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途切れたはずの意識が再浮上すると、見慣れた学校の廊下……ではなかった。
知らない場所だ。
心が落ち着くような自然の香りが鼻先をくすぐってくる。辺りには目に優しい新緑の草木が生えていた。頭上には青空の景色がひろがり、まぶしい日の光が差している。
のどかな雰囲気のする、空に浮いた庭園のなかに鉄真は立っていた。
ブンッ、ブンッと風を切り裂くような力強い音。それが耳を打つ。
なんだ、この音?
疑問に思いつつ、音の聞こえてくる方向に歩いていく。
するとその先に、老人がいた。
威厳のある精悍な顔立ちをしており、肩口まである白髪に汗がにじんでいる。空を映したような青い瞳が虚空を見据えていた。
高身長で細身だが、筋肉のついた肉体は無駄を削ぎ落とした刃のように鍛え抜かれている。
くたびれたシャツとボトムスに、よれよれの革靴。しどけない格好だが老人のまとう空気は武人さながらの凄味がある。
途方もない歳月を鍛錬に費やしてきたのであろう圧力のある両手には、鉄の直剣を握りしめて構えを取っていた。
……危険だ。
一目見た瞬間に、鉄真のなかで赤信号が灯る。意識するよりも先に臨戦態勢に入っていた。
殺される。全身に鳥肌が立ち、そう感じた。
静かに殺気を高める。本気で殺すつもりでいく。
老人を睨みながら【鑑定】をする。
【■■■■■ル■ス】
ガガガガガガガガガガガガガガガ――――――
鑑定できません。
バグが発生したように表示される文字がおかしくなって読み取れない。
こんなことは、今まで一度もなかった。
何者なんだ、このジイさん?
鉄真は警戒度を更に引きあげる。
「儂をどのように殺すか、瞬時に頭のなかで組み立てるとは血の気が多いヤツよ。まるで若い頃の自分を見ているようじゃ。気に入ったぞ、小僧」
渋い声。老成した落ち着きのある響き。それでも牙を失っていない鋭利な声だ。
とっくに鉄真がいることを察知していた老人は、目尻の皺を深くして笑う。
「そう逸るでない。これで終わりだ」
老人は背筋を伸ばすと、手にした剣を正眼に構える。美しさすら感じさせる佇まいだ。
細い吐息をもらして脱力し、集中力を高める。
そして老人の手元が一瞬だけ消えると、次の瞬間にはきれいな弧を描いて剣が振るわれていた。
恐ろしいほど速い。すべらかな一刀だ。遅れて風切り音が鳴った。完全に音を置き去りにしている。
「ここでの殺し合いに意味などない。この庭園は夢のなかのようなものじゃ」
素振りを終えると老人は呼吸を整えて、手にしていた直剣を地面に突き立てる。
「お主もアレに干渉したようじゃな。それでこのような場所に迷い込んだか」
老人は体にまとっていた鋭い空気を消し去ると、軽快な足取りで近づいてくる。
争うつもりはないようなので鉄真も殺気を抜いて、臨戦態勢を解除した。
「来訪者が天の地に降り立ったのは感じ取っておったが、まさかここを訪れるとはな。それが同時に二人もやって来るとは、珍しいこともあるものじゃ」
「二人……?」
周りに視線をめぐらせる。
だけど鉄真と老人以外には誰も見当たらない。どこかに隠れている気配も感じられなかった。
「なに言ってんだ、ジイさん? ここにいるのは俺とアンタだけだ。三人目なんていないだろ?」
「さて、どうだかのう」
老人はからかうようにニッと笑うと、口周りの白髭を撫でる。
「なんだ? このクソジジイ?」
イラッとして、つい毒づいてしまう。
しまったと思ったが、老人は気にしておらず喉を鳴らして笑っていた。鉄真の失言に腹を立ててはいないようだ。
「……アンタ何者なんだ? ていうか、ここはどこだ?」
「儂は時代遅れの老いぼれよ。お主の言ったとおり、ただのクソジジイじゃ」
「悪かったって……」
頭をボリボリと掻きながら謝罪する。
そんなやりとりすらも楽しむように、老人は渋い笑みを浮かべている。
「ここは実在しない、精神だけが流れ着く庭園。深い眠りにつき、意識だけがここにある。時間の流れさえも曖昧でズレている。夢うつつの世界よ」
「要するに、精神世界的なものってことか?」
「そう解釈してかまわん」
そういうのは古い漫画やアニメなんかにもあったので、なんとなくだが理解できた。
ここにいる鉄真は魂や精神がつくり出しているモノで、肉体を持った現実の鉄真ではないということだ。
そうなるとこの老人も、精神がつくり出している存在ということになる。
こんな場所に、どうして一人でいるのか?
「いや、待て。あんた、それいつ取り出した?」
「精神的な世界とお主が言っていたであろう。想像すれば、望むものを生み出すことができる。もっとも、本物ではないから味は期待できぬがな」
老人の手のなかには、いつの間にか銀杯が握られていた。杯のなかには紫色の液体がたゆたっている。
老人は銀杯を口に寄せると、一気に酒をあおった。
「カーッ! これよ! 本物ではないとわかっていても、鍛錬後の一献は欠かせん!」
白い歯をこぼして笑う。風呂上がりの一杯よろしく、老人にとってはこれが楽しみなんだろう。
中身が干されると老人の手にある銀杯は薄まっていき、跡形もなく消えていった。なんでも消したり出したりできるというのは本当のようだ。
喉を酒でうるおすと、老人は地面に腰を下ろす。その所作は流れるようになめらかで、座っている姿勢もきれいだ。
なんとなく鉄真もその場に座り込んだ。
「にしても小僧。お主、おもしろいものを宿しておるな」
「今度はなんだよ? 俺に幽霊でも取り憑いているのか?」
「……竜か。懐かしいな」
老人の言葉に、鉄真の肩が揺れた。
鉄真の目つきが変わり、鋭さを帯びていく。
「どうしてわかった?」
「殺気立つでない。そういったことも、ここでは感じ取ることができるだけよ」
老人は口角をあげて笑ってくる。こちらを害する気はないようだ。
鉄真は刺々しい視線をやわらげる。
「竜との戦いで生き延びるとは、やはり見込みのある男じゃ」
「そんな褒められたもんじゃないけどな。戦いはしたが、俺が倒したわけじゃない」
天の地にある地下遺跡で、始祖竜の末裔というドラゴンを目覚めさせてしまった。巨体をおおう鱗は傷だらけで、まともに目が見えていない老いぼれた古竜だ。
それでも竜であることに変わりはない。遺跡にいた他の魔物たちを、尾の一振りで紙くず同然に蹴散らし、走るという動作だけで通路にいた多くの魔物たちを踏み潰していた。
あまつさえ遺跡に仕込まれたトラップを発動させてしまい、鉄真は一人で古竜の相手をしなければいけなくなった。
【鑑定】で確認した古竜のレベルは、とても鉄真がタイマンで太刀打ちできるようなものではなかった。
説明文には『王候補である竜狩りとの戦いで負った傷が癒えておらず、瀕死のまま何百年も生きてきた』と書かれていた。ブレスが吐けなくなっていて弱体化していたが、鉄真にとっては十分に脅威だ。
死に物狂いで粘り、奇跡的に【静寂世界】が発動したことでしのぎきれた。
「もともと死にかけたいたようだがな。途中で寿命が尽きて、勝手にくたばったんだよ」
「だとしても、お主が死地から生き延びたのは事実。竜よりも生きる力が強かったということじゃ」
そんな面と向かって賞賛されると、お腹のあたりがムズムズする。『不屈の高宮』なんて漫画みたいな異名で呼ばれたときみたいに気恥ずかしい。
鉄真が殺したわけじゃないので、始祖竜の末裔からは経験値をもらうことができなかった。トドメを刺していれば、一周目でも相当な高レベルになっていたかもしれない。
そして経験値はもらえなかったが、生き延びたことで『爪』をもらうことはできた。
授かった新たな力だ。
今の鉄真では、それを使うことは許されていない。
始祖竜の末裔と遭遇したのは、【レベルループ】で戻れる日にちよりも以前の出来事だ。なので、あのときの鬼ごっこをやり直すことはできない。
「アレの祖先とは因縁があっての。かつては好敵手が五万とおったから、この世界に飽きることがなかった」
古い記憶を懐かしむように、老人はどこか遠いところを見つめていた。
……やっぱり似ている。さっき顔を合わせたときからなんとなくそう思っていたが、話してみて、それが確信に変わった。
「どうした、小僧? 儂の顔になにかついておるか?」
「いや。ただアンタがうちのジイさんに似ていると思ってな」
「ほう。お主の祖父は、そんなに男前か」
「自己評価高いな。うちのジイさんは、アンタみたいなイケメンジジイじゃねぇよ。どちらかといえば、年老いた野生の猿みたいな外見だ」
猿は猿でも、狩りゲーとかに登場するような、とびっきり凶暴な猿だが。
「俺が似ていると思ったのは見た目じゃなくて、アンタから感じられる雰囲気だよ」
「なるほど。ずいぶんと懐いていたようじゃな。お主の口振りからは、祖父への信頼が感じられる」
「まぁ、かわいがってくれたし、身内のなかじゃあ一番の理解者だな。俺にからんできた連中を殴ってブチのめしたら、母親は叱ってきたけど、ジイさんは怒ったりせずに笑い飛ばしていた」
ガハハハハハハハハハハハハハハッと豪快に、そうやってよく笑っていた。
そして大きな手で鉄真の頭をガシガシと撫でてくれた。痛かったけど、嫌ではなかった。
その祖父も若い頃は相当な暴れん坊だったらしく、喧嘩を吹っかけられては返り討ちにして、柄の悪い連中に恐れられていたそうだ。
「力を持つ人間は厄介ごとに巻き込まれやすいから苦労がつきない、って教えられたよ」
鉄真がよく不良たちにからまれるのも、祖父はその理由をわかっていたようだ。
「……だからなんのために力を使うのか、よく考えるようにって、ジイさんに言われたな」
「お主は、その答えを得ているようじゃな」
「あぁ。だから迷いはしない」
グッと拳を握り込む。掌の肉が締まる。
そんな鉄真を目にして、老人はますます上機嫌になり相好をほころばせる。
「こうしてお主たちと会えたのも、何かの縁。道標となる助言をやろう」
老人は白いアゴヒゲを撫でながら告げてくる。
「人形使いを討つがよい。獣はとうにその意思を失っておる」
「わけわかんねぇんだけど。……いや、それってもしかして不滅の三王ってヤツらのことか?」
記憶を掘り起こす。ロストスカイ・メモリーの設定のなかにあった単語のはずだ。
「どちらも大戦に終止符を打とうとしなかった腑抜けよ。あやつらにも、お主ほどの気概があればよかったものを。神意も誤った選定をしたものじゃ」
老人は眉間の縦皺を深くして、つまらなそうにぼやく。その在り方が気に入らないとでも言うように。
「人形使いの住まう魔女の森に向かうがよい。森を抜けるのは骨が折れるだろうがな」
「……あ?」
老人からの助言を聞くと、頭がクラクラ。意識が遠のいていく。
なんだこれ? 沈んでいる? 引きずりこまれている?
地面の底に吸い込まれていくような、不確かな感覚。
それに周りの景色が変化している。晴れやかな青空がひろがっていたはずなのに、徐々に茜色に染まってきていた。
空に浮かんだ庭園は、寂しさ想わせる夕暮れの景色に変わっていく。
「時間じゃな。小僧、次に会うときは、生き残りの王候補を殺せるくらいには強くなっておれ」
老人が鋭い声色で呼びかけてくる。その表情は戦場に立つ猛者のような剣呑さがあった。
「お主であれば、儂の夢を終わらせてくれるかもしれんな」
沈んでいく。精神によって形成された世界のなかで、高宮鉄真というカタチが崩れていって、地面のなかに吸い込まれていく。
最後に聞こえてきた老人の声。そこには期待や願望、懐古や哀愁といった、いくつもの感情が複雑に重なり合っていた。