第五幕:「王と国と女たち」
第五幕:「王と国と女たち」
急ぎ王都バロアーゾサンカニアへと戻ったモニカたちは水が温まるのを待たずぬるま湯で湯浴みをし汗と泥を洗い流すと、アレコレと指示を出しながら髪を整えてもらい、ドレスを着せてもらいながら挨拶の言葉を確認するなど大わらわだ。
なぜこうなったかと言えば廃墟となった宿場町での出会いから思い出話に花が咲き、溢れ出る有益な情報をまとめているうちに帰還予定時刻を大幅に超えてしまったからである。
暗くなり始めた道とも呼べぬ悪路で馬を駆り、悲鳴を上げるお尻はしかしもっと悲痛な叫びを上げる脳によって上書きされた。
そう、ロトナム家との晩餐まであと僅か、むしろベルメナム家から申し込んだ事を考えれば既にその扉の前で到着を告げ「とても楽しみにしていたのでもう着いてしまいました、早すぎたでしょうか?」などと挨拶をしていてもおかしくは無い時刻である。
「まずいわ」
「えー、まずいですわ」
「先に行って少し遅れる旨を伝えて来ましょうか?」
「ありえないわ」
「えー、ありえませんわ」
女性陣に鬼気迫る形相で意見をキッパリと否定されたルドガーは触らぬ神に祟りなしとばかりに大人しく扉の前で待つ事にした。
昨日ケンラシア家を訪れた際は(一方的に呼びつけられたのだが)表敬訪問の様な物で正装であれば特にその種類や格式までは求められなかったが、今夜は正式な晩餐への招待である以上衣装も格式高い正装が求められる。
女性のそれと違いルドガーの礼装は武官である事もあって動きやすく装飾性の低い実用的な物であり、文字通り旅装束から着替えただけで準備は万端。
対して裾の長いドレスのスカートに慣れぬモニカや、侍女たちに背中の紐を絞り上げてもらい装着した慣れないコルセットに苦しむリムナリアなどは必死で、しかし以降は涼しげな顔をし優雅に着こなして見せねばならぬのだから大変である。
さてどうしたものかと悩んだ結果、やはり何もしない事にした、それが自らは力仕事担当で賢くはないと思うルドガーが下した“賢明な”判断というものである。
「よし、とにかく行きましょう…形だけは整いました」
「えーえー、身だしなみも、贈答の品も、皆さんの準備も大丈夫ですね、後は…ロトナムは1城1町4村、現在の領主の第一夫人はキストニア出身で…」
「リムナリア、もうその辺りは自分たちの記憶力に期待するしかありません!二人で知識を補い合いましょう!」
「まーまー、そうね、そうよね。では、はい!」
いざ、決戦の地へ…!そんな悲壮感すら漂う雰囲気だがあくまでもこれから向かう場所はまだ前哨戦、本当の決戦は王の前にて行われる調停の場である事は言うまでもない。
しかしこのロトナム家との晩餐が大きな意味を持つのも確かで、現状においてサンカニア王国内で最大の資産を持つのは彼らであり、軍事力についてもロトナムとケンラシアの二強。
彼ら無くしてサンカニア王国は成り立たず、されど彼らを抑えずして調停と調和も成り立たないのである。
ロトナムがその気になればサンカニア王国の実権を握る事も恐らく可能だが、それをしないのは唯々そのメリットが無いからというだけであって、そこに明確な抑止力は存在しないのだ。
歴代のロトナム卿はサンカニアの忠臣であったが、今の卿がこの混乱の時代においても動じぬ人物であるかは後世の歴史家にでも聞いてみないと分からず、今を生きるモニカたちにとっては如何なる可能性をも視野に入れて最善を尽くすのみである。
「願わくば、ロトナム卿の意向が平和的なものでありますように…」
頷いたのは同道するベルメナム家の人々のみであったが、もし聞こえていればサンカニア王国のほとんどの人が頷く事だろう。
政争と戦争はいずれにしても多くの民にとって不利益にしかなり得ないのだから。
「とてもマズイ状況です、リーナ、助けて下さいな!」
如何なる可能性をも視野に入れていたつもりであったが、その可能性は頭に無かった。
ロトナム家の家令と思われる老紳士も本当にむせている様な勢いで咳払いをして話の流れに一石を投じようとしている、リンデルシアの行動は完全に想定外だったのだろう。
仮にロトナム側で何か問題が起きていたとして「ロトナムの問題に協力する事がひいてはサンカニア王国全体の利益と安定に繋がるのです、否とは言いませんね?」くらいに高圧的な事を言われるものと覚悟していたというのに。
とりあえず改めての挨拶が交わされ、何となくあちらの家令ともアイコンタクトで混乱を共有し、思い出したかのように贈り物の贈答を行い、何とも心が落ち着かないままに案内された席へと座る。
その後は誰から発言するのかと皆がそれぞれを見回し空気読みが始まる中、結局突破口を開いたのはリーナこと我らがリムナリアであった。
「まーまー、それで。あの、ええと、改めて本日の晩餐へのご招待に感謝致しますわ、リンデ…ええと、ロトナム夫人」
「まー!そう、それなのよ、それって言うのはええと、ロトナムの第一夫人の事で、え?ああ、そうね、そうだったわ、招待を受けて下さりありがとうございます、ベルメナム家の方々」
途中で家令から再びの咳払いを挟まれたリンデルシアは慌てて立場を取り繕うが、もう既にだいぶ何と言うかアレである。
折よく料理が運び込まれ、食材の選択肢が少ないサンカニア王国ではとても珍しい、多種多様な盛り付けの皿が次々と並べられていく様を興味深く見守る時間がひと時の安寧をもたらし初動の騒ぎを鎮めた。
「それでそのぉ…リンデルシア様?何がどうマズイのでしょうか…」
「えーえー、聞いて下さる?私がロトナム卿の第二夫人なのはご存知よね?パルシュルーンは、卿の第一夫人は北で国境を接するキストニア王国の王族なのだけれど、皆さんだいぶその、何と言うか、勇敢な方々なのよ…とは言えいつもは私が理詰めでお話すればご理解いただけるのですけど、私がここに来てしまったから…」
サラッとベルメナムらしさも垣間見えさせつつ、ロトナム家における日常を語るリンデルシア。
曰くロトナム卿はお人好しで押しに弱い性格であるらしく、リンデルシアが理路整然と言葉をぶつければなるほど納得とその通りにし、パルシュルーンが気迫と勢いで熱く語ればなるほど納得とその通りにするらしい。
つまり、ロトナム卿は頼りになる(なりすぎる)妻たちの言う事には否と言う事が出来ずその意見は採用される事がほとんどで、そんな中で理詰めのリンデルシアと気迫のパルシュルーンとの間ではリンデルシアに分があり、リンデルシア>パルシュルーン>ロトナム卿という構図が成り立っているようである。
しかしこの調停の為にとリンデルシアが王都に派遣された結果、王都郊外に陣を敷くロトナム卿の野営地では理詰めの鎖から解き放たれたパルシュルーンがキストニア魂を爆発させているらしく、ケンラシアと戦って決着を着ける方が早いだとか、このまま王都の封鎖を突破して入ってしまうべきだとか、割と物騒な意見を出しロトナム卿が納得しかけるという未遂事件が起こっていたという。
「本当に未遂で良かったです…ロトナム卿が押し切られていたら今頃サンカニア王国は大変な事になっていましたね」
「えーえー、本当に…。それでリンダお姉様はベルメナムに何をお求めなのでしょうか」
「まーまー、話が早くて助かるわ。ロトナム卿を暴走させない為にも、早々にサンカニア正規軍の話をロトナムに任せるという事で決めてしまえないかしら?」
「まー。ええと、まー?」
「無理ですね。それではベルメナムもケンラシアも納得しません」
「まー、私は貴女ではなくリーナにお願いしているのよ?ね?リーナ?お姉ちゃんと王国の安定の為に、ね?」
なんて面倒くさ…もとい厄介なとは思っても顔には出さず、眉がピクピクと動きそうになるのもこめかみが痛くなりそうなのも、耳に掛かる髪をかきあげ直すついでにまとめてぐりぐりと押して揉み解す。
そんなモニカの何かが爆発しそうな様子を、なんだかんだ長くなりつつある彼女との付き合いで理解し始めているルドガーは、いつも通りの一歩下がった位置から観察しつつ、この後どうか荒れませんようにと願いながら主の代わりに引きつった笑みを浮かべる。
「リムナリア・ベルメナム様、一度状況を整理しては如何でしょうか、リンデルシア・ロトナム様におかれましてもどのような私見をお持ちか、改めてサンカニア王国の現状についてのご意見を伺いたく存じます」
「えーえー、そうね、そうよね。リンダお姉様、お姉様とこうしてゆっくりお話出来るのはとても嬉しいのです、嬉しいのですが、今夜私はベルメナム家の領主代行として参りました、同じくロトナム家の領主代行として王都に滞在なさっているロトナム夫人とは、サンカニア王国の未来を見据えて建設的なお話が出来ればと思っております」
「まー、まーまー!リムナリア、リムナリアがこんなにも立派に成長して嬉しいわ、それは本当に。でもそうね、これは私も本気を出さないといけないかしら?それにまー、なんて面倒な…いえ、厄介な方を引き入れたのかしら?雇ったのはお父様?それともあの執事?」
すぐさまリンデルシアの後ろに控える家令が「他家の領主補佐官を厄介者扱いするなど失礼極まりない」と諫めるも、リンデルシアはどこ吹く風である。
だって本当の事でしょう?とばかりに微笑むその姿からは当初の切羽詰まった雰囲気など微塵も感じられず、一切の動揺も緊張も無くいっそ堂々としていて清々しい。
そして、その目は一見するととても優しそうなのに全てお見通しだと物語っていて、モニカとリンデルシアの視線がぶつかり火花を散らす幻視にルドガーは一人震えた。
「…“お褒め”にあずかり光栄です、ロトナム夫人」
「あら、どうか私の事は“リンダ”と呼んで?その呼び方では話の中でパルシュルーンと混同してしまうわ、ね?」
「かしこまりました、“ロトナム第二夫人のリンデルシア様”。…私の事はどうぞモニカと」
「まー、改めてよろしくお願いしますね、“ベルメナムの領主補佐官さん”」
先ほどまでは緊張しながらも話し合い自体はモニカたちに任せておけばいいので、ちゃんと警護役の自分も晩餐を楽しむ時間があるといいなぁなどとテーブルに並べられた料理の数々を眺めお腹の心配をしていたルドガー。
今彼の目には飛び散る火花だけでなく、部屋を焼き尽くさんと荒れ狂う炎の渦と、部屋を凍り付かさんと侵食する冷気とがぶつかり合う様が見えており、皿の上に上品に盛り付けられた肉は黒く炭化するか白く凍結するかの二択を迫られている。
まだ晩餐は始まったばかりでお互いの出方をうかがっている段階だと言うのに既に地獄の様な空気は、肉なんてもうどうでもいいから早く終わってくれと、そう願わせるに至っていた。
「モニカお姉様を領主補佐官に推薦して下さったのは執事よ、私も嬉しかったし、お父様も喜んで許可してくれたわ!モニカお姉様はとても博識なの!」
「まー、そうなのね?ええ、きっとそうね?ふぅん、領主補佐官のモニカ…お姉様ね。これは喜ぶべきなのかしら、それとも悔しがるべきなのかしらね」
リンデルシアのモニカを見る凍て付く様な視線は天真爛漫なリムナリアの無邪気な声にその鋭利さを少しだけ和らげた、代わりにその視線でモニカを絡め捕り自らの元へと引き寄せ、じっくりと観察しようとしているかのようである。
喜ぶべきか悔しがるべきか、それは可愛い末の妹に出来た新たな“お姉様”に対する言葉か、それともベルメナム家の新たな才に対する元ベルメナム家で現ロトナム家の人間としての言葉なのか。
いずれにしてもモニカがリンデルシアに対して抱いた感想は、この人もリリスティアニアに負けず劣らず一筋縄ではいかないという事である。
「さて、と。ではいただきましょう。そうそう、この鹿肉はね?ロトナム家からの献上品なのよ?北のキストニアの森には多くの鹿が生息しているのですって、ロトナムではこういった品々もキストニアから…え?まーまー、そうね、そうだったわね?」
家令にそっと止められそのまま喋らせていたら終わらなそうな晩餐の始まり告げる言葉が終わりを迎える。
何と言うか、本当にベルメナムの血を引く人間は一度口を開いたらそう簡単には言葉が尽きないようで、これを従えた歴代のサンカニア王には畏敬の念を覚えるばかりである、と言ったら不敬だろうか?
「まーまー、美味しいお肉です!ロトナムの地は食が豊かなのですね」
「えーえー、ロトナム家やパルシュルーンの例だけでなく、キストニアと接する北部の諸侯は昔から細々と“独自の交易”を行ったり婚姻関係を結んだりして、キストニアからの恵を得ていますから…ね…」
「お姉様?どうかされましたか…?」
「いいえ、いいえ、何でもないわ。だってこれは北部諸侯が自らの力で開拓した恵ですもの、ね」
「まー、もしかして王や他の地域の諸侯に対して引け目を感じているのですか?お姉様も言ったとおりそれは北部諸侯が自らの努力で得た物で…」
「リンデルシア様、一つ疑問があるのですがよろしいでしょうか」
そう聞いたモニカに、リンデルシアは微笑んだ、とても穏やかに。
ああ、それを聞いてしまうのね、と。
しかしそんな事など面には出さず、笑顔を崩さぬままに軽く頷いて質問の先を促す。
「ロストア領を始めとする北部諸侯が北のキストニアとの独自交易で富を得ている事はまさに卿を始めとする方々の長年の努力によるものと存じます、それによってロストアが他の地域よりも栄えている事も納得です。ですが、サンカニア王国に生産性が無い事には変わりありません、その富の見返りとして…ロストアはキストニアに何を差し出しているのですか?」
そう、交易と言えば聞こえは良いが、商会などを介さず地方で独自に行われているのは大抵の場合、コインを介さぬ物々交換である。
ロストアが森深いキストニア王国から獣肉などを得ているのであれば、それ相応の品をロストアからも出さなければ交換は成立しない。
しかしロストアの地に交換に出せる品など存在するのだろうか?存在していないからこそ国を挙げての交易が盛り上がらず、長年サンカニア王国は陽の目を見る事が無いまま斜陽の時代を歩んでいるのでは無かったか。
「これをリーナの前で話すのは姉として心苦しく思います。でも、そうね、今の貴女はベルメナムの領主代行なのだから。王の助言者として、知るべきことを知り、聞くべきことを聞き、考えるべき事を考え…答えを見つけなさい」
「まー、あの、リンダお姉様…?」
「パルシュルーンの性格の話をしたと思うけれど、キストニアという国は雪山と森林に囲まれた常に自然と戦いながら生きる人々が暮らす国、常に冷気や猛獣と戦う勇猛果敢で行動力のある国。でもその自然の猛威は襲う相手を選んではくれません、だからかの国の人々は全員が抗う戦士。それでも老若男女問わず命を落とす者、四肢や五感を失う者が少なくないそうです」
「サンカニアとは全く異なる風土なのですよね、その厳しい環境が時に心を荒ませ暴君を生み、それに抗う銀の乙女の様な方も生むのだと、そうキストニア史から学びました」
「ふふ、リーナらしい解釈ね。そうね、そういった人と人との争いも起きれば、当然ながら善悪や勝ち負けに関わらず犠牲者も出る事でしょう、そうなれば人が減ります、人が減ればそれだけ修理の手も生産性も失われます、そして自然はその回復を待ってはくれないのです」
「まー!分かりました!それでは働き手となる方々を派遣する事で交易の対価としているのですね」
話の流れが分かったと、そう手のひらをパチンと打ち合わせて喜ぶリムナリアは、しかし自らの打ち鳴らした音が驚くほど鮮明に響いた晩餐の場の空気に戸惑った。
そんなリムナリアの姿を、恐らく一番優しく、一番悲しく、一番大切に思って見ていたのはリンデルシアだろう。
これから良く出来た可愛い妹に現実を突き付けなければならないのだから。
「リンデルシア様、私から説明しましょうか…」
「まー?うふふありがとう、でも大丈夫よ、大丈夫。私から伝えるわ、でもそうね、私がいない場所では貴女にお願いしたいわ、リーナの事を、ね」
ベルメナムの姉妹は本当に面倒で、狡猾で、油断も隙も無く、優しい。
果たして年の離れた優秀過ぎる姉たちに守られて、末の妹はどのように育つのだろうか。
「リーナ、ご明察。ロトナムからキストニアに送っている“品”は、人よ。でもね、それは木を伐ったり獣を狩る体力を持つ男性、子供を産める女性、それらを派遣では無く品として売っているの。もちろん説明はした上で、よ?」
「売って…?それではその人たちはサンカニアへは帰って来れないという事ですか?」
「そうね、そうね。人的資源として、その人たちはキストニアの物となります。決して奴隷の様に扱われる事は無いけれど、勝手にサンカニアに帰る事も、労働や結婚を拒否する事も出来ません。そういう約束…いいえ、契約で行ってもらっているの」
リムナリアが知っている奴隷とは、史書の中で登場する戦争で敗れた国の人々や、犯罪を犯した囚人たちに対して使われていた言葉であった。
まだ南の帝国の脅威が無かった時代には、北方諸国間でも戦争が起こり治安が乱れそういった人々が存在していた事は史書にも記載がある通りである、だが帝国が大きくなりその脅威に対抗する為に北方諸国が手を結んだのはもうだいぶ昔の話だ。
少なくともリムナリアと近しい人々、隠居した前ベルメナム当主や領地の老人たち世代の口からも奴隷などという単語は聞いた事が無かった。
だからそんな歴史に埋もれた、今はもう無くなったような言葉が姉の口から出て来た事が、それが例え対比として使われたものであったとしてもリムナリアには衝撃だった。
「奴隷、という制度はもう存在しない、のですよね」
「ええ、しないわ」
「その人たちは奴隷では無い、のですよね」
「ええ、違うわ」
「話を聞き、自ら望んで行った、のですよね」
「…ええ、そういう人も居たし、事前に話をして“納得”して行った人も居たわ」
一部の人は望んだ訳では無いが納得はして行った、少なくとも無理矢理に連れて行かれた訳では無い、と。
果たしてその人たちは北の地でどのような生活をしているのか、どのような扱いを受けているのか、淡々と答える姉にそれ以上聞くのは怖かった。
「そう言う訳で、ロトナムの豊かさはキストニアとの交易により支えられています。関係は良好、パルシュルーンも好奇心からロトナム家に嫁いで来た方ですし、双方に上下関係もありません。ロトナム家はあくまでもサンカニア王国の一家臣、その忠誠心にも変わりはありません。これでいいかしら?」
最後の言葉は疑問を投げかけたモニカに対してであった。
厄介な方、ことモニカに対して明確に自分たちロトナム家の現状と立場を伝えたのは、明日の調停の場で必ずモニカが重要な役割を担うであろうと考えての事である。
リンデルシアにとって年の離れた妹リムナリアはただの可愛い妹ではなく、同じベルメナムの血を引く姉妹として間違いなく優秀な人材であり、他家に移ってしまった今となっては強固な障壁となる。
だがそれでも経験の差は大きく、建材自体の硬度は高くともその積み上げ方にはまだ粗さがあり、所々に光や風が漏れる隙間が空いている様な印象だ。
リンデルシアであればその弱点に楔を打ち込み壁を崩壊させる事も可能だろう、だが“残念なことに”その壁の隙間を埋め補強している者がいる、この厄介な相手の攻略こそが調停の鍵になるだろうと彼女は結論付けた。
「需要と供給が共に満たされているのであれば、ロトナムは安泰ですね」
「えーえー、その通りよ。今のサンカニア王国において一番盤石な環境であると自負しているわ。ですから改めて提案するのだけれども、今回の正規軍の件はロトナム家にお任せ頂けないかしら?勿論、サンカニア王家にもケンラシア家にもベルメナム家にもそれなりの配慮はするつもりよ、それなりの、ね」
「明確な根拠を持ってのご提案は、確かに承りました。ですが…」
「えーえー、お姉様の言う事はごもっともだと思います。特に今回の件は時間もお金もかかる問題ですから、継続的に資金を負担する必要がありますものね。えーえー、今のロトナム家でしたらその負担にも一番耐えられる事でしょう、そしてその分だけロトナム家の得る発言力も大きくなります、その大きさに…サンカニア王国は耐えられるでしょうか?」
「あら、言ったはずよ、ベルメナム家にもケンラシア家にも配慮すると、バランスが大事なのでしょう?」
「それもそうですが、お姉様?私はサンカニア王国と王様の未来を憂慮します、既に多くの悩みを抱えておられる王様に、今後長きに渡るロトナム家への大きな借りを作らせたくはないのです」
その言葉を聞いたリンデルシアは目を細め、口角をクイッと上げる。
笑顔では無い、がとても満足そうな表情、獲物を見つけた蛇の様な、そうモニカという獲物を見つけたリリスティアニアの時と同じような顔である。
「まーまー、リーナはベルメナム家の事よりも王様の事の方が大事?貴女は今、ベルメナム家の領主代行なのよ?」
「勿論です!それにベルメナム家の代表だからこそ、考えるべきは王家と王国の今後についてだと、そう思います!…きっと、お父様もそうお考えになるはず」
リンデルシアが視線を動かせば自信と誇りに満ちた顔が並んでいた。
頬を紅潮させるリムナリア、深く頷くモニカ、暑苦しいくらいの笑顔を見せる護衛の…ええと、誰だったか、そして視線を伏せるのではなく堂々と前を向くベルメナム家の使用人たち。
まったく、王国の状況は決して良くは無いが、それでも楽しく愉快で考えがいのある時代に生まれたものだと彼女は思った。
「あくまでも王と国の為に、ベルメナムはその助言者たれ。リーナ、貴女は正しくベルメナムだわ。ベルメナム家の領主として満点よ。姉として誇らしいし、その発言を支持します。でも、理想だけではその王も国も救えないわよ?」
さあどうするの?と満面の笑みで先を促すリンデルシアは本当に楽しそうである。
対して言ってやりました!とばかりに自信に満ち満ちていたリムナリアはふと我に返り、徐々にその表情は険しくなる。
そう、結局のところ現状に対し誰もが納得するような解決策は出ていないのだ、ロトナム家には自分たちだからこそという根拠があり、ケンラシア家にも譲れない立場というものがある、サンカニア王家にはこれといった切り札が無く、ベルメナム家に求められるのは王家を立てつつ各領主が納得出来る解決策を見出す事なのだ。
褒めながら現実を突き付け、ベルメナムに傾き始めていた天秤を一瞬でひっくり返してみせたリンデルシア、もし彼女やもう一人の姉が今もベルメナム家に揃っていたならばどれだけ心強かっただろうかと、モニカはそんな意味の無い事を考えずにはいられなかった。
「きっと明日の調停では良い案と解決に向けての動きがある事を期待します、ね?さーさー、いただきましょう?せっかくのお料理が冷めてしまうわ。ねえ、続きのお料理も運ぶよう言って?」
恐らくこの場でこれ以上の具体的な解決案などは出ないと判断したのだろう、少し冷めてしまった場と料理に苦笑しながらリンデルシアが指示すれば、空気を読んだ家令によって止められていた料理の数々が運び込まれて来た。
その彩りはベルメナムの食卓では見たことが無いくらいに豊かで豊富で、無視出来ない存在感をもって目を楽しませてくる。
食材の多さと初めて見る果実が盛られた皿などには、落ち込んだ心を否応なしに沸き立たせ喜ばせる魔法でも掛かっているのだろうか、そしてその魔法を使ったのは並んだ魔法の奥で笑顔を浮かべているリンデルシア。
晩餐の調理と提供自体は王の名の下に行われているが、この内容は先ほども言っていた通り、ロトナム家からの献上品によってその多くがまかなわれている事だろう。
王家には無い強力な切り札をロトナム家は持っている、その効果のほどはリムナリアの驚き輝く目と、ルドガーの釘付けの視線が雄弁に物語っている。
モニカがふと顔を上げれば、蝋燭の先に浮かぶ蛇の様な笑顔と目が合った、私の魔法はどうかしら?と。
(この女、初めからこの展開を読んでいたのね、会話が盛り上がれば家令が料理の配膳を止める事も、そして話の経過がどう転ぼうと最終的にはこの切り札で全てを自分の物に出来る事も)
残念ながら今のモニカたちにこの切り札を覆せる手札は無かった、単純だがこれ以上は無いロトナム家の豊かさという実力、その魔力に間違いなく魅了されてしまっているのだから。
ルドガーに至ってはそのあまりの羨望の眼差しと護衛という立場への悔しさを滲ませた結果、新たに椅子と皿が用意され満面の笑みである。
その後は調停関連の話はせず、いや意図的に双方ともにその話題を避けたと言うべきか、和やかな晩餐の時間が流れたのであった。
そしてリムナリアがリンデルシアとの別れを惜しみ、ルドガーがテーブルの中央に残っている料理との別れを惜しんだ後の事である。
「…ルドガー、お皿を“綺麗に”しようだなんて考えなくていいのよ、その提案は不要です。いえ、勿体無いとかじゃなくて…ちゃんと使用人たちが残りを“綺麗に”してくれるのだから」
「まーまー、やはり鍛えてらっしゃる護衛の方は食も太いのね、ごめんなさいね、貴方は何も悪くは無いわ、少し私たちが小食過ぎるのよきっと、えーえー。ねえ、何かある?」
ロトナム家の家令はその家格に恥じぬ優秀な人材のようで、すぐにベリー酒のボトルと燻製された肉やチーズが土産の品として用意され当然のようにルドガーに託される、重いですのでとそれらしい理由を付けて。
実際重いのだろうが、あえてベルメナム家の使用人たちに分けて持たせず一包みの土産としてルドガーに渡すあたりは恐らく計算ずくだろう、その重さと質量、漏れ出る香りに上機嫌なルドガーを見れば効果は抜群である。
何かあればあっさりと懐柔されそうな自分の騎士にため息をつき、一通り別れを惜しむ言葉を交わしてもなお話が続きそうなベルメナムの姉妹を社交辞令で引きはがし、晩餐への招待に対する礼を述べて部屋を辞そうとした時だった。
「まー、そうだわ。ねえリーナ、少しそちらの方をお借り出来ないかしら?明日の予定について当家の家令と簡単に打ち合わせをさせておきたいの」
この時点でモニカは嫌な予感がしていた、この展開は昨日もあったなぁと。
だが補佐をする立場の人間同士での打ち合わせと言われればおかしな事では無く断る理由も無い、そしてその打ち合わせに主人たちが残り立ち会う必要も無いのである。
モニカは心の中で口には出せない罵倒の言葉を叫び散らし、どうせ逃げられないだろうと観念して笑顔で残る旨を伝えた。
少し心配そうにするリムナリアとホクホク顔のルドガーたちを見送り、さて、と振り返れば…
「こちらが明日のロトナム家の予定です、ご参考にどうぞ。改めてお飲み物をご用意致しますね」
走り書きながら几帳面さが伺える字で書かれた予定表を渡した家令はスタスタと別室へ去って行く。
主が主ならその家令も家令である、打ち合わせをするという話はどこへ行ったのやらと苦笑いをし、リンデルシアに勧められるままに席に着けば先ほどルドガーが受け取っていたのと同じベリー酒のボトルとグラスが用意された。
少しだけ興味を惹かれていたパルデニアでは見かけた事の無い品だっただけに、こんなところでまで心を鷲掴みにしてくるのかと称賛半分呆れ半分といったところか。
「さ、お話をする前に飲みましょう?お食事の時にも何杯か嗜まれていたし、お酒は苦手では無いのでしょう?」
「ええそうですね、火が着くようなお酒でなければ色々と飲ませていただいた事がございます。…それにしても、私を引き留めた理由が別にある事を隠そうともなさらないのですね」
「まーまー、だって貴女も最初から気付いていて残ったのでしょう?ふふ、だったら無駄は省きましょうよ」
「まあそうですね、私としてもその方が気が楽です。それで、改めて私に一体何のご用でしょうか」
「そうね、そうよね、単純に貴女とお話がしてみたかったというのが半分、もう半分はサンカニア王国の今後について助言をいただきたいわ」
「助言?ご冗談を、サンカニア王の助言者たるベルメナム家出身の方に私が助言出来る事など…」
そこまで言ったところでリンデルシアの妖艶な笑みに目を見開き、その後の言葉を飲み込んだ。
その全てを見通すような目は実際に展開を予測し人の心の機微をも読み取り先取りしてしまうのだろう、リンデルシアに嘘は通じないし下手な駆け引きも自分を窮地に追い込むだけだと悟ったモニカはその言葉に従う事にした、無駄を省くのだ。
「どこまで」
「全て」
「求めるものは」
「国を統べる立場からの意見、そしてサンカニア王国の打開策」
晩餐の席でリンデルシアはこう言った、「バランスが大事なのでしょう?」と。
しかしモニカもリムナリアもそんな事は一言も言っていなかったはずなのだ、あの晩餐の席では。
国内各家のバランスについて語り、リンデルシアと同じ台詞を言ったのは昨日のリリスティアニアである。
裏で姉妹が繋がっているのか、それともケンラシア家の誰かから情報を買ったのか、姉妹の仲を考えれば恐らくは前者なのだろう。
であれば、言葉通り全て知っていると考えるべきだ、リリスティアニアが知り得たモニカに関する全てを。
「ロトナム家の打開策では無いのですね?」
「あら、だってロトナム家の豊かさは今夜お見せした通り、王国内での地位や立場にも何の不満も無いわよ」
「でも国内でより優位な立場になろうと思えばいくらでも策はあるんじゃないですか」
「まー、そんな事をしてどんな意味があるの?サンカニア王にロトナム流に国を挙げて他国に民を売る事業を始めれば国が潤うとでも進言せよと?それは愚策よ、そんな愚かな事をするのはロトナムと北の数家のみで十分だわ」
「愚かなって…でも実際そのおかげで領主だけでなく領地全体が豊かになっているのは事実で…」
「その陰で涙を流した者、耐えて北へ旅立った者がいるのも事実よ。私は困窮に喘ぐ領民を前にして必要だと思ったからこの古くから存在した細い糸をより太く規則正しく撚りあげ明確な制度として整備しました。せめて領主のお墨付きのものとして、領主と領民からの感謝が旅立つ者や見送る者にはっきりと見えるように」
「リンデルシア様、貴女は…」
ベリー酒を用意し向かい合う二人のグラスに注いだ家令はその後別室へと下がったまま戻って来ない、壁を背に待機していたロトナム家の使用人たちもいつの間にか姿が見えなくなっていた。
今この部屋にいるのはモニカとリンデルシアのみ、だから涙を流す主の姿を目にする者は誰もいない。
「どう考えてみても、どう道筋を立ててみても、どうやりくりをしたとしても、この事業無くして今のロトナム領の繁栄を維持する未来は思い描けませんでした。でも、この様な犠牲の上に成り立っている繁栄など広げるべきでは無いのです。だからロトナム家にサンカニア王国を救う策はありません、あるのはせめても蓄えられた富を王国の役に立てる事くらい、だから正規軍の話はロトナム家にとって王国への貢献であり贖罪なのです」
「ロトナム卿は?」
「同じ気持ちです、むしろベルメナムから嫁いだ私なんかより余程王家とロトナム家の状況に心を痛めておいでです。それにパルシュルーン様も、あの方は武勇の方ですが同じくらい仲間思いで…とても優しい方です」
「だからどうしても正規軍の件をロトナム家主導でやりたかったのですね」
「根本的な解決にならない事など承知の上で、今ロトナムに出来る事を是非やらせていただきたいと思っています、そしてその先も」
「その先…?」
「サンカニア王国の未来のお話です、この国をこれまでとは違う豊かな国にしたいと…本気で思っています。リリアお姉様に続き私もベルメナムを出て嫁ぐ事が決まった時にお姉様と二人で誓ったのです、リーナが成人するまでにこの国を今より少しでも良くしておこうと、父が安心して引退出来る時代を創ろうと」
現実の非情さを思えば、成人したての姉妹が思い描いた空絵事に過ぎなかった、だがその姉妹には類稀な才があり、手を伸ばせば王国の中心に手が届く地位もあった。
数年では時間が足りなかったかもしれない、王国は変わらぬまま彼女たちの愛する末の妹はじきに成人を迎える、だがその妹とも手を取り合えばもしかしたら王国に良い時代を迎えられるかもしれない、老いた父や自分たちを育ててくれた顔が豊かで穏やかな余生を過ごせる時代が。
「ですからこの国に変革をもたらす新たな風が必要です、サンカニア王国の中に居ては見えない風の流れが」
「それを私に求めるのですか?」
「えー、えーえー、きっと貴女ならばと、今夜の出会いで貴女から吹く風、その言葉を聞いてこの胸に希望を抱く事が出来ました。リーナは間違いなく変わりました、勤勉なだけでなく王と王国を第一に考える素敵なベルメナムの女へと、そしてその心と行動力を支えているのは貴女です、あの子に貴女という追い風が吹いたのです」
「リムナリアは私が出会った時には既にランシア・リムナリアと呼ばれていました、それにきっと私が居なくても羽ばたくのは時間の問題だったと思いますけど」
「ふふ、外の世界を知らない女の子には、その一押しがとても大きいのですよ?貴女は風、背中をそっと押す風、外から流れ来た風、南風を避けてこの凪の様な国にやって来た風」
「…」
「どうかお力をお貸しください、ベルメナムが王の助言者足り得ると思っていただけるのならば、そのベルメナムの助言者となりサンカニア王国をお救い下さい、レモニカ陛下」
19年間呼ばれ続けたその名前に、こんなにも緊張し、こんなにも高揚する事はかつて無かった。
きっと亡き父パルデニア王も、民や臣下からその名を呼ばれ期待をされた時、同じように緊張し同じように高揚し、同じように決断を下したのだろうと思う。
王の責務とは国を良く治める事、民の期待に応え臣下の願いに応じ時に律し、自らの信念を曲げず豊かで平和な生活を維持し分かち合う事。
昔はいつの日か自分もその役目を担う時が来るのだと思っていたが、もう来ないと思っていた。
だが期待を寄せてくれる民は未だ健在であり、無茶な願いを叱り律しなければならない臣下もいる、そしてどうやら“外交相手”にも事欠かない様だ。
「サンカニア王は今もまだパルデニア王のその後とパルデニア王国の現状について何ら声明を発表していません」
「…陛下?」
「ですからまだこの国においてパルデニア王とはかの優しき王です。そして王国がそこに在るのならば19歳の王女が単身で国外に出ているとも思えません、違いますか?」
「まーまー、…言われてみればそうね、そうよね。ではベルメナム家の領主補佐官さん?私の大切な妹の事をしっかり頼みましたよ」
この女は…!!
リリスティアニアといいリンデルシアといい、ベルメナム家の人々の清々しいまでの切り替えの早さは最早芸術の域と言えそうだ。
ただただ、今の自分はパルデニア出身の少女モニカとして扱ってくれと言外に言ったつもりがこの対応である、勿論分かってやっているのだろうが、いや分かってやっているだろうからこそ性質が悪い。
結局自分はベルメナムの才媛たちには敵わないのかと思うと同時に、数年後にはリムナリアも“ああ”なるかもしれないと思うとブルッと体が震えた、末恐ろしいとはこの事か。
そんな表裏一体の頼もしさと恐ろしさを擁するサンカニア王国は、実はとても高い潜在能力と伸びしろを持っているのかもしれない、今はまだ地盤があまりにも脆く天井はあまりにも低いが。
「はぁ…任されました、ええもちろん!言われずとも可愛い妹はしっかりと守り導いてみせますとも!」
「まー、そういえばリーナは貴女の事をモニカお姉様と呼んでいるとか…。リリアお姉様が羨ましがっていましたよ、ずっとリーナのそばにいてお姉様と呼ばれる場所を取られたって」
「ふふふんそうでしょう羨ましいでしょう、リムナリアは私が代わりにしっかりと可愛がってあげちゃうんだから」
「えーえー、とっても羨ましいわ、本当に。でもそうね、そうよね、貴女がリーナの姉なら、つまり私たちの妹という事よね?ね?モニカちゃん?」
挨拶も程々に逃げるようにロトナムの部屋を辞したモニカは満身創痍であった。
明けて、決戦と言う名の調停会議が行われる日。
空のベリー酒のボトルを抱えて気持ち良く眠っていたルドガーは、私も味見したかったのにとすすり泣くモニカの演技によって絶望の朝を迎えた。
確かに昨日は強行軍だった、朝から王都を見て回りその後は悪路を馬で駆け緊張と共に宿場町の跡地を探索した、急ぎ帰った後はまたしても緊張の続く晩餐、そんな日の最後に緊張から解放され美味しい料理を食べ美味い酒を飲めば後はぐっすりというもの。
モニカの帰りが遅かった事もあってその緊張(?)からも解放されていたルドガーは、実質彼の為に用意されたお土産の品を部屋に帰るなり広げると幾人かの使用人たちも巻き込んで宴会を開き、節度を守った使用人たちとは異なり床で丸くなって寝ていたのである。
「ベリー酒…パルデニアでは見た事の無かった…美味しそうだったのに…ベリー酒」
「いや、あの、これは、あの、必ず!必ず売ってる店を探して、ああいやロトナム家にお願いして新しいボトルを買って来ますので!」
「この大事な調停のタイミングで?ロトナム家に借りを作って来るのですか?調停も交渉も私とリムナリアの仕事なのに?」
「お、お、お、俺は何てことをぉぉぉ…!」
モニカの嘘泣きとは異なり本当に涙を流し始めたルドガーを見てひとしきり笑った後、しっかりと護衛の任を果たして下さいねと言えば悲壮の決意を宿す騎士の出来上がりである。
当然の事ながらリンデルシアとベリー酒を楽しんだ話はせず、ルドガーに都合の良い貸しを作ったモニカの作戦勝ちで、ついでに緊張の朝を迎えていたリムナリアの笑顔をも引き出したので万々歳だ。
目をこすって起きて来たリムナリアは良く眠れなかったのか表情硬く少しだけ足取りもフワフワとしていたが、モニカとルドガーによる“日常”を目にした事でいつもの調子を取り戻したようである。
そしてモニカは少しだけ、以前よりもルドガーが素の姿や言動を見せてくれるようになった事も嬉しかった。
「さ、今日でサンカニア王国の未来が決まると言っても過言では無いですよ!ほら、改めて声に出してこう言えばとっても緊張してきませんか!私は緊張してきました!」
「だ、ダメじゃないですか!?」
「どどどどどうしましょうリムナリア!」
「ええええそんな私に聞かれても困りますお姉様!」
「ああああこんな時に緊張を紛らわせるお酒が!ベリー酒がここにあれば!」
「なあああ何で蒸し返すんですか!その話はもうさっき…!」
笑いながら責任を押し付け合い、時に結託し時に裏切り、三者三様の揚げ足の取り合いをする様子は微笑ましく、姉妹と少し歳の離れた兄の様に見えなくも無い。
そんな平和な戦争の朝を使用人たちと国王の使者は穏やかな表情で見守っていた。
「だいたい!貴方はいつもそういう事を言って…!」
「いやいやいや!モニカ様は少し細かい事に目くじらを立てすぎだと…!」
「まーまー、お姉様の言う通りだわ!でもルドガーさんの言う事にも一理ある、わ…!」
「ふむ、これはもしやロトナム、ケンラシア、ベルメナムの三つ巴を模した本日の予行演習か何かですかな?」
モニカはついに笑いを堪え耐えきれなくなった使用人の一人が止めに入ったか、と思ったが声を掛けた人物はとても高価そうな衣装を身に纏っていて。
モニカもルドガーもリムナリアも、一様に気まずそうに乱れた服を整え背筋を伸ばし綺麗な笑顔を作る。
いや、そーっと入って来て使用人たちと並んで壁際に立って見守っているとか無しでしょ!と文句を言いたいが言えるはずも無く。
気の良さそうなおじさん、にしか見えないがサンカニア王国の紋章が入った服を着るその人物は間違いなく国王の使者であった。
「良い朝ですな」
「ええ本当に、うふふ」
「会議の準備は万端といったところですかな」
「えーえー、どれだけ準備をしてもし足りない気持ちですが、今やれる事は全てやったと思いますわ、ふふ」
「なるほど、ではベルメナム家はいつお呼びしてもよろしいですかな」
「問題ございません、出席者は2名、及び護衛の私と書類等を管理する使用人が1名の合計4名、すぐにも動けます、動けますとも、はは」
「結構結構、既にロトナム、ケンラシア両家からも王のお声がけ待ちとの返答をいただいておる、恐らく昼前には正式に招集がかかるでしょう、…お若い方ばかりで緊張するでしょうがくれぐれも飲みすぎないよう」
「え?…あ」
終始ニコニコと穏やかな雰囲気を崩さなかった使者は最後に床に転がる酒のボトルを一瞥するとそう言い残して去って行った。
恐らく最初に訪ねたであろうロトナム家の部屋では、完璧に整えられた出迎えと挨拶を受けた事だろう。
その次に訪ねたケンラシア家の部屋では豪華なもてなしが用意され、使者に勧める儀礼的な挨拶と、同じく儀礼的で丁重な辞退のやりとりがあった事だろう。
そしてベルメナム家に対する印象は恐らく最後の言葉に込められていた通りだ、即ち良くも悪くも“若い”と。
それは未熟である事も意味するし、そんな若さに対して好ましく感じ応援する意図もあったように思う、総じてあの優し気な顔はそう、気を使われたのだ。
事実なので仕方が無いが、それでも若干の悔しさを感じたモニカはとりあえずルドガーの足を踏み付けておいた、ぎゃああ。
王座の置かれた広間の中央には長机が運び込まれており、静かにこれから始まる調停の出席者たちを待っていた。
幾人かの使用人が壁を背に待機しているが広間の中央にはまだ誰も居ない、王座とその横の椅子は空であり長机を囲む椅子もしまわれたままである。
そんな静謐な空間に最初にやって来たベルメナム家の面々は、その厳かな雰囲気にゴクリと喉を鳴らした、その音すらも皆に聞こえてしまっていないかと心配になるほどだ。
さっと近づいて来た使用人たちが長机の左手前側、王座から見て右奥に当たる位置の椅子を引きそこへの着席を促す、どうやら力関係に従いベルメナム家の位置は王から一番遠い場所になるようだ。
次いでケンラシア家が招き入れられリリスティアニアや騎士執事たちは王座から左手前の位置に、ロトナム家も同じようにリンデルシアや家令らが右手前の位置へと案内された。
少し間を空けて最後に王が姿を現し、一緒に入室した王の書記官らが左奥の位置、モニカたちの目の前の椅子を確保し多くの書類を机に並べ始める。
ゆっくりと王座へとたどり着いた王が振り返れば全員が起立し頭を垂れた、王座に腰を収めた王が控えめに頷き片手を上げれば皆も腰を下ろし、これで調停会議の場は整ったのである。
「皆よく来てくれたな、サンカニアを支える三家が揃うのは何年ぶりか、まずはその長年の功に礼を言いたい」
「ロトナムのリンデルシアが臣下一同を代表して申し上げます、我らの願いは王の治世の長きに渡る事、その為の献身を惜しみません。エジム王に良き風が吹きますように」
「風、風か…若き日に北の地で浴びた山風の猛烈さと叫び声の様な音は今でも覚えておる。あれは凄まじかった、あれを相手に怯まぬ北の民の勇猛さも凄かった。ロトナムはよく北の民との友好を維持してくれているな、誰にでも出来る事では無い、流石はロトナムよ、とそう卿に伝えてくれ」
「まー、ありがたきお言葉、主人も喜びましょう」
「うむ。そしてケンラシアよ、此度の献上品も見事であったと卿に。あの美しき品々はこの城に華をもたらしてくれる、失われて久しい華をな。亡き母の気に入っていた大皿もケンラシアの品であったのを思い出したわ」
「まーまー、すぐにも帰って主人と喜びを分かち合いたいお言葉ですわ。えー、先代の王妃様に献上した大皿の逸話はケンラシア家にも残っております、王家との絆の証として」
「そうか、それは嬉しい事だな。さてベルメナムよ、今回の調停役を申し出てくれたことに感謝する、アレが来れぬのは残念だが娘の其方も大器と期待している、全ての発言を許すゆえ今日もベルメナムたれ」
「えー、お父様の名に恥じぬ働きをしてみせましょう。全てはエジム様とサンカニア王国の為に」
目の前に陣取った王の書記官たちが一斉に羽ペンを動かし始める、この挨拶のやり取りから既に調停会議は始まっており、王国の歴史の一部としてこうして記録されていくのだ。
モニカはそこに自分たちが入ってしまっていいのかという若干の後ろめたさと、同時に歴史好きのリムナリアは王国の史書の一部となる事をきっと喜ぶだろうなという姉心とで改めて緊張と複雑な心情を抱くが、そんな事を言っていられないくらいに唐突に王の前へとその存在を押し出されてしまった。
「それから、えーえー、そちらの方も紹介しておいた方がいいのではなくて?んふふ」
「うふふふ、そうね、そう思うわ、さあリムナリア?」
「まー!そうね、そうよね。それからエジム様、まだまだ未熟な私を支えてくれるベルメナムの補佐官を紹介させて下さいませ。さ、お姉様」
「ぇ、ぇぇー。あ、サンカニア王にご挨拶申し上げます、ベルメナム家の領主補佐官、モニカと申します、どうぞお見知りおきを」
絶対に面白がっているリンデルシアとリリスティアニアに心の中でクレームを入れ、純粋で眩しいリムナリアの笑顔に顔を引きつらせそうになるのを何とか堪え、普通を装い極めて無難な挨拶をした、はずだったのだが。
「モニカお姉様はその歳に見合わぬ程の博識で、その才はエジム様やお父様と共に学んだ当家の執事も認める程なのです!傭兵団や商会に関する知見や交流もあり、パルデニア王国やアルタニア王国の有力者とも面識があるとか、とにかくそんな私などには勿体無い程の素敵なお姉様なのです!」
王への紹介として最後のはどうなんだ、というツッコミは心の中にしまっておき、姉二人だけでなくリムナリアからも不意に突き飛ばされて王の前に倒れ込んだような心境のモニカは冷や汗が止まらない。
とてもとても興味深そうな王の視線と、あらあらまあまあと口元を隠して笑う義姉二人と、何の疑いも無くキラキラとした目で見つめる義妹と、そして気まずい静寂に際立つ書記官たちが紙にペンを走らせるカリカリという音。
いえ、今の発言は公式の記録に残さなくていいですと言いたいが既にインクは紙に染み込んでしまっただろう。
「…ほう?モニカ嬢、期待しているぞ。時にそのような才や伝手があるという事は其方もベルメナム家の縁者か?私の知る限りサンカニア貴族で成人の年頃の者にそのような名の記憶は無かったが」
「ああいえ、ええと…実はサンカニアでの日は浅く、生まれてから多くの時間をパルデニアで過ごしておりました、こちらの護衛役も同様です」
「ふむ、かの国の出であったか…きっと良家の子女なのであろうな。過日のパルデニア王には良くしていただいた、サンカニアという国の持つ意義についての言葉には随分と励まされたものだ」
「…サンカニア王国はそこに在る事に意義がある、ゼルゴニアとアルタニアの間に存在しているという事に。と、ええとそう聞いた事がございます」
「ははは、褒めるべき所など何も無いこの国にそのような見方もあるのだなと、若かりし日の私は驚いたものだ、懐かしい」
可能な限りリムナリアの陰に隠れている予定だったが、むしろスポットライトを浴びているのは何故なのか。
ベルメナムの姉妹に嵌められているような気もするが頭の回る彼女たちが利も無く不用意にモニカの素性を明かそうとしているとも思えない。
であればただただ面白がってやっているのだろう、さあどう対応して見せるのかしら?と、やっぱり面白くない。
「ではパルデニアのモニカよ、改めて其方やそちらの者の知恵にも期待している、ベルメナムと共に忌憚ない意見を」
「はい、微力を尽くさせていただきます…」
出鼻を挫かれた形のモニカだったが、幸いな事に調停会議の最初は各家の現状や、ロトナム・ケンラシア両家の率いている軍の内情に関する開示と共有といった事務的な報告が続き、まずはそれぞれの陣営が持つ交渉材料と言う名のカードが机に並べられた。
落ち着いて気分を仕切り直し、改めて会議の場に向かい合えばより一層サンカニア王国のバランスが崩れてしまっている事が分かる。
話はそう簡単では無いが、ざっくりと言えば各家が持つカードはロトナムが3枚、ケンラシアが2枚、サンカニアとベルメナムが1枚ずつである。
その中でロトナム・ケンラシアそれぞれがまず切るのが今回の調停の焦点であるサンカニア王国の正規軍となる兵力の提供であった。
「それではまず当家から。ロトナム家からは領兵として鍛えた兵とそこに加わった正規軍化を希望する元傭兵団3つを主力とする大兵力を王に提供出来ます、特に元傭兵団のうち2つはキストニア出身者で構成された屈強な者たちでその練度は折り紙付きです」
「陛下、ケンラシア家からも兵を提供可能です。民兵と傭兵団2つで構成されますが、売りである屈強さと同時に荒くれ者でもあるキストニア人とは異なり、こちらは軍国として北方諸国に名を轟かせる東のゼルゴニアで活躍した者たちでしっかりとした統制と質の高い装備を持っております。…王国の正規軍ともなれば風紀や見た目も重要となりましょう」
「うむ、いずれも魅力的な提案だな、我が要請にそのように応えてくれた事に感謝する。だが、そうだな…」
どちらに貸しを作るのか、どの程度までならその後の維持に耐えられるのか、王が悩む大きな問題はこの二つだろうか。
全てを正規軍化するのは無理であり、折衷案として両方から少しずつ採用する場合にはその配分や採用されなかった残りの者たちをどうするかという問題も出て来るのだ。
「よしそうだな、うむ、ベルメナム家の意見は」
「は、はい!ええと、維持に必要な費用を考えると正直なところ今のサンカニア王国の財政状況では傭兵団にして2つほどが限界かと思います、それを基準に考えると…」
「ではケンラシア家の軍が丁度良い規模でしょう、是非お使い下さいませ」
「いいえ、ロトナム家の軍であれば先んじて当面の費用を前払いしておきましょう、その後も費用の一部を負担し続ける事が可能です」
「まーまー、何て恩着せがましいの、そこまでして王国の弱みを握っておきたいのかしら」
「まーまー、何て考えが邪なんでしょう、純粋に王国を思っての現実的な解決策を非難なさるなんて」
早速始まったロトナムとケンラシア、リンデルシアとリリスティアニアの戦いには全く相手に対する容赦が無い。
二人と接点の無い人間からしたらとんでもない言い合いに見えたはずだ、両家共に相手を潰さんとする程の激しさすら感じる、事実そのやり取りも記録していた王の書記官たちはビクリと震えペンが止まってしまっているではないか。
だがベルメナム家の陣営は落ち着いたもので、まああの二人ならば“かまし”としてこれくらいは言うだろうなと思った程度だ。
大国の王宮であればこういった貴族同士の多分に比喩揶揄嫌味を含んだ言い合いも日常の一部としてあるのかもしれないが、小国サンカニアでこのような光景を目にする事など今まで無かっただろう、王も顔を引きつらせているではないか。
「あ、あの、どちらにしても集められた全軍を採用する事が出来ない以上、残る方々にどのように対応するかも併せて決めなければなりません、契約が反故になる訳ではありませんが、当初の契約とは異なってしまう以上ある程度の補償や代替え策が必要です、難しい話ですが…」
「うむ…だが王都周辺での食料不足の話も上がってきておる、我が言に端を発するもので遺憾だがこのままこの事態を長引かせる訳にもいかぬ。まったくコインがいくらあっても足りぬな、税収が増えればやりようもあろうが、はっ…言っても詮無い事か」
「エジム様…」
一国の王という立場にありながら持ち得る策は少なく選択肢の幅も限られている、国を良くする為の試みはその多くが既に先代たちによって実行されことごとく失敗に終わった、残された道は細く荒れ果てた獣道の様な有様なのだ。
それでもこの時代に南からやってきた嵐は現実であり、事実今ここにその嵐に飲まれた難破船が流れ着いているではないか、そう思えば正規軍の話自体を全く無かった事にも出来ない、その必要性を感じたのは王だけで無く臣下や民たちも同じなのである。
「いっそクアンカ殿たちみたいに傭兵団まるごと村人として定住させたり出来れば一石二鳥、いや三鳥なんですけどね、それも場所や元手となる資金が無いか」
「もう、ルドガー!勝手に発言しちゃダメでしょう?あの書記官さん今のは…」
「待て、今の話興味がある、ベルメナム家の護衛役のルドガーと言ったか、それは一体どういう状況なのだ詳しく話して聞かせよ」
「え、あ、と、あ、え、お、っ痛!?ちょモニ…あ、はい、あの、はい。詳しく、詳しくですね?」
その場の全員の視線を集め、しどろもどろに琥珀蟹傭兵団の成り立ちやその後を話すルドガーはとてもしどろもどろしていて…しどろもどろであった。
モニカはルドガーの話すロストアでの出来事に注釈や補足を加えながら、ついこの前まで一緒だった人々との出会いや事件を思い出す、まだ大して時は流れていないというのにロストアでの日々をとても懐かしく感じた、ラングやマドレア、ホルド商会の面々、領主兄弟などは元気にしているだろうか。
そう思うと同時にパルデニアでの日々を、そこに当たり前にあったあの日々をも懐かしく感じられてしまった事に軽いショックを受ける、だがそれでもそこにあった顔、そこに響いていた声、そこに存在していた故郷の全てをまだしっかりと覚えている。
自分の中にまだ“パルデニア”がある事に安堵し、その欠片の一つである騎士を見れば…未だしどろもどろしている真っ最中であった。
「そおゆうわけでですね、つまりちいきのじちをにないつつせいさんせいのこうじょうもはかっていっせきに、あれ三鳥目は何だったか」
「はぁ…、そうゆう訳で、時に傭兵として街道の警備に当たる事で自治を担い、普段は村で農業を行い地域の生産性と食料供給を底上げし、その定住をもって彼らの権利を保障すると同時に領主には税収の増加も見込める、一石三鳥の計画です」
「うむ、うむ、理に適った素晴らしい計画だ、サンカニアでも取り入れられないだろうか?」
琥珀蟹傭兵団の話に目を輝かせるエジム王は、しかし周囲の反応の悪さに驚いた、こんなにも素晴らしい例があるのに何故と。
その王にとても悔しそうに唇を噛み締めるリムナリアがゆっくりと口を開いた、辛い現実を伝えるのはまさに辛い事だが、恐らくそれを伝える役割こそベルメナムに必要とされるものだろう。
「エジム様、大変素晴らしい例だったのはその通りです。ですが…残念ながらサンカニアで同じ事を実現するには大小多くの課題があります。まずその傭兵団が定住出来た事には生活に利用出来る廃坑と開拓しうる森がそこにあった事が大きいでしょう。そしてその新たな開拓村が軌道に乗るまで資金面で支援したホルド商会の存在。それに本人たちの意思の確認も必要です」
「えーえー、立地条件に関してはこの国のどこを探してもそうそう良い土地は見つからないかと、探した結果が既存の村々なのですから」
「えー、最初の条件が悪ければ初期投資の必要額は更に多くなりますわ、正規軍の編成と併せて進めるには少々荷が…」
荒れ地の広がる大地で各村が細々と農業を行っている状況で新たな開拓村の場所を定めるのは容易では無く、サンカニア王家の富は僅かで国内の商会も規模の小さな資金力の低い商会ばかり、そんな条件下で進んで定住してくれようという者が果たしているだろうか。
結局、無い物ねだりしか出来ないこの件は保留という事になった、国土の根本的な条件があまりにも違い過ぎる事実に改めて意気消沈しながら。
「ううむ、やはり恥を忍んである程度の軍は解散させるしかないか」
「えーえー、現実的にはそういう事になるかと。ですが、問題は金銭だけでは無くこのまま国内で軍の解散をした場合、それを契機に狼藉を働く者が出ないか、また結局は彼らが移動しない限り消費される食料の問題も解消されない事でしょうか…」
「ふむ、治安の悪化についてはいくら傭兵団と言えど彼らを信じるべきだろう、だが食料不足は如何ともし難いか…用が無くなったからすぐにも国を出ていけなどとは言えぬ」
「王都周辺での食料不足には軍を引き連れその食料調達を現地で行っている私たちにも責がございます、ロトナム家が領内に貯蔵する食料の速やかな提供をお約束いたしましょう」
「…残念ながらケンラシアにはその余裕はございません、少なくとも現時点で抱えている軍の食料は当家で責任を持つ、とのみお約束させていただきます」
どこもかしこも破綻寸前でギリギリの状態、唯一若干の余裕があるのがロトナム家だが、このままロトナム家頼りの決定ばかりしていては民の王家に対する信頼は更に失われてしまうだろう。
そもそもが南の脅威に備える必要性を感じての動きであったのに、国内に不信が広がってしまっては元も子もない。
どうして安易に正規軍を集めるなどと言ってしまったのか、そう後悔するエジム王だったがそれこそ今更言っても詮無い事かと自嘲する。
やはり自分は何もしない方が良いのだと、何かをしようとすれば必ず悪い方へと舵が向く、それがサンカニアという国であり歴代の王の宿命なのだと、そう諦めの境地に至る。
そんな王の見えぬ苦悩を、臣下の前では流さぬ涙を、リムナリアはしっかりと見ていた。
「エジム様、その、今回の調停の議題とは離れてしまうのですが…。王国の今後に関する試みとして、ベルメナムから提案したい内容がございます」
「王国の今後、か。最早何を言われても驚きはせぬ、それこそ国の運営をロトナムに任せよとの“忠言”であったとしてもな。言うてみよ」
「エジム様!私がお話したいのはサンカニア王国の今後についてです、“ロトナム王国”についてではありません!…あ、いえロトナム家にはそれだけの力はあるとは、思っていますけど、ええと、でも王家とは…」
「続けてリーナ、ロトナムは今も昔もこれからもサンカニア王家の忠臣、私もサンカニア王国の今後について興味があります」
「ケンラシアも同様です、サンカニア王国を良くする為の試みに何か具体案があるのであれば是非聞きたいわ」
どのみち正規軍をどうするのか、残った傭兵団をどうするのかについては良い代替え案を出せずにいたのだ、ある意味で話題の変更は誰にとっても渡りに船であった。
そしてだからこそ、現状がこれ以上は無いくらいに悪いからこそ、どのような内容であっても一度は考慮してみる余裕が生まれたのかもしれない、例えそれが普段であれば一蹴されてしまいそうなとんでもない提案であったとしても。
…いや、もしかしたらこれこそが歴代の王の脳をかき混ぜてきた“ベルメナム”の提案というものなのかもしれない。
そう、ベルメナムとは王の頭痛の種でありながら、しかしそれでもなお長きに渡ってサンカニアに仕え王が側に置き続けて来た王の助言者なのだから。
「もしかしたら、なのですが、サンカニアの地をまるごと豊かな大地に変える事が出来るかもしれません」
「…聞こう」
王の書記官たちやケンラシアの騎士執事などは露骨に眉根を寄せていたし、ロトナムの家令も優しく…少しだけ残念な人を見守るような柔和な表情をしているが、いずれもとても常識的でまともな反応と言うべきなのだろう。
サンカニアとは建国以来8代に渡り変えようとして変えられなかった歴史を持つ国なのだから。
「えーえー…と、その前にエジム様にお許しを頂きたい事が、あ、私たちでは無く王都の南にある旧宿場町についてで、あそこには今パルデニアからの難民が住み着いているのはご存知でしょうか」
「ふむ、やはり彼らであったか。詳細は把握しておらぬが何やら人影があるとの報告や、跡地から度々上がる煙の報告は受けておる、賊の類でなければ良いと捨て置いていたが。そのような話が上がって来る前には…パルデニアから来たという一団を、一団を…王都への受け入れを拒否し追い払った事実がある」
最後の言葉を目を伏せて言ったのは、王としてもその判断に胸を張れる自信が無かったからだろう。
実際には素性が定かでは無い一団の受け入れを拒否したとて、それは王都の治安を守る判断として決して間違った判断であったという事はあるまい。
だが難民を受け入れなかった狭量な王と民や臣下から謗られるのではないかという不安、何よりつい先ほど期待していると声を掛けた目の前の人物がパルデニア出身だと聞いたばかりなのが何ともバツが悪い。
「ふっ…その者らが引き続きそこに住み続けたいと言うのであれば正式に許可を出しても良い。だが、あそこは静かに物が湿り歪み膨らみ腐りゆく呪われた場所、長く留まれば人もいずれは…」
「いえ、そうではないのですエジム様。今あそこに住む方々は自ら町の構造に手を加え、中央の一部だけですが穏やかな風の吹く住みよい場所へと変えているのです。その証拠に井戸の周囲には畑が作られ、風に揺れる野菜や果実はとても大きく見事な出来栄えでした、サンカニア国内の商店では見かけないほどの。しかもこの先もっと暖かくなれば更に多くの種類の収穫も期待出来るそうです」
「何と?あの場所でそのような収穫が…。実は可能性を秘めた土地だったのか、それとも人の技術によるものか…何にせよ求める許しとはつまり」
「えーえー、かの難民の定住の許可と正式な王国民としての権利の付与、そしてこの王都への交易を目的とした出入りの許可証の発行をお願いしたく」
「応じよう、管理する者を派遣して王国民としての登録を済ませ次第、居住地の確定と通行許可証も対応するものとする」
「ありがとうございます、エジム様!」
喜びの声を上げたのはリムナリアであったが、それ以上の歓声を上げたいのをグッと堪え、心の中で叫んだのは言うまでも無くモニカとルドガーの2人。
目の前に座る書記官たちが確かに王の回答を書き記したのを見届け、テーブルの下で互いの手を取り固く握りしめる。
この場はサンカニア王国の内政を議論する場であり、その主役はサンカニアの王と臣下たち、そこに本来部外者である自分たちがいる意味はベルメナム家の一員としてリムナリアを補佐する事が小目的であり、王国の未来とひいては北方諸国の未来を守る事が大目的。
だが、そもそもの2人の旅の目的は旧パルデニアの民を助け守る事だったのだから、少なくともパンザニットの村人たちの未来は今守られたのだ。
「うむ、して…その者たちが生産する農作物の流通で…いやそれだけで王都の食料事情が劇的に変わるとも思えぬ、そうするともしやサンカニアの地でも強く育つ作物があるのだろうか?」
「そうであれば良かったのですが、しかし遠からずといった所でしょうか。彼らは宿場町の一部に風が集まる場所を作り出す事で、その一帯を住み良い場所に、農作物が育つ場所に変える事に成功しました」
「まーまー、それじゃあその方法を他の町や村でも導入出来れば生産性が上がるかしら、ケンラシアは新しい技術や試みに好意的な者が多いのですぐにも協力出来るでしょう」
「えーえー、その様な技術や方法があると言うのであれば、是非国中に広めたいところですね。勿論ロトナムも協力を惜しみません」
「うむ、うむ。全ての村で導入出来るのであれば、なるほどサンカニアの地をまるごと豊かな大地に出来るというわけか。そういう事であれば他の諸侯も資金の出し惜しみはするまい」
素晴らしい案だと、出席者たちの表情は明るくなり書記官たちも流石ベルメナムだとリムナリアを褒め称える。
その為リムナリアは言い出しづらくなってしまった、そんなに万能な方法では無いのだと、そして本題はそこでは無いのだと。
だが幸いな事にこの場にはリムナリアの表情の変化を見逃さない姉たちが3人もいて、立場は違えど揃って妹には甘く裏ではしっかりと手を結び合っているのである。
「リムナリア様、続きの件も王様にご提案してみてはいかがでしょうか」
「まーまー、まだ続きがあるのね?そうなのね?そちらも良いお話だといいのだけれども」
「えーえー、さあリーナ?知っている事は全部王様と私たちに教えてちょうだい」
「うむ、少し性急に過ぎたか、ベルメナムのリムナリアよ続きを聞こう。なに、さっきも言った通りどのような内容でも驚きはせぬ」
ニコニコと続きを促す王と、少し心配そうにしながら見守る姉たち。
そんな中で語られるのはとても壮大で無謀なサンカニア王国改造計画なのであった。
「はい…宿場町の民たちは町の北半分に板などを張って風の流れを集める道を作り出し、中央の一点に風そよぐ場を作り出しました。ですがこれは元々風の流れがほとんど無いこの国における苦肉の策で、効率的には非常に悪いと言わざるを得ません。風の恩恵を受けられる耕地に対して風を集める仕掛けがあまりにも大規模だからです。もし既存の村に導入しようとした場合、風を集める為に村の倍近い規模の建造物が新たに必要になります」
「それは…むむ、確かに割に合わぬ、か」
「はい、ですがまずそもそもの話として…このサンカニアの地には風が無いのです、それが農耕に適さず大地が潤わぬ原因なのだと聞きました。植物の種が自力で飛ばず、助けとなる虫や鳥の姿も稀なのが問題なのだと」
「まー、それなら植物の種と合わせてその虫や鳥も輸入出来たら少しは良くなるかしら、東のゼルゴニアから意匠の参考として虫や鳥を持ち込ませた事があるのでその伝手を使えば…」
「いいえ、ダメなのですお姉様…パルデニアから来た民たちはこの王都へと辿り着くまでの旅で見たサンカニアの大地を…生物の根付かぬ土地だと言っていました。風が無く水源も安定しないこの地の土は…ボロボロと崩れ落ちる枯れた土か、はたまた長年に渡って溜まった澱みや腐敗によってブクブクと瘴気を生む場所すらあると。それを洗い流す風も水も無いのだと」
「まーまー、それではやはり常に民の手入れが行き届く範囲でしか作物も生き物も育たないのでしょう。野生の動物や虫が増えないのも同じ理由ね。ロトナムの北部では鳥が飛ぶ姿を見る事もあるけれども」
「お姉様!そう、それなのです!」
一転して湿っぽくなった空気を吹き飛ばすように、大きな声と共に勢いよく立ち上がったリムナリアは座っていた椅子をも吹き飛ばして慌てる。
サッと駆け寄ったルドガーが椅子を直しポンポンと座面を叩けば、何を思ったか気合十分といった表情で頷いたリムナリアは椅子の上に立って調停会議の場を見渡した、少し鼻息も荒い。フンス。
まあまあ落ち着いてお座り下さい、と言ったつもりだったルドガーは困惑しつつもとりあえず椅子が倒れないよう押さえるが、リムナリアのスカートが顔をくすぐり少しだけ顔が赤くなっているのは仕方が無い事だろう、同時にモニカの視線が冷たいのも仕方あるまい。
「北のキストニアから風と水と動植物たちをまとめて輸入しましょう!そうしてサンカニアの大地を生まれ変わらせるのです!!」
その場にいたリムナリア以外の全員が頭を抱えた。
王が頭を抱えたのは常識的に考えれば致し方あるまい、リンデルシアとリリスティアニアが頭を抱えどういう事かと真剣に考え込んでいるのも分かる、モニカとルドガーが頭を抱えたのは言葉の不十分さに対してであり、書記官や執事たちはさっきから頭を抱えっぱなしなので問題は無いだろう。
「…ごめんなさいリーナ、水と動植物は分かるわ。でも風をどうやって買うの?どうやって運ぶの?どう…キストニアは対応するのかしら?」
「あ、えっと、えっと、リンダお姉様にも是非ご協力いただきたくて、ええーと…」
「リムナリア様、まずは落ち着いて風の説明を」
「えー、えーえー、そうね、そうよね、ふう、はあ。…宿場町に居る旧パルデニアの民たちは元々パンザニットという森に囲まれた村の住民で、そこでは風と土と水に恵まれた環境で豊かな農耕が行われていたそうです。ですが昔からそうであったのでは無く、長い歴史の中、森の開拓を行っていく過程で環境と産業に大きな変化があったのだと伝わっていました」
「ふむ…今度こそ驚かぬ、続けよ」
「はい!森を切り拓き空間が広がる事で村に風が強く吹き込むようになり、また山の麓の木々が伐採された後は雪解け水が川となって村の近くまで流れて来るようになったと。その後、切り拓かれた森の中の農耕地では実りが大幅に増え、村は林業の村から農村へと生まれ変わったのだと」
「「まー、ランテ!」」
この時代、元々小さな農村だった地が人口の増加や開拓と灌漑によって大農村へと発展する事はあっても土地そのものの性質が変わる事は無く、歴史ある村の産業自体が変わる事はほぼ無かった。
まだ開拓間もない村が様々な産業を模索したり、大災害などの大きな環境変化によって生活の変化をも余儀なくされた例が稀に残る程度である。
そんな中で人工的な開拓の結果、環境が変化し新たな産業が生まれそれが成功したという例は少なくとも北方諸国の記録に残っている歴史の中には存在しなかった。
パンザニット村が規模の小さい辺境の村であった事も一因ではあるが、当時のパルデニア王国も管轄していたラタンドア領主も、そのような変化を記録すべき事柄として把握してはいなかったのである。
「風と水、これがあれば新たな道が拓ける、か。しかしリムナリアよ、それをどう、キストニアから買うというのだ」
「はい、このサンカニアの地は北にキストニア、東にゼルゴニア、南にパルデニア、西にアルタニアと接していますが、その国境はいずれも山や森がその役割を果たしています。それは即ち、サンカニアが平地であると同時に森や山に囲まれた国である事も意味しています」
「…まー、リーナ?それはちょっと…」
「…まー、リーナ、いくら何でも規模が違い過ぎるわ…」
「いいえリンダお姉様、リリアお姉様、このサンカニアの問題はとにかく自然が動いていない事なのです。風も水も、私たち人間を含めた生き物たちも、昔からずっと何も変わらないまま。…変えようとした王も自然そのものを動かす事は出来なかった。ですが、それはサンカニアの中で何とかしようともがいていたからではないでしょうか」
「故に、他国の、キストニアの力を借りよ、と?しかしどうやって…キストニアからサンカニアへと風が吹くよう頼むとでも言うのか」
「流石エジム様!話が早いです、その通りですわ!」
今度こそ驚かぬと言った王はギリギリのところで言葉を飲み込み、頭の整理が付かぬままとにかく先を促す事にした。
王は悟ったのだ、ベルメナムの言葉に一つ一つ口を出していたらいつまで経っても話は終わらないし、結局聞いたところでまた新たな疑問が生まれるのだ、だったらとにかくベルメナムの口が止まるまで喋らせておいた方がいい、精神的に。
「リンデルシア様、ロトナム北部のキストニアに近い地では鳥が飛ぶ姿を見るのですよね?」
「えーえー、遥か上空を悠々と飛ぶ猛禽類を」
「それらは風に乗り空高くへと舞い上がるのです。国土の北部に連なるように雪山を有するキストニアでは、その雪山から吹き下ろされる強い風が国の中央に広がる森にぶつかり、木々の上を流れる風はそのままサンカニアの上空にも流れ込んでいるのでしょう」
「お姉様、その風を買いましょう!上空にしか流れていない風を、もっと大地に届くようにしてもらうのです!」
恐らく話について行けているのはベルメナムの姉妹と予め聞いていたルドガーだけだろう、そのルドガーでさえ話の流れは理解出来ても実現の可能性については懐疑的であったが。
とにかく「どうですかこの名案は」と言わんばかりのリムナリアと、「もしかして、でも、まさか」と何やら察した様子の姉たちのボルテージはどんどん上がっていく。
もはや王に話の続きを促されずともその勢いは止まらず、仮に王が居眠りをしていたとしても構わず喋り続ける事だろう。
「確かに、森を伐採すればそれだけ風の流れは低くなるかもしれないわね、でもそれではロトナムはより良くなるかもしれないけれど、サンカニア全土を救うほどの変化になるかしら?」
「それにリーナ?キストニアの許可を得て北の国境線の森を伐採するとして…確かあの辺りは線引きが曖昧で過去にキストニアと揉めていたはずよ」
「えーえー、ですから今回でその国境線も明確に出来れば素敵な事だと思います。そう言う訳で、“キストニアの北の雪山からサンカニアまでの間の森をバッサリと伐って風の道を作り、ついでにそこに川も掘ってもらっちゃいましょう”!」
それは、それはもう他国の協力がどうこうでは無くほとんどキストニアに何とかして貰うという話では、と誰もが思った事だろう。
事実、構えに構えていたにも関わらず驚きを飲み込み切れなかった王は体をワナワナと震わせ、叫ばざるを得なかった。
「な、な、な、ななななな、内政干渉だっ!!」
「はい!ですからこちらもそれなりの誠意を見せる必要があるかと思います。交渉にはキストニアと縁のあるロトナム卿とリンデルシアお姉様、それに卿の第一夫人のパルシュルーン様にも口添えをお願い出来ないでしょうか?更にリリスティアニアお姉様の話術もあればなお良いかと思います!」
「…流石にこれは私の一存では決めかねます、一度戻って夫とパルシュルーンに確認が必要です」
「…えー、私もキストニアまで行くとなると長期の留守となる事を夫に確認しませんと」
「そなたたちは何故そうも前向きなのだ!?あのキストニア人だぞ!あの戦士たちがわざわざサンカニアの為に国土の一部を変える土木作業をしてくれるなど…む、無理に決まっておる!」
王が言った事は至極真っ当な事であり、恐らく書記官や執事たち、そしてあれだけ大声で叫べば聞こえているであろう壁際に控える使用人たちも同じ気持ちに違いない。
だがエジム王は歴代の王たちが味わったであろう苦悩を知る事になる、使い方次第では毒にも毒にも…たまに薬にもなるかもしれないベルメナムという劇薬の効能を。
間違った事は言っていないはずなのに、何故か「?」という顔が目に前にあるのだ、それもロトナム、ケンラシア、ベルメナムのいずれにも。
例えば「やってみなければ分からない」という言葉は多少なりとも勝算や可能性を感じられるからこそ言うのであり、無謀を通す為の方便では無い、はず、なのだ、だが、これでは、まるで、
「エジム様?やってみなければ分かりませんよ?」
「えーえー、その価値は十分にあると思います」
「まーまー、交渉術を学んだのはこの時の為だったのかもしれないわね」
「王様、本当に風と水を買えるなら多少の困難などなんのその、ですよ」
「ま、無理そうだと思ってた事もやってみたら案外何とかなるもんですよ、サンカニア王」
こいつらは揃いも揃って何を言っているんだ、と思うがここまで当たり前のように言われてしまうともしかして自分の方が間違っているのかと不安になってくる。
そして極め付けは同じ高さで王を見る真っ直ぐな視線、皆より一段高い王座に座る王と、椅子の上に立った事で横に並ぶリムナリアの目。
その期待と希望と、王を信じて疑わない純真な眼差しは力強く、光差す隙間があれば塞いで見ないようにして来た王にとっては眩し過ぎた。
その光に身を任せてしまえばいよいよ自分も失策を演じてきたサンカニア歴代の王たちの仲間入りかという思いと、この光にならばサンカニアの過去全ての闇を振り払うだけの力があるかもしれないという抱いてはいけない淡い気持ち。
せめぎ合う心の中での葛藤はたった一つの言葉でその均衡を崩した。
「きっと、パルデニア王ならばやるはずです」
その言葉はモニカが言うか迷い、結局飲み込んだものであった。
言ったのはリムナリア、王の迷いを払うトドメの一撃となったそれについては後日、見事な言葉選びとタイミングであったと褒められたリムナリアがこう答えたという「モニカお姉様であればそう言いそうだと思ったから」と。
とにかくこの良く出来た義妹によって脳を焼かれた王は覚悟を決めた、王となって以来常に普遍、不偏、不変、と無難な選択しかして来なかった当代のサンカニア王は、ついに変わる覚悟をしたのだ。
その初めての選択にしては随分と分の悪い賭けに出たものだと思うが、この無謀な策の首謀者は王家の者にとって悪名高きベルメナムであり、その賛同者は王国名門の重臣たち、どうせ崖っぷちの状況であるならばいっそ王国一丸となって一番の奇策に打って出るのも悪くは無い。
そんなやけっぱちとも取れる方針は、しかしこのサンカニアに唯一の明るい話題を提供した在りし日のパルデニア王に背中を押されたような気がして、王は笑った。
「分かった。この件はサンカニア王家が全ての責任を持って進める、ロトナムは現地での主導を、ケンラシア及びベルメナムは交渉材料や具体的な計画案の策定に協力せよ」
「「「はっ!」」」
「…特にベルメナム、リムナリアよ。もし私が再び迷い決意を鈍らせるような事があらば考え得る最大限の言葉を持って私を叱咤するように、その言を罰したりはせぬ。…書記官!」
「確かに書き留めました!」
「…まー、ベルメナムに最大限の言葉での叱咤を許可するなんて。私でしたら怖くてとても無理です、流石は王様」
「…えー、ベルメナムの真の恐ろしさに触れずに済む事を祈るばかりですわね。うふふ」
「…待て、少々言い過ぎたかもしれん、そんなにベルメナムとは、いやおまえたちも本質はベルメナムではないか!いやだからこそ…いや、いや、待て」
正面に座るモニカに良い笑顔で促された書記官は、もう一度発言を記録済みである旨を宣言し、王は早くも判断を誤ったかと何度目かの頭を抱えた。
事前の打ち合わせなどは無かったが、予定調和のごとく王を包囲し見事にその心を陥落せしめたベルメナムの姉妹に他の参加者たちが震え上がったのは言うまでも無い。
だがそれでも前に進む決意を固めた王の心には間違いなく良い変化があった、良い事など何も無かったと思っていた過去は意識して振り返らないようにしていたが、必ずしもそうでは無かったのだと。
「やらねば…ならぬか。うむ、やれば良いのだ、それだけの事だ。確かに王の責務の何たるかを身をもって示して見せたパルデニア王ならば…それにあの日、私は将来立派な王になってみせると約したではないか、その約束を破ったままには出来ぬ」
「エジム様、約束は破られておりません、全てはこれからです!」
「そうだな、だがけじめはつけたい。モニカよ、其方に伝えるのは筋違いというものだが、生憎と私の知るパルデニア人は今其方しかおらぬ。故にパルデニアを代表して聞いて欲しい」
「は、はい」
「…パルデニア王と王国の事は残念であった、かの王を失った事は北方諸国の重大な損失であり後悔である。援軍の要請に対し派遣し得る軍を持たなかった過日の我が国を許して欲しい、そして…援軍に向かうキストニア軍の南下を恐れ我が国の通過を許可せず、間に合わせられなかった事を心の底から悔いておる。悔いておるのだ…」
なぜサンカニアは援軍を送ってくれなかったのか、なぜ助けてくれなかったのか、そういう声があったのは事実である。
だがサンカニアという国と、サンカニアの王たちの歴史を知ってしまった今となっては、そこで怒りのようなものは何も湧き上がっては来ず、むしろパルデニア王の言葉が与えていた影響の大きさを知った事で心が温かくすらある。
モニカの頬を涙が伝うが王の目に涙は浮かばない、しかしそれは長きに渡り枯れ果てたサンカニアにあって涙すらも枯れたからだ、そしてそこに潤いをもたらすのは自分の役目では無いだろうと、鼻をすするリムナリアを見て思う。
ならば自分の役目は何か、今出来る事は何か…。
「王様、私の知るパルデニア王ならばきっとこう言うでしょう。…サンカニア王国はその役割を果たし続けていただけ、今も昔もそこに在るという役割を、ならばそれを誰が責める事があるでしょう、自信を持って下さい、自信を持ってより良い国を作って下さい、そしてもし余裕が出来たならば…パルデニアの精神を引き継ぎ北方諸国を救って見せよ!」
書記官はそのまま書いて良いものか少し悩んだ、実際にモニカの言葉に困惑の色を浮かべる参加者も何人かいた、だが結局はありのままに聞いた内容を書き記す事にした。
なぜなら彼らの王はその言葉に静かに頷き、非礼ならば咎めるべき重臣たちはただ頭を下げその会話を聞いていたからだ、まるで王族同士の会話を邪魔せぬ様にと。
そして通常は記録しない事だが、書記官はその時の様子や風景についても補足として書き記していた、それがどのような場であったのかを伝える資料を残しておくべきだと判断したからだ。
誰がどこにいて、それぞれがどのような反応をして、どのように混ざり合いこの調停会議がどんな結果を生み出したのか…。
なお後に書き加えられて補完されたのだが、この時リムナリアの立つ椅子を支え続けそのスカートの陰で泣いていたルドガーが一時的に忘れ去られていたのは余談である。
「確と。ふふ、ふはははは、言うではないか!パルデニア王ならそう言うと?言うかもしれん!まるで聞いてきた事のように言うではないか!実はパルデニアでも名のある一族の出か?我が国に今婚姻相手として丁度良い者はいただろうか、ふはははは!」
この王の“冗談”に笑ったのは書記官や執事、家令たちだったが、それまで何があっても落ち着いていたロトナムとケンラシアの代表が目を泳がせていたり、ベルメナムの代表が少しムスッとしていた事が記録に残されている。
書記官の注釈として女性にはウケの悪い冗談だったか、などと書かれていたが、後に良い相手を探してやるどころか王自身が立候補したとしても相手の方が格上という事実が発覚し、公文書を焼却するか真剣に悩むという事件があったこともまた余談である。
「む?ふむ、あー、冗談はさておき…サンカニア王国の未来についてはベルメナムの賭けに乗るとして、だ。その未来を目指す為にも今の問題を解決せねばならぬな」
「あのーそれなんですが、その余りの傭兵団をそのままキストニアに土木作業要員として送り込めば一石二鳥だと思うのですがどうでしょう、これって名案じゃありませんか?」
「…ルドガーと言ったか、その案では結局費用は掛かるままでは無いか、確かに王都周辺での食料不足は解決するかもしれぬが…」
「えーえー、キストニアとしても他国の傭兵を大量に、かつ長期にわたって国内に留めたいとは思わないでしょう」
「えーえー、サンカニア国内で何かある分には私たちで対処出来ますが、キストニアの地で問題を起こされたら国家間の問題に発展してしまいます」
「えーえー、それに傭兵さんたちも本業では無い仕事をやりたがるかしら?」
「うんうん、ルドガー?黙ってなさい?あとそろそろ二人は元に戻りなさい?」
思い出したように自分の状況が恥ずかしくなったリムナリアはスッと差し出されたルドガーの手を借りて椅子から降りると、ポフポフとはたかれた座面に改めて腰かける。
こういう時のちょっとした気遣いなどはしっかりと騎士らしいところもあり、本業をやらせればきっとそれなりには有能なのだろうがルドガーが“騎士”として活躍出来る場は当面の間無さそうであった。
「問題の傭兵団…と言うと彼らに失礼ですね、そもそも雇用したのはサンカニア王国側であって彼らは契約通りにここまで従軍してくれているだけなのですから、そんな彼らが不満を抱かずに、尚且つ国庫と食料に負担が掛からないようにする方法…」
「どう考えてもそんな方法は無かろう、我らは現実を見る必要がある」
「あの王様、確かに今の状況下で全ての解決を図るのは無理があるかしれません、ですがもしかしたら、彼らにも納得して貰えるかもしれないお話があります」
最初に浮かんだのは希望の明るい顔では無く、何を馬鹿なという疑いの顔。
国のトップが顔を揃えてこれだけ話し合っていて答えが出ていないのに、今更どんな奇跡の様な話があるのかとその表情は物語っている。
だが当のモニカとてさっきまでは良い案など浮かんではいなかったのだ、サンカニアが未来に向かう計画が話し合われ、その無謀とも思える賭けに王が乗った事で初めて現実味を帯びた内容なのだ。
「その、私には傭兵の方々の心情などは分かりません、ですがベルメナム家が現在雇っている灰色狼傭兵団の団長が引退した元傭兵の話をした事がありました、その余生に思いを馳せる内容です」
「まー、あの船で歌を歌っていたという方のお話ですね?確か、そう!仕事の無いパルデニア王国は傭兵に嫌われていると言われてお姉様が怒って、でも引退した傭兵はむしろそこに向かうんだっていう…」
「私の話はどうでもいいの!とにかく、傭兵の方々が求めるのは仕事とお金、ですが引退後に求めるのは平穏な生活という一面もあるのだと。そこで今彼らに提示出来る仕事もお金も無いのであれば、将来の生活を対価として提示してみてはいかがでしょうか」
王は諦めの表情で先を促す事にした、もう今日は何を言われてもとりあえずどうにでもなれの精神である。
驚かないように身構えていても簡単にその構えを突破してくるベルメナムの姉妹たちに、抗戦はするだけ不毛だと思い知った後である。
疑いこそすれ否定はしない、聞く耳は持つが聞き流すくらいで丁度良い、共に考えるが共に悩んではいけない、…敵に回してはいけない。
「今後、サンカニア王国は劇的な変化をとげる可能性があります、キストニアとの交渉が成功し、仮説通りに風と水を得る事が出来たなら、王国の未来はとても明るいものになります」
「まー、それではその未来を提示した上で、王国での土地や永住権を対価にすれば…お姉様!」
「ええ、彼らは元々王国の正規軍となってこの地に定住する選択をしていた者たちです、交渉の余地はあると思います」
「まーまー、それならば払えない契約金の問題も解決ね、だとすれば食料消費を分散させれば全てが解決するわ」
「えーえー、王国内での食料供給量はすぐには増えないでしょう、でも各領で分担して交易をすれば」
「ならばいっその事、各領の国境付近に新たな砦とか作っちゃうのはどうでしょう?元々帝国に備えての国防を考えていた訳ですし。その建築への動員ならば自分たちが守る事になる場所なんで気合も入るかもしれません」
「まー!それは良い考えだわ、それに他国との交易も王都では無く国境付近のその場所で行えれば輸送日数も費用もグッと抑えられるはずよ」
「えー!それならばもう村砦として設計してしまいましょう、倉庫を作り彼らの住む家や土地もその周囲に確保すればより守る意識も強まるでしょう」
「いいですねそれ!そうすれば引退後はそのままそこで暮らせます!永住権があれば王国内での移動も出来るので気に入らなければ他領や王都への引っ越しも選択出来ますし!」
企画立案に王は不要、そこにベルメナムが居ればそれでよし。
と、そんな事は無いのだがそう思わずにはいられないのも事実で。
特に当代の王国重臣の家系にはサンカニア王国の歴史の中でも稀有な事に、よりにもよって全てにベルメナムの血が入り込んでいる事もあって、本来であれば意見を戦わせるべき3家が共謀して王の意見を封ずる事も可能なのだ。
最終的には王の決定が全てに優先するが、現実はと言えば…。
会議の経過を余さず記録していた書記官は、その中で飛び出したロトナム王国という単語も記載していたが、頭に浮かんだのはどちらかと言うとベルメナム王国であった。
これで王家にもベルメナムの血が入ったら本当にそうなるかもしれない、などと口が裂けても声に出しては言えないその不敬な考えは、しかし後に現実となって書記官に襲い掛かる。
「と、言う訳なのですがいかがでしょう、王様」
「…よい、全て其方たちに任せる、交渉も国政も」
「まー、ご冗談を。…ですが、そうですか、国政を、そうですか、えーえー」
「えー、お任せいただけるならこの国の未来の為にも、もう一つ提案してみましょうか。ね、リーナ?」
「え?リンダお姉様?リリアお姉様も…え?」
とても邪悪(?)なその笑みは、果たしてベルメナムの野望だったのかそれとも姉による余計なお節介だったのか。
何はともあれ王国の方針は定まり、失敗すれば王家だけで無く王国そのものが歴史から消えるかもしれないその調停会議の場は、最終議決を得る為に後日の再開となった。
エジム王と書記官たちは会議の内容を事細かに振り返り王国の状況を正確に把握するべく奔走を開始、これまでにない程の王の前向きな姿勢に周囲の者も熱が入り、その様子は王都の民たちにも伝わった。
ロトナム家は第二夫人リンデルシアの“説得”によって第一夫人パルシュルーンも計画に賛同、必ず母国を説得してみせると息巻く妻と共にロトナム卿は会議の決定を支持した。
ケンラシア家ではケンラシア卿が夫人の持ち帰った内容に驚愕しながらも結局は妻を信じてこれを支持し、ついでにケンラシア様式の品々を交渉材料として無償で提供する事を約した。
ベルメナム家からは病床の当主と領主代行の任を解かれたリムナリアに代わり、新たに王とも面識のあるソラム老が領主代行として王都を訪れ支持を表明し、その護衛として姿を見せた灰色狼傭兵団のダンゲラの提案によって各傭兵団の団長もまた王都へ招聘された。
その流れで調停会議の結論が出される、予定だったのだがやはりと言うべきか、各傭兵団から計画自体には賛同するものの別の保障が欲しいという意見が出たのだ。
曰く口約束だけでは信用出来ず、未来の豊かな土地という不確かな報酬では団員たち全員を納得させる事は難しいと。
もっともな話なのだがサンカニア王国の苦しい財政と現状を考えれば、代替えとして先渡し出来る報酬もキストニアとの交渉が失敗に終わった場合の補償として提供出来る物も無いのである。
さてどうしたものかと微妙な空気が流れる中、手を上げたのはロトナム卿の第一夫人、キストニア出身のパルシュルーンであった。
悩んでも結論が出ないなら早々に交渉の成否を明らかにすればいいではないかと、そんな簡単な話では無いと言う言葉を無視してその場で席を立つと、キストニア出身の傭兵団長2名を引き連れわずか3騎でそのまま母国へと馬を走らせてしまったのだ。
困ったものだがとりあえずそれでキストニア側に交渉の席に着く気があるかどうかだけでも分かればと、その答えが出るまでは傭兵団も現状維持に応じるとして議決はまたも先送りされる事になった。
それからほどなくして早馬が王都へと帰還した、交渉の為にキストニアのハンゲルホーン王が既に国を出立し、この使者が到着する頃にはその後を追ってロトナム領を南下しているだろうと。
前触れも無く、いやこの早馬が前触れなのだがその伝える内容がキストニア王がもうすぐ王都に着くよ、という事態を誰が想定しえただろうか。
丁度王都ではパルシュルーンが戻るまでの間の食料をどう分配するかなどという地味で大変な話し合いが行われていたというのに、そんなものが吹き飛ぶほどに王都は大騒ぎになり、とにかく出迎える準備をせねばとエジム王も手ずから作業に加わり北門と王城の整備や飾り付けが行われたのである。
王都の民は一体何事かと驚いたが、事態を聞き更に驚いた、他国の王がキストニアに来るなど数十年ぶりの事なのだ。
そうして王も臣下も民も一つになって進められた準備は、想定を更に上回る速さで到着したハンゲルホーン王を無事に迎える事に成功したのである。
「やあやあエジム王、随分と凄い計画を思い立ったじゃあないか」
「ハンゲルホーン王、遠路はるばるようこそおいで下さった。そのキストニア流の迅速さには驚きを禁じ得ぬがそれこそまさに貴国の素晴ら…」
「やるぞ!それでサンカニアが良くなるんだろ?ならばやろう!」
「う、うむ?それはええと、交渉を始めて良いという事ですかな?それでは早速お席に…」
「面倒くさいのは抜きだ、将来サンカニアが良くなったら大きな見返りがある、そういう事でいいんだよな?ならば早速国に帰って戦士たちを招集しよう」
椅子を引いて待っていた者は仕事を失い、酒と料理を持って控えていた者はタイミングを失い、サンカニアの王と臣下は言葉を失った。
先日調停会議が行われていた王座のある広間、そこにハンゲルホーン王を迎え入れて僅か数十秒の事である。
「…、ああ、それはありがたい事ですが、条件などは…」
「知らん」
「ハンゲルホーン王、流石にそれでは後々何か気分を害されたりすると我々も困って…」
「ならば聞く、がなるべく簡潔にな?」
エジム王は頭を抱えたいのを必死で我慢した、ただでさえキストニアに負担の大きい遠大な計画を、如何に誠意と言葉でもって納得してもらうかを考えていたのに、と。
言葉の波で繰り返し押し寄せるベルメナムとはまた違う見上げる様な大波の一撃に、準備していたカードは手を離れ砂に埋もれてしまった。
「キストニアの北から南まで、伐って掘って風と水を流します、するとサンカニア王国は豊かになり、キストニア王国に物凄く感謝します」
「なあははははは!パルシュルーンから聞いていた通りだ!それで俺たちは感謝以外に何を得る!」
「酒!肉!米!」
「他には!」
「歴史に残る名!かの銀の乙女にも劣らぬ名声!」
「それこそ俺が欲しいものだ!いいぞ女!気に入った!ついでにお前も前払いで貰っていこうか!」
その言葉に慌てたのはエジム王だ、このハンゲルホーン王の信じられないような勢いでは、本当にそのまま連れていかれても不思議では無い。
と言うよりそんな事を考えている間にもハンゲルホーン王は一歩踏み出し手を伸ばしているではないか!
「ま、待たれよ!その者は、リムナリアは、王の助言者として私に必要な者です!」
「助言者だあ?そんな者おらずとも何でも自分で勝手に決めればいいだろうよ。よしこの女は貰っていくぞ、王の助言者よりも王の妻の方がいいだろ?」
「ままま待たれよ!リムナリアはその、私との婚姻を薦める話も出ていて、だから、今はまだ…!」
「だから何なんだ、話が出ているってのはどういう事だ、そんなもの貰うか否かってだけの話だろ、何故そんな半端なままにしておく必要がある」
「それは、そう簡単な話では無いからであって、とにかく…ハ、ハンゲルホーン王!これは内政干渉ですぞ!」
「こっちの森をいじる話は内政干渉じゃないのかよ」
「っぐ…!」
エジム王に足りないのは圧倒的に経験である。
王となって以来、何事も無く現状維持を求めてきた彼には内政を大きく動かす経験も、他国の王や要人と話す経験も足りていない。
対してハンゲルホーン王は一見すると無知にも思えるが、その実自ら動き話し、時に戦い時に苦しみ乗り越えてきた確かな経験がある。
そして足りないのは女性と接する経験も同様であった、国庫そのものを失うほどの失策を犯した父王と母はその補償の責を果たした後にエジムに王位を譲り隠居したが、間もなく失意の中で没した。
そんなサンカニア王宮で諸侯を集めての夜会などが開催される事は無く、財も権威も名声も無く姿も滅多に見せぬ王に娘を嫁がせようという者もいなかったのだ。
「まあそれはいい、いじるのはもう決めた事だ。だが王よ、エジム王よ、どうにも俺はお前のその煮え切らない態度が気に入らない」
「そう言われてもこれが私の性分なのだから仕方がなかろう…」
「はん、そんな感じで去年も答えを渋ったのかよ、俺が戦士たちを連れてパルデニアに向かうのをよ」
「あれは!あれは…!後悔、しているのだ。だからその事についてもこの後謝ろうと…」
「そんなものはいらん、後悔してるなら行動で示せ。そら、早速良い機会ではないか」
まったく何がどう良い機会なのか理解は出来なかったが、目に前には挑戦的な表情を浮かべるハンゲルホーン王が居て、連れ去られそうな緊張からか手をギュッと握りこちらを見つめるリムナリアが居て、頼りの臣下たちは誰も助けに入る様子が無い。
皆が2人の王の会話に聞き入り身動き一つしない中で、ソラム老の横に居た補佐官、確かパルデニアのモニカだったと記憶している者だけが書記官に指示を出しこの様子を記録させていた、余計な事を。
「で?」
「は?」
「でえ?」
「はい?」
「貰ってっていいんだな?」
「いいはずないでしょう!」
「じゃあそういう事だな?」
「ええそういう事です!…ん?」
その日、王都の門には多くの旗が並んでいた。
太陽と大地を現した旗はキストニア旗。
太陽と大樹を現した旗はロトナム旗。
太陽と翼の生えた壺を現した旗はケンラシア旗。
太陽と杖を掲げる賢人を現した旗はベルメナム旗。
魚をくわえた狐を現した旗はラタンドア旗、これはかつてパンザニット村に掲げられていた旧パルデニア王国ラタンドア領主の物だ。
兜と交差する斧を現した旗はキンザール傭兵団の旗。
兜と両刃の斧を現した旗はクラガナール傭兵団の旗。
宝石が埋め込まれた大楯を現した旗は碧甲亀傭兵団の旗。
塔と月と弓矢を現した旗はクラッサ傭兵団の旗。
塔と馬と旗手を現した旗はオルボット傭兵団の旗。
飛び掛かる狼を現した旗は灰色狼傭兵団の旗。
昼過ぎにはここに兜と盾と交差する槍を現したキストニア旗が加わり、王都の民の目を楽しませた。
だが夕刻になり更に加わった旗を見た時、多くの民がそれが何の旗だったかすぐには思い出せなかった。
国王を示す王冠の印も、正規軍や領兵を示す金縁も、傭兵団を示す黒か赤の縁も、商会などが使う背景の斜線も無く、分類が不確かな旗だったからだ。
加えてその白地に赤い果実の描かれた旗がキストニアの王都バロアーゾサンカニアに最後に掲げられたのはもう40年以上も前の事で、ほとんどの民は実物を見た事が無かったのである。
最後にその祝旗が掲げられた日は、エジム・サンカニア王子が生まれた日、その誕生を国民に祝福された日、その幸せを願われた日。
今日、その日がやって来た。
キストニアの空とサンカニアの大地が繋がる地・ロトナム、流れ込む風と水は清涼でその豊かな緑と笑顔に人々はコインを落とす。
北方諸国の中央に位置し街道の整備されたサンカニア王国は一大観光地となった、その中でもロトナム領主の町は王都や賢都、華都に並び称される風都に成長した。
その実現に当たり現地でキストニア人も驚く程の行動力を見せたリンデルシアという“女傑”の逸話は母国よりもキストニアで有名だ。
銀の乙女の末裔と手を取り合い、更にはキストニア王とその戦士たちをも従えて指揮を執る姿が彫刻された墓石には献花が絶えず、民や戦士に混じって一輪を添えた昔馴染みの騎士に上品に笑うと、その魂は空へと旅立ったのだ。
第五幕:「王と国と女たち」 了
ひと月ぶりにこんにちは、こんばんは。
さてさて最後の騎士第5幕、如何でしたでしょうか。
サンカニア王国編はこれにて一応のおしまいとなるのですが、次回幕間として5.5話に当たる短編が続きます。
まだサンカニアの古い言葉とか繋がりが良く分かってない部分があると思いますが、
それをサイドストーリーの様な形で表現出来たらな~と思っております。
表現し切れるかは未来の自分次第、さぁがんばりたまえ、自分!なはははははは…!
はぁ(ため息)
そういえば、基本的にはファンタジーである事を意識しているので、
あまり既存の文化やお国柄みたいなのは明確に参考にしてはいないのですが、
超ざっくりと例えると、大国であるアルタニア王国とゼルゴニア王国は古いイングランドとフランスを思い浮かべると分かりやすいかもしれません。
そしてその中間あたりで右往左往しているサンカニア王国は、発展する前のネーデルラントの様な雰囲気でしょうか。
またキストニア王国もバイキングなんかをイメージすると近いと思います。(海じゃなくて森と山の民だけど)
そうなるとパルデニア王国はどんなだろう…スイス、とかなのか?(おい作者)
あくまでも想像をする上での参考程度ですが。
そんなこんなでもう0.5話分、サンカニアからお送りいたします、お楽しみに~?