外に出てすぐの事だった。


 行く先々で視線を集め、今でも遠巻きにリン達に向く視線が背中を指す。話しかけようとそわそわとした空気が伝染して落ち着かない思いをしながら、シーナの後をついて回るようにして散策を続けた。



「リン! あ、あれ、何?」


「ん? あぁ、あれは飴。舐めると甘くて美味しいんだよ」


 シーナが指を刺したのは、短い串の先に飴が付いているシンプルなものだが、リンの言葉を聞いたシーナの視線はそれに釘付けになっていた。


「食べてみる?」


「あっ、………で、でも…………お金、持ってないから………」


 残念そうに視線を下に向けるシーナに、リンは一瞬呆気に取られた。買ってもらうという発想がない事に気が付くと、少しの胸の痛みを覚えながら、リンは露店の男に声をかける。


「すみません。飴四本貰えますか?」


「おう。千二百ギールだ。毎度あり! ………なぁ、騎士の兄ちゃん。後ろのお二人とはどんな関係だ?」


「幼馴染です。今は一緒に仕事をしてて」


「なっ!? ま、まじか! ………すげぇな、兄ちゃん」


 元気な声と共に、露店の店主である口髭を生やした中年の男は、好奇心に負けた問いと共に飴を四本リンに手渡す。その分の金を支払い、シオンとライルに一本ずつ渡した後、


「シーナ。ほら」


「………え? け、けど……」


「いいんだよ。シオンとライルにもあげただろ? こーゆうのはみんなで食べるものだから」


 そう笑いかければ、戸惑いながらもその手を伸ばしたシーナが、リンから飴のついた串を受け取る。

 尚も躊躇するシーナの前で、リンは飴に口をつけた。固い表面に舌を這わせれば、味覚を甘く刺激する予想通りの味が口に溶ける。

 続いてシオンも舐め始め、ライルはバリバリと音を立てながら齧り付いた。


 それを見て、恐る恐ると飴に口をつけたシーナの表情が、即座に変わったのをリンは見逃さない。

 目を見開いたかと思えば、次の瞬間にはパチパチと瞬きを挟みながら、信じられないものでも見たかのように手に持つ飴を凝視する。

 口角こそ上がらなかったが、明らかに表情が柔らかくなり、目に映る感情に驚きと歓喜が浮かんだ。


「美味い?」


「う、うん! ……美味い」


「ふはっ!」


 言葉を返すも、視線は未だに飴に釘付けだ。その様子が可笑しくて少し笑ってしまったリンに一瞬視線を向け、もう一度飴に口をつけたシーナの意識が再度飴に向く。

 意識の行き先が行ったり来たりと忙しなく動く様子は、子供が興味を持ったものに対するそれだ。どこにでもある普通の子供のような反応に、リンが今度は自然に笑みを溢した。


「………今まで、どんな環境で育ってきたんでしょうね」


 リンの隣に並んだシオンが、シーナに聞こえないようにそう声をかける。

 リンもそれは考えていたことだ。シーナくらいの歳になれば、ただの飴にここまでの反応はしないだろう。飴というのは特別珍しいものではないのだが、シーナはどうやら飴の存在自体を知らなかったし、通りに来てからの反応が大きすぎる事にも違和感があった。


「もしかしたら、彼女は故郷で――」


「シオン」


 きっと、リンとシオンの考えている事にあまり違いはない。それを確信して、リンはシオンの話を遮った。


「もしそうなら、だからこそこれからの人生で、そんな記憶が塗り潰されるくらい、楽しい経験を積ませてあげたい」


 リンの想像が正しければ、それは子供が経験するにはあまりにも辛いものだ。口にするのも、耳にするのも憚られる。出来る事なら、この話はあまりしたくなかった。


「……なぁ、ライも―」


「ふぉ?」


 振り向き、ライルの顔を見たリンが、分かりやすく絶句した。


 今さっきまで飴に齧り付いていたかと思えば、今は両手一杯に食べ物を持ち、口に頬張っているところだった。


「…………満喫してるな」


「ングングっっ、んっ! いや、飴食ったら腹減っちゃって」


「どうゆう原理ですか……」


 兄妹揃って呆れ返った声を出すが、ライルの意識は既に食べ物に夢中だ。左手に器用に抱えた多くの串を右手で摘んで口に運び、揚げ物から甘味まで一貫性のないそれらが次々にライルの胃袋に消えていく。


「ふおぉぉ!」


 そんなライルの様子を目を輝かせて見るシーナは、右手に飴を持ったまま感嘆の声を上げた。

 子供のような反応を微笑ましく思う反面、今のライルに羨望の視線を送ってしまうところには複雑な心境を禁じ得ないのがリンの気持ちだ。


「お? なんだガキンチョ。一本食うか?」


 リンの内心などお構いなしに、ライルとシーナの交流は続く。一瞬の間をおいて、シーナが首を縦に振ると、ライルは抱えていた食べ物の中から揚げ物の串を一本渡した。


 肉を揚げた独特の香ばしい香りが漂い、見ていたリンやシオンの食欲も刺激されるが、渡されたシーナへの効果はそれ以上に絶大だったようだ。空いてる左手でそれを受け取り、まじまじと見つめたかと思えば、次の瞬間にはそれに齧り付いていた。


 様子を見守っていたリン達の前で、その顔がまたしても驚愕に染まる。一口目を食べてからは止まらなかった。


「かはっ! いい食いっぷりじゃねーか」


 いっそ気持ちがいいほどに目の前の揚げ物に夢中になっているシーナを、ライルが笑う。それは侮蔑を孕んだものではなく、ただ純粋に愉快を音にした声だ。


 幼馴染四人の中で、一番童心を忘れていないライルと、童心真っ只中のシーナの意外な相性の良さを感じれる一幕。気を抜いていたリンに向けて、シーナがライルに貰った串を掲げた。


「リン、ひとくちあげる」


「なっ!?」


「ん? いいの?」


 声をかけられたリンより一拍早く、シオンの動揺した声がその場に響く。少し気になったが、緊急事態にしてはライルが無防備なままな事もあり、あまり気にすることもなくシーナの串から歯を使って肉を引き抜いた。

 口に入れると、ジュワッとした肉汁が中で溢れ、辛めの味付けがいい塩梅。


「んん、うまい。ありがとな」


「んふふぅ」


 そう言って頭を撫でると、満足そうに笑うシーナが、リンの手に頭を擦り付けてきた。湯浴みで艶を取り戻した絹のような髪が、何とも言えない心地よさをリンに与えてくる。


「………むむぅ」


 そんなシーナとは対照的に、その横で頬を膨らませているのがシオンだ。理由は分からないが、どこか機嫌が悪いらしい。


 だが、ここでその理由を聞いたら面倒なことになると、リンの記憶が警鐘を鳴らす。本気で怒っている訳ではなさそうなので解決を後回しにしようと決めると、余計に拗ねたのか、シオンが睨みつけるように視線を鋭くした。


 そんな一幕を挟みつつ、リンは一行を目的地へと促すために声を上げる。


「ほら。あんま寄り道してると遅くなるし、そろそろシーナの服買いに行くよ」





                 ********






「…………こ、ここに入るのか?」


 ソクロム曰く、一番近場で、かつ品揃えが豊富なのが目の前の洋服店、《人魚(にんぎょ)(うろこ)》らしい。ただ、そこに辿り着いたリンの第一声を正確に捉えるなら、『圧倒された弱者』のそれだった。

 騎士服が基本の騎士団に所属している事もあって、あまり服に金をかけないリンは、普段行っている洋服店とは別の何かである目の前の店を見て腰が引ける。


 リンの知る洋服店の数倍の規模を誇るその店は、豪華絢爛とは言わないまでも、無駄なもの全てを削ぎ落としたような質実を突き詰めた外観だ。言ってしまえば、『完成された簡素』とも表現できる。少なくとも、普通の給金のものであれば、入るのも憚られる場所であることは間違いない。


「聞いたところによると、この都市でも一番人気の店がここらしいですよ。値段は高めですが、私とライルなら問題なく払えます」


「………いや、流石にそれは俺が払うよ」


 当たり前のように自身の懐を開こうとするシオンの言葉に、リンが待ったをかける。シーナの保護を決めたのはシオンの言葉からだが、元々はリンが望んだ事だ。この上、シーナの服代までシオン達に出されるのは気が引けた。

 要はプライドの問題なのだが、覚悟を持って話したリンを、シオンとライルがなんとも言えない表情で見つめる。


「……に、兄さん? 無理しない方がいいですよ。ここは本当に高いらしいので、その………兄さんのお給料では――」


「そうそう。騎士団で一番下の給料なんてたかが知れてんじゃん」


「お、お前らあんま舐めんなよ!? これでも十分貰えてんだからな!」


 言葉を濁すシオンと、言葉を選ばないライルが種類の違う痛みをリンに与える。

 シオン達の言うように、リンは騎士団の中で下から一番の地位だ。当然、貰う対価も一番下である事は言うまでもない。

 だが、腐っても騎士団という、リガレア王国の軍隊として取り扱われる組織だ。まだ十七歳という年齢を見れば、同年代の平均より貰えている方だろう。


「それに、俺は貯金だってしてるし。高いっていっても服だろ? 二、三着買うくらい余裕だって!」


「リン兄。それ、フラグだぜ?」


 何かを誤魔化すかのように高揚するリンとは対照的に、冷静な指摘をするライルの構図は珍しい。普段とは違う立ち位置を意識した事から、普段よりも落ち着きがない事を自覚するに至ったリンは、一呼吸置いてから店の入り口に手をかけた。



 木製の扉を開いた先、その店内は、リンが想像していたものとはかけ離れたものだった。


 今度は簡素な外観とは違い、赤を基調とした高級感を全面に押し出した内装がリン達を迎える。


 敷かれた絨毯。壁には絵画。派手なカーテン。テーブル。鏡。その全てが、只人たるリン・アルテミスに対し、場違いであると主張するような存在感を放っていた。

 少し前の気概も忘れ、ただ圧倒されるだけのリンと、似たような顔をしているシーナの前に、質の高いタキシードを纏った男が来て頭を下げた。


「おやん? 初めましてのお客様ですねん。いらっしゃいません。この店の店主を務めております、【チャイルズ・ルビエル】ですん。本日はどのようなご用件でしょうかん?」


 顔の左側にのみ伸びる独特な茶色いヒゲや、左目だけにつけているモノクルなど、その容貌は人の目を引くのに十分なインパクトがあるが、それに気付くのが遅れるほど、その動きは美しく、無駄のないものだった。

 洗練された動作は、それだけで見るものを魅了する。完璧な所作と、ややクセのある口調で話しかけてきたチャイルズに、リンは自身の作法に不安を覚えつつ、今日の目的を思い出す。


「あっ、ああ、すみません。この子に合う服を探してるんですけど、どんなのがいいですか?」


 そう言って、リンは隣に並んでいたシーナを前に出す。だが、チャイルズを見たシーナは怯えたようにリンにしがみつき、顔を引き攣らせていた。

 それは、ギルド支部でソクロムに会った時の反応に酷似している。ここに来るまでの道中でも、シーナは初対面の人に話しかけるような事はなかったし、極度の人見知りである事は疑いようがないだろう。

 シーナが育った環境を想像すれば、それを責める気にはなれない。だが、相手がその態度にどう感じるかはまた違った話だ。事実、ソクロムは初めその様子に一歩引いていた。


「ん〜〜?」


 だが、チャイルズの反応はむしろその逆。顔をシーナに近付け、値踏みするようにその全身を瞳に映した。

 いや、どちらかと言えば、目を引くボロボロになった服にはあまり関心を示さず、シーナの表情を見ている印象だ。

 人によっては無遠慮にも見える行動にリンが身構えるが、チャイルズは直ぐに姿勢を戻し


「………いえ、自分で選んでいただけますかん」


「え?」


「正確には、この子本人に選んでいただきますん」


 そう、拒絶の言葉を口にした。


 丁寧な言葉の中に有無を言わせぬ圧力を感じ、リンの腕の中でシーナの体が少し震える。だが、その声に敵意や悪意は全く感じず、リンはどうするべきか一瞬戸惑い、助けを求めるようにシオンへ振り返った。

 その意図を察したシオンが一歩前に出て、リンの横からチャイルズに問いかける。


「チャイルズさん。それはどういう意味でしょうか? この店の店主である貴方の方が、この子に合った服を選べるのでは?」


「確かに、ただ似合うだけの服なら、私が選ぶのがいいのでしょうん。実際、デートで着ていく服を選びたいという方々の服を、私が厳選することもありますん。ただ――」


 そこで一度言葉を止めて、チャイルズはもう一度シーナを見る。


「それでは何も面白くありません。この子自身が選ぶことに意味があるのですん」


 何の遠慮もなく、客に対してそう言ったこの店の店主は、絶対的な自信を覗かせた態度でそう告げた。

 その声には、良くも悪くも確固たる意志が見え、これ以上何かを言おうとそれを曲げる事はないだろうと、リンは初対面でありながら確信できてしまう。


 だが、その理由は聞いても理解できるものではなかった。服の事に疎いとはいえ、リンとしては似合うに越したことはないと思うし、ここまで拒否する意味が分からない。彼がシーナの態度に不快感を覚え、助ける事を拒否したのではないかとすら邪推してしまう。


 元に、シーナはその顔に不安を強く出し、リンを見上げる瞳は今にも泣き出してしまいそうだ。


「チャイルズさん。それは――」


「な、何だその汚いガキは!!?」


 抗議の意味も込めたリンの話は、唐突に上がった第三者の声に塗り潰される。反射的にそちらを見れば、屈強な五人の男付き従えた小太りな男が、シーナに侮蔑の視線を送っていた。

 驚きと怒りに我を忘れているのか、顔は紅潮し、少女を睨みつける鋭いブラウンの瞳は、その内心を言葉よりも雄弁に送っている。だが、所作の随所に気品を感じるのは、誇り高い身分としてその生涯を生きてきた証だろうか。


 そして今度はその冷たい視線の温度を熱くして、咄嗟にシーナを庇うように前に出たリンを睨みつけた。


「おい! そこの騎士! 貴様ここが何処か分かっているのか!? 貴族も通うこの店に、そんなガキを連れて来るなどどうゆうつもりだ!!」


 裏返るほどに声を張り上げて相手を糾弾する様は、怒りを通り越して発狂に近い。殴りかかってこないだけマシだと思えるほどの狂気をぶつけてくる相手を、リンは静かな面持ちで受け止めた。


「………ここには、この子の服を買いに来ました。貴族でなければ入れないだなんて決まりはないはずです」


「うるさい! たかが騎士ごときが僕に意見しているのか!? 打ち首にするぞこの愚図が!!」


 話をしようとするリンに対し、返ってきた罵倒が、会話をする気がないと言外に伝える。頭に血が上り、悪意そのものを言葉に乗せたその男に、自然とリンの視線が厳しさを増した。

 ――だが、その背後に急速に膨らんでいく危険な気配を感じ、一瞬前の感情全てを忘れて意識をそちらに引っ張られる。


「なんだあいつ………焼き殺してやろーか」


「何を言ってるんですか………斬り殺しましょう」


 聞こえてくる物騒な言葉は、普段であれば聞き流すような冗談にしかならないものだが、この場において、リンはそれが冗談だとは思えない。

 尚も膨らむ威圧感に息が詰まりそうになりながら、背後の二人に目を向ける。そこにあったのは、ギルド支部で見た最悪の光景をより酷くしたものだった。

 燃えるような怒りを全面に押し出したライルと、氷のように冷たい殺気を放つシオン。対極のようで同一である負の感情は同じ場所に向けられ、際限なく大きくなる圧が男を射抜く。


「っっ!?? なっ、何だお前ら!? 僕はモーカ家の子息だぞ!?? ラドリア・モーカの名前なら聞いた事ぐらいあるだろう!! それが僕だぞ!? この都市の貴族だ!!」


「………モーカ?」


 聞き覚えのある名前に引っ掛かりを覚えたシオンが、怪訝そうに復唱する。それをどう捉えたのか、ラドリア・モーカと名乗った男は口角を釣り上げ、いやらしい笑みを浮かべながらシオンに脅すように声をかけた。


「何だ? やっぱり貴族の権力は怖いか。それに、見たところお前達は冒険者だな? じゃあ僕に逆らわないほうがいいって分かるだろ。何せ僕の兄は、この都市の冒険者協会支部長、ナルク・モーカなんだからな!」


「やっぱり。…………どういう教育をしてるんですか」


 呆れたように呟いたシオンの声は、興奮しているラドリアには届かない。ナルクが支部長などという席にいる理由が思わぬ形で露呈したことも、うんざりとした声に拍車をかけた。

 急に気力のなくなったシオンに、ラドリアは一層下卑た視線を向ける。


「んん? 貴様、中々美しいではないか。どうだ? 冒険者など辞めれば、うちで働かせてやろう。そうすれば好きな服を買ってやるぞ? だから、まずはそのガキと騎士を――」


「失礼ん」


 シオンの手が腰の刀に触れた、その時。事の成り行きを見守っていたチャイルズが、いつの間にかラドリアの前に立っていた。

 行動の見えなかったリンはもちろん、ラドリアと、その背後に控えている三人の男達も一瞬面食らったような表情を作る。だが、すぐに我に帰り、不遜な態度でチャイルズに視線を移したラドリアは、苛立ちを隠さずにチャイルズを問い詰めた。


「おい、店主。貴様正気か? あんなガキを店に入れて、僕達貴族に――」


「どうやら貴方は、当店に相応しくないようですん。お引き取り願えますかん?」


「…………………は?」


チャイルズの言葉に、呆気に取られたような顔になるラドリア。いや、それに気を取られたのは、この場にいる全員だった。

時間が止まったように錯覚する無言の時間を経て、言葉の理解に追いついたラドリアの顔が尚も困惑したように問いかける。


「………な、何を言っている?」


「言った通りですん。ここにある服を、貴方のような方に売る気はございません」


「バ、バカな、僕は貴族だ! 口が過ぎるぞ! 平民の分際で!!」


「ここは私の店ですん。この場において、法以外の全ての決定権が私にあるという事をご理解下さいん」


 信じられないといった困惑は怒りに変わり、恐喝するような口調になるラドリア。しかし、チャイルズは声の抑揚すら変えずにそう答えた。


 その様子を、リンは内心焦燥感に駆られながら見ていた。立場的に、この場でラドリアに味方されるよりはありがたいものの、相手は貴族だ。国が定めた尊き家柄と身分。何より、数々の特権を持つ。流石にいきなり打ち首とはいかないが、その権力は一般人が太刀打ちできる相手ではない。


 そして、それが分かっているからこそ、ラドリアは強気の姿勢を崩さない。


「き、貴様。僕が貴族だと知った上での言葉なんだな? だったら――」


「いやーすんませんっす」


 更に食い下がろうとするラドリアだが、それを制止するように店の奥から現れたのは、この店のスタッフであろう気怠げな男だった。

 ある意味キッチリとした印象のチャイルズとは違い、スーツを着崩し、薄茶色の髪を後ろで無造作に束ねたその男は、気力の感じない視線をラドリアに向ける。


「ウチの店長どぉーも堪え性がないというか、あんま人と関わっちゃいけないタイプなんすよ。まぁ、今回はお宅も悪かったんだし、両成敗ってことで一つ」


 どこまでも気の抜けた声でラドリアを宥める男だが、それが逆効果である事は火を見るより明らかだ。案の定、ラドリアはただでさえ赤かった顔を更に染め、


「――こっ、この屑庶民共が!!! 僕にそんな舐めた真似して、タダで済むと思うなよ!!?? おい! こいつら全員叩きのめせ!!!」


 店中に響き渡るかのような声で、後ろに控えていた五人の男に指示を出した。


 それに従い、屈強な男達がラドリアの前に出る。名も知らぬ男達だが、その体格は全員ライルを凌駕していた。

 魔導士の実力は体格で全てが決まるものではないが、魔纒が体や武器に纏うものである以上、身体能力は少なからず実力に影響を及ぼす。

 それを踏まえて見ると、目の前の状況は明らかに店員の男に不利だ。ただでさえ細い体躯なうえ、数的にはチャイルズが加わったとしても相手の方が多い。

 流石に見過ごせないと、リンが加勢しようと一歩前に出た、その時――


「いやー、やめといた方がいいっすよ」


 店員の男がそう言った直後。男の腕を"砂"が包む。その砂が、五本の鎌のような現状に変化したと認識したときには、ラドリアの私兵全員の首元に砂の鎌が添えられていた。


 あまりにも速すぎる魔纒の発動と、魔法の構築。護衛とラドリア、リンを合わせた七人は体を一切動かすことすら出来ず、ただ目の前で起きた事象を信じられないといった面持ちで眺めていた。

 魔法自体は珍しいものではない。"砂の魔纒"は土系統の魔力から派生したもので、土より耐久性が脆い分、魔法の速度は多少速いのが特徴だ。


 ただ、それでも所詮は"四元の魔力"の中で最も鈍重な土の派生であり、風や雷どころか、炎や水と比較しても速さという意味では劣る。


 その魔法が、気付いた時には相手の命を正確に刈り取れる形で顕現していたという事実。それが、店員の男と相手の戦力差を如実に表した。


「その程度の実力じゃあ、店長どころか俺にも勝てなさそうなんで」


 男が、ラドリア達にそう警告する。相変わらず、その声や表情からは気怠げな色が抜けていないが、だからこそ、男に対しての底知れない悪寒を感じた。


 男からは、戦う者特有の熱量を全く感じない。淡々とした口調もだが、手はポケットに突っ込み、片足に重心を置く無防備な格好も、戦闘での体勢としては論外だ。


 それは相対している相手が、自分にとって脅威とは見ていない事を示していた。何より、その眼に映る感情に揺らぎは見えない。


 ラドリアもそれを感じとったらしく、今まで真っ赤に染まっていた顔から一気に血の気が引いていく。流石に自身の不利は理解したようだが、貴族としての矜持か、それとも高すぎる自尊心からか、ラドリアの瞳からは怒りが完全には消えきっていない。


「――っっ、ぼ、僕にこんな事して、父さんが黙ってないぞ………」


 この状況でまだ虚勢を張れるのはある意味で見事だが、先程までよりだいぶ小さなその声は震えており、視線は誰もいない場所を指している。


「承知の上っすよ。どーせ、俺の責任は全部店長が被るし」


 だが、その精一杯の虚勢を、ラドリアとは違う意味で視線を外した男は見てもいない。もう用は済んだとばかりにそう吐き捨てる男の心境を推し量るなら、『興味を失った』の一言だろう。


「〜〜〜っっ!!! クソっ!!」


 当然、そんな対応をされたラドリアは再度怒りを再燃させるが、それ以上何かを言う事はなく、仲間共々足早にその場を去っていった。





                 ********





「大変申し訳ありませんでしたん」


 深々と頭を下げるチャイルズに、リンの頭は混乱していた。

 その姿勢は美しく、正しいお辞儀の手本は何かと言われたら、これを思い出すと断言できるほどに洗練された礼儀作法。それを自分に向けている人が、今し方貴族を相手に啖呵を切った人と同一人物として見るのに違和感を感じる。


「いっ、いえ、こちらこそ………大丈夫なんですか?」


 当たり障りのない事を言おうとするも、やはり気になってしまう。先程までのやり取りは、捉え方によっては貴族に喧嘩をふっかけてるように見られるだろう。

 それを見ていたのもリン達だけではなく、他の客にも見られている。目撃者は多く、言い逃れも出来ない。騎士団に連絡がいけば、捕えられる可能性だってあった。


「あー、気にしないでいいっすよ。店長の自業自得なんで。ウチの店長、客として認めた人以外にはああなっちゃうんすよ」


 心配するリンの言葉に、砂の魔纒でラドリア達を追い払った男が他人事のように声をかける。


「全く、クレイさんはいつも自由ですねん。客ではなく"お客様"だと何度言えば覚えるんですかん。クビにしちゃいますよん?」


「俺を辞めさせたら、この店一ヶ月で潰れちゃうんじゃないっすか?」


「試してみましょうかん?」


 チャイルズと【クレイ】が、視線を交わせて微笑み合う。だが、二人の周りに漂う空気はヒリヒリと刺激を含み、表情とは真逆の緊張感が辺りを包む。


「………リ、リン……」


 それに反応してしまったのが、今まで会話に入れなかったシーナだ。リンの手を掴み、怯えた感情を含む声で名前を呼ぶ。

 忘れていたわけではないが、リンは目の前の二人に気を取られて、シーナの事を気にかけていなかった自分をその場で反省する。手を握り返し、言葉をかけるその直前で、こちらの様子に気付いたチャイルズが近寄りながら話しかけた。


「おや、重ね重ね申し訳ありません。お客様を怯えさせてしまうなど、このチャイルズ遺憾の極みん。お詫びと言っては何ですが、今日ご購入される服を一着無料とさせていただきますん」


「え!? い、いやいや、それは流石に――」


「いいえ、お客様ん。これは先程までの件も含め、ご不快な思いをさせてしまったあなた方に対する、私からのせめてもの誠意でございますん。どうか、この未熟な私を救うと思って、お受け取りいただけたら幸いですん」


 チャイルズからの申し出は、リンにとって何よりもありがたいものだが、それを受けるには流石に良心が堪える。だが、ここまで言われて断るのは、チャイルズの面子を潰すことにもなりかねない。


 少しの葛藤の後、リンが出した答えは、


「………じゃあ、一着いただきます。……あ、でも! 今日は元々三着は買う予定だったので、残りのやつはちゃんと払います」


「んふふ、真面目な方ですねん。好きですよ、そういう方ん」


「………ちなみに、その一着はチャイルズさんが選んでくれるんですか?」


「いいえ、それはそのお嬢さんに選んでいただきますん」


 そう断言したチャイルズの態度は、あくまでもその一線は譲らない。この店に来た直後と同じように、服の選択をシーナに委ねる事は決定事項らしい。


 初めと違うのは、リンの心持ちだった。


 その時に持っていた、チャイルズに対する疑心はもうない。形はどうあれ、チャイルズには貴族を敵に回してまで守る自身の矜持があった。そんな人が、下らない理由で頼まれた服選びを放棄するとは思えない。


 シーナに服を選ばせる理由は分からないが、チャイルズという男を信用してみようと思った理由ならある。それで十分だ。


「シーナ。どれでもいいよ。好きな服を選んでみて」


「……けど、私、服なんて選んだ事ない………」


「難しく考えなくていいって。自分が着てみたいやつ見つけよう」


 リンが指した店内に、シーナが目を向ける。戸惑いは抜けきっていないものの、リンの言葉に少なからず前向きになったらしく、一度呼吸を吐いたシーナは、覚悟を決めたように一歩を踏み出した。


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