3周目 7
「さぁ獣王さん。彼らをおとなしくさせてちょうだい。もしも彼らの体がバラバラになっても、わたしが糸でつなぎ合わせるから大丈夫よ」
鉄真たちを殺してもかまわないとアーネルは言ってくる。死体になっても人形にすることは可能らしい。
「そんなの死んでもごめんだな」
ここで死ぬつもりなんてない。まだ三日目の夜にさえなっていないんだ。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ!」
獣王の咆哮が轟く。
ガブスは地面を蹴って跳躍した。その巨体にそぐわない速度で空へと舞い上がる。逆手に握った大剣を構えて、灰色の体毛を逆立てると、竜巻のように高速で体を横軸に回転させる。
上空からのジャイロ回転。隕石となって急降下、鉄真たちめがけて突っ込んでくる。
「っ! 静音、こっちだ!」
側面にダッシュ。静音もついてくる。
爆撃音が炸裂する。森そのものが叫んでいるように草木がざわつき、土埃が柱となって噴き上がった。
地面が盛大にえぐれる。
爆心地には、獣王が唸り声をあげて立っている。
鉄真の背中を冷や汗が流れる。あんなの一発もらっただけで確実に死ぬ。
しかも敵は獣王だけではない。
「静音、俺から離れててくれ」
真横から戦鎚が振り下ろされる。すかさず血塗れの剣で半月の軌跡を描き、白刃が戦鎚と衝突する。火花が散ると、友則は仰け反った。うまくタイミングを合わせたことで、どうにか弾く。
その間に静音は鉄真から距離をあけたところまで移動していた。
「手っ取り早くブチ殺せれば話は簡単なんだがな」
操り人形になっていた虫たちとは違い、友則を殺すわけにはいかない。
不滅の三王を二体同時に相手取りながら、友則を助けないといけない。その難問に頭が痛くなる。プレッシャーで精神が擦り切れそうだ。
「ガアアアアアアアアァァァァァァァ!」
呼吸を整える間も与えてくれず、再びガブスが踊りかかってくる。猛スピードで距離を詰めてくると、逆手持ちした大剣を叩きつけてきた。
思考をフル稼働。鉄真は回避のために体を動かそうとする。
にわかに水色の光が明滅した。横合いから【氷の槍】が飛来する。
ガブスは挙動を修正すると、鉄真に向けて叩きつけるはずだった大剣を横薙ぎに振るい、飛んできたツララを斬り払う。砕かれた【氷の槍】は白い煙となって散っていった。
鉄真は心のなかで静音に礼を言うと、ガブスから逃げるように距離を取る。
正直、今の攻撃をよけることができたかどうかはわからない。レベル差を考えれば、一撃で死ぬ可能性だってある。死にゲーの周回プレイを重ねている気分だ。
「……がっ、ぎがっ……!」
「次から次へと!」
目の前に猛風が吹きすさぶ。特大サイズの戦鎚が横薙ぎに振るわれる。
またタイミングを合わせて弾くために、両手で握った剣を戦鎚に打ちつけようとするが。
「……あ?」
剣先に何かが触れた気がした。
斬撃が空振る。なぜか友則の動きが一瞬だけ鈍った。それでタイミングを外してしまう。
猛烈な衝撃。戦鎚が脇腹に叩きつけられた。吹っ飛んで地面を転がる。
視界が激しく回転する。迅速に体勢を立て直して立ちあがった。げほっ、と口から咳がこぼれる。鎧を装着しているとはいえ、ぶっ叩かれた脇腹に激痛が走る。
結構な数値のHPが削られた。いい攻撃しやがる。今だけはパワーあふれる友則のステータスが恨めしい。
「鉄真……」
「だめだ、静音。回復してほしいところだが、おまえが俺に近づいたらやられる」
一定距離まで近づかないと回復魔術の効果は受けられない。かといって静音がそばにいる状態で、友則とガブスが襲ってきたら守り切れる自信がない。
静音もそのことをわかっている。もどかしそうに顔をしかめていた。
かといってこのままHPを削られ続ければ、そのうち鉄真は倒れる。そうなったら静音も人形にされてしまう。
呼吸が乱れる。喉がかわいて、心音がうるさい。いつゲームオーバーになってもおかしくない際どい状況に追い詰められていた。
「心配しないで。あなた達もわたしの家族に迎えてあげるから」
人形使いが、母親のような優しい微笑みを浮かべている。そこに本物の愛情なんてない。あの女は自分にとって都合のいいように、他人を操っているだけだ。
今回の冒険はここまで。三周目はおしまい。四周目の自分にバトンタッチするしかない。
ゲームと同じで、何度も繰り返し挑めば、いつかはこの強敵たちを倒せるときがくる。
対策だって立てられるし、攻略法も見えてくるはずだ。
鉄真には、次があるのだから。
――そんなクソみたいな思考が頭の片隅に湧いてくる。
「ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
豪快に笑い飛ばす。この苦境に抗うために。
不良の集団に囲まれたときだって、鉄真は笑い飛ばしていた。
どんなに相手が多くても、殴られまくっても、負けを認めて倒れることなんてしなかった。
いつだって高宮鉄真は不屈だった。
「……なんなの? あなた?」
アーネルは当惑する。これから糸でからめとって仕留めるはずの獲物なのに、それが胸を張って笑っていることに。
こんなことは今まで一度だってなかった。
……不気味。鉄真からそれを感じる。
「決めた」
そして鉄真は唇をつり上げて、アーネルを睨みつける。
「決めた、決めた。あぁ~、決めちまったぁ」
鉄真の瞳が、鋭利さを増していく。殺意が高まっていく。
「オマエはいま、ここで殺す。周回を繰り返してレベルアップすれば、いつかは勝てるだなんてクソみたいな考えはなしだ。ありえねぇ。俺の友達を人形にして好き勝手やってくれたんだ。ここで確実に息の根を止めてやる」
殺害宣言。高宮鉄真のなかで、アーネルは明確に殺すべき対象となった。
友則を操って自分や静音を攻撃させたことを許しはしない。その命でもって償わせる。
「喧嘩を売る相手を間違えたことを、しっかり後悔しろよ? オマエは今から俺に殺されるんだからな」
血塗れの剣を握りしめて、自分のなかを殺意で塗り潰していく。
「なんてひどい人なの! わたしを騙していたなんて! やさしい人だと信じていたのに……家族に迎えてあげようとしたのに……。本当は怖い人だったなんて! あなたはあの英雄や、凶暴な王候補たちと同じ目をしているわ!」
「キーキーうるせぇよ! 他人を使って人形遊びしてるテメェのほうが頭おかしくて引くわ!」
恐怖心も迷いもない。もはや鉄真がアーネルに向けるのは殺気だけだ。
アーネルは怒りと悲しみを混ぜたような顔つきになると、左腕を振ってくる。
「……がっ、ぎいいいいい、がっ……!」
友則が支離滅裂な声をあげて駆け出す。鉄真のもとに迫ってきて、戦鎚を振りかぶる。
感覚を研ぎ澄ませる。脇腹の痛みを堪えて、目を凝らす。
狙いは外さない。
力任せに叩きつけられた戦鎚を、右側面に回り込んでかわす。そして鉄真は手にしていた剣から斬撃を繰り出した。
斬る。友則をではない。友則にからみついた細い糸を斬った。頬に突き刺さっているものや、鎧の隙間に入り込んでいるもの。それらに白刃の閃きを走らせて、一本たりとも余さずに糸を断っていく。
さきほど剣先が友則にからみついた糸をかすめて斬った際に、わずかだが動きが鈍った。人形化に支障が生じていた。ならば全ての糸を断ってしまえば、友則は解放されるはず。
鉄真は巧みに斬撃を走らせて、友則を傷つけないように残りの糸も断ち切る。
がくりと、友則は膝をついた。それこそ糸の切れた人形のように。
肉体が自由になると友則は咳き込んで、荒い呼吸を繰り返す。
「……助かった」
ろれつのまわらない声で感謝を口にしてくる。
友則はえづきながら立ちあがる。自由になったことを確かめるように、左手を開いたり握ったりする。
「普通に考えたら、簡単な話だったな。人形は糸が切れたら操れないんだ。だったら、からみついた糸を全て断てばいい」
「思いついたとしても、それを実行するのは難しいがな」
友則は口元をやわらげて、軽口を返してくる。
その様子を見て、鉄真は胸を撫で下ろした。
「二人とも」
友則が人形化から解放されたのを見て取ると、静音が駆け寄ってくる。すぐに【慈愛の光】を発動させて、杖から黄金の光を放ち、鉄真と友則の傷を癒やしてきた。
脇腹の痛みが引いていく。減っていたHPが回復する。
「わたしから愛しい家族を奪うだなんて……。どこまで残忍な人なの」
アーネルが意味不明な言動をしながら憤慨している。
糸を切れば人形化が解除されるのは間違いないようだ。
「あのデケェ獣も糸さえ切れば、人形じゃなくなるんだろうが……」
「俺のときのようにはいかないだろうな」
ガブスは攻撃力もスピードも凄まじい。近づくだけで危険だ。全ての糸を断ち切る前に、こっちが殺される。
尋常なやり方では対抗できない。
「……『鎧』を使う」
「そう言うと思ったよ。本気か?」
「そんなことしたら友則が……」
「勝率をあげるために必要なら使うべきだ。ここで使わないで、いつ使う? やれることは全てやって、少しでも前に進むべきだろ」
友則は毅然としながら、そう言ってきた。その目に宿る意思は固く、どんな代償でも支払う覚悟がある。
「もしもダメだったら、そのときは次につなげてくれ。鉄真、おまえが俺たちを導いてくれるなら、いつかゴールにたどり着けるはずだ」
友人からの頼み。それを胸のなかで何度も反芻する。
鉄真は頷く。絶対に無駄にはしないことを誓う。
静音は止めたがっているようだが、友則の決意を聞くと、言葉を飲み込んだ。
「今だから白状するが、鉄真、俺はおまえのようになりたいんだ」
「なんだよ、急に?」
「どんなことがあっても心が折れず、立ち向かっていける。こんな男になりたいと、憧れている」
友則は目をそらすと、照れくさそうに言ってきた。
「鉄真と違って、次の周回に記憶を持ち越せないのは助かる。このことを鉄真に打ち明けたとわかったら、きっと俺は恥ずかしがるからな」
友則は自嘲するように笑っていた。鉄真のなかに理想の姿を見ていることは、隠しておきたいことだったんだろう。
胸中の想いを語り終えると、友則はその目をガブスに向ける。
そして切り札であるスキルを発動させた。
「【破滅の鎧】」
友則がスキルの名を口にすると、装着している重装鎧が消えた。【アイテムボックス】のなかに仕舞われる。
代わりに、真紅の鎧が友則の全身を包み込んでいく。腕も足も胴体も、全てが毒々しい真紅におおわれる。顔には狼を模した兜を被り、人間からかけ離れた外見となる。実際その鎧は友則を人間から遠ざける。
「なんておぞましい姿なの」
アーネルは眉間をひそめると、左腕を前方に向けて再び糸を伸ばしてくる。またしても友則を人形に変えようとする。
「もう俺の友達に手出しはさせねぇよ」
鉄真の剣が銀色の軌跡を描き、伸びてきた糸を叩き斬る。ぷつん、ぷつん、と糸は途切れて風に飛ばされていった。
アーネルは憎々しげに歯噛みすると、白い瞳で鉄真を睨みつける。
「ガアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ!」
獣の咆哮が響いた。
その叫びは獣王のものではない。真紅の鎧を装着した友則のものだ。
戦闘意欲が増幅された友則は疾風のように駆け出すと、ガブスのもとまで肉薄する。特大サイズの戦鎚を木の棒みたいに軽々と振り回して叩きつける。
二周目の世界で友則が獲得したスキル、【破滅の鎧】は装着者のステータスを強化し、戦闘能力を向上させる。
その代償として、鎧を装着している間はHPが減り続ける。そして回復魔術をふくむ、あらゆる回復手段を受けつけない。
装着者を蝕む呪われし鎧だ。ハイリスクなため、あまり長時間は装着できないし、一歩間違えば持ち主を死にいたらしめる。
自身の命を賭して、友則は獣王に戦いを挑んでいた。
ガブスも咆哮をあげる。逆手に握った大剣を振り回して戦鎚を弾き、友則にダメージを与える。
獣王の猛攻を受けても友則は引かない。ガブスの肉体から生えている糸を断ち、動きを鈍らせて、戦鎚を叩き込む。
獣同士の殺し合いは苛烈を極めた。烈風が逆巻き、どちらのものかわからない鮮血が飛び散る。
死闘は長引くことなく、すぐに決着が訪れる。
「ガギイイイイイイイイイイイイ!」
悲痛な叫び声。それは友則の喉からほとばしった。
ガブスの握る灰色の大剣が、真紅の鎧を突き破って友則の胸を貫く。
死に物狂いで獣王に挑み、何度も傷を与えたが、打倒することはかなわなかった。
それでも……。
「ギィイイイイ、オオオオオオオオォォォォォォ!」
最後にもう一撃。命の炎が尽きてもなお、握りしめた戦鎚を振り下ろす。
顔面に戦鎚を叩きつけられると、ガブスの巨体がよろめく。
それを見て、鉄真は走り出した。狩人さながらの険しい眼差しは獣王を捉えている。
「ガアアアアアアアアアアアアァァァァァァ!」
ガブスは右腕を振るい、大剣に突き刺さっていた友則を投げ飛ばした。血痕を残しながら、友則は地面を転がっていく。
……あとは任せた。
友の最後のつぶやきが、鉄真の耳に届く。
それに背中を押されて、ガブスのもとに駆けていった。
集中力が高まる。胸の鼓動が落ち着いたものになっていく。心が静かになる。
胸に灯っていた熱さが薄まり、自分自身が透明になって、世界のなかに溶けていくような感覚。
音が消えた。森にある草木のざわめきも、風の音も、自分の息づかいさえもなくなる。
全ての動きがスローモーションになって、ゆっくり感じられる。
『【静寂世界】――――発動成功しました』
頭のなかで流れるシステム音。
発動率が極端に低いスキルが効果を発揮する。
【静寂世界】
直感が研ぎ澄まされて活路を見出し、あらゆる状況を覆す。
説明文にあったのはこれだけだ。最初は意味がわからなかったが、要するに直感がビンビンに働いて、自分にとって最適な行動を取れるということだ。
このスキルのおかげで、始祖竜の末裔との鬼ごっこでも神がかった動きを連発し、生き延びることができた。
それにこの感覚は、ロススカの世界に来る前から、現実世界にいた頃から感じるときがあった。
不良相手に喧嘩をしていたり、ゲームをプレイしていたりすると、集中力が高まって心が落ち着いてきて、この領域に達することがあった。
この状態になった鉄真に敗北はない。
「ガアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァ!」
土煙が立ちこめる。ガブスが跳躍し、空へと舞い上がる。逆手に握った大剣を構えて、灰色の体毛を逆立てると、ジャイロ回転しながら急降下。鉄真めがけて落下してくる。
……そう来ることは、わかっていた。
先読みがハマる。ガブスが空に跳び上がるよりも先に動いていた。前方に向かって突進する。未来の回避位置、斬撃を叩き込める場所に。
爆音が鳴って、衝撃が走る。ガブスが落下した地面がえぐれる。
先んじてよけていた鉄真に命中することはない。ガブスの真後ろにいる鉄真は、既に剣を構えて攻撃モーションに入っている。
瞬時にガブスは巨体をひねり、逆手に握った大剣で背後にいる鉄真を斬り払おうとする。
だが遅い。糸が切れたことで、スピードが鈍っている。友則が命を張って戦ってくれたおかげだ。鉄真は獣王よりも先に仕掛けることができた。
渾身の力を込めた一撃。ガブスの分厚い首元に斬撃を打ち込む。頑強な肉と骨を断って、その頭部を斬り飛ばす。
大量の鮮血が噴き出す。大きな頭が地面に落ちると、灰色の体毛におおわれた巨体も傾いていって倒れた。
首を斬られれば、さすがにHPが底をつくはずだ。
クオリアエンドのゲームには頭が斬られても復活してくるボスがいたな、なんて嫌な想像がふくらむが、そういった展開は起きなかった。
地面に転がる獣王の頭部と肉体は霧となって消えていく。
「……そんな。わたしの家族が、また……!」
アーネルが泣きながら叫んでくる。
あの女は獣王が死んだから泣いてるのではない。自分の人形がなくなったから泣いてる。他人に対して向けている感情なんて一つもありはしない。ぜんぶ自分に対しての感情だけだ。
『【静寂世界】が解除されます』
スキルが解除されると、静寂に満ちていた心に熱が戻ってくる。研ぎ澄まされていた感覚が正常なものになって、体温を感じたり、周りにある音が普通に聞こえるようになる。
『レベルが上がりました』
そして獣王ガブスを撃破したことで、レベルアップを果たした。
【高宮鉄真】
レベル:520
HP:52400/52400
MP:52300/52300
攻撃力:7400
耐久力:7350
敏捷:7200
体力:7300
知力:7100
大幅なレベルアップによって、ステータスが更新される。体中に力がみなぎり、強くなったことを実感する。
『ステータスが必要能力値に達したので【幻想再現】による【聖魔竜の竜爪】が使用可能になりました』
システム音がそのことを告げてくる。
これまで所持していても無意味だったスキルが、ようやく使えるようになった。