招かれざる者
「………あ、ありえない」
その日、何度目かも分からないその思いを、ゾルは言葉にして確認する。五感全てが肯定している目の前の光景を、それでも信じられない自身の常識が否定するからだ。
竜の魔獣は、目撃情報が出た時点で近隣の街や都市に厳戒態勢が敷かれ、騎士団員、及び冒険者を募って、最低でも一個師団並の討伐隊が組まれる。
その魔獣の属性、強み、弱点といったあらゆる情報を徹底的に精査し対策を打ち、遠方からも騎士や冒険者など、身分を問わず出来る限りの腕利きを集め、陣形や連携の確認。そしてその訓練を連日行う。
それだけの準備をして尚、被害が出ることは避けられない。
最悪なもので、討伐隊が壊滅した事もあったという。事実、害獣の大群に曲がりなりにも渡り合っていたゾル達騎士団は、この魔獣一匹の参戦によって瞬く間に崩壊した。山のような体躯で、風のように空を駆ける彼らにとって人は、取るに足らない存在である。
紛うことなき、災害の一種だ。
――だが、少し離れた場所で行われる戦闘は、あまりにも一方的な、取るに足らないはずの者による蹂躙だった。
「『炎魔法 乱炎火』!」
両手で作り出した無数の炎を高速で打ち出し、真横に炎の雨を飛ばすライルの魔法に、竜の魔獣は防戦すら出来ていない。翼を広げ、旋回しながらなんとか攻撃を避けようとするも、あまりに膨大な炎の数を、その巨体で全て避けるのは不可能だった。
振り向いた顔に、長い首に、開いた翼に被弾する度にバランスを大きく崩し、その隙にまた被弾するという悪循環。時折り口から風の魔法を飛ばすが、それもライルが飛ばす無数の炎と衝突し、その一つすら消滅させる事叶わずに霧散して消える。
一方的で、圧倒的な暴力。それを受け続けた竜が徐々に飛行すらままならなくなり、ついに空の支配者が地に落ちたところで攻撃が止む。
視線の先では、弱りきった竜が全身の力を抜いた状態で横たわっている。一目で虫の息だと分かるその姿は、先ほどまで自分達に壊滅的な攻撃をしてきた恐ろしい生物と同じとは思えない。
それを成した赤髪の少年は、大した感動もなさそうにそこから視線を外し、ゾルたちが見守っていた方に足を向けた。
「ねーちゃーん。こっちは終わったよー」
相変わらずの緊張感の無さだが、先程とは違い、それが世間知らずや恐れ知らずだと、そう断ずることはもうしない。それが実力を伴うゆえのものだと、倒された竜が何より物語っている。
騎士団の団員も六人が在籍しているという《天名会》だが、二十年近く騎士団に身を置くゾルですら、その戦いを見た事はなかった。彼らが出張る戦闘は、その余波ですらA級冒険者を殺すと言われている。一般人どころか、騎士団の中でさえその実力を目の当たりにされている方が珍しいくらいだった。
終わった後での報告と実績、そして、眉唾物の噂話だけが、その戦闘能力を裏付けする。
『いくら何でも、たった三人であれだけの害獣を相手に出来るのか?』
不安だった、戦う前の自身の発言を思い出す。なんと的外れな事を言っていたのかと、今更ながらに羞恥を覚えるほどに、圧巻の戦いだった。
三人どころか、実質二人で制圧したのだ。自分を含めた、"足手纏い"を全員守り切ったうえで。
(化け物だ……)
理解を放棄したその思考に沈んだ時、ゾルはようやく、助かった事に安堵する余裕が出来た。
********
「こちらにも救護をお願いします!」
「こっちもだ! 包帯が足りていない!」
戦闘の余韻が残る平野にて、そんな声がそこら中から上がるのを、リンは目の前の騎士に包帯を撒きながら聞いていた。
重傷を負った者たちは、既に全員サラが水魔法で病院に運んだが、当然、病床や人手には限りがある。特に今回は突発的な襲撃だったこともあり、急に百人規模の患者を受け入れる事が出来るだけの医療体制は整ってないだろう。まして、普段であればそこまで頻繁にいないような、それこそ命に関わるような傷を負った者だって一人や二人ではない。
一番の重傷だったゾルは、最後まで指揮を取ろうと病院に行くのを拒否していたが、レメクから頼まれたサラに無理矢理運ばれていった。
だからここに残っているのは、戦闘に参加していた騎士団員の中で、比較的傷の浅い者たちだ。だが、それでも医療班による応急処置だけでは心許ない。
あくまで"比較的に"傷が浅いだけであって、頭から大量の出血があったり、手足があらぬ方向に曲がっている者までいるのだ。普段の生活から見れば間違いなく重傷の部類に入るが、五体満足で、体に穴が空いてないだけマシだなどど考えられるのは、その戦場のあまりの悲惨さ故に感覚が麻痺しているからに過ぎない。
事実、包帯で身体を固定したり、出血を止めるためにきつく締めたりすることで上がる苦悶の声は、本人たちにとって無視できない激痛を伴っていることを否が応でも感じさせる。
そんな慌ただしい現場から少し距離を置いた場所で、手当てを手伝い終えたリンが、月華の銀輪に合流すると、シオンがリンの横まで歩いてきた。
「お疲れ様です。そちらは落ち着きましたか?」
「うん。一応、全員に応急処置はした。後は、病院が空き次第ってところ」
「そうですか」
リンの背後に視線を向け、その表情を強張らせるシオンは、恐らくリン以上に今回の被害を深刻に受け止めている。
ルジャで害獣の動きが活発になってからのことは知らないが、死者も出た今回の害獣達は、恐らく今までで最も大きな襲撃だったのだろう。騎士の顔を見ると、その全員が満身創痍の様相で下を向いており、怪我の痛みよりも、心の傷の方が問題になりそうだ。
ルジャの今後についても暗雲が立ち込める中、ライルが荒れた荒野を見て、何となしに呟いた。
「てーかさ、俺あんなに害獣がいっぱいいんの初めて見たんだけど。しかも殺し合ったりしてなかったし。もしかしたら、人が操ってたんじゃねーの? どうやったかは分かんねーけど」
「……だから、その原因を探るために、あのドラゴンの死体を使うんでしょうが」
「え? そうなの?」
「…………」
ライルのとぼけた言葉に、サラは頭を抱えて俯いてしまう。この話はつい数分前、騎士団の大隊長であるレメク・イスタントとの話し合いの中でされたことの再現だった。
害獣達の様子は確かに変だったが、騎士達が重傷を負っていたあの状況で、その後のことまで気にして戦闘などしている場合ではなかったのも事実。検体となる害獣を焼き尽くしたライルの判断を責めるつもりはない。
だが、残った害獣の死体は有効活用しようと、つい先程レメクと話した現場には、確かにライルもいたはずなのだ。興味のないことはとことん聞き流す弟に対して、サラは姉として責任を感じているのだろう。
「あの害獣に何か魔法がかけられていたのなら、体を調べて魔力の痕跡を探します」
「ほーん」
そんなサラを不憫に思ったのか、シオンが助け舟を出す。ライルは頭の後ろに両手を当て、自身が落とした飛竜に目を向けるが、本当に理解したのかは本人にしか分からない。
「なー、それってさ、そんな簡単にできるもんなの?」
「………いや、正直、その辺のやつがパッとできるようなことじゃない。裏にいるのは、それなりに厄介な連中だと思ってた方がいい」
ライルの何気ない一言は、意外にも現状において最も憂慮されることを的確に指摘した。
事実、騎士団の大隊長が二人と、千人規模の騎士団が壊滅したことは無視できることじゃない。それこそ、月華の銀輪がこの都市にいなければ、大きな被害が出ていたことだろう。既に悪戯では済まない攻撃を何度も受け、民の不安も騎士団の疲労も限界が近い。
「まぁ、ここからはうちらの領分じゃないか」
そこまで確認して、サラが思考を一旦放棄する。サラ達がギルドから受けた依頼は、この都市に害獣を近づけさせないことだ。
現状、その依頼に関しては問題なくこなしている。これ以上の仕事は騎士団の専門家が何とかするだろう。
サラの言葉に、シオンが一度頷き、他の三人に視線を向けた。
「そうですね。とりあえず、あとはあの死体を解剖してもらうために――っっ!?」
今後の方針を確認しようとしたシオンの言葉が途中で途切れ、《月華の銀輪》の三人が同時に一点へ目を向けて臨戦態勢をとった。
あまりに唐突な変化だったが、四人で話し合っていた中で唯一、自分だけが異常に気付きそびれたことを理解したリンも、三人に習って視線をそちらに向ける。しかし、そこで見たものに対し、今度こそリンは思考が止まった。
それも仕方がない。三人の反応から、好ましくない、もしくは恐ろしい存在があるものと覚悟したが、視線の先にいたのは明らかに、そのどちらでもない存在だったからだ。
そこには――
「………子供?」
ボロボロの服を着て、大きな紫色の水晶を抱えた真っ白な少女が、たった一人でその場に佇んでいた。




