3周目 4
とうとう三日目になってしまった。
まだ魔女の森を抜け出せていない。
できればこの三周目のうちに、魔女の森は攻略しておきたい。次の周でもっと強くなるためには、新しい達成項目を一つでも多くクリアしないといけない。
鉄真たちは先に進み続ける。ほんのわずかでも前に進むことが大切だ。
森のなかに入って、誤った道を進んでしまい入り口に戻されて、その度に虫系の魔物と戦う。それを繰り返したことで、レベルは340まで上がっていた。
鉄真は隻眼騎士の鎧を装備して血塗れの剣を握り、白い霧が立ちこめる森林のなかを正しいルートをなぞりながら進んでいく。
隣の友則は重装鎧を着て、特大サイズの戦鎚を持ちながら歩いている。巨人の騎士を撃破したときに入手した、巨人の戦鎚という武器だ。
二人の少し後ろをついてくる静音は、凍てつくような水色の杖、氷の魔術師を倒した際に手に入れた、氷魔術師の杖を握っている。
三人とも、いま持っているのと同じ武器を三周目にも入手しているので、破損したり紛失したりしても、【アイテムボックス】のなかに予備が収めてある。
「だいぶ奥まで進んだな。そろそろ出口が近いんじゃないか?」
徐々に道の幅がひろくなってきた。白い霧におおわれた木々の間から夕暮れが見えてくる。
あともう少し。あともう少しで出口だ。そんな予感がする。
だからこそ、油断しない。ゴール間近で、いきなり隠れていた敵が奇襲してくるなんてのはクオリアエンドのゲームではザラにある。
神経を研ぎ澄ませる。なので気づけた。ガサガサ。不自然に枝葉が揺れる。頭上から。
「二人とも下がれ!」
鉄真は警告を叫んで、後ろに跳ぶ。
友則と静音も弾かれたように後退する。
降ってくる。頭上から何かが。軽い着地音。コンマ数秒前まで鉄真たちが立っていた場所に降り立って、砂埃をあげた。
……獣。第一印象はそれ。人間の子供くらいの大きさで、茶色い毛むくじゃらの体毛が逆立っている。犬みたいな顔。威嚇する低い声をもらす口からは牙が覗いている。
犬っぽい外見だが二足歩行で立っている。四本指の手からは鋭い爪が生えていて、さっきはその爪で上から鉄真たちを切り裂こうとしてきた。
「なんだこの毛むくじゃら? 森のなかは虫系の魔物ばかりだったのに、こんな獣系は初めて見るな」
「獣王サマ、どこやった? オマエらニンギョウ使いのナカマか? ニンギョウか?」
「……しかも喋れる系の魔物かよ」
酒焼けでもしているような、しわがれた声だ。
出現する魔物が変化するのは良い傾向だ。ますます出口が近い可能性が濃厚になってきた。
鉄真は犬っぽい魔物を睨みながら【鑑定】する。
【獣人】
レベル:330
獣王に仕えている獣人。
主人を失い、魔女の森に踏み込んできた。
説明文を読むと、鉄真は目を見張る。友則と静音も【鑑定】を行ったようで驚いていた。
「獣王って……まさかこいつ、人形使いとは別の三王の手下なのか?」
「獣という単語の王候補者だな。その手下が、なぜ魔女の森に? ここは人形使いの領域のはずだが?」
友則の疑問に対する答えを、誰も持ち合わせていない。
だが夢のなかで出会った老人が、獣について何か言っていたことを鉄真は思い出す。思い出したところで、その意味を理解することはできないが。
「コイツが何者であれ、やることは変わらねぇ。襲ってくるヤツは仕留めるだけだ」
血塗れの剣を両手で握り直して、構えを取る。
「ぬいぐるみっぽくてかわいいけど、敵なら殺処分するしかないよね」
なんだか歪んだ愛っぽいことを口にしながら静音は杖を構えていた。
「あの威嚇してくる感じでは、まともな会話は望めないだろう。情報を得ることは難しそうだ」
友則も納得したようで、特大サイズの戦鎚を構える。
「静音、頼む」
「ん」
短い返事をすると、静音は杖を獣人に向ける。杖の先端が淡い水色の輝きを発すると、氷の魔術師を倒して獲得した新たな魔術、【氷の槍】を発動させる。
冷気を帯びた槍、大きなツララが高速で撃ち出される。湿っぽくて熱い森の空気を裂いて直進する。
破砕音。立ち木が砕けて、半ばから折れる。残った幹の断面がピキピキと音を立てて氷漬けになった。
獣人は犬みたいに四足歩行になって左方向に走り、【氷の槍】をよけていた。
「すばしっこい」
静音が不服そうにぼやく。この森でエンカウントした虫系の魔物たちは【氷の槍】で射抜いて、身動きを鈍らせることができた。だが、あの獣人のスピードは静音の魔術をかわすことができるようだ。
「獣王サマをドコにヤッタァ!」
獣人は威嚇の声をあげて、鉄真に向かって突っ込んでくる。鋭い爪を振ってきた。
咄嗟に左斜め後ろに下がる。完璧にはよけきれず、獣人の爪先がわずかに鎧をかすめる。HPが減る。
減少した数値はわずかだ。そこまで攻撃力はないらしい。
すかさず反撃。両手で握った血塗れの剣を振り下ろして獣人を斬る。血潮をしぶかせる。
「一撃じゃ殺せなかったか」
あんまり手応えがない。直前で獣人が跳び退ったので、刃が浅くしか入らなかった。
それでも血塗れの剣の威力は高い。茶色い体毛が真っ赤に染まり、獣人がよろける。ウウウウウウッと牙を剥いて唸ると、小柄な体を仰け反らせた。
「キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
獣人の口から甲高い絶叫。
思わず耳をふさぎたくなるが、鉄真は眉間をしかめるだけで、警戒の目を獣人に向ける。
ガサ、ガサガサ、ガサガサガサガサガガサ。
絶叫の響きにともなって、聞こえてくる音。周辺にある枝葉や、茂みが揺れる。小さな影が次々と降ってくる。林のなかからも飛び出してくる。
二十を超える数の獣人が一気に集まってきた。鉄真たちを閉じ込めるように、周りを包囲してくる。
「仲間を呼ぶ系の魔物だったか……」
「こんなにはいらない」
この世界で魔物の集団を相手にするのは、既に経験している。それでも敵の増援が現れたことに動揺を禁じ得ない。友則も静音も焦燥に駆られている。
「ニンギョウ使いのナカマ!」
「獣王サマをドコヤッタ!」
「カエセ!」
カエセ、カエセ、カエセと獣の集団が口々に怒りを訴えてくる。数が増えたことで気が大きくなっているようだ。
獣人たちの威嚇に、友則と静音は気後れする。一斉に跳びかかられて、自分たちが蹂躙される未来が頭のなかに描かれていく。
そうなったら獣たちに食いちぎられ、引き裂かれ、無残な最後を迎える。
遠くない未来に、その想像は現実のものになるだろう。
獣人たちも仲間が集まったことで、自分たちに負けはないと確信していた。
しかし、この男はそんなつまらない結末を許さない。
「ギャーギャー、うるせぇんだよ」
静かな声だ。
特に声量があったわけではない。だけど底冷えがするような、凄みのある声。
冷たい殺意がそこにある。
騒いでいた獣人たちが口を閉ざす。キケンだと警戒心を引き上げる。
「オマエらのご主人様のことなんて知らねぇよ。死にたくないなら、大人しく道をあけろ。でなければ皆殺しだ」
高宮鉄真の肉体から放たれる殺気。獣人たちは全身の毛が逆立った。鉄真の挑発に対する怒りではない。そこには確かな恐怖がある。
呼吸さえままならない緊張感が重たくのし掛かる。それに耐えきれず、一体の獣人が鉄真に躍りかかった。そいつが最初の死者となる。
迎え撃つように横薙ぎに払われた一閃。爪も牙も鉄真に届くことなく、仕掛けた獣人は首を跳ねられ、霧となって消滅する。
一拍の間。水を打ったように静まり返る。
その直後、仲間の死を理解すると獣人たちは一斉に殺すべき相手に向かって襲いかかる。
「皆殺しルート確定だ」
素早い動きで獣の群れが突っ込んでくる。その牙で爪で、鉄真を殺そうとしてくる。
気圧されることなく剣を振るう。迫ってくる獣人たちを叩き斬っていく。多少のダメージは覚悟しつつ、獣人の攻撃をかわしながら斬り捨てる。
「どうする、鉄真? 『鎧』を使うか?」
「この程度の連中に使う必要はないだろ。ここぞという時に取っておいてくれ。自滅されたら困るからな」
友則が二周目で獲得したスキル。それは温存しておくように伝える。リスクが高すぎるので、あまり使ってほしくはない。
「了解した」
鉄真が獣人たちを斬り刻むことで、友則も体の硬直がとける。特大サイズの戦鎚を振りかぶって、跳びかかってくる獣人たちを叩き潰す。
「静音、牽制を頼む」
「ん」
鉄真の呼びかけによって、静音も胸のなかに巣くっていた恐怖が消えたようだ。杖を構えると、【氷の槍】を立て続けに撃ち放っていく。
何体かの獣人はツララに貫かれて氷漬けになるが、やはり素早い身のこなしでかわすヤツもいる。そういった取りこぼしは、鉄真と友則の二人で始末していく。
獣人の首を斬って、土手っ腹を突き刺し、口のなかに剣を突っ込んでねじって殺す。
返り血を浴びながら目につく獣人を殺しまくる。森にひろがる白い霧のなかに、おびただしい血煙がまざっていく。
「その程度じゃ、俺の猛りは鎮まらんぞ!」
獣人たちは怖気立つ。
なんだコイツは?
死なない。殺そうとしても、死なない。
逆に殺されてしまう。
あんなにたくさんいた仲間たちが減っている。気づけば半分もいなくなっている。
鉄真たちの手によって、獣人たちは霧散していった。
その戦闘のさなかで、鉄真は集中力が高まり、感覚が研ぎ澄まされる。
沸騰するように熱くなっていた頭が冷めていく。
心が静まり、音がなくなる。全てのモノの動きが遅くなっていく。
なにもかもが透明になって、世界のなかに溶けていくような。
そんな不思議な心境に――
『【静寂世界】――――発動失敗しました』
システム音が不発を告げてくる。
あぁ、うるせぇ。
静まり返っていた心が再び熱を灯す。空の上に浮かんでいるような奇妙な気分からいきなり解放されて、ジメジメした森のなかに立っていることを認識する。
五感が正常に戻ると、握った剣に力を込めて獣人を殲滅していった。
「オマエで最後だ」
獣人の群れはあらかた始末した。辺りにはもう残っていない。
返り血で汚れた鉄真が唇をつり上げて笑うと、最後の一体となった獣人が「キィ!」と悲鳴をあげた。
その獣人は体毛が赤く染まり、切り傷が刻まれている。最初に現れて鉄真に斬られた獣人だ。
「キィィィイイイイイイイイ!」
獣人は牙を剥くと、爪を構えて踊りかかってくる。最後の悪あがきだ。
そう来ることを、鉄真は知っていた。
集中力が高まり一定の領域に達すると、次に相手がどんな動きをしてくるのか、それを予測できるときがある。
集団相手に殴り合いをしているときや、格ゲーをプレイしているとき、次はこうくると相手の行動を先読みできる。
高宮鉄真の類い希な特技だ。
相手の動きを読むことで、相手よりも一歩先を行くことができる。
獣人が踊りかかるよりも先に動いていた鉄真は、左斜め前にある未来の回避位置に足場を移していた。
最後の攻撃を軽々とかわされて、獣人は呆然となる。そこにカウンター。獣人の真横に立っていた鉄真は斬撃を叩き込む。
頭をカチ割られて、血しぶきをまき散らす。今度こそ獣人は霧散していき絶命する。
「これで終わりだな」
周辺には血痕が付着した立ち木や草葉があるだけで、獣人の群れは一匹残らず霧となって消滅した。
今の戦闘で、鉄真はレベル345まで上がった。友則と静音もいくつかレベルアップしたはずだ。
「二人とも、何回かダメージもらってたね」
静音は戦闘を終えて一息つくと、鉄真と友則のほうに杖を向けてくる。
回復魔術である【慈愛の光】を発動させて、杖から黄金の光が発せられた。光のそばにいた鉄真たちは傷を癒やしてもらい、HPが回復する。
肉体の痛みがなくなり、内側から活力が湧いてくる。
回復したので森の先に向かって、歩き出そうとするが……。
「……何かいやがる」
湿った空気が漂う森のなかで、気配がした。
友則と静音も気づいたようで、鉄真の視線を追いかける。
また獣人かと思ったが、違う。
幅広くなっている前方の道。そこに立って、こっちを見ている人影がいた。
「子供?」
その姿を視認して、鉄真はつぶやく。
短めに切りそろえた髪に、まだ幼い顔立ちをした少女がつぶらな瞳を鉄真たちに向けていた。灰色のドレスを着ていて、小さな体を微動だにさせない。
少女は無表情で鉄真たちを観察してくる。
すると、くるりとまわって方向転換。少女は背中を向けると、霧が立ちこめる森の奥へと走っていった。
「ちょっと、待てって」
もしかしたら、魔女の森を抜け出すヒントになるキャラかもしれない。鉄真はその背中を追いかけようとする。
「今のわたしたちの姿を見たら、誰だって逃げ出すと思うけど」
「同感だな。こんな血だらけの格好で武器を手にしていたら、近寄らないほうがいいのは一目瞭然だ」
「え? うそ? もしかして今の俺ってこわい? 怖がらせるつもりはなかったんだけど」
鉄真は自分の姿を確認する。銀色の鎧には獣人たちの返り血がびっしりと付着していて、血なまぐささが鼻先を突いてくる。これでは危険人物待ったなしだ。
「だけど今の子は追いかけるべきだよな? もしかしたら、何かのイベントが発生するフラグかもしれない」
「見た目は普通の女の子っぽかったが、放ってはおけない。この森のなかにいる時点で、まともではないだろうからな」
「もしかしたら、あのロリッ子が不滅の三王の一体……人形使いかも」
その可能性は捨てきれない。
鉄真たちが片づけた獣人たちが探していたのは、あの少女かもしれない。
「警戒しながら追いかけよう」
鉄真の指示に、友則と静音は頷く。
「もう道を間違えて、またスタート地点に戻されるのは勘弁してほしいけど」
「そうならないことを祈るしかないな」
鉄真はため息をつきながら、静音の不安に答える。
こればっかりは攻略情報がないので運任せだ。
少女の背中が完全に見えなくなる前に走り出す。
少女が残した小さな足跡をなぞりながら、森の奥に進んでいった。