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第三幕:「妹と姉と男たち」


第三幕:「妹と姉と男たち」



モニカとルドガーがロストアの町に辿り着いて早数か月、大地を覆いつくす雪は徐々に長くなる陽の光に照らされ解け始め、冒険者たちが自分たちの仕事じゃないと文句を言いながらも“良い稼ぎ”として雪かきに勤しむ頃。

例年よりも短く少ない降雪となったこの年の冬は、食料不足に悩む町にとって幸運だったと言えよう。

街道の整備と安全確認は速やかに行われ、すぐに他の町との流通が再開するはずだ。


街道が閉ざされる冬の間、モニカはマドレアの宿とホルドの商館、そして領主の館を行き来していた。

大仕事の後始末はそれなりに時間と労力とコインが掛かり、必要に応じてギルドや他の商会にも赴いて言葉を重ねていたのだ。

そしてルドガーはと言うと、モニカに対する領主の保護が約束された事もあり、クアンカ達の正式な居住地となった廃坑で冬を過ごす事になった。

民兵や兵士、猟師や冒険者の経験者は幾人かいたが、それでも琥珀蟹傭兵団の戦闘練度は極めて低いと言わざるを得なく、冬ごもりの時間を利用して訓練の教官役を買って出ていたのだ。


現在、町の北東の森は領主の認可を受けたホルド商会による開拓が行われており、ここに町と共存関係になる食料供給を主目的とした新たな村が作られる予定となっている。

森の伐採と建築、造園はホルド商会に一任されており、これは商会と契約を結んだ琥珀蟹傭兵団が全面的に担う手筈だ。

パルデニアからの難民を町から切り離さず追い払いもせず、それでいて“呪い”に怯える感情にも配慮出来る一石二鳥の策である。

数年後には…呪いへの忌避感が薄れた頃には、立派な村となり町との交流も盛んになる事だろう、そして新たな村の村民募集にどこかの傭兵団が応募したならば…領主は快く彼らを迎えるはずだ。


「ふぅぅ、隊商の稼働は問題無く再開出来そうですねホルドさん」

「ええ、どの商会も納得しましたし冒険者たちも落ち着きました、皆冬の間に溜め込んだ交易品を早く送り出したいでしょう。後は…」

「灰色狼傭兵団…ですね」

「すんなりコインを受け取って北へ帰ってくれるといいのですが」


私兵隊の副隊長アトノが領主の私兵を引き連れ森へと到着した時、既に戦端は開かれ当然の様に難民たちは押し込まれ廃坑内まで撤退していた。

野盗討伐を目的として集まった冒険者と傭兵団、彼らが賞金を手にするには野盗の身柄か遺体、もしくは首を持ち帰らねばならず、早い者勝ちな面もあって競い合って前進し結果的にその攻撃は熾烈なものとなった。

勝つ事では無く耐えて時間を稼ぐ事を目的とした難民たちは無理な抗戦をせずに徐々に後退したが、本気で斬りかかってくる相手に傷付けないように応戦する事など出来ず、双方に若干の被害が出てしまっていたのだ。

せめてもの救いは戦場が森であったが故に、野戦の様な全面的なぶつかり合いにはならなかった事か。

だがその生死の掛かった戦場で、領主による停戦命令が叫ばれてもすぐには収束しなかったのは仕方あるまい。


「灰色狼傭兵団の死者は4人と負傷者も数名、その弁済とギルドからの討伐依頼の取り下げに対する補償、王都からここまでの移動経費、そして冬で動けなくなった事によるロストアでの滞在費」

「他は仕方ないとして、滞在費は元々かかるものなのになぜ必要なのでしょう?」

「ロストアは食料を中心に物流の滞りで物価が高騰していますからね、そもそもロストアで冬を過ごす事になってなければもっと安く過ごせたはずという話です」

「うーん、理解は出来るような納得出来ないような…」

「その辺はまさに交渉になりますね、あちらとしてはコインを1枚でも多く稼ぎたいでしょうから」


停戦後、ホルド商会に対して領主の名の元に公平な賠償を行うよう命令が出ている事が周知され、冒険者も傭兵団もロストアの町へと引き揚げて来た。

野盗集団とされていたのがパルデニアからの難民であると公式に宣言され、既に捕らえられていた捕虜の身柄は一刻も早く手放したいという感情からすんなりと解放されたが、帰らぬ者も多かった。

討伐に参加した冒険者たちは各々ホルド商会に対して参加状況と戦果、被害などを申告し、それに応じてギルドから受け取れる予定だった報奨金に加えて急な停戦と依頼取り下げに対する補償も受け取り丸く収まったのだが。


「それに比べると冒険者さんたちは随分とあっさり納得しましたね」

「彼らは元々対人戦の仕事を主としている訳ではありませんからね、それに多くがここロストアを拠点としている方々ですから、必要以上にごねて領主や…まあ私なんかと対立したくは無かったでしょうから」

「…?」

「な、なんですかその目は、ちゃんと補償にはそれなりの額を支払ってますからね!?相場よりも多いくらいです!勿論それはこちらとしても冒険者たちとこれ以上争いたくは無いという意思を込めてますからね!」

「別に何も言っていませんよ?相手が納得しているのであれば問題ありません。でもきっと冒険者さんたちにも多くの死者が出ていますよね…お墓参りに行った方がいいかしら」

「それは…不要でしょう。彼らが仲間の死を悼みながらもそれを受け入れているのは、元々そういう可能性がある仕事と分かってて討伐に参加した事と、戦った相手の正体を知って彼ら自身も文句を飲み込んだのだと思います」


複雑な表情をして続々と帰ってくる冒険者たちを出迎えた宿屋の女主人マドレアは、その生還を泣いて喜び、帰らぬ顔に泣き、そして町を出て行った難民たちの境遇にも涙した。

冬の間にホルド商会側の人間として冒険者たちと話をする機会も多かったモニカは、マドレアの宿の常連だった弓と短剣の男が、外出するモニカたちの心配をしてくれたあの軽装の冒険者が帰らなかった事も聞いている。

双方に大きな被害を出しながらも状況が落ち着いたのは、結局のところ誰も争いを望んではいなかったし、誰も悪人では無かったからだ。


「そうですか…。とにかくホルドさん、ここまでのご対応ありがとうございました、とても見事なお手並みを拝見させていただきました」

「いやはや、骨は折れましたがその価値はありましたよ、ですがこんな大事件はもうこれっきりにして欲しいものですなあ」

「帝国でも攻めてこない限りは大丈夫ですよ、きっと」

「うわあやめてくださいよ縁起でもない!」


雪解けと共に人々も状況も動き出し、それは少しだけ良い方向に向かっているように思える。

深刻な顔をしていたホルドたちの冬も終わり、こうして冗談を言って笑いあえる春を迎えた。

まだまだやるべき事は山積みだが、遠大な計画を思えば全てはこれから、まだまだ慌てる様なタイミングでは無いのだ。


「それでは傭兵団の件も含めてだいたいの費用が出揃ったみたいですので、私の方で2割でしたよね」

「そういう話でしたが、本当に大丈夫なんですか?あの時はどうなるか全く予想が付かない中でそれでいいと言いましたが…」

「私が持ち込んだ案件ですもの、せめてこれくらいは」

「ありがたい話ですが、正直申し上げて大金です。それに当商会は大きな金額を支払う事になりますが、それは投資にもなり得ると思っています。今は大きく資金を減らしますが長い目で見れば領主の認可を受けた商会と胸を張れますし、いずれは新村からの収益も上がり始めて取り戻せると踏んでいます」

「では、これはそんな未来明るいホルドさんとホルド商会に対する、私からの投資という事で」


ニッコリと笑うモニカ、一本取られたとばかりにおでこをペシンと叩くホルド、出会ってからもう何度目かも分からない固い握手を交わした二人の間で金色に輝くコインが受け渡されたのであった。



数日後、灰色狼傭兵団はコインの袋を受け取ると封鎖が解除された街道を東へ向けて出立したが、そこでちょっとした事件があった。

北の王都方面がこれまでの活動場所であったがそちらへ戻ったところで仕事が無さそうだという事で、新天地を探して東のサンカニア方面へ行くのだという。

一応今回の件の当事者の一人として見送りの為に門まで足を運んだモニカは、そこで初めて灰色狼傭兵団の団長と顔を合わせた。

風貌は荒くれ、言葉遣いは粗暴、だがしっかりと周囲が目に入っており部下が住民にちょっかいを出せばすぐに大声で諫めた。

いかにも武闘派でなるほど飢えた狼の群れの長といった人物であったが、そのリーダーとしての能力は高そうである。


「なんだ、俺たちみたいなのが珍しいか?ああ?」

「いいえ、騎士にも劣らぬ見事な体躯をお持ちですね、と」

「ほうほう良い事言うじゃねぇか、肝も据わってるし美人ときた。俺様はダンゲラ、どうだ俺の女にならねぇか」

「恐縮ですが辞退させていただきます。私はモニカ、ホルド商会の方と一緒に今回の件についての話し合いをさせていただきました」

「あーあんたか、商会が寄越した美人てぇのは!なるほど本当に美人だな、それだけに勿体ねぇ、折角そんだけ美人なのに美人の使い方がなっちゃいねぇ、もっと美人らしくすりゃ何でも手に入るだろうによ」

「び、美人と言っていただきありがとうございます、とにかく!お見送りにだけ参りました!どうぞ道中お気を付けて!」

「はは、ありがとよ、せいぜい気を付けるとするぜ」


ニヤニヤとしっかりたっぷり舐めるようにモニカを見つめた灰色狼傭兵団一同は、住民たちの安堵のため息にも見送られて門を出て行く。

特別問題を起こした訳でも、何か悪さをした訳でも無いが、どうにも近くに居られると安心出来ない、それが彼らに対する印象であった。

そんな荒くれ傭兵団の最後尾が門を出て集まっていた人々が解散しようとしていた時だ、街壁の上から声が降ってきたのは。


「街道の東から武装した一団!数は僅かですが急速に接近中!」

「旗印は!どこのどいつらか分かるか!」

「あれはホルド商会の…違う、琥珀蟹傭兵団だ!」


この冬の間のロストアの話題と言えばやはり領主が新設を認めた琥珀蟹傭兵団、即ち彼らも心の底では気に掛けていたパルデニアからの難民たちの事である。

灰色狼傭兵団とは別の意味で近くに居られると安心出来ないが、同時に無事であって欲しいとも思われている難儀な立場の人々だ。

自分たちが再び町に受け入れられるまでにはまだ時間がかかる、そう理解している彼らがわざわざ町に向かって来ているというのであればきっと何か急用があるのだろう、そして率いているのはきっとルドガーかクアンカに違いない、そう思って小走りに門の外へと出たモニカについ今しがた別れを告げたばかりの声が掛かった。


「…おい美人さんよ、道中気を付けろってこういう意味じゃねぇよな?」

「え?…え、え?」

「陣形組め!後ろもだ!キリキリ動けー!」


こうして偶然のタイミングと言葉の綾が重なった結果、挟み撃ちを恐れた灰色狼傭兵団が門の外で防御陣形を組み、それを見た琥珀蟹傭兵団が警戒の為武器を構え、突然の事態に慌てた町の守備兵たちも門の内側で戦列を組み、集まっていた町の人々は蜘蛛の子を散らす様に逃げた。

話を聞きつけた領主の私兵副隊長アトノが部隊を引き連れ東門に駆け付けた時、視界に入ったのはモニカの腕を掴み怒鳴り散らす灰色狼傭兵団の団長とその一団、それを前後から取り囲む町の兵たちと琥珀蟹傭兵団。

何がどうしてこうなったのかは分からないが、とにかくそこはまるで戦場の様相を呈していたのである。


「どうしてこうなった…?」とは駆け付けたアトノの言である。

「どうしてこうなった…!」とは周囲を威嚇するダンゲラの言である。

「どうしてこうなった…」とは茫然とするルドガーの言である。

「どうしてこうなったの!?」とは困惑するモニカの言である。

「どうしたらいいんだ…?」とは事態が飲み込めない守備隊の言である。

「どうなってるのよ…!」とは逃げ行く町娘の言である。


誰もどうしてこうなったのか理解していないが、一つ確かなことがある。

ロストア領主アーケンスは頭を抱える事だろう。


この睨み合いの結末は、モニカ様と連呼するルドガーの単騎突入とそれを受け止めたダンゲラによる一騎討ちの様で、しかし実際には鬼気迫る顔のルドガーが一方的に打ち込んでダンゲラの剣を半ばから断ち切りモニカをその胸に抱き寄せた事で終わった。

アトノの仲裁により落ち着いて話し合いと状況の確認が行われれば、何もかもが誤解であった事実に皆一様に肩からも膝からも力が抜けてへたり込んだ。

ダンゲラは「二度とロストアには来ねぇ!」と捨て台詞を吐き去って行ったが、その際ルドガーを見る目に恐怖が浮かんで見えたのはきっと気のせいだろう、あの荒くれに限ってそんなはずもあるまい。

大事になった割にあっさりと終わったこの小さな事件は、町にも人々にも被害は無かったが、ダンゲラの短くなった剣と、ルドガーの左頬に大きな衝撃を残した。


「何と言うか、忙しいな…」

「あの本当に、お騒がせして申し訳ありません…」

「まあ誤解で済んで良かった、と、思うべきであろうな…」

「もう本当にその通りです…」

「しかし領主に何と報告したものか…」

「ご配慮いただきたく、どうぞお手柔らかに…」


アトノとしても誰が悪いという訳ではない為、怒るに怒れないし注意のしようも無い。

モニカとしても自分が悪い訳では無いのだが、事件の中心に居たのは間違いないので世話になったばかりの領主に何となく申し訳が立たない。

それは何とも見事な…痛み分けであった。



「それで、何とも微妙な空気にはなってしまいましたが、例の件はいかがですか?」

「ルドガーたちが突然町にやって来たのが原因なのに、はあ。領主の許可が下りませんでした、やはりまだ危険だと」

「う、そう言われましても。しかしそうですか、本当に“パルデニアの呪い”が発生してしまっているんですね」

「しかも理由がモニカ様に早く会いたかったからって何ですかそれ、理解に苦しみます。町の北西、帝国兵とそれを捕らえたロストアの私兵の一部は今もそこにある廃坑を利用した牢にいるそうです、その後亡くなった方も今なお衰弱が激しい方もいると」

「王から承ったレモニカ様護衛の任、疎かにする訳にはいきませんから!…そうなると無理に現地へ行くのは危険ですね、どうしたものか」

「…まあ、そう言っていただけるのは…ね」


久しぶりにマドレアの宿の倉庫に戻って来たルドガーは、かつて充満していたあの独特な香りが薄らいでしまっている事に気落ちしたが仕方あるまい。

残っていた樽は全て開封されて料理に使われ、もう本当に残り香程度にしか故郷の匂いはしない、それも日々薄らぎいずれは掻き消えてしまうのだろう。

ルドガーと一緒に町のすぐ外まで来た琥珀蟹傭兵団の面々は、冬の間に用意していた燻製肉の交換を申し出ていた、塩や調味料など現地では調達不可能な物を欲して。

ホルド商会ならば応じてくれると期待しての事であったが、驚くべきことにその話を聞きつけた他の商会から交換に応じる旨の返答があったそうだ。

少しずつだが再び町と彼らとの距離は縮まってきているのかもしれない。


「ん、大丈夫ですかモニカ様、少し顔が赤いような…」

「何でもありません!それで、と。そう言う訳で例の捕まった帝国兵に会いに行くのは当面の間難しそうなので、もう少し暖かくなったら東へ向かおうと思っています」

「東ですか?てっきり北のアルタニア王都方面を目指すものかと。東だといくつかの村と、それを越えればサンカニア領になりますが」

「そうです、サンカニア王国へ向かいましょう。ラングさんと別れたパンザニット村の人たちがどうなったのかが気になります」

「なるほど彼らは森を抜けてサンカニア王国を目指したのでしたか」


森林面積の大きい北方諸国では、深い森や積雪の多い山などの地形的な要因が天然の国境線となっている場所が多い。

そういった地形を縫うようにして街道が敷かれ、その街道沿いに開拓された場所に村や町が作られているのだ。

広く開けた平地が多いのはパルデニア王国南部やサンカニア王国だが、曇り空が続けば雪は長く残り半端な雨は土を固く凍り付かせてしまう。

だから農耕を行うには常に土地の手入れが必要とされ、それが北方諸国における耕地面積拡大の妨げとなってしまっている。

根菜類の収穫はそれなりにあるが、穀物は収穫が安定せずそれを主とする農家は必然的に少ない。

故に北国の主食は山林の獣肉と湖や川の水産物、そして野菜なのである。


「パンザニットは小さな村ですが、小山と森に囲まれた盆地になっている事もあって気候の安定している、少ないながらも貴重な穀物の産地でした」

「へえ、王国南部の湖に面した平野以外でも穀物が作られていたんですね」

「南部は土地があっても常に寒風が吹いて管理が大変なのだそうよ、それに最大の問題はそこまでして穀物を育てるより湖に出て魚を獲った方が簡単で収入も安定する事ね」

「それは…やりたがる人は少ないでしょうね。昔食べていた穀物がそんなにも貴重な物だったなんて」

「一般的に流通していた穀物は半数以上が南の帝国領やその先の国々からの交易品よ?…そう考えると、今後は北方諸国では穀物が手に入りにくくなりそうね」


北方諸国は自領で手に入りにくい穀物や南の温暖な地域から運ばれてくる品々を欲していたし、帝国は北国の分厚く毛の長い毛皮や豊富な鉱物、建材に適した針葉樹の木材などを欲していた。

表向きは友好的な関係が続き交易も盛んに行っていた帝国が、ついにその欲と本性を現して交易による利益を失ってでも北方諸国へと手を出したのは、短期間で一気にその全てを飲み込む算段が付いていたからだろう。

だが、その侵攻は最初のパルデニア王国で大きく躓き、帝国は多くの兵と時を失った。

一方的な侵略によって一国を滅亡させておきながら得る物は無くその先へと進むことも出来ずにいる帝国と、いざ戦争が始まると足並みが揃わずそれぞれに防備を固めパルデニアを見捨てる形となった北方諸国。

大々的に北方諸国の征服を謳った帝国の将軍たちも、その出征に家族や隣人を送り出した凱旋を心待ちにする帝国の民も、突然訪れた侵略の時代に古の盟約を守れなかった北国の諸王も…

いずれの立場からもパルデニアの事は無かった事になど出来るはずもなく、和平への道は人々の荒む心、その吹雪の先にあった。


「ただでさえパルデニアの湖産物を失ったというのに、対岸との交易による食料の調達も滞るとなると…いよいよ食料不足は深刻に?」

「飢えるか否かで言うのであれば大丈夫でしょう、野山の幸は余程の降雪被害や異常気象でも発生しない限りは豊かですから。ただ、食は偏るでしょうね…それに体を温める香辛料はほとんどが南からの品と聞きます」

「人々の生活が大きく変わってしまう可能性がありますか、ううむまだ想像がつきませんがこーれは大変だ」


絶対に理解していないだろうなぁなどとは思っても面には出さず、騎士としての腕前は信頼出来てもそれ以外は未だ何とも言えないルドガーを“それなり”に頼りにしているモニカは、北方諸国の未来を思って小さくため息をついた。



街道が町から離れた地域にまで整備が行き届き、隊商をはじめとする人々の往来が活発になってきた頃、灰色狼傭兵団から遅れる事20日ほどの日にモニカとルドガーは東へと旅立つ事にした。

何かと話題に上る傭兵団とは異なり二人だけでの出発は町の住人たちの知るところでは無かったが、門の前にはロストアの知人たちの顔があった。

マドレア、ラング、そして宿の常連の冒険者が幾人か。ホルド、旅立つ二人を慕う商館の用心棒たち。厚着をした領主アーケンスと私服の私兵アトノ。


「…。マドレアさんたちは宿から一緒に来たから分かります。ホルドさんたちも用心棒の方々は予想外でしたが事前に挨拶をしていたので分かります」

「ふむ、では何が分からんのだ」

「貴方たちですよ!」


ビシィと指さす先には「え、え?」と慌てる領主とその弟の私兵副隊長。

見送りに来てくれた宿や商会の関係者も突然の領主の登場に驚き緊張している、例え威厳が無くとも領主は領主、彼らの町のトップである事には変わりない。


「モニカさ…モニカ、仮にも領主とその私兵副隊長殿相手に指さしてそんな言い方は」

「仮にも…」

「貴女たちは良くも悪くも目立つ存在なのだから、その動向を把握しておくのは町の治安を守る私兵として当然の事だが?」

「それは…そうかもしれませんが普通領主なんかがこういう場面に軽々しく出て来るとは思わないじゃないですか!」

「なんか…」

「まあ確かに私だけでも十分だったのだが、アレが随分と貴女たちの事を気に掛けていたからだったら来いと連れて来たのだ」

「アレ…」

「なんでそんな余計な事してくれてるんですか、もう!ほらみんな緊張しちゃってるじゃないですか」

「余計…」

「ふむ…それについてはなるほどすまない、ほら兄貴も謝れ」


既に半分泣きそうになっていた領主アーケンスは泣きながら頭を下げ、それを見た住民が更に困惑しむしろこっちが泣きたいと思ったとか思わなかったとか。

そんなロストアの温かい見送り(?)に背を押され町の門をくぐった二人は、つい先日の街道での出来事の際には無かった変化に足を止めた。

晴れた青空の下には灰色で荒く舗装された石畳と水分を含み粘土の様になった黒土、雪の下で眠っていた野草と蕾が色付き始めた野花、太く頑丈な建材となる針葉樹の深い茶と緑、そして木陰や街道脇に山と積まれ残る雪の白。

出迎えたのは北国にしては珍しい色鮮やかな世界、白か黒か灰色かの冬から、青か緑か水の色かの春へと移り変わるその途中の、人の手も加わったグラデーション。

微かに香る春の空気を胸いっぱいに吸い込んで、振り返ったモニカは「行ってきます!」と満面の笑みで手を振るのであった。



「むさくるしい…」


笑顔と春風の清々しさ、小鹿のようなステップ、順風満帆な旅立ち。

それが打ち砕かれたのはロストアを離れた翌日のこと、街道を東へ行く二人は“野盗の襲撃”を受けたのだ。

この春からの新たな試みとして、ロストアから北と東へのびる街道には数か所の休憩所が設けられていた。

休憩所とは言っても街道沿いの空き地に焚き火が起こされ、それを囲む様に丸太を半分に割っただけの簡易的な腰かけが数本置かれているだけなのだが。

その焚き火の管理と燃料の補充をしつつ、近隣で何かあれば駆け付ける役割として琥珀蟹傭兵団の団員が数名ずつ常駐しており、どうやら町から一つ目の休憩所に居た団員が二人の旅立ちを知ってわざわざ伝えに走ったらしいのだ、クアンカたちに。

その結果がこれである。


「全く驚いたぞクアンカ、お前たちが街道沿いの森からワラワラ出て来た時には」

「森を抜けて街道を行くお二人の姿が見えた時、何だか隊商への襲撃を行っていた頃と変わらないなと思ったらつい、ね」


カラカラと明るく笑う団員たちも含め、彼らが野盗時代の真似をして悪戯をした事自体は笑い話なのだ、問題はそこでは無い。


「いやあやっぱりルドガーの旦那はカッコいいなあ、あの剣を抜いた瞬間の顔見たか?」

「おうよ、一分の隙も無いってのはああいう事なんだろうな」

「騎士様の構えってのはこう何て言うか、様になってるんだよな!」

「おいおいよせよ、おだてても何も出ないぞっ!」


冬の間に訓練の教官を務めたルドガーはすっかり団員たちと打ち解けたようでその距離はとても近くなっている、これも良い事だ。


「またクアンカさんとルドガーさんの決闘が見たいなあ」

「あーあれな、騎士装の二人の一騎討ちってどうしてあんなにもカッコいいんだろうな」

「クアンカさんが弱いせいですーぐ決着が付いちゃうのが残念な所だけど」

「おいおい無茶言ってくれるなよ、俺は元々地主で民兵。職業騎士、ましてや兵士ですら無かったんだぞ」

「だがそれにしては筋がいい、クアンカなら絶対に良い傭兵団長になれるさ」


流石我らの団長だとか、俺も強くなって次期団長の座を狙うぜとか、ルドガーを取り囲んでの話はとてもとても盛り上がっている。

城の侍女や王都の若い娘たちが騎士に憧れていたのとはまた別の、男同士による騎士への憧れは自分たちも騎士の様な存在を目指すという良い目標にもなっているようで、これも大変素晴らしい。

だが騎士と言えば国を守る存在、そして今のルドガーは(元)王女を守る存在である。

冬の間は領主の庇護を信じ離れていたが、その結果男同士の友情を育むと共にモニカと会えない日々が色々と悪い想像も膨らませてしまい、その心配からモニカ愛も少々拗らせてしまっていて、雪解けと共に帰って来たこの騎士はモニカにべっっったりである。

それは即ち、極めて近い距離でルドガーとクアンカ、そして琥珀蟹傭兵団の力自慢たちがモニカを取り囲んでいる事をも意味する。


「あの…近いです」

「いえ、まだまだ次の村までは遠いですよ!」

「いえあの、少し暑いと言いますか…」

「それは大変だ扇ぎましょうか、雪解けの水もどうぞ!」

「んーー、皆さんも新村の開拓がお忙しいでしょうし…」

「なぁに暇って訳じゃありませんが恩人にこれくらいはさせて下さいよ!」

「あーうー、街道も安全になったと聞きますからお見送りはもうここまでで十分ですので…」

「そう思うでしょ?この時期は人間よりも冬眠から目覚めたばかりの腹を空かせた猛獣とかの方が危険なんですよ!」

「そ、そういう時にはルドガーがいますし…」

「むしろ熊でも出てくれた方が村の皆に良い土産が出来るかもな、ね!ルドガーの旦那!」

「おうその通りだな!モニカ様も熊に出てこいって祈って下さいよ!」


「「はっはっは!!」」


目を閉じ真剣に祈るモニカが、この駄騎士とか、様付けしないでバカとか、全員熊に食べられちゃえとか、そんな事を祈っていたのは秘密にもならない様な秘密である。

街道を東へと行く一見愉快な珍道中はモニカの祈りもむなしく極々平和な時間が続き、数日後に到着した小村で引き返すクアンカたちの別れを告げる元気な声に、モニカは引きつった笑みを返したのであった。

その後、2つの村を経由し森の細道に佇むサンカニア王国との国境を示す石碑を越え、ひたすらに東進を続けることまた数日。


「見て下さいモニカ様!一面の草原!新緑が美しいですね!」

「あ、あそこにほら、鹿の群れですよ!」

「いやあ今日は風が強いですね、寒くありませんか!」

「おお、あれは鷲でしょうか、なんとも優雅ですね!」


「今日のお昼は干し肉だけでなく、少し豪華に芋を煮込ん…」

「沢山歩きましたね、もうふくらはぎがパンパンで…」

「あの木の木陰、休憩するのに丁度よ…」

「あ、先人の焚き火跡がありま…」


「む、モニカ様ご覧ください、正面から隊商が来ますよ。あの旗印には見覚えがあるのでロストアの商会でしょうか」

「角笛鳥の紋章、ロストアのミドン商会の隊商ですね」

「…!!モニカ様ぁぁぁぁ!!!っぁてぇっ」


最後に立ち寄ったアルタニア王国領内の村から約10日、人間に会うのは久しぶりである。

街道が通行可能になってだいぶ経っているにも関わらず、これまでサンカニア王国内で誰ともすれ違わなかった事に疑問を抱いていたため安堵を覚えると共に好都合であった。

あちらもモニカたちに気付いたようで、まだ距離があるが手を振っているのが分かる。


「やあ旅の方!と、いつもなら挨拶するところだが見知った顔だな、まさかホルド商会のお嬢さん方だったとは」

「やあどうも、俺たちは故郷の危機…」

「お久しぶりです、ホルドとミドンに繁栄あれ!ですが私たち、ホルド商会の所属という訳では無いのですよ?」

「ええ?てっきりお嬢さんはホルドの隠し玉かと思ってたんだが。まあそんな事はいい、どうしてこんな場所をたった二人で?」

「うむ、サンカニア王国で果たすべき使命…」

「サンカニア王国へと脱出したパルデニアの一団がいると聞きまして、是非彼らと会って話がしたいと。そんな話を知りませんか?」

「パルデニアの?そうか、あーなるほど、少し前にパルデニア出身の遍歴騎士様が町に来てるって話があったが、そうかあんたたちだったのか」

「いかにも、私が騎士ルドガー、そして従…」

「身分を隠してるつもりは無かったのですよ?ですが国を失った騎士と従者よりもホルド商会の関係者という肩書の方が色々と話がしやすかったもので」


ルドガーのいない冬の間の思い出話などに花が咲き、結局小一時間も立ち話をした後、再会を願う商人同士の挨拶を交わして両者はそれぞれの旅路に戻った。

ここでの出会いでは残念ながらパンザニット村の住民たちのその後についてこれといった情報は無かったが、別の留意すべき情報を得られたのは大きかった。

正規軍がほとんど存在しないサンカニア王国の王都では今、帝国の影に怯える王と民が自衛の為に兵力増強の必要を感じていて、複数の領地の民兵と傭兵団が正式採用を巡って睨み合いをしており、その結果様々な面で混乱が生じているのだそうだ。

サンカニアを拠点とする商会もそこに商機を見出し、それぞれに支援する領主や傭兵団の名を上げて白熱した投資合戦を展開し、王国内の物流や利権は荒れに荒れ揺れ動き、春が訪れたというのに他国との交易どころではなくなっているという。


「まあこれまでサンカニアは四方を北方諸国に囲まれて、国土にこれといった産物も無く旨みも無ければ侵略価値も無いと言われて争いごととは無縁の歴史を歩んで来ましたからね、急に軍を作るといってもそのノウハウすら無いのでしょう。“攻めるは易いが守るは難し、得る物も無く経る時は帰らず”とはよく言ったものです」

「サンカニアの真価は誰も欲しがらぬ土地をそこに有する事にある、だそうよ。お父様は西のアルタニアと東のゼルゴニア、この両大国の緩衝地帯としてサンカニアがそこにあった事が、北方諸国の幸運だと言っていました」

「うーんなるほど…。しかし私個人としては現サンカニア王には思うところがあります、パルデニアに援軍を送ってくれなかった事は国力の低さを思えば無理も言えませんが、北のキストニアが援軍を送ろうとしたにも関わらずその領内通過を認めなかった事についてです」

「それは…難しいところね。キストニアのハンゲルホーン王は父曰く大らか、耳に入る噂では少々大雑把な方だとか…確かその性格が一因で過去にサンカニアとの国境線について揉めた事があったはずよ」

「それは何とも…もしかして国同士の関係や政治というのは、思ったよりも難しいものなのでしょうか」

「もしかしなくてもそうよ、簡単では無いわね。そしてそれを考えるのは王や政務官の仕事、騎士の仕事では無いわ」

「ああそうですよね、いや~騎士で良かった!」

「現状についてはもうちょっと頭を使って欲しいんだけど…」


その後もすれ違うのはサンカニアからの帰路につくアルタニアの隊商ばかりで、結局サンカニア国民との最初の交流は領内最西の村が見えるまでお預けになったのだ。

その村の名はベルメ、ベルメナム家を領主とするサンカニア西部の小村で、領内には他にルメナ村とメナム村もあるという。

村を囲う形ばかりの柵に近づくと、草むらで作業をする村人たちが顔を上げたが、モニカが手を振るとさっと屈んで隠れてしまった。


「なんと失礼な!草刈りをしているなら私がこの剣で薙ぎ払ってやりましょうか!」

「サンカニアと戦争をしに来た訳じゃないのだけれど」

「しかしですね、あの態度はあまりにも…」

「禿げるわよ?」


簡単に乗り越えられそうな木柵には一定間隔で木の棒が複数ぶら下げられており、それが時折揺れてぶつかり合うと硬質な音を発している。

人から村を守る事は考えられておらず、野生動物が村に入って来ないようにだけはしている、その程度の防備がサンカニアという国を物語っていた。

この国は平和だがそれは豊かさとはまた別で、長年“何も無く何事も起こらない”環境であったからなのだろう。


「こんにちは!西のアルタニア王国にある町、ロストアから旅をして来ました、この村に宿か商店はありますか?」


真っ先に声に反応したのは子供たち、一斉に草むらから顔を出すが近くに居る大人から何か言われたのかすぐにまた引っ込んでしまう。

草むらの陰で緊急会議でも行われたのだろう、少しして一人の村人が立ち上がると麦わら帽子で顔を隠したまま答えた。


「この村には何も無いよ、宿も店も、もちろん若い娘を買う小屋も無い」

「穏やかで素朴な、素敵な時間の流れる村なんですね」

「そんないい場所じゃない、本当に何も無いの、だから…何も答える事も無い」

「お答えいただいてありがとうございます、それではこの村を通った隊商との取引なんかは?」

「無い、みんなこの村は素通りしていく、補給ならこの先のランテベルメナムまで行って」


それはサンカニア西部で唯一村では無く町と言える規模の集落の名であった。

事前にホルド商会から譲り受けた地図にも町として名の載っていた地名である。


「お姉ちゃん、私もあの人たちとおしゃべりしたい!」

「しっ、黙ってて、みんなも出て来ちゃダメ!いい子だから、ね」


我慢し切れなくなったとばかりにまた子供たちが顔を出すがすぐに草むらへと押し戻される。

どうやら村の子供たちをまとめて面倒見ている様子で、その責任感から見慣れぬ来訪者を殊更に警戒しているのだろうか。


「この村からだとそのランテベルメナムまであとどれくらい掛かりますか?」

「馬なら1日で行ける…歩くなら3日見た方がいい、この時期はまだ街道の草が強い、歩きづらいの」

「親切なんですね、そうするとやはりこの村でほんの少しだけでも食べ物と水を補給したいのですが」

「店は無い…硬貨もこの村ではほとんど価値が無い、ランテベルメナムまで持っていかないと使えないから」

「それではロストアで作られたよく切れるナイフなんかはどうでしょう」

「それは、それなら、欲しいって人はいるかもしれない…」


実のところ、食料も水も不足している訳ではなかった、街道ですれ違う隊商から少しずつ購入していたからだ。

街道を行くメリットは何も道に迷わず旅が出来る事だけではない、特に徒歩での身軽な旅では水食糧の重量が一番のネックだったりするものだが、街道を行けば大抵の場合途中で隊商などとすれ違い物資も情報も買えるのだ。


「ありがとう!それでは村に入ってもいいですか?」

「あ、うん…待ってて、今そっちに行く」


街道を歩いていればそのまま村の中を突っ切っていくような構造で、特に門らしい門なども無く勝手知ったる人間ならば通せんぼする様に置かれた木の板を持ち上げるだけで通れるのだが、律儀にその腰の高さ程にある板の前で待つモニカたちを見て応答してくれた村人が慌てて駆け寄ってきた。

おどおどとした態度だった村人は、モニカたちの表情が分かる距離にまで近づくと更に緊張の色を帯びてより深く麦わら帽子をかぶりなおす。

その様子は拒絶では無く単純に人慣れしていないといった雰囲気で、本当に普段から村人以外との交流が無いのだろうと思えた。


「…どうぞ、ここから先が村です、特に何も無いし見ての通り農家ばかりです」

「ありがとう、私はモニカ。貴女は?」

「…」

「お会いできて光栄ですベルメ村の方。こちらは遍歴騎士のルドガー、私はその従者です」

「良かった、出番無しかと思いました…うむ、私が騎士のルドガーである、生まれは…」

「村のどなたなら物々交換に応じてくれそうかしら?」


モニカとルドガーを交互に見た後、恐らくモニカの言う事を聞いた方がいいのだろうと判断した村人はこの珍客を案内する事にした。

まだ緊張しているが最初に比べて少し声のトーンが高くなっていて、その様子は緊張よりも不思議な関係性の二人に対する興味が勝ってきているように感じる。


「貴女はこの村の生まれ?」

「うん、そう、この村の住民はほとんどがそう」

「そう、それじゃあ最近他の町や村から移住して来たなんて人は…」

「村の人と結婚して移り住んで来た人はいる、それ以外は子供の頃からの顔見知りばかり」


大きな期待をしていた訳では無いが、それでもパルデニアとの直線距離が近いこの村ならば可能性はあるかと思っていたのだが、残念ながらパンザニット村の住民たちの行き先はここでは無かったようだ。

村の規模的にも、恐らくパンザニットよりも人口は少ないだろう。

村の中心、井戸を囲むように寄り集まった家の前を通ればどこからともなく視線を感じた。


「この冬の前後に大所帯の旅人を見たなんて事は?」

「見た、つい最近」

「そ、それはどんな人たちでしたか!?」

「草原を駆ける狼の様な奴ら、狼の旗も持ってた」

「…ああ、なるほど」

「あれと知り合い?」

「いいえ?全く?全然?無関係ですが何か?」


言葉を被せるような強い否定に村人は何事かと訝しむが、後ろでルドガーがため息交じりに首を横に振っているのを見て何となく察した。

それと同時にどちらが騎士でどちらが従者だったかと先ほどの自己紹介を思い出そうとしたが、よくわからなくなって諦めた。

サンカニアの村人にとって、騎士や従者などという職業は噂でしか知らないもので、他国では一般的に通じる騎士鎧と従者服の関係すらも曖昧だ。


「あ、じっちゃん!使ってたナイフが欠けちゃったって言って無かった?」

「ああん?客か?ほーん、パルデニアの紋章か…こんな村に何用かね」


一軒の家の前でぎゅっと固められた干し草のブロックをほぐしていた老人が振り返る。

家の裏手からは牛の鳴き声が聞こえたが、飼っているのであればそれなりに財のある人物なのだろう、牛はとても高価で貴重だ。


「私たちはパルデニア出身の遍歴騎士とその従者です、東へ向かう道中で立ち寄りました、僅かな水食糧と情報を得たく…このナイフでいかがでしょうか」

「…ふむ、良さそうだ。水は井戸からいくらでも汲んでいけ、干し肉を一包み用意してやろう、他に聞きたい事は?」

「ここから南西にあった、パルデニア王国のパンザニット村に住んでいた人たちを探しています」


家の中へと招き入れた老人はふむと考えながら表面の固くなった大きな肉塊を取り出すと、交換で得たナイフの使い勝手を試しながら切り分けていく。

その切れ味の良さを証明する断面はまるで丸太の断面に描かれる年輪のように美しく、薄く並んだ肉片は崩れることなく次々と積み上がった。


「あの、そんなに沢山、いいのですか?」

「良かろう、切れ味が良いから楽しくなってつい切り過ぎたが、それはつまりそれだけの価値がこのナイフにはあるという事、悪くない」


ほれ持ってけと草を編んで作られた包みに入れて渡された干し肉はずっしりとした重みがあった、今夜は美味しいお肉を楽しめそうである。

これで良い酒もあれば、と言いたいところだが流石にそれは求めすぎだろうか。


「パンザニットなぁ、名前は聞いた事があるが知らぬ村の話だ、それにパルデニア関連の話もとんと聞かぬ。東に行くならばランテベルメナムで領主を訪ねよ、見栄っ張りで無駄話の多いお世辞にも良い領主とは言えぬ奴だがこの土地への愛は強い奴でな、儂の紹介だと言えば話くらいは聞いてくれるだろう」


ベルメのソラムと名乗った老人はこの村の村長ではないらしいが、どうやらそれなりに影響力のある人物だったらしい。

草むらに身を潜めた農作業中の村人たちも、家屋の奥から感じた視線の主たちも、楽し気に出て来たモニカと老人を見て安心したのか笑顔を見せたり手を振ったりしてくれた。

ルドガーも村の子供たちに囲まれ腕を引っ張られたり鎧を叩かれたり足を踏みつけられたり尻を蹴り飛ばされたりと楽しそうである。

その夜、焚き火で軽く炙った厚切りの干し肉をヤケ食い気味に頬張り腹を満たしたルドガーは、満足そうに涎を垂らしながら眠りについたのであった。



3日後、ランテベルメナム。

町に到着した二人はなるほどサンカニア王国が混乱の中にある事を理解した。

話に聞くサンカニアの姿とはベルメの村の様な長閑さであり、あれこそが本来の姿なのだろう。

だが今、到着した町の様子はまるで戦時のそれであり、それも国内のどこかで戦いが起こっているといった雰囲気ではなく、まさに今ここが戦いの最前線かと思うような緊張感である。

町へ入る許可を得るだけで散々調べられ待たされた事に対して、モニカは仕方なしとしたがルドガーは怒り心頭といった様子で収まらない。


「なんですかあの敵愾心むき出しの態度は、あれでどう落ち着けっていうんですか!」

「きっと警戒するという事そのものに不慣れなのよ、急に領主から警戒を厳にと言われてあの門番さんたちも手探りでやっている感じがしたわ」

「モニカ様に刃を向けるなどあってはならない事です!」

「あれはルドガーも悪いわよ?元々むき身の槍先を向けられるのと鞘から剣を抜くのとでは意味が違うわ」

「荷物を全て出せなんてどこの野盗かっていう話ですよ!」

「状況を考えれば検査の為に全部見せろって言ってるだけだと分かるでしょう」

「いやいやそれに続いてモニ、モニカ様の体もっ!触って調べるとか!あれは絶対に普通の兵士の行動ではありませんでした!」

「だから兵士じゃなくて民兵さんなんですって、あと様付けやめなさい、あと鼻息荒くて気持ち悪いわよ。別に変な触られ方してないわ」


門を守っていたのは服装も武装もバラバラの男が数名、町に向かって歩みを進めるモニカとルドガーに対し、だいぶ早い段階から槍を構え警戒心をあらわにしていて、いかにも慣れていない感じがした。

そもそも、平時のこの町には門番すら配置されていなかった可能性すらありそうである。

町中に入っても武装した者たちが走り回っているのだが、訓練かと思えばそれにしては必至な表情で周囲を警戒していて、しかし巡回にしては狭い範囲をただ行ったり来たりと…何のために走っているのかが分からないのだ。

門番たちの事を思えば、おおかた領主が町中を巡回し警戒せよとか何とか命令を出し、そのやり方を知らない民兵がとにかく走り回っているのだろう。

サンカニア王国の練度とは、そういうものなのだ。


「しかし、しかしですよ!?」

「禿げるわよ?」


モニカたちにとっての幸運は、ここサンカニアでは“パルデニアの呪い”がその効力を発揮していない事だろう。

ロストアではホルド商会や領主が信頼した事で徐々に忌避感が薄れ最終的には住民たちと良好な関係を築くに至った。

その影響の及ばぬ新たな地では、また一から信頼を勝ち得る必要があると思っていたのだが、ベルメの村でもランテベルメナムの町でも、よそ者に対する警戒感はあってもパルデニアという名に対する反応は良くも悪くも薄いのだ。

特産物は無く、目立った工芸品なども無い、統治する旨みは薄く軍事力も無いに等しい、そして北方諸国内での発言力も低い。

商業的交流も、文化的交流も、軍事的交流も、外交的交流も、無い無いづくしのこの国では翼の生えた噂話でさえ鳴かず飛ばずなのかもしれない。


「ううん、まずは宿を確保して情報収集と思ったけど、これでは色々聞いて回るだけで変な疑いを持たれてしまいそうね」

「ソウ、デスネ。…よし!ここは一ついきなり領主に謁見を求めてみましょうか、ソラム老の名前を出せば話を聞いてくれるそうですし」

「そうね、そうだといいのだけれども。きっとソラムさんも町がこんな状態になっている事は知らなかったんじゃないかしら」

「そこはほら、我らはソラム老の友である!さあ領主に取り次げい!と堂々とした態度と大声で領…主の館…に…」

「…ふぅん?」

「…」


ベルメナム家は古い家柄だが、その性質は代々目立ちたがりで様々な発案をしては国王を困らせ…思案させてきたという。

決して無能な訳では無く、事実彼らの祖先が行った献策による功績で今の領主の地位があるのである、が、10の献策をして1つ2つ名案があるといった具合なのだ。

時に突拍子もない内容であったり、時にギリギリ考慮してみる余地が無くも無いような気がする献策を複数持ち込むなど、サンカニア王宮におけるベルメナムの名は“国王の笑顔を張り付かせる”存在として有名である。


「ま、考えてもこの様子じゃ何も分からないわね、行くだけ行ってみましょうか…貴方は何も喋らなくていいからね?」

「ハイ…」



「と、道中その様な事がありまして、領主様に直接お話を聞ければそれが一番早いと思いこうして参りました」

「まーまーまーまーまー、そうでしたのね!遠くアルタニアからようこそサンカニアはランテベルメナムへ!この町の名前の由来はご存知?この地方の古い言葉で“素晴らしいベルメナム”という意味なのよ素晴らしいでしょう!本当にこんなにも素晴らしい家に生まれて嬉しいわ、ベルメ村の名前も気になったでしょう?他にもルメナとメナムの村があるのよ!そう、ベルメナム家の名から取った名前なのとっても素敵でしょう!」

「は、はいとても素敵な名前の付け方だと思います…それで」

「えーえーえーえー、私に分かる事なら何でも教えて差し上げますわ!何と言ってもベルメナム家は代々その言葉で王様を笑顔にしてきたのですもの!貴女たちのその困り顔もきっと笑顔にしてみせましょう!ほら笑って笑って、折角の美人さんが勿体ないわ!でも困り顔の美人さんというのも絵になるものね、これはこれで素晴らしいわ!」

「あ、ありがとうございます?ええとそれでですね、パルデニア王国にあったパンザニットという村からこちらの方面へ脱出した村人たちを探していまして」

「まーまーまーまー、そう言えばパルデニア王国では戦いがあったのよね?大変だわ!大変だったわね?あら、でも遍歴騎士というのは旅をしている騎士だったかしら?そうよね?ではここへも旅の途中で立ち寄られたのかしら?パルデニア王国からのお客様と聞いたのだけどパルデニア王国からのお客様ではないのかしら?」

「それについては何と言いますか、パルデニア王国からの正式な来訪では無いのですが一応パルデニア王国の意向ではあると言いましょうか…」

「まーまーまーまー…」


たっぷりと時間を掛けて自分たちの設定上の身の上と旅の目的などを伝えたモニカは、彼女にしては珍しく会話で疲弊していた。

ベルメナム家の現当主はソラムが幼少期の教育係を務めた壮年の男性と聞いていたのだが、いざ領主の館を訪ねてみればソラムの名をかざさずとも驚くほどあっさりと中へ通され、そして出て来たのがこの女性である。

どうやらここ数年の間に体調を崩し長らく具合の良くない当主に代わり、現在この領地の政治や様々な問題への対処を取り仕切っているのは領主の末娘だというこの人物らしいのだが、その年齢はモニカとあまり変わらないように見える。

初見の印象は驚くほど利発そうに見える雰囲気で、驚くべき話術を身につけている風に見えて、驚きの存在感を放っている、実に…素晴らしい女性なのかもしれない。


「それでえーと、あら?まーまーまーまー、お名前を伺っていたかしら?そういえば執事からお客様の名前を…遍歴騎士のモニ…モニ…それと従者のドガーさんだったかしら?そうよね?」

「あああの、パルデニアの遍歴騎士のルドガー、ルドガーです、それがこっちので、私がその従者のモニカ、モニカです、私の方が従者です。それでええと…何とお呼びすれば?」

「まーまーまーまー、私ったらごめんなさいね?珍しいお客様と聞いてそれは私がお出迎えしなくちゃって思って気持ちばかり前に出てしまってちゃんと聞いていなかったんだわ、悪気は無いのよ?それで何だったかしら、まーまーまーまー!私の自己紹介もまだだったのよね?そうよね?本当に私ったらごめんなさいね?私はリムナリア、リムナリア・ベルメナム!町の人たちからはランシア・リムナリア・ベルメナム・フォティなんて呼ばれる事もあるのよ?」

「あ、ええと、それは…ランテ!」

「まーまーまーまー!…」


内容の密度はさておき、ものすごい勢いで展開される女性同士の会話に完全に置いてけぼりをくらったルドガーは、例え喋るなと言われていなくとも口を挟む余地など無いではないかと茫然としていた。

そんなルドガーの斜め後ろにスススッと移動し、ポンと肩に手を置いて深くゆっくりと頷くのは館の中へと案内してくれた執事である。

全てを察したような、達観したような、もしくは諦めたような、そんな何とも言えない深みのある表情を見せるこの執事は色々とデキル人物のようで、恐らくは普段から現当主の補佐を行っており、現在もリムナリアの裏で政務を実質的に取り仕切っているのはこの男なのだろう。


「遠方よりお客様が見えるといつもあの通りでして」

「それは心中お察し申し上げ…ああいやいや!大変に微笑ましい事ですね!」

「いえお気遣い無用。ま、楽しみの少ない土地ですからな、お客様がお越しになるとベルメナムの方々は皆ああなります」

「…皆ですか?」

「…皆です」


スッと差し出したルドガーの手は執事の手と固く結ばれ、それ以上の言葉を発さずとも何を言いたいかはお互いに伝わった。

最初は圧倒されていたモニカもいつしか言葉に熱と勢いが加わり、リムナリアのノリにも慣れたようで次々と言葉を重ねていく、ああなるともはや内容がどうこうではなくテンポの良い言葉遊びが楽しくなっているだけだろう。


「ランテが古い言葉で素晴らしい、という意味なのは先ほどの説明の中にありましたね。ランシアは素敵な、フォティは少女もしくはお嬢さんのような使われ方をします。“ベルメナムの素敵なリムナリアお嬢さん”、確かに町の若い男はそう言う事もありますな」

「若い男性限定ですか?」

「歳を重ねた男性には少々荷が重たいでしょうな。そして女性には必ずしも受けが良いとは言えません、が、本人にそうなんですよとも言えません」

「心中お察し申し上げる」

「お気遣いに感謝を」


ベルメナムに仕える人々も、ベルメナムを仕えさせる王も、大変である。

そしてそれが良くも悪くもベルメナムの存在を目立たせ、結果的に目立ちたがりの彼ら一族を喜ばせているのだからどうしようもない。

「サンカニアが滅んでもベルメナムは残る」とは古くから巷でまことしやかに囁かれている言葉で、仮にも自国の滅亡を語るなど不敬にも程があるはずなのだが、それでも残り続けているのはその言葉が的を射ているからだろう。



女性陣も男性陣もそれぞれにひとしきり話した後、リムナリアからの提案で二人は領主の館に部屋を用意してもらい正式に客人として迎え入れられる事になった。

その晩。


「結局、パンザニット村の人々に関する情報はありませんでしたね」

「そうね、でも今後の方針は決まったわ。サンカニアの王都では今、とにかく人手を集めているって話だったでしょう?そうでしょう?正規軍の人員だけでなくそれを支える様々な仕事も増えて人も物も需要がすごいって、だからそこに応募しに行った可能性は高いと思うの」

「モニカ様、リムナリアさんの言葉が移ってますよ」

「まーまーまーまー?」


これは楽しんでやっている確信犯だなと思うが、少し前までの状況を思えばこんなふざけたやり取りが出来る事自体が嬉しい変化であった。

直近のルドガーとクアンカたちの失敗もそうだが、もっと言えばレモニカが父王と国を失ってまだ半年ほどしか経っていないのだ。

今も旅の主目的は変わっていない、パルデニア王から託された品を取り戻しいずれか北方諸国の王宮にそれを持ち込んでパルデニアの今後についてを語らねばならない。

ロストアでの滞在中にあったのはその使命と責任と、そして残された民に対する王族としての責務、そんな重荷を小さな肩に背負い持前の優しさと行動力をもって懸命に前に進んできたのだ。

だから少しだけその荷を置いて、足と翼を伸ばす時間があってもいいではないか、と。


「そちらもだいぶ話し込んでいたみたいですけど、収穫はありましたか?」

「ああ、あの執事は切れ者ですね。それにベルメナムの現当主とは同い年で昔はソラム老に師事して一緒に学んだ仲だそうで、ソラム老の名を出したら喜んで協力すると」

「それは大きな収穫ではありませんか、リムナリアさんと良好な関係を築ければその指示で執事さんが動いてくれる、サンカニア国内での情報収集や行動の選択肢が大きく広がりますね」

「ああそうだ、リムナリアさんはその…同性のご友人がいないそうでそれが悩みなのだとか。上にお二方お姉さんがいるものの既に他領へと嫁がれていて、領主の娘という立場がありますので家臣や領民相手ではそうやすやすとは友人が出来ないというのもあるようで」

「まあそれではお寂しいでしょうね、話に聞く昔のサンカニアが本当ならば時が止まったように平和だったということですし…」

「ええ、一家揃って来客好きなのはそういう土地柄もあるのでしょう。…先ほどのモニカ様との時間は普段の二割増しくらい会話も心も弾んでいそうだと執事が言っていました」

「あれで二割…分かりました、私、リムナリアさんとお友達になります!」

「おお、ランテ!!」


互いに顔を見合わせ笑う穏やかなひと時、ベッドの上で足をバタバタと上下するモニカの姿は思い出したかのように19歳の少女であった。

ルドガーにはその笑顔が眩しくて、緩めたベルトの上に覗く白い肌も眩しくて、気付けば逆さまになっていた世界で見上げた燭台の灯りもまた眩しかった。

ひとしきり笑い、叩き、蹴り、ルドガーが体の至る所を押さえながら体勢を整えなおしてまた笑い、次々と出て来る楽しい話題も尽きた頃、それまで意識的に頭の外へと追いやっていた記憶がやっと俺の出番かと言わんばかりに顔を出した。


「それにしても…望んでいなかったうえに早すぎる再会だったわね…」

「ああ、あー、同感です…」


リムナリアとの会談の後、部屋へと案内してもらうために領主の執務室を出ると、そこには私兵や侍女たちと共に並ぶ見知った顔があったのだ。



「折角の美人が勿体ない、美人は困り顔も絵になる、か。いやぁ流石はリムナリアお嬢様、俺も同感ですぜ」

「な、ななななな、なぜ貴方がここに!?」

「そりゃあこっちの台詞だな、やっぱり俺の事が恋しくなってわざわざロストアから追っかけて来たのか?まいったなこりゃうはははは!」

「そんなはずないでしょう!!」


全力の否定をぶつけるもヘラヘラと笑い動じた様子の無い男、その体躯、その風貌、その言葉遣い、そこに居たのは二度と会う事はあるまいと思っていた灰色狼傭兵団の団長、ダンゲラその人であった。

流石にベルメナムの館で剣を抜く事は無かったが、ルドガーも割と本気の敵意をむき出しにしてその不快な笑顔を睨む。

だがダンゲラの方は慣れたもので、こういったやりとりなど日常茶飯事なのだろう、大人の余裕で若い騎士とその従者から向けられた敵意を受け流す。

素行と思考は全く褒められたものではないが、この男が荒くれどもをまとめ上げる今の地位に至ったのは、多くの戦場を生き抜きそれ相応の経験を積んできた確かな実力によるのも事実なのだ。


「まーまーまーまー、モニカさんたちは団長さんともお知り合いでしたの?ダンゲラ団長、モニカさんたちともお知り合いでしたの?そうならそうと仰って下さればよかったのに」

「いえ、いいえ、たまたまちょっと顔と名前を知っていただけです、それだけです!そもそもなんでこの男がここに…」

「なんでぇ釣れないなぁ、俺とあんたの仲じゃないか!俺の腕の中で震えてたのを忘れちまったのか?」

「だ、誰が!!あれは貴方に捕まって盾にされていただけでしょう!紛らわしい事を言わないで下さい!」

「なぁ!?モ、モニ…貴様言って良い事と悪い事が!モニカ様を…羨ましいだろうがぁぁぁぁ!!」

「それ言って良い事と悪い事で言うと悪い事の方だからね?黙りなさい?あと立場をわきまえて呼び捨てにしなさい??」


なんとも賑やかな日だ、とは少し離れて見守っていた執事の言である。

それを聞いた侍女たちがお嬢様が楽しそうで何よりですと答えれば、何も無いよりはマシかと返ってきた。

その呆れたような物言いの陰で、この執事の瞳が鋭くモニカとルドガーを射抜いていた事に気付く者はいなかった。



「灰色狼傭兵団がベルメナム家に雇われているとは」

「例のアレね、サンカニアの王都で計画されている正規軍の立ち上げ。そこで存在感を示すべくサンカニア王国内の他領でも傭兵団や民兵の組織化が進んでいるみたいね」

「サンカニアの王様はいくら軍事に疎いとは言っても、ちょっとこれは悪手過ぎます。“サンカニアは広く兵を募る、犯罪者で無ければ誰でもいい、各領主が鍛え上げた軍を王都に送ってくれるのも歓迎する”これでは…」

「で、自分のところから一番多く、強い軍を供出するんだって領主さんたちも経験の無い軍事にそれぞれに手を出して…」

「名のある傭兵団であれば自由を奪われるのを厭うでしょうが、中小や新興の傭兵団であれば正規軍として雇われたいと思う者も多いでしょう、貧しい者や平和過ぎる日常に飽きた者なども手を上げればそれは最早混沌の坩堝、各領がこぞって軍を鍛え王都を目指せば…それは内乱と大して変わりません」

「サンカニア王…そこに居るだけで良かったのに」

「…今シレッと酷い事言いませんでした?」

「えー?モニカ分かんなーはぁぅ!?ちょっとルドガー何するのよ!」

「これは真面目に政務に取り組んでいるあの執事に代わっての一撃です」

「んん…ルドガーにしては小癪な」


いつもの仕返しとばかりにモニカを(軽く)はたき、私もやられてばかりではありませんと得意気な顔をするルドガー、だが。

「もう寝ます!え、女性の寝室にいつまでいるのですか?悲鳴を上げますよ?早く出て行って下さい5432…」

転がり出るように部屋を飛び出し、廊下に居合わせた侍女や灰色狼傭兵団の団員たちに軽蔑の目を向けられたのは彼の自業自得だろうか?

局地的な勝利を勝ち取り大局では深刻な敗北を喫した騎士はまだまだ若く、その主はその若さに似合わず一枚も二枚も上手であった。



明けて翌日、“兵”たちの訓練を見て欲しいと頼まれたモニカ達は、館の裏手にある“訓練場”で天を仰いでいた。

そこは訓練場とは名ばかりの畑で、訓練に勤しむ兵たちのすぐ横では夏に向けて植えられた野菜の苗が陽光を浴びようと一生懸命に葉を広げている。

そして兵たちの姿はと言えば、つばの広い帽子、ゆったりとした服、厚手の手袋、通気性の良さそうなズボン、そして長靴、いずれも材質は革や毛皮、麻などである。

そんな老若男女がピッチフォークやサイス、木槍に木槌などを乱雑に振り回し、それを傭兵団員が「いいよいいよ~」などと笑いながら監督しているのだ。


「あれ、どう見ても農民よね」

「ええそうですね、教えているのは灰色狼傭兵団の団員の様ですがどう見ても手練れではありません、恐らく若手や新参の類かと」

「で、あっちで悠々と座ってお酒を飲んでるのがベテランの人たちって訳ね」


農民たちが農作業の合間に体を動かしている、と表現するのが一番しっくりくる様なその有様は、とても領主の集めた私兵とは言えず民兵と呼ぶのも怪しいラインである。

教えている方もそれらしい事を言ってはいるが、特段専門的な内容でもなく自ら実演して見せる訳でもないのでうまく伝わっていないし伝える気も無さそうだ。

決して軍事に明るい訳ではないモニカの目を通して見ても、これで精強な兵が育つかと聞かれれば否だろう。


「どうして貴方たちが教えないんですか?アレでは訓練にならないでしょう」

「アレは間違いなく訓練だよ、うちらの新人どもの訓練も兼ねた訓練だ」

「それでは契約違反なのではないですか?ベルメナム家との契約は“立派な兵”に鍛え上げる事だと聞きましたが」

「分かっちゃいないなお嬢さん、あんただってアレを見てすぐに立派な兵になるとは思えないだろ?この国の民はそもそも戦いとは無縁過ぎてまず武器の持ち方、構え方からして知らないレベルだぞ」

「だからその正しい方法をちゃんと理解している貴方たち熟練の戦士が教える必要があるのではありませんかと言っているのです」

「武器の扱いの基礎はだいたい同じ、その上で技術なんてのは長年の経験がものを言うんだ、いきなり経験の上に成り立っている事を教えても身に付かんさ」


真面目で真っ直ぐなモニカと、酒をあおる熟練傭兵との会話は平行線をたどって終わりが見えない。

モニカとていきなり高等技術を覚えられない事くらいは分かるのだが、そもそもの態度や訓練に取り組む姿勢の問題として納得がいかないらしい。

ルドガーとしてはモニカを支持したいところだが、彼には傭兵の言う事にも一理あると思えてしまう過去の経験があり、さてどうしたものかと悩む。

結局のところ、問題なのは教え方ではなく傭兵たちの態度の部分なのだろうが、それとて正規軍では無い彼らにどこまで規律や誠実さを求めたものか、と。


「ルドガーが教えるのが一番いい気がして来ました、クアンカさんたちに教えたみたいに」

「私はいいんですが、そもそも灰色狼傭兵団はベルメナム家と契約を結び、その戦力の提供と兵の訓練を行っています。それに対して今の私たちはただの通りすがりの客人です、善意で協力を申し出る事は出来ても彼らの仕事を邪魔する事は出来ません、琥珀蟹傭兵団の時とは違うのです」


琥珀蟹傭兵団、という名を聞いて目の前の傭兵たちの表情に変化があった。

興味深そうな面もあるが、それ以上に感じるのは警戒や苦虫を噛み潰したような雰囲気である。

そういえば彼らとルドガーたちは一度本気で戦い合っていたんだなと今更ながらに思い出したモニカ、その表情が邪悪にゆが…何かを思いついた様に笑みが深まる。


「そうよね、貴方が鍛えた琥珀蟹傭兵団とは違うものね、過剰な期待をした私が愚かだったわ、彼らなら農民目線から熟練兵士目線までそれぞれに合わせた力加減も分かるでしょうし、細やかで段階的な指導も可能でしょう、訓練を受けた者からの感謝や尊敬も勝ち取れる事でしょうね。…どこかのお酒を飲んで笑っているだけで給金まで受け取ろうなんて太々しい人たちとは違って」

「な、なにおぅ!?俺たちだってちゃんと訓練を見てるし必要なら口を出すさ!今はその時じゃないってだけだ!酒だってどうぞって出されたからありがたくいただいてるだけで別に無けりゃ無いで、なぁ!?」


そうだそうだと相槌が打たれ、赤ら顔の傭兵たちが憤怒と若干の気まずさを滲ませた表情で立ち上がる。

そっとモニカの前に出るルドガーの行動が更に火に油を注ぐが、その燃える様な睨み合いの中にあってモニカだけが涼し気で。


「出来ないのとやれるけどやらないのとでは大違いですものね、貴方たちはどちらかしら?名のある傭兵団の方々が揃って出来ないなんて事は無いのでしょうけれど、目に映る現実はそうでもないのかしら?」

「嬢ちゃん、言葉には気を付けな、俺たちは泣く子も黙る灰色狼傭兵団だ!しっかりとした経験がある!そんじょそこらのぽっと出の傭兵団と一緒にするなよ?」

「泣く子を黙らせる前に目の前の民たちを鍛えてあげて下さい、無駄に命を落とさぬように。…出来るのでしょう?」

「当たり前だ、そこで見てろよ!そっちの騎士も手出し無用だ!」


大声を上げ次々と指示を出していく熟練の傭兵たち、その姿には間違いなく生きるか死ぬかの戦場を経験した者の気迫が宿っており、それでいてモニカの一刺しも効いたのだろう、まずは腰を落とした踏ん張りの効く構えの取り方や肘を伸ばさぬ武器の持ち方など、基本から丁寧に教え始めた。

これでベルメナム家の兵はだいぶマシになるだろうとモニカは安堵のため息をつく、そんなモニカに先ほどまで傭兵たちが座っていた椅子を勧め彼らが飲んでいた酒も手渡すルドガー。

気付けば立場が入れ替わり、訓練を受ける農民と新兵、指導する熟練者たち、それを悠々と見守る領主とその近衛の様な構図が出来上がっていた。

そんな一連の出来事と、“領主”モニカと“近衛”ルドガーの様子を館の上階から見ていた執事は、やはりと確信を深めるとベルメナム家の為に行動を開始するのであった。



「私を臨時領主補佐官に…ですか?」

「はい、領主様は未だ容体が思わしくなく当面の間は引き続きリムナリア様が領主を代行します、その間だけでもここに残りご助言等を頂けないかと」

「それは執事さんのお仕事だったのはありませんか?」

「勿論私も引き続きリムナリア様をお支えしますが、現在サンカニアは建国以来初めてと言っていいほどの激動の時代を迎えています、やるべき事が多すぎて正直なところお嬢様のお守り…ご指導にまで手が回っていないのです」

「ううん、でも何故私なのですか?こう言っては何ですが先日出会ったばかりの、それも亡国の騎士の従者などという身分の保証も無ければ保証があってもなお身分が高いとは言えない者ですよ?」

「それについては…信じる事に致します、少なくとも貴女たちからはただの民とは思えぬ礼儀作法や教養を感じます、我らの師ソラムもただの旅人だと判断したならばその名を託さなかったでしょう」

「ソラムさんは私たちの境遇を聞いて哀れんで下さったのだと思いますが…」

「ははは、あのソラム様が哀れむ?無い無い、あの方はその実直さや毅然とした態度、何より情に流されぬ判断力などを買われて王国内でもその名を知られていた方ですよ…そのせいで王からベルメナム家の指南役に抜擢されたと嘆いていた時期もありましたが…」

「あははそれは…いえ何でも。うーんどうしましょう、リムナリアさんを支える役というのは光栄ですが…」


確かにサンカニア王国内の情報は欲しかったが、客人から正式な役職に就いてしまうと当然ながら自由は利かなくなる。

リムナリアとほどほどに仲良くなってほどほどに情報を引き出し、ほどほどのタイミングで別れを惜しみながらサンカニアの王都を目指したかったのだが。

利益と自由、もしくは時間などを天秤にかけ、モニカは突然降って湧いた選択肢にどう答えるべきかを吟味する。


「時に、遍歴の騎士とその従者と伺っていますが…本当は違うのではありませんか」

「え?いえ…えっと、え?なぜそのような…」

「そう例えば…元々はパルデニアで名のある一族の方々だったのではありませんか」

「どう、でしょう?ルドガー様の家は下級の騎士、だったかしら?ね?」

「ほう、それでは貴女はどうなのです?どうにも貴女を見ていると下級騎士に仕える身には思えないのです」

「私はその、少し特殊な縁と言いますか事情がありまして…」


やはり…と納得顔をし、ますます熱を帯びる執事の声、その拳にはグッと力がこもりいつもはシャンと伸びた背筋は前のめりになっている。

臨時領主補佐官の話は辞退して早々にこの地を離れた方がいいかもしれない、何かマズイ事が起こる前に。

このままでは執事に根掘り葉掘り過去を聞かれ、答えずとも色々と探られてしまうかもしれない、そうなればロストア以前の旅の記録が無い事やパルデニア王国に騎士ウルドガは存在してもルドガーと言う名の騎士など存在しない事もバレてしまうかもしれない。

いくら世間から取り残された様な時間が流れるサンカニアとは言っても、この執事くらい有能な人材ならば他国と交流のある商会やギルドなどを通じていずれは全てを調べ上げてしまう事もあり得るかもしれ…


「もしや貴女はルドガー殿の兄弟に嫁いできた良家の令嬢、いやもしくは父君の後妻か何かとして見染められた他の騎士家の娘…ああルドガー殿が周囲の反対を押し切って仕えていた領主の娘と駆け落ちをしているという線も…!」

「無いです」


熱弁をふるう執事の目はキラキラと輝いて見えたが、何故なのか。


「百歩譲って駆け落ちはまだ分かるとして、いえ絶対に無いですけど、その兄弟の嫁とか父親の妻とか、何ですかそれ」

「以前に読んだ本ではだいたい高貴な人物が身分を隠して旅をしている場合そのような設定でしたが、違いますか」

「違いますね、どうしてそんなロマンス本の内容準拠なんですか…そんなお話現実にはありませんよ」

「無いのですか!?それでは過去の身分を捨てて新たな人生を歩む異国の姫と旅先で出会った青年とのお話とか」

「無いです」

「実は亡国の姫でその身を挺して守る生き残りの騎士との逃亡劇だとか…」

「!?無い、無いです!ああああるはずないじゃありませんか!」


無いかぁ~…と落ち込むルドガーはさておき、この有能な執事の頭の中が意外とお花畑であった事は理解出来た、やはり彼もベルメナム家と無関係では無いという事か。

普段は政治や教育の才能ばかりが表面に出ている為に気付かれていないのかもしれないが、この執事は真面目な顔をして物語の中の出来事を語り真実を知って驚愕のあまり目を見開くタイプのようだ。

平和すぎるこの王国において日常には存在しないイレギュラーな出来事というのは全て物語の中の知識で補完されているのだろうか…。

そして結局、モニカたちはこの臨時領主補佐官の話を受ける事になる、物語の中でしか聞いた事の無いようなイレギュラーが起きたからである。



急報が飛び込んで来たのはその二日後、モニカたちが保留していた役職の話について丁重にお断りする旨を伝えようとしていた矢先の事。


「王都バロアーゾサンカニアに向けて、北のロトナム卿と東のケンラシア卿がそれぞれ軍を率いて行軍を開始し、王都近郊にて互いを牽制するように陣を張ったとのこと、王は両者が衝突するのを恐れ王都を封鎖した模様です」

「言わんこっちゃない…軍を編成出来得る者に曖昧で不明瞭な指示を、いや指示にすらなっていない要望のようなものを発するからこうなる」

「王都が封鎖されたとなると、私たちが二人で王都へ向かっても入れてもらえない可能性が高そうですね」


当初の予定通りにサンカニアの王都へと向かい独自に情報収集を続けるという選択肢は非常に難しくなってしまった。

そうなるとランテベルメナムに留まりリムナリアや執事の協力を得て情報収集に当たるのが他の選択肢だが、役職を断ったうえで協力だけお願いし滞在を続けると言うのはなんとも居心地が悪そうだ。


「話に聞く限りじゃその領主たちも軍事に詳しいとは思えねぇし、ここの兵たちの事を考えれば領兵の訓練が十分に出来てるとも思えねぇ。はっおおかた雇い入れた傭兵だ何だが王都への一番乗りをしたくて焚きつけたんだろうよ」

「ダンゲラ…殿?は、他領に雇われた傭兵団に心当たりがおありですか」

「ダンゲラって呼び捨てで構わねぇぜ、ああダンゲラ様ってのも悪くない。な、モニカの嬢ちゃん」

「で、どうなんですか団長殿」

「へっこいつは手厳しい…。俺たちもまだ情報を集めてるところだが、サンカニア周辺で活動してた傭兵団でこういった話に乗りそうな奴らにはいくつか心当たりがある、荒くれどもばかりだな、ま傭兵団なんてどこもそんなもんだが」


集まっていた全員が一点を見つめなるほど確かにと頷くのを見てゲラゲラと笑うダンゲラ、彼のメンタルはこの程度ではビクともしない。

そもそも自覚があってなおそのままでいられるような者たちだからこそ、傭兵という職業を続けられるのだろう。


「念のためお伺いしますが、その中にパルデニア出身者で構成される傭兵団や、パルデニアに所縁のある傭兵団はありませんか」

「…無いな、そもそもパルデニア王国ってのは現国王に替わってから、ああいや、最後の王の代になってからと言うべきか?傭兵仲間の間じゃ行くと不幸になる国って言われてたくらいだからな」

「そんな、パルデニア王国で不幸になるなど…!王の統治の行き届いた、民の幸せが願われた…!」

「だからですよモニカ様、傭兵が行っても仕事が何も無いから稼げずに不幸になる、傭兵が必要とされない安定した国だった、と。そういう事ですよね」

「そーいうこった。ここ数十年は傭兵が必要になるような事件も無かっただろ、だから傭兵からは嫌われてんだよあの国は」


そのような言い方!と納得が行かず食って掛かるモニカは、普段の温厚な(少なくとも周囲からはそう思われている)姿からは想像も出来ないほどの剣幕で、少なからず周囲を驚かせた。

言ったダンゲラもここまでの反応は想定外だったのだろう、この豪放な男にしては珍しくバツが悪そうにしている事からも、その剣幕のすごさが分かろうと言うものだ。

ベルメナムの面々は遍歴の旅への同行で長らく帰れていない故郷、故国への愛が溢れたのだろうと納得したが、レモニカの国への想いや後悔を知るウルドガは一人拳をきつく、きつく握りしめた。


「パルデニアが傭兵から嫌われてたのは…事実だ。だがな、少なくない傭兵連中が引退後にあの国を目指したのも事実だ、特に親兄弟や帰りを待ってた人、帰るべき故郷を失った奴らがな」

「…」

「俺の古い知り合いも何人か、しぶとく生き残った老害どもだ…引退後にパルデニアの王都に住み着いてたぜ。あそこに行けばどんな風体や過去を持ってても王は拒まない、湖での漁やそれに関連した仕事もある、夕日が沈む水面を見ながら酒を飲む老い先短い生活は悪くねぇってよ、へっ」

「…」

「一度だけ、パルデニアの王都に行った事がある。“白亜の”なんて呼ばれてるからどんな豪華で煌びやかな、贅の限りを尽くした城や町かと思ったらよ、拍子抜けしたぜ。ありゃあただ白いだけの、全てが真っ白で穏やかな…いい都だったぜ」

「一度来ただけで分かったような事を…」

「分かんだよ、俺の直感をなめんなよ。まぁしかしそうか、もうあの景色も歌も無ぇのか」

「歌…」

「ハッ、戦場じゃだみ声でめちゃくちゃに叫びまくってた歌なんかとは無縁のじじいがよ、船を浮かべて気持ち良さそうに歌ってやがった。魚がどうの白亜がどうのってな」


その歌を知る者は少ない、パルデニアの王都に住む漁師たちが船の上で歌う歌だからだ。

だがその事実すらも知る者は少ないのだから、突然目の前の少女がその歌を歌い出したからといって、少女とパルデニア王都との関わりを深く考える者もいない。

一人慌てたルドガーの心配をよそに、怒っているのか悲しんでいるのかよく分からない涙と共に紡がれるその歌声は、まるで物語の中から飛び出してきたかの様であった。


「まーまーまーまー、素敵な歌!歌声!お腹の中に焼いた鉄でも飲み込んでしまったみたいに熱くて…鳥肌が止まりませんわ!モニカさん…まるで旗を掲げて民たちの先頭を行く銀の乙女の様ですわ!そうよね?」

「まさに、もしあの物語のヒロインのモチーフがモニカさんだったと言われても信じてしまいそうですな」

「ああ?この嬢ちゃんが銀の乙女だぁ?はっはっはそいつは傑作だ!銀の乙女はもっと勇ましいんだよ、それこそその逸話を傭兵が好んで知ってるくらいにはな」


まーまー言いながら両手をぎゅっと組んで身震いするリムナリアと、その言動を全肯定する執事。

そこで落ち着くようにと窘めるのが執事の役割ではないのかと思うのだが、どうにも感動や興奮の方が勝ってしまっているようだ。


「ええとリムナリア様、その銀の乙女と言うのは?」

「まーまーまーまー、ルドガーさんはご存知無いの?古いキストニアの物語、旗を掲げて歌を歌い民を率いて前キストニア王家を打倒して現キストニア王家の基礎を作った偉大な女性のお話なのよ」

「それは興味を引かれる内容ですね、という事はその銀の乙女というのは王家の血を引く方で、今のキストニア王はその銀の乙女の直系なのでしょうか」

「いいえ、いいえ、富を独り占めし民を苦しめた暴君を打倒した銀の乙女は名も無き民の出、そして権力の分散を恐れ僻地へと追いやられていたかの暴君の弟君を都へと呼び戻し、その戴冠を見届けると姿を消した伝説の方なのよ」

「それは何とも、そのような方がもし実在していてその時代に生まれていたのであれば、騎士として主と仰ぎたいと思った事でしょう」

「まーまーまーまー、きっと絵になるわね!銀の乙女がその後どうなったのかは誰も知らないけれど、もしその血を受け継ぐ方が今の世にもいらっしゃったらルドガーさんの主として相応しいかもしれないわね!」


銀の乙女の末裔に仕える騎士…ふぉぉ、と拳を握りしめて頬が緩むルドガーの足は、鉄靴に包まれていなかったら踏み潰されていたところだった。

逆に踏み付けたモニカの方が少しだけ痛そうにしており二重に恨めしそうな顔で睨むが、気分が良くダメージも無かったルドガーは涼しい顔である。


「鼻の下伸ばしちゃって、貴方は私の騎士なんですからね?」

「まーまーまーまー、まるでモニカさんがルドガーさんの主みたいね、あらそれともそうだったかしら?どうだったかしら?」

「…一応、ルドガー殿がパルデニアの騎士で、モニカさんはその従者と伺っていますが、はてさて…」

「うぇ?そうね、そうですね?ほら、ルドガー様は私が仕える私の騎士様ですから!ね!」


伸び続ける鼻の下を引っ込めようともしない騎士様は、しかし今度は押し殺した悲鳴を上げる事になった。

後ろから伸びたモニカの手からは引き抜いたルドガーの金髪がハラハラと舞い落ち、床に敷かれた大型の獣の毛皮に吸い込まれて同化する。

あらよく見たら綺麗な毛並みの敷物ですね素敵!などとのたまう主を恨めしく思うが、そもそもは自分のせいかと思い直し肩を落とした。


「で、どうすんだいリムナリアお嬢様。俺たちも王都に向けて進軍したっていいが、もし他領と衝突する様な状況になった場合、そいつはほとんど傭兵団同士の戦いって事になるが」

「まーまーまーまー、そうねどうしましょう、どうしましょう?どうするべきなのかしら?」

「灰色狼傭兵団に勝算はおありか?」

「この件に絡んでると予想される大抵の奴らにゃ負けねぇと思うが、問題は相手側に複数の傭兵団が雇われている場合だな、戦場での数の暴力は強ぇんだ」

「待って下さい、既に王都の近くに複数の領兵が居て、そこへ更にベルメナム家の兵が加われば王都の封鎖はますます強固になってしまいます。それに本来の目的は帝国に備える為の、サンカニア王国を他国の侵略から守る為の正規軍の編成のはずでしょう?仲間同士で争っては本末転倒です」


そもそもどうしてこんな事態になってしまったのか、王とその側近たちの軍事に関する無能故なのだが、それを今更言っても何も解決はせず王国の根本的な部分に大きな問題がある以上、外部からでは改善の手を考えるのも難しい。

全てにおいて歯車が噛み合っていない風車を修理するのに、油を差したりハンマーで叩いたりしたところで動き出しはしないのだ、どこからか専門の技師を呼んで一度解体し組みなおしでもしてもらわない限りは。


「王様をどうにかしなければ、いや王様にどうにかしてもらわなければ事態は収まらないんでしょうが、その王様が王都に引き篭もってしまっている上に各領主も出し抜かれまいと目を光らせているでしょうから、何と言うか…面倒な」

「それについてはあんたと同感だ、まったくなんて面倒な国なんだサンカニアってのは…王が王なら臣下も臣下だぜ。おっと今のは失言か?へへすまねぇ」

「王が王なら…臣下も…、それだわ!」


閃いたとばかりに手を打ち合わせ興奮と共に顔を上げたモニカは、しかしリムナリアの少し悲しげな顔、執事の困り顔、ルドガーの微妙な顔に迎えられ気まずさを感じる。

今だけはゲラゲラと笑うダンゲラの無礼さが少しだけありがたかった、後で仕返しするリストは更新されたが。


「あ、えっとなんかごめんなさい。それでね?サンカニアの王様とその側近に軍事に明るい方がいないのがまず1つ目の問題で、それに対して止めるなり意見をするなり、王国が良い方向へと向かうような行動が出来ている臣下や領主も居ないから更に問題が大きくなっているのよね?」

「大変遺憾ではありますが、ざっくりと要約すればそういう事なのでしょう」

「でも今日(こんにち)までサンカニアの歴史上でここまでの事態が起きなかったのは、単に王国が平和だったからというだけじゃなくて、問題が起きた場合もしくは起きそうになった時に、王の側に居て献策をする者が居たからではありませんか?…ベルメナムという」

「まーまー、まー…まー?確かにベルメナム家は王国の知恵袋、その献策で名を上げた家ですけれども、けれども?確かにそうね、そうだわ?」


王の頭痛の種、ではあるが同時に王の腕を支えてもいる、極論で言えば王が倒れずに済んでいたのはベルメナムのおかげ、と言えなくもない。

そういえばそのベルメナム家の当主はここ数年病床に伏せっているのだったか、年若いリムナリアがその当主に変わって領地の運営を行ってはいるものの、王都へ参じて王に意見をすることまで代行しているとは考えにくい。

となればサンカニアの王には今、ベルメナム成分が不足しているのかもしれないのだ…たぶん。


「リムナリアさん!王都へ行って王に献策しましょう!王に事態が収束するよう働きかけるのです!」

「まーまーまーまー、まーまーまーまー!私が、私が王様に献策を?ベルメナム家の者として!それは…まーまーまーまー!」

「いや盛り上がってるとこ悪ぃんだが、このお嬢様に王を説得出来るだけの知識と技量があるもんかね?いや貶すつもりじゃねぇんだ、だがこういうのはどうしたって経験がものをいうだろ?」

「確かに、仮にも一国の王がいかに名の知れた臣下の一族とはいえ、うら若き令嬢の言葉で行動方針の根本を変えるかと言われると…」


素晴らしい名案を思い付いた!とそう思ったモニカであったが、冷静に考えてみるとリムナリアに国を動かせと言っているようなものである。

ここ数日で仲良くなったこのベルメナムの少女はモニカよりも一つ年下の18歳、元々当主の座を継ぐ者としての教育を受けて育った訳でも無いらしく、上の姉の婚姻による他領への移動と当主の発病が重なり、必要に迫られて執事に支えられながら何とか領地を良くしようと奮闘している状況なのだ。

いかに無の…能力に不安があるとはいえども、それなりに国を運営してきた経験の積み重ねがある王を相手にしては、その知識も経験も不足しているとしか言いようがないだろう。


「そ、それではご当主と共に学んだという執事さんにも一緒に行ってもらって、リムナリアさんに助言をしてもらいながら…」

「恐れながらそれは難しいですね、正直に申し上げて現在も当主の容体は思わしくありません、そうなると様々な決裁の為に領主の代行者は絶対に必要になります。今現在その役目を務め得るのはリムナリア様か僭越ながら私かの二択です、両者が共にここを離れる訳には行かないのです」

「かと言って、執事さん一人を送り出しても王都でベルメナム家の者としては扱われないでしょうね、少なくとも王に直接意見出来る様な待遇にはならないでしょう。なるほどこれは難しい」

「そうね、そうよね、そうよね、私の手で銀の乙女の様に王様を、サンカニアを救えたらとてもとても素晴らしい事なのでしょうけど…力不足だわ」


がっかりして肩を落とすのでは無く悔しさを滲ませて拳を握るその姿は、今はまだ無力な少女の将来に大きな期待を感じさせた。

きっと貧欲に学び大きく飛躍するのだろう、それこそ王の横にあって助言を求められる様な存在に…王の方にも多少の忍耐力が求められるかもしれないが。


「あーん?じゃあ話は簡単じゃねぇか。残る選択肢はそこの嬢ちゃんを…さっき言ってた何だったか、臨時の領主補佐官か?それに任命してお嬢様と一緒に送りだしゃいい、どうせそうなりゃこの騎士のあんちゃんだって同行するんだろ?少なくとも騎士に任命される程度には軍事に明るいんだし嬢ちゃんだってロストアで交渉人の真似事が出来てたんだ、そんじょそこらの奴より頼りになるだろうさ」

「なるほど、確かに領主補佐官の地位であれば堂々とリムナリアお嬢様と共に王都へも赴けるでしょう、王との謁見の際にも同行出来るはずです。お二人を後ろに従えていればお嬢様にも箔が付くでしょう」

「え、あ、私も?私が王様と共にリムナリア様に!?」

「モニカ様さん落ち着いて下さい、リムナリア王様と共に王様に…あれ?」


思わぬ方向に進んでしまったがモニカが自分で言い出したリムナリアの言葉でサンカニア王国を救おうという案、それだけに今更断れるはずも無く。

降って湧いたサンカニア王との謁見の場への同席、身分を証明出来る物さえあればむしろ待ち望んでいたはずの機会だが、今はまだその機が熟しているとは言い難かった。

一国の王の前で他国の王族を名乗り、その顔を王宮の誰にも覚えられていなければ、旅はそこで終わりである。


「(過去にサンカニアからの特使が来たのってもう何年も前よね、あの頃私は何歳だったかしら。王女とは言え10代前半の、それも正式に紹介された訳でも無い成人前の王女の顔を覚えているとは…いいえ例え覚えていたとしても今の私と同一人物と分かってもらえるかなんて)」

「(モニカ様、いかがしましょうか、私としては非常に危うい気がするのですが)」

「(そうよね、でも現状のサンカニアの危うさも無視出来ないわ、サンカニアが内乱状態にでもなれば北方諸国に火種を撒く事になるかもしれないもの)」

「(ううむそうなってしまえば笑うのは帝国か、もしくはアルタニアかゼルゴニア両大国のいずれかか…)」

「(アルタニア王は聡明よ、お父様がそう言ってたもの。でもゼルゴニア王は…悪い人では無いけれど手に入るなら国土や権力は欲する方よ、歴史の先生がそう言ってたわ)」


「まーまーまーまー、どうしましょう、どうしましょう?ルドガーさんは騎士として力を貸して下さるかしら?私では王国の正規軍をどうすればいいのか意見を求められても正直分からないもの」

「まだ何とも、少々モニカとも相談をさせていただきたく…」

「えーえーえーえー、相談は大事よね、大事だわ、私も相談相手が居ないと不安だもの、でも執事を連れては行けないのでしょう?いつもいっぱいお話を聞いてくれたお姉様たちももう居ない、だから一緒に来て下さると嬉しいわ、モニカ…お姉様」

「行きますよルドガー、何としてでもリムナリアの力になるのです!」


いざサンカニアの王都へ!と意気込むモニカの鼻息は荒い。

だがそれも仕方ないだろう、彼女は物覚えが良く行動力もあるが人生経験の少なさだけはどうしようもない、だから常に頼る側で他人から頼られる事はほとんど無かったのだから。

そしてもう一つ、王女レモニカには心残りがあった、それは妹の様に可愛がっていた少女の存在である。

ある日少数の使節と共にパルデニア王宮にやってきたのは北方諸国内の東の小国の王女、血筋としては傍系であったその少女の嫁ぎ先はパルデニアの重臣の家であった。

モニカは自分と同じ王女であったその子の挨拶を受けた時、妹が出来たと喜んだのだ。

だがあくまでも嫁ぎ先は家臣の家、直系王族であるレモニカは公式にその少女と多くの時間を過ごす事は叶わなかった。

使節の中で共にパルデニアに残ったのは2人の侍女だけであり、他国からの客人として大切にはされていたものの歳の近い友人は出来ずに寂しい思いをさせてしまっていたと記憶している。

レモニカは脱出の際にその少女の同行も願ったが、少女だけでなく、その嫁ぎ先の重臣の家系からは誰一人として同行者はいなかった。


「頼られるのも、妹の期待に応えるのも、姉の仕事です!」

「モニカ様?簡単に言いますがこれはサンカニアの大事であり延いては北方諸国の大事であると先ほど…」

「まー!モニカお姉様!」

「ああもぅっ!リムナリア!」


こうなった女性は誰にも止められませんと執事がつぶやき、全くもって同感だぜとダンゲラが応じ、若きルドガーは未だ茫然としていた。

こうしてモニカは辞退する予定であった臨時領主補佐官の役職に就き、その本来の目的であった領地運営の補佐という内容とはかけ離れた、サンカニア王の説得という大仕事に巻き込まれて行くのであった。




その葬儀の場で最も涙を流したのは、夫であるサンカニア王を差し置いてキストニアのハンゲルホーン王であったと伝わる。

だがその余りにも早すぎる死を悼んで涙を流したのは皆同じで、北方9王国のうち8王が集ったサンカニアの王都は北国の民たちの嘆きを現す様に連日の雨となった。

彼女の墓碑に刻まれた贈名は2つ。“ランシア・リムナリア・サンカニア・クアルティ”、そして“パルデニアの王女の妹”。

小国であったサンカニアが滅ぶどころか北方諸国を代表する国に成長したのだ、それを支えたベルメナムの妃の記憶が残らぬことなど在り得ない…刻まれた文字を指でなぞり彼女にそう伝えた昔馴染みの騎士の背を見送り、その魂は空へと旅立ったのだ。



第三幕:「妹と姉と男たち」 了


続きが…上げられました…連載と見せかけてギリギリ隔月更新!

なおサンカニア編の続きは頭の中にはありますが、投稿時点で次の第四幕は1文字も書けていませんストック無しだよ!

そんな訳でまた次の更新はだいぶ先になりそうな予感がします。

クアルティって何だよとか次話で出て来ますがその次話が遠すぎて誰も覚えていない説…。


いつものことながら誤字脱字衍字や内容に関するご指摘歓迎します。

暑くなる前にまた会える事を願いつつ…

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