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第二幕:「旗と蟹と傭兵団」

第二幕:「旗と蟹と傭兵団」



モニカとルドガーがアルタニア王国領ロストアの町にたどり着いて1週間が過ぎた。

その間、マドレアの宿(倉庫だが)に滞在しその手伝いをしがてら、また空いた時間で町に繰り出しては様々な噂話や最近の情勢を聞いて回ったが、野盗の居場所に関する決定的な情報は得られていなかった。

しかし新たな野盗被害の報告はいくつか上がり、商人ギルトも冒険者ギルドもその排除に本腰を上げつつある。

冒険者たちはいよいよ殺気立ち、朝夕の寒風に吐く息も白くなり始めている、状況は刻一刻と悪くなっていると、そんな焦燥に駆られる二人の元についに待望の連絡が届いた。


「おお、渡りの騎士殿ではないですか、商会長は在館中ですどうぞお入り下さい!」


以前来た時と同様に商館前で出迎えたのは打って変わってとても愛想の良い表情と声の用心棒たちである、その顔や体に刀傷や火傷の痕などが無ければ商館スタッフを名乗っても疑われはしないだろう。

どうやら用心棒たちは金持ちの大商人や町で影響力のある上客よりも、騎士であるルドガーの方により親近感と畏敬の念を抱いたようである。

明らかに商館への客人としての扱いでは無く、まるで親分を慕う子分の様な構図にモニカは笑いをこらえるのに必死であった。


「随分と好かれたものですね」

「いやはや前回来た時の睨み付けが効いたんでしょうか、確かにモニカ様を嘲笑うかのごとき物言いに剣を抜く寸前でしたが」

「そんなに怒っていたのですか?大袈裟ですね、今の私はただの従者ですよルドガー、ほらまた“様”って言ってる」


気を抜けば様付けで呼んでしまうのは素性を偽って行動している今の状況ではマズイことくらい分かっているのだが、さりとて横にいるのは仕えていた王国の敬愛する王の娘である、呼び捨てでと決めたところでそう簡単には順応し難い。

そもそも任官間もない若い騎士であったウルドガにとって、王女などという存在はこうして日常的に気安く会話が出来るような相手では無かったはずなのだ。

落日の王都にあって王女に下されたのは、王からの最後の使命となった北方諸国への再度の援軍要請の書状と紋章印の指輪を持っての脱出、その護衛はただ健康を維持している者という基準で騎士や兵士の中から選ばれた。

騎士ウルドガはその一行にあって序列下位であったが、今や上位も下位もない、ただ一人の生き残りの同行者である。


「ぜ、善処します…」

「お願いします、今や貴方しか頼れる者はいないのですから」

「んんっ、わわ、私はたとえどのような事態になっても必ずやモニカさ…モニカをっ」

「ああホルド様!先ほど手紙を受け取りその足で来てしまいました、慌ただしい訪問となり誠に申し訳ございません」


取り次ぎに走った者がいたのだろう、商館の扉を抜けると連絡を寄こした主である商会長のホルドがゆっくりと階段を降りてくるところであった。

ホールから元気に声を上げる騎士の従者にホルドも手を振って応えると、そのまま一室の扉を指さして見せた、どうやらその部屋で話すという事らしい。

それを見ていた商館のスタッフがすぐにワイン壺や杯と果物が入ったバスケットを抱えて先行し、モニカ達が一通りの挨拶を終えて部屋に入る頃には既に準備万端、商談をする場が整えられていた。

流石は大商会、とは声にも面にも出さずにいれば相手も粛々と席を進めるのみで、なるほどこの程度は誇るまでも無くその余裕こそがこの商会の大きさを示しているという事か。


「簡単に現場の報告をまとめるだけならばもう少し早くご連絡も出来たのですが、お聞きする限りより具体的な情報をお求めのように見受けられましたので想定より少々お時間を頂いてしまいました、申し訳ございません」

「いやいや、その様な謝罪は不要です、無理を言ったのはこちらなのですから。それで、野盗の何かを特定出来る様な情報は出てきましたか」

「はい、きっとご満足頂けるかと…こちらです」


そう言ってテーブルに差し出されたのは数枚の紙、ズラッと文字が並ぶものと印の付けられた地図、そして最後には似顔絵の様なスケッチ。

目を通して見れば野盗による襲撃の日時と発生場所が事細かに記されていた、それがロストアの北の街道なのか東の街道なのか、襲われた隊商の規模と確認された野盗の数や武装。

それを地図の印と照らし合わせて見てもどうにもバラバラで時間帯や町からの距離にも一定するものが無く、時に強気であったり時に弱気で威嚇に怯えてすぐに逃げ出した例もあった。


「これは本当に同じ野盗なんだろうか、もしや複数の集団が存在するのか?」

「そのご懸念は最もですが、どうやら同じ拠点から出発し活動しているではないかと言うのが私どもの見立てです、ここをご覧下さい」


ホルドが指さした場所は町の北東にある森、西の樹海に比べれば何て言うこともない規模だが、その森の中央には家のマークがあった。


「この森の中には廃坑とその採掘時に鉱夫たちが寝泊まりする為に使っていた小屋がいくつか存在しています。地図上の襲撃があった場所を示した印は一見すると広範囲に渡っていますが、いずれもこの場所からはほぼ等距離なのです。他にも廃坑や放棄された開拓村は存在しますがここが一番怪しいでしょう」

「ふむ、確かにここを拠点として活動すればどの襲撃地点へも行き来する事が出来そうだ、ここへ行くにはどのくらい掛かる?」

「ロストアからですと森の中の移動も含めて2日といったところでしょうか、直線距離ならば馬で1日の距離です」

「思ったよりも近いな…もし冒険者たちがここを嗅ぎつけたらすぐにも大挙して押し寄せてしまうだろう」

「それは…良い事なのではないですか?ああいやしかし、パルデニアの騎士は未だここにありと示すにはなるほど、活躍の機会を奪われてしまいかねませんな、はっはっは」

「あ、いやうん、そうだな、その通りだ、うむ…」


ジト目のモニカを見ないようにして、ルドガーは冷静を装う。

ロストアの町の人々にとって野盗は排除すべき対象であって、事ここに至って改めての話し合いを求めている相手でも、ましてや助けようとしている相手でも無い。


「そういえばホルド様、このスケッチは野盗の首領か何かの顔ですか?まるで手配書の様な…でもそれにしては随分と特徴の無い顔で目元も黒塗りですし…」

「いえ、それが誰なのかは分かっていないのですが、と言うよりそれは顔を描いたものでは無いのです、だから顔の部分は仮に描かれた意味の無いものとお考え下さい」

「とすると、この…(かぶと)?」


スケッチに描かれたのは特徴の無い顔のアップであったが、その顔に意味が無いとすると残るはその人物がかぶっている冑くらいのものだ。

だがその冑も一般的に騎士が使う冑の形であり、何気なく見るだけでは名も無き騎士の肖像画といった雰囲気でしかない。

あまり騎士の装備に詳しくないモニカが見ただけではそれこそ違いや特徴と言われてもよくわからないだろう、しかし。


「これはバイザーに特別な装飾が施されていますね、全体的に飾り気の多いデザインで埋もれがちですが、ほら見てください、バイザーが蟹の形をしています」

「流石は騎士様、そうこれは野盗の一人がかぶっていた冑だそうで、その特徴を覚えていた護衛の話を元に描かれたものです」

「正直この特徴だけでは果たしてこれがどの様な人物の物なのかは分かりません、それに野盗の手際を聞く限り名のある騎士が率いているようにも思えません」

「ううむそうですか、これが何かの決め手になればと思ったのですが…しかしそうすると、これは戦場漁りから流れた品か何かですかね」


大きな戦いがあればその跡には戦利品として回収されなかった廃品が残っている事が多い。

大抵の場合は損傷の激しい武具や汚れの大きな衣類などで、運が良ければ遺体の手に指輪が残っていたり、懐に何か隠し持ったまま放置された遺体もある。

そうした物を回収して回り、洗ったり磨いたり修理したりして売り払うのが戦場漁りたちだ。

時に一攫千金の宝物を見つける者もいるにはいるが、基本的には生きるために日銭を稼ぐような者たちの副業であり、好まれるものでは無い。


「ううむ、しかし北方諸国で近年大きな戦いなどあったか?小競り合いでは騎士など前線に出て来ぬだろう。よほど古い時代の物であれば別かもしれないが」

「その…帝国のパルデニア侵攻は大きな戦い、だったのでは」


ルドガーは再びしまったと思い、焦りの気持ちを必死に抑えてそっと横を見てみれば、今回ばかりはモニカも顔を俯けていた。

この二人は帝国が侵攻を始めた時期から大勢が決した脱出の時期まで、ずっと堅牢な王都の王城にいたのだ。

王国内の各地から民が逃げ込み王都籠城の構えを見せて以降、包囲した帝国によるある程度の攻撃はあったが王都の内部が脅かされた事は無く、最後の時まで武力による突破を許さなかった。

それは王都を破壊するのではなく奪い取りたい、その後は更に北進する為の前線拠点として確保したい帝国が、破壊力の高い大掛かりなトレビュシェットなどの攻城兵器をわざわざ遠征先で建造してまで用いなかった事も一因ではあったのだが。

その為この二人にとっての帝国によるパルデニア侵攻とは剣戟の音や怒号が飛び交う戦場ではなく、ただ援軍を信じ耐え続けた日々と、飢えと毒と病で倒れていった者たちの姿なのだ。


「そうですね、私たちは遠方にあってその戦いの様子を見る事なく、またルドガー様は帰還が間に合わなかった事を悔いてその事実からつい目を背けてしまったのかもしれません…」


我ながら何とも苦しい説明だなと思ったモニカだったが、聞こえてきたのはホルドのむせび泣く息の音と、盛大に鼻をすする音であった。

どうにもこの商会長、本当に情に脆いらしい、いや脆すぎる。

だが集められた情報は素晴らしく有益で、それを元に推察された内容も納得出来るものばかりであり、ホルドとこの商会の実力が極めて高い事は疑いようもない。


「もう…しわけない…つらい…ことを…あれがきしさまの…おなかまのもののかのうせいも…あったというの…に…わたしは…んんぅぅぅ」

「いや、いやいやいや、ホルド殿?大丈夫そこまで気にしてはいませ、んと言うと語弊がありますがとにかく私は大丈夫ですから、ね?」

「ああ、ホルド様は何てお優しいのかしら、帝国に一人でもホルド様のような方がいればきっとあのような悲劇は起きなかったでしょうに、しくしく」

「っっっ!!?」


泣き崩れる男と泣きを演じる女の板挟みになりながらその両者に対応するという、ルドガーに与えられた高度なミッションは少しの間続くのだった。



その後、ホルドの商会が契約している用心棒や護衛、信頼出来る冒険者などの貸与や紹介を丁重に辞退したモニカたちは、急いで出発の準備を整えるべく宿に戻って来ていた。

事態解決の糸口を探るべく野盗との話し合いを試みようとしている、などとは思っていないホルドは当然のように戦闘になる可能性を考えていたため、別途商会から援軍を派遣する手筈まで整えていたのだ、有料で。

その強かだが現実に即した有益な申し出は、本音を濁して断るのにとても苦労した。

ホルドとしては利益もだろうがここで明確な騎士への貸しを作っておきたかったのだろう、商人としては本当に有能な男である。


「マドレアさんとラングさんに、数日留守にする事は伝えておきました」

「こちらも馬を二頭借りることが出来ました、最初は渋られましたがこの宿に泊まっている事とホルド殿の名を出したらあっさりと」

「お二人ともこの町では名の知られた人ですものね」

「よう嬢ちゃんに男前、もしかして町の外へ遠出するのか?だったら気を付けた方がいいぜ」


聞きなれた声に振り返り会釈する、階段を降りて来たのは弓と短剣を身に着ける顔馴染みとなった宿の常連客、冒険者の男だった。

恐らく宿が提供する食事が以前に近い質に戻った事を一番喜んでいる客の一人である。


「ごきげんよう。最近は物騒になる一方ですものね、野盗には十二分に気を付けます」

「ああ、それもそうなんだが…あんたらにならタダで教えてやってもいいか」

「何か新しい情報があるならコレで、濁さず全て聞かせて欲しい」


コレと言ってルドガーが銅貨を弾くと、放物線を描いて飛んだソレは軽薄そうだが憎めない笑顔を引き出し男の懐に収まった。


「へへ、まいどあり。北の王都方面から傭兵団がここへ向かってる、たぶん野盗討伐に大々的に賞金が掛けられたのを嗅ぎつけたんだろう」

「傭兵団が…やっぱりそういった方々というのはその、強いのでしょうか」

「強い、少なくともそいつらが噂通りならばだが。灰色狼傭兵団、歴史のある中規模の連中でベテランの傭兵が多いって話だ」

「そんな傭兵団に攻撃されたら野盗など簡単に蹴散らされてしまうな…いや、そうなると我々の活躍の場が無くなってしまうという意味だぞ」

「ケッ、違いない。だから俺たちも行動を始めてる、でその傭兵団なんだがここ最近アルタニアは平和だっただろ?だから大きな仕事が無かったせいでちょっと素行がよろしくないらしい、強引に賞金首を奪っていったりな。そんな奴らと賞金をよそ者に奪われてなるものかって躍起になってる冒険者がその辺にうようよいるからな、気を付けろよって話だ」


もう残された時間は少なそうであった、それは野盗たちにとっても、モニカたちにとっても。

根城としている場所が発見されてしまえば、すぐにも荒くれ者たちが大挙して乗り込み練度の低そうな野盗は簡単に制圧されてしまうだろう。

そして抵抗する生きた人間を引き渡しの為に縄で繋いで町まで連れて来るのと、証拠となる(しるし)を麻袋にでも放り込んで持って帰って来るのとでは、掛かる労力は雲泥の差なのだ。

新米の冒険者ならばその命にトドメを刺すことすら躊躇う事もあるだろうが、対人の依頼と知っていて参加する者たち、特に歴戦の傭兵などは簡単にそれを成すはずだ。


「貴重な情報をありがとうございます…」

「おうよ、ま騎士様がいるんだからいらん心配だったかもしれねーがな」


じゃあなと軽く手を上げ出て行った男も、きっと野盗捜索に向かうのだろう。

モニカは心の中でこの顔馴染みとなった男が無事であって欲しいという願いと、その男の放つ矢が命を奪わぬようにという願い事をし、我ながら都合の良い贅沢な願いだと、自嘲気味に嗤った。

しかしそれを両方叶えるような(まつりごと)を行っていたのが父王なのだ、その父を見て育ちその血が自分にも流れているのだから欲張ってでも最善を掴み取りたいと思う。

既に父や民と国の無事という大きな願いは叶わなかったのだ、だったら少しくらい幸せに対して強欲になってもいいじゃないのと、自らに言い聞かせる。

その翠眼は強い決意と優しさを秘めて真っ直ぐに未来を見据えていた。

もし王都で別れたパルデニア王の腹心たち、古木の様な執政官の大叔父や、雪の如き白髭の老将らがここに居たならば、若き日のパルデニア王の姿をそこに重ね合わせたかもしれない。


「行きましょうルドガー、何としてでも私たちの手で解決するのです!」

「…ははっ!」




ロストアの町を出た翌日、街道から少し逸れ木々を分け入った所で馬を降り、その手綱を適当な幹に結び付けると鼻先を合わせて頬を優しく撫でた。

よく訓練された馬たちは特に怖がる事もいななく事も無く、落ち着いた様子でもしゃもしゃと野草を食み尻尾を揺らしている。

久しぶりの野宿は以前よりも怖くは無かった、正確な現在地も分からぬままに樹海をただ北へと歩き、深い闇と獣の遠吠えに怯え疲労によって眠りに落ちる、それがロストアにたどり着くまでの旅であったからだ。

帝国兵の一団との遭遇戦によって大地に倒れた者、樹海の根に背を預けたまま冷たくなった者、追っ手を警戒して寝ずの番をする最後に残った若い騎士はとても頼りなく思えたものだが、昨晩はとても良く眠れた気がする。


「ルドガー」

「はいなんでしょう?」

「報酬を金貨1枚から2枚に引き上げます」

「え?それはなん、はえ?」


分かりやすく動揺する騎士の顔を見て少しだけ幸せな気分になると、モニカは颯爽と木々の間を走り抜けて行く。

慌てて後を追ったルドガーは普段なら軽々飛び越えられる木の根に足を引っかけ盛大にすっ転んだ、それがまた笑いを誘う。

二人でひとしきり笑った後は、歩調を合わせて目星をつけた廃坑を目指した。


「まずは我々に戦意が無い事を示さなければなりませんね、何よりも怖いのは弓などによる奇襲ですが」

「その為にも、これね」


そう言うと奇襲に対する備えとは逆に身に着けていた外套を脱ぎ身軽になった。

長旅用の外套はそのしっかりとした作りと厚みによって暖かさを提供してくれるが、同時に多少の衝撃も吸収してくれる防具にもなり得る、特に鈍器の類や遠距離からの弓撃などには効果が大きい。

身に着ける側としては弓兵などがこの重みと厚さを嫌う事があるが、そうでも無ければ特に脱ぐ理由も無い物だ。


「いざとなればこの身を挺してお守りしますが、彼らが想定通りの者たちであること、そしてこの紋章が目に入る事を祈りましょう」


ルドガーの身に着ける鎧は汎用的な騎士の物だが、左肩甲にはパルデニアの紋章があり、モニカが身に着ける服は亡くなった同行者から譲り受けた従者用の服で、その胴には大きく紋章が描かれている。

敵と対峙する騎士が左手に持つ盾と共に半身で構えを取ればその肩甲は敵に目立つ位置にあり、また同道する従者の着る紋章服は旗を掲げずともその存在を示す事が出来るのだ。


「この盾では軽すぎていささか不安ではありますが、相手が素人ならば問題無いでしょう、使い慣れた盾を失ったのは痛いですが」

「あの盾、カッコ良かったですものね、ふふふ」


ルドガーが以前使っていた盾は頑強なオーク板の縁を鉄で補強し、中央にも十字に鉄が敷かれたヒーターシールドで、塗料でパルデニア紋章も描かれていた。

逃避行の中でそれを失った今は、ロストアの町で冒険者たちが立ち寄る店で買い求めた、エルム板を貼り合わせ縁を鉄で覆った中型のラウンドシールドを装備している。

防具としては十分な性能を持っているが、相手が剣や槍では無く鉄斧や鉄槌、はたまた両手持ちの武器を持ち出してきた場合には少々分が悪い、が、これから会う予定の野盗が想定通りの者たちであればその心配も少ないだろう。


「一筋縄ではいかないと思わせるだけの威厳が私にあるといいのですが…とにかく最初の出会いが重要ですね」

「頼りにしてますよ、ルドガー?」


息を飲むゴクリという音は、果たして緊張によるものかそれとも別の緊張によるものか。

しばらく無言で森深くへと探索を進めた二人は、幸運にも程よくルドガーの緊張がほぐれた頃に人の痕跡と気配を捉えた。

ごく簡単な焚き火の跡と、木の根を軽く飛び越えた際の着地の跡であろう靴の形が残る地面。

それらは更に森の奥へと続いており、そしてその先へと進むのを拒むように一本の矢が近くの木に当たって落ちた。


「伏せて下さい!…待て!我らは敵では無い、戦うためにやって来たのでは無いのだ、どうか話し合いに応じて欲しい!」

「嘘だ!俺たちに賞金が掛かった事は知ってるんだぞ!」


それを聞いてルドガーはホッと息を吐き、逆に落ち着くことが出来た。

飛んできた矢は木に突き刺さる事無く弾かれて落ち、その矢を見れば木の枝を削っただけの矢尻も矢羽も無い粗雑な物で、よほど近距離で当たり所でも悪くない限り殺傷能力は無さそうな代物だ。

そしてルドガーの声にすぐに応じた声は多分に緊張をはらんでおり、簡単に自らのおおよその居場所をこちらに教えてくれている。


「モニカ様、どう考えても素人です。待ち構えていたのではなく私たちに気付いて突発的に追い払おうと行動を起こした、といったところではないかと」

「それならば何とかなりそうね、私が前に出た方が話が出来るかもしれません。あとまた“様”が付いてますよ」

「んぐ…お気を付けて、目や喉は特に」


伏せていたモニカは手近な低木の枝を折ると、その葉っぱ付きの飾りを振ってここにいるぞと示して見せる。

そうしてしっかりと木々の向こうからの視線を集めると、ゆっくりと両腕を広げて立ち上がった、腕の良い弓兵でもいれば狙いたがわず胸を撃ち抜けるだろう。

だがやはりと言うべきか、再び矢が飛んでくる事は無く森は静寂を保ったままである。


「どうか聞いて下さい、どなたか私の事を知っている方は、私の顔に見覚えのある方はいませんか?」


答えもまた静寂、呼び掛けに対してひょこひょこといくつかの顔が見え隠れしたが、期待した反応は得られなかった。

パルデニアの父王であればある程度の規模の町ならば肖像画や彫像を見る事もあったかもしれないし、長年の統治の中でその容姿を含めた話題が井戸端や食卓に上がったことだろう。

だが19歳の王女レモニカについては、王都に住む民でも無い限りその美しさを伝え聞く事はあっても具体的な情報までは知れ渡っていない。

もし彼女が敬愛した王の娘であると分かる者がいれば話は一気に進んだのだろうが、元々淡かった期待は一旦諦める事にした。

騎士ウルドガの名にも全く反応が無かった事を、隣で一部始終を見て聞いていたルドガーに改めて伝えて落胆させ、説得プランはAからBへと移行する。


「皆さんはパルデニアの民ではありませんか?ここに居るのは旅に出ていたパルデニアの騎士ルドガー、私はその従者のモニカ、この紋章は私たちにとって共通の故郷のものではありませんか?」

「…騎士様が生きてた」

「本物なのか?」

「ルドガーなんて聞いたこともないぞ…」

「うっぐ…」


この問い掛けには様々な反応があった、黙り込むのではなくどう回答するべきか相談しあっているのだ。

違うなら違うで誰か一人くらい「違う」と答えそうなものだが、ざわめきの様な声が漏れ聞こえ続けるもそこに明確な否が無い事が、既に彼らがパルデニアの民である事を物語っている。

あと一押し、そう思ったモニカはふと思い立って歌い始めた、ラングもここに居れば伴奏付きで賑やかになったのになと思う。


“澄んだ水面を今日も行く 櫂に力込めグングンと 魚が跳ねた右に行け 鱗が光った左行け 網出せ投げろ引き揚げろ 女房と子供が待っている 腹すかせて待っている 任せろ今夜も腹いっぱい 振り返れば我らが王都 獲って帰るぞあの家へ 湖面に浮かぶあの白亜”


ややあっていくつかの拍手の音が聞こえ、そして木々の影からはおずおずと軽武装の人々が姿を現した。

まだ完全に警戒を解いた訳では無く距離を取ったままだが、それでも対面して話し合いをする気にはなったのだろう。

いずれもその手に何らかの武器を持ってはいるが、冒険者相手の店なら最低価格帯か値段が付かない様な粗製の物ばかりで、ほとんどが手作りだと思われた。

その中にあって唯一革製の防具を身に着け腰に剣を帯びている男が前に出てくる、この一団のリーダーなのだろう。


「聞いた事のある歌だ、旅商人の男が王都で歌うと喜ばれる歌だと言っていた」

「お会いできて光栄です、貴方が最近この一帯に現れる者たちのリーダーですか」

「いや、俺は何人もいる部隊長の一人に過ぎん、他にも多くの部隊が、多くの仲間たちがいる。そっちの騎士さんだが本当にパルデニアの騎士か?」

「この鎧は間違いなく私の物です、この紋章は私の誇りです、今やこの肩に装飾された印しか身分を証明出来る物がありませんが…」

「…そうか、しかしまあ俺たち相手にパルデニアの騎士を偽って得する事も無いしな、信じようあんた達を」


そう言って警戒を解くよう指示を出した革鎧の男は、侵略初期に帝国に制圧された町で修理屋をして暮らしていた元兵士なのだと言う。

帝国の侵攻は急な出来事であったが、どうやらその初手は王国の西に広がる樹海側から湖沿いに北上して来ていた様だ。

ある日樹海から溢れ出る様に姿を現した帝国軍はそのままの勢いで次々とパルデニア王国内の町や村を襲い、兵力で大きく劣る各地の守備隊は瞬く間に飲み込まれた。

命からがら脱出した民たちは東に逃げた者は王都へ、北へ逃げた者はたどり着いた町や村で再び帝国の侵攻に追い付かれ更に北へと逃げ、結果多くの犠牲を出しながら同じ町の出身者がどれだけ居るのかも分からない難民集団となって国境を越えたらしい。


「そんな訳でパルデニア王国民ばかりだがお互い顔見知りなどほとんどいない状態でロストアに逃げ込んだんだ、途中で別れてアルタニア王国内の他の町や村に向かった奴らもいたんだがな、結局今はまた寄り集まって大所帯になってる」


他の町へ避難した民たちもロストアと似たような状況に陥ったのだろう、“パルデニアの呪い”という言葉によって、パルデニアの民は呪われてしまっているのだ。


「で、あんたらはどうしてここに?パルデニアの生き残りの噂か何かでも聞いて一緒に暮らそうってか、それともどっかの領主に説得でも頼まれたか?」

「正直なところ、この後どうすればいいのかはまだ決めかねています、ですが貴方たちに伝えなければならない事があります、危険が迫っていると」

「…ま、こんな事してればいずれは領主か王国の討伐軍が来るとは思っていたが、その時は女子供だけでも保護してくれと頼んで…」

「いいえそうではないのです!貴方たちにはロストアの商人ギルドと冒険者ギルドから賞金が掛けられました、男か女か、子供かどうかを問わず一人につき銀貨1枚と、そして既に多くの冒険者たちと傭兵団も向かって来ています!」


一緒に森の奥へと移動していた集団から悲鳴が漏れ、その場に座り込んでしまう女や涙を流す少年、なんで俺たちばかりと木の幹に拳を叩きつける者など場は騒然とする。

襲撃から逃げ、逃げた先でまた襲われ逃げ続け、やっとたどり着いた町で居場所を失い、流れ着いた先は死を待つ廃坑。

その体からは力が、その心からは希望が、その瞳からは光が急速に失われていく、守るべき民が目の前にいると言うのにどうすればいいのか分からない。

“パルデニアの呪い”はパルデニアの民を人から遠ざけ、パルデニアの物との交換を拒み、パルデニアの名と心を蝕むまさに呪いであった。


「とにかく、何か打てる手はないかを模索しに来ました、一緒に考えましょう…」

「ああ、そうだな…クアンカさんなら何か考えてるかもしれない」

「クアンカさん、ですか。その方がこの集団のまとめ役なのでしょうか」

「ああ、クアンカさんは元居た町で領主様の相談役をしてた古株でね、脱出の時からずっと皆に指示を出してまとめ上げてきた人だ」


悲しみに暮れ足取りの重くなった一行が廃坑の入り口にたどり着いたのは、そろそろ日も暮れようという時間であった。

冒険者や傭兵団が本格的に乗り出してきているという情報はすぐさま別行動中の複数の集団へと伝令が送られ、どうか無事に引き揚げて来て欲しいという願いがそこかしこから聞こえる。

その声は切実で心を締め付けられるが、どこかで見た姿だなと思えばそれは漁の帰りを待つ妻や子の姿に通じるものがあった。


「クアンカだ、話は聞いたぞ騎士殿」

「ルドガーです、こちらは従者のモニカ、旅の帰り道にロストアで貴方たちの事を聞きました」


地の底へと続く廃坑の闇から多数の人々を従え姿を現したのは、白髪交じりの立派な髭を蓄えた鎧姿の男、その腕にはスケッチで見た蟹を模したバイザー付きの冑が収まっている。

その顔には隠しきれない疲れが見てとれるが、それでも柔和な笑みを浮かべ握手を求める振る舞いは社交の経験を感じさせるに十分だ。

見た目と雰囲気だけであればルドガーよりも騎士らしく見える、と言うと若い騎士は落ち込んでしまうだろうから心の中にしまっておく事にした。


「クアンカ様はいずこかの町の領主様のご一族、と言う訳では無いのですね?」

「ええ、私は町で代表者の様な立場にあっただけのちょっとした地主です、有事には民兵隊の隊長としての権限を与えられてはいましたが。…ですのでこの鎧も領主様から館に飾ってあった古い物を安く譲ってもらった物でして…決して盗んだ物でも、ましてや騎士を名乗っていたつもりもありませんよ?」


少し必死になって説明をするのは、やはり身分を偽る罪に対する罰の重さ故だろう。

王族を騙る罪が死罪になるのと同様に貴族や騎士を騙るのも極めて重い罪であり、内容次第では死罪、そうでなくとも寿命を迎える前に自由を取り戻せるか分からぬ長い労役が待っているのだ。

そしてそれは、例え真実を語っていたとしてもそれを証明する術も品も人脈も無ければ状況は良くない方向へと転ぶ可能性を示している。

王女である事を証明出来ない王女は、それはただの“王女を名乗る女”でしかないのだ。


「疑っているつもりはございません、こちらとしてもルドガー様やパルデニアの王族貴族を見知っている方がどなたか生きていないかと思ったのです」

「ああそうですね、今となっては騎士としての地位や発言力を保証してくれる後ろ盾が無い状態でしょう、もし他国への再仕官を求めるのならば確かに身分を保証する人なり何なりが必要だ。ですが申し訳ない、ここに居るのはそういった人たちとは縁の無い民ばかり、良くて自分の住んでいた町の領主の顔なら知っているといったところかと」

「その様に謝らないで下さい、残念ではありますが試しに伺ってみただけでそれは本題ではありません。今考えるべきは貴方たちの事です」

「冒険者が乗り出してくる事は想定の中にありましたが…傭兵団ですか、王国軍や領主の軍が来るよりはマシかもしれませんが」

「それが、そうでも無さそうなのです…」


迫り来る灰色狼傭兵団の規模や練度、噂を聞いたクアンカは青ざめた。

元々隊商や旅人を脅して荷を奪った時点で、自分たちが追討される立場になる事は理解していた。

だが血を流さずに済む様にと徹底し、相手が抵抗し戦いになるようであれば無理せず引き下がる方針は苦渋の決断を下して以来変わっていないのだそうだ。

そうする事で少しでも敵愾心を抑え、軍が大々的に出動するまでも無いと判断させる事、時間を稼ぎその間に資源を貯め込んで、本格的な冬の訪れと共に廃坑に引き篭もり春を待つ計画があった。

北方諸国の冬は雪深く、平地の多いパルデニアやサンカニアではそれ程では無いが、森や山岳地帯の多い他の国々では街道以外は通行が困難になる場所も出てくる。

冬というヴェールに守られその間鳴りを潜めた後は、雪解けと同時に新天地を目指して移住するのだと言う。


「雪が降り積もるまで、そう思っていたのですが…」

「むしろ彼らは雪が降り出す前までにケリを付けようと必死にここを探しているでしょう、商会の情報網でここを割り出すことが出来た以上、彼らも情報と人海戦術を持ってすれば恐らくは近いうちに」

「商会の情報網、ですか?既にロストアの町ではこの場所が特定されていると、それで貴方がたも来られた…?」

「いえ、私たちが誰よりも先に貴方たちと接触する為に、個人的に情報の提供をお願いして…それでホルドさんが私たちだけに情報を教えて下さったのは恩を売るため、本当にそれだけ?」

「私を騎士と信じて恩を売る良い機会とは言っていましたが、確かに商会全体の事を考えるならば亡国の騎士である私相手ではメリットは少ない…」


つつ…と汗が頬を伝う、とても嫌な汗が。

もしホルドがより大きな利益の為に動いていたら、もし自分たちが囮として使われていたならば。

モニカとルドガーは顔を見合わせ、クアンカも何かの可能性に気付いた様に厳しい顔をする、が。

頭をよぎった最悪の展開は馬の嘶きによって打ち払われた。


「騎士様ー、教えていただいた場所に確かに乗ってこられた馬がおりましたー、かわいそうだったんで連れてきちゃいましたよー?」

「おいお前たち、街道に人影は?誰かに後をつけられてないか!?」

「何ですかクアンカさん大丈夫ですってー、街道にゃひとっこ一人いませんでしたし、引き続き森の中で見張ってたんもなーんも怪しいのは見てないって」


はぁぁぁぁ…と力が抜ける、勢いよく立ち上がっていたクアンカはお尻が痛くなりそうな勢いでどっかりと腰を落とし…やはり少し痛かったのか鎧の上から手で押さえている。

ホルドの人懐っこく涙脆い顔を思い出し、疑ってごめんなさいと心の中で詫びたモニカとルドガーも色々な感情をごちゃ混ぜに天を仰いだ。

危機的状況にある目の前の民たちの事を第一に考えねばならないが、自分たちの置かれた状況とて決して良くはないのだから。


「お二人の後援者はホルド商会でしたか、まだ“パルデニアの呪い”の話が広まる前には大勢があそこの商館に行って仕事を斡旋してもらいだいぶ助けられました」

「ホルドさんの商会から?でもあそこはロストアでも1、2を争う大商会なのでしょう?よく話が通りましたね」


モニカは最初に商館を訪れた際の入り口での対応、そして出入りする人物たちが裕福で身綺麗な者たちばかりであった事を思い出す。

難民として町に入った民たちが着ていたであろう服や身なりを思えば、簡単に話が通る相手では無さそうではなかったか。


「何でも最初は入り口で追い返されそうになったみたいですが、商館の前に着いたホルド商会の隊商が掲げる旗と積み荷を見た誰かが俺たちの印だ、と」

「その積み荷はもしや…?」

「ええ、パルデニア王国の紋章が焼き印として押された樽や木箱だったそうです。アルタニアの王都へ向けて出発するその隊商の隊商長に、王都へ届ける手紙を預けるために出て来た人物がそれを聞いて仕事を探しているのかと」

「(きっと、ホルドさんだ)」

「私もこれは何かの縁だと、何回かお世話になりました。だからあの商会の旗を掲げる隊商を見ても襲わない者たちもいるようです」


ホルドの商会に対する野盗被害が少なかったのは、隊商の規模や護衛の数の多さ以外にもこういった理由があったらしい。

ただの偶然でしか無いのだろうが、ホルドの対応が結果的に商会の利益を守っていたのだとすれば商人として豪運の持ち主としか言いようがない。


「そう言えばホルドさんの商会の旗印って…」

「ええ、パルデニアでは酒場や色んな店で使われているありふれた印、私にこの冑を下さった町の領主様も旗印に使っていたパルデニアの名産品、琥珀蟹の印です」




一晩明けて、廃坑から地上に出ると澄んだ冷たい空気と淡く柔らかい日差しが出迎えてくれた。

冬の訪れは間近であり人々の話し声と共に白い息がチラチラと視界に入る。

朝食として用意されていたのは冒険者が好む好まざるを問わず携帯する固焼きのパン、それを塩と野草を煮込んだだけのスープにひたして食べるのだ。

そのパンも奪った物と聞けば気は進まないが、パルデニア硬貨での買い物も、町や商人と直接交渉して買い物をする事それ自体も避けられている彼らにとっては生きるために必要な食事であった。


「騎士殿のお口には合わないかもしれませんが…」

「いやいや、私の方は大丈夫です、それよりもモニカさ…モニカは大丈夫カナ?」

「塩気の強い味は好きです、パルデニアの料理には欠かせない風味ですもの。むしろ貴重な食料を私たちの分までありがとうございます」

「何の、重大な情報をわざわざ伝えに来てくれたお二人に飯も出さなかったとあれば私が皆に怒られます」


近くで聞いていた大鍋番の婦人や列に並ぶ者たちからドッと笑いが起こる、クアンカはまとめ役としてよく慕われている様だ。

簡素なスープを待つ列が途切れ皆が思い思いに動き始めた頃になって、続々と武装した集団が帰って来た、昨日のうちに撤収の使いを走らせていた複数の活動中であった野盗集団が戻って来たのだ。

中には怪我人の姿もあり、揃って疲労の色が濃い。


「ようクアンカさんよ、これ以上の調達は難しそうだぞ、隊商も武装してるし街道を逸れた場所を探ってる冒険者たちも多い」

「ああうちのグループも森を移動中に矢を射かけられて何人か怪我しちまった」

「そうか、やはり状況は厳しいか…とにかくよく戻って来てくれた」


再び火が入れられた鍋を囲むように腹を空かせた人だかりが出来、重い足取りで坑道の中へ消えていく者はそのまま寝るのだろう。

そう、そこにある光景は野盗の根城と言うよりは、まさに難民の野営地であった。


「クアンカさん、今のままで冬は越せそうですか」

「正直なところ厳しい、今ここには100人を少し超える人が居ます、蓄えられている食料は節約しても50日はもたないでしょう、狩りをして少ない獲物を得て食いつないだとしても、この冬が長引けば春を見ずに…」

「私たちが町で食料を買い付け、ここに届けるというのは」

「モニカ…この人数分の食料を買おうとすれば何に使うのかと疑われるでしょう、それにそもそも物流が滞っているせいでロストアも食糧不足気味と言っていたではありませんか」

「え、ロストアの町は食糧不足なのですか?確かに私たちが荷を奪ってしまっていますがそれだけで?」

「ロストアの食料供給の何割かはパルデニアからの荷だったのです…だからそれが無くなって…」


なるほどこれもクアンカたちにとって想定外だったのだろう。

パルデニア王国から入って来る食料を含む交易品が市場から無くなり、そのタイミングで難民となったパルデニアの民が流入した事で、仮に彼らが町から追い出される結果とならずとも食料不足は発生していたのだ。

大きな交易路が一つ失われた、その影響は決して小さなものでは無く、商人による努力だけで何とかなるレベルを超えているのかもしれない、そうなればもはやこれは領主や王国が介入して解決すべき問題である。

鉱業と林業による収益で成り立っているロストアの町の最大の弱点、それは食糧自給率が低い事であり、収益を交易による食料調達に投資する形で循環していた生活にひびが入ってしまった、今のロストアはコインはあるのに食料を買い求める先が減ってしまった状態なのだ。


「もし私がロストアの住民であったなら、ロストアで商売をする者であったなら、彼らと同じように街道の安全と生活の安定のため…襲撃者を討伐すべしと声を上げていたでしょう。私たちは、どうすればいい…どこに行けばいい…」

「クアンカさん大変だ!たぶん斥候だ、冒険者の!こっからかなり近い場所で動きがあった、奴らここまで来るぞ!」


悲鳴と、憤りと、絶望と、まるで野鳥の群れに向けて飛び込んだかの様に声が渦となって空へと舞い上がる。

今から移動したとて雪が降り積もるまでに他の国や町へはたどり着けまい、ここで防衛戦を繰り広げたとて傭兵団も現れれば大切な人を守り切れまい、そして身を潜めたとて…。

それでも武器を手に持った者たちはクアンカの元へと集まって来ていた、諦めてただ死ぬ気はない様だ。

そしてそれはパルデニアの騎士であるウルドガも同じであった、王女を守るのが絶対の使命だが、それはイコール王国の民を見捨てていいとまでは到底考えられない。

パルデニアの王がそうした様に、パルデニアの王女がそう願った様に、パルデニアの騎士もまたそのどちらも救いたいと強欲な自らの心に誓う。


「モニカ様、騎士ウルドガはこの者たちと共に肩を並べて戦いたいと思っています、どちらも救いたいと。しかしそれでは旅の目的を果たせません…ですから後事をクアンカ殿に託します、彼と民たちと共に新たな道を模索して下さい、私はここで残る者たちと魂を合わせ最後までたたか…」

「新たな…共に歩む道…それです!ルドガー、ここを任せます!何としてでも時間を稼いで下さい!どんな手を使ってもどんなに泥臭くても!いいですね!?」

「あ、え、あ、はい!…あの、華々しい最後の戦いを…いえ、はい、はい!」

「クアンカ、共を!ルドガーの外套を使って!二人でロストアに乗り込みますよ!」

「何ですと!?しかし私がここを離れては…」

「その為のルドガーです!騎士ならば何とかするでしょう!ほら急いで時間がありません!」


ルドガーの指示の元で慌ただしく迎撃の準備が進められる中、鎧姿の上から外套をまといフードを目深にかぶったクアンカを引き連れモニカは町へと引き返す。

幸いにも街道に出るまで誰にも遭遇する事は無かったが、森がざわめいている様に感じた。

陽が中天を過ぎ傾きかけた頃、馬首を町の方へ向け走り始めれば街道を行くいくつもの冒険者グループとすれ違った、明らかにその数は多く皆同じ方向へと向かっている。

街道を疾走する馬に抗議の声を上げる者もいたが、旅装束の二人組を見てそれを止めようとする者はいなかった。


「このままホルドさんの商会へ行きます!」

「ホルド商会へ?しかし行ってどうしようと言うのです、もはや大商会とて単体で止められるような状況では…」

「ホルドさんに、もう一度仕事を斡旋して貰いましょう…!」


ロストアの街壁が見えたのはすっかり陽が暮れた時刻、町の門番は慌ただしく出立していく冒険者たちの動向に目を光らせ神経を尖らせていたが、それだけに松明の火に照らし出された見覚えのある美しい顔と“旅の騎士”の二人組の帰りを何の疑いも無く通した。

既に人の出入りの無くなった商館の前で睨みを利かせる用心棒たちもまた、モニカが急用だと言えばその理由を聞かずにホルドへと取り次ぎに走った。

顔を見せぬ“渡りの騎士殿”に近づこうとする強面の子分には「急いで来たから疲れているの」と言ってそそくさとその横を通り抜ける。

中に入れば何度目かの光景、商会長ホルドが二人を出迎えるために階段を降りて来ているところであった。


「おお、おお、このような時間に急ぎの要件とは、何か大きな問題が?」

「その大きな問題をお持ちしました!」

「…はぇ?」


前回同様に商館の一室が指定されるが、営業時間を終了していて数えるほどしか見当たらない商館のスタッフは警備と整理に従事する者ばかり、ホルド自身があたふたと持ってきたのは陶器の壷に入った微かに甘い香りのする水だった。

その果汁を絞ってあるらしい水を喉を潤す水分としてゴクゴクと喉に流し込む、鼻から抜け出ようとする香風も鼻水と共にすすり上げられ腹に収まった。

とても上品とは言えない目の前の様子はただの客であったならば眉をひそめるところだが、相手は特別な、それも野盗の情報を得て現地に向かったはずの騎士と従者なのだ。

ホルドは体裁よりも商人としての嗅覚が、嗅覚よりも個人としての興味が勝った。


「いやいや、随分と急いで来られたようですな、野盗との戦いで何か問題が?いやそれならば私の所に来るのはおかしいか…冒険者や傭兵団と何かありその仲裁が必要、とか」

「ホルドさんはとても鋭いですね、半分当たりです」

「半分、ふむ。では…領主様との間で何か解決しなければならない問題でも発生しましたか?」

「ああ、それもありましたね…ホルドさんには是非とも仕事を斡旋して欲しいのです、彼ら傭兵団に」

「…灰色狼傭兵団を当商会で雇い、別の仕事を斡旋してこの件から手を引かせると?ううむいくら騎士様のお願いでもそれは中々に難しい話に…」

「いいえ、新たに発足した傭兵団をホルドさんの商会で雇って頂きたいのです」


新たに?と思ったのはホルドだけではなく、隣で大人しく聞いていたクアンカも同様であった。

傭兵団と言うものは武力による解決を必要とする場所や案件に対して、依頼主と契約を結び対価を支払う事で投入される戦力であり、当然ながらそれなりの武装と、人員と、対価に見合う戦果と、そして支払った金額の分は裏切らぬという信用が求められる。

ある日ふと思い付いた者が今日から傭兵団を名乗ります、と言って成立するような職業では無いのだ。


「ええと従者殿、モニカさんでしたか、新たな傭兵団が発足したなどという話を最近耳にしたことはございませんが」

「はい、私が先ほど発足させました!そしてホルドさんの商会にはその後援者もお願いしたいです!」

「もしや、モニカさん?いやいやいや、いや、それは…騎士様?」


ルドガーも同意見なのかと確認しようとしたホルドはそこでやっと違和感に気付いた、怒涛の勢いで現れ、飲み、話し始めたモニカに気圧されてそちらにばかり注目していたが、いつも一緒にいる彼女の主である騎士はこんなにも寡黙であったかと。

そう思ってよく見れば外套を纏う背格好こそ同じだが、その雰囲気、手甲や脚甲の細かな造形、フードから覗く口元はまるで別人の様に思える。


「モニカさん、この件は、この状況は、色々と大きな問題をはらんでいる様に思えるのですが…?」

「はい、それは重々承知しています、ですが私だけではどうする事も出来ないのです、だからこの町で一番大きな影響力を持つ商会に、信頼するホルドさんのところに、この“大きな問題”を持って…きちゃいました…!」


片手で顔を覆い天を仰ぐホルド、だがそれもそうだろう、今考えるべき問題とその後に下す決断は、ホルドの人生だけでなくこの商会の運命さえも左右しかねない。

自らの権限や商会の力を使って人助けをする事は出来る、だがそれはあくまでも助ける側であればこそだ、助けた後は一蓮托生の立場になるのでは話が違ってくる。

どう考えても難しくどう考えてもリスクの大きい問題、商人としての立場だけで考えれば、いやその場合は考えるまでもなく答えは否であり、この件には関わらないのが正解なのだ。


「話を…話だけはとにかくお聞きしましょう…それでこちらの方は?」

「新たに発足した傭兵団の団長にたった今私が任命したクアンカ団長です、団長、ホルドさんにご挨拶を!」

「ええいやけくそだ!団長のクアンカです、たった今自分が団長であると知ったばかりです!」


そう言ってクアンカがフードを下ろせば、ホルドが大袈裟に指差し「あああ!!」と叫ぶ。

隠れていたのは蟹のバイザーが付いた冑の男、先日スケッチで見たばかりの野盗の一人だ。


「モニカさん何してるんですか!こんな目立つ人を町に連れて来ちゃダメでしょう!?」

「本当ですよ!何で私まで町に連れて来たんですか!」

「えっと、その方が話が早いかな…って」

「早いか早くないかで言えば間違いなく早いです、早いですがそうじゃないでしょう!?」

「そうですよ下手したら話す前に全てが終わってましたよ!」

「ほらだって上手くいったじゃない?誰にも見咎められなかったし…」

「それは結果論です、そう言う運とかきっと大丈夫とか不確定な要素を含んだまま話を進めるのは商人としては…」

「途中で引き返す訳にもいかないからここまで来ちゃいましたが、ずっと生きた心地がしなかったですよまったく先に話して…」


大人(壮年男性)二人に詰め寄られ流石に気まずさを感じる少女(元王女19歳)。

思い付いた時にはこれ以上は無いほどに良い案だと思ったのに、こうまで反論されると心配になってくる。

だがそれでも全てを救おうと思ったらこれぐらいの事はしないと事態は好転しない、普通の考えで解決するような問題ならモニカが関わらずとも状況は違っていたはずなのだ。

であれば、だからこそ、この案を押し通す必要があると覚悟を決めたモニカはどうしようか悩んだ末に、攻防一体の非常に強力な反撃に出た。


「あの…私…その…どうしても…皆さんを助けたくて…でも…っぐ、私だけの力じゃどうにもならな…だからぁ…ぅぅぅぅ」


そう、泣き落としである。


商談を聞かれぬようにと窓の無い密閉性の高い一室で、ランプの明かりに照らし出される薄暗い空間で、込み入った話をするべく寄り集まっていた状況で。

立ち上がり声を荒げる大人二人と胸元で手を組み涙を流す少女、勝敗は明らかであった。


「はああぁぁ…うわあぁぁぁ…。どうしてうちだった、んですかという質問は既に答えが出ていましたね、確かにうちはロストアで大きな影響力のある商会だ」

「それだけではありません、ホルドさんのお人柄に惚れ込んでのお願いです、きっと優しいホルドさんならきっときっと何か助けになって下さると」

「困りましたなぁ、いやいや本当に、困りました…。商人をして長いですがここまでの難題は人生で二度目ですし、ここまで断りずらい商談も二度目ですよ…」

「初めてでは、ないのですね?」


ため息と共に再びどっかりと腰を下ろしたホルドはこの短い時間でやつれたように見える、誰のせいであるかは敢えて言うまい。


「私はロストアの小さな商会の跡取り息子だったんですがね、王都の商会で経験を積んで、店を手伝うために町に帰って来て数年後に親父が事故で無くなったんですわ…母は元々体が弱く経営には関わっていなかった事もあって全てが私に委ねられたんです、ですが老獪な大商会相手に若輩者が率いる小規模商会は次々と販路を失いましてね、いやこれは商売人同士の戦いに敗れただけの事で仕方なかったんですが、まあそんな訳で商会を畳むか続けるか、これが人生初めての難題でした」

「でも、続けた」

「きっかけはパルデニアからこの町に来ていた行商人でした、パルデニアの王都の出身で仲買ではなく自ら仕入れた塩漬け樽を遠路はるばる運んで来ては露店で売ってた奴です」

「(あれ?そんな人の話を最近聞いたような…)」

「そいつに一緒に商売をしないかと持ち掛けました、うちの商会に商品を卸してくれと、でも断られましてね、実は廃業するところなんだと。儲かっているのに何故かと問えば結婚してこの町の住民になるんだと言いやがった、だから盛大に祝ってやってそいつの伝手を有り金はたいて買い取ったんですよ!」

「待って、その行商人さんていうのは…」

「それからしばらくはパルデニアとの交易一本に絞って売って売って売りまくった!…え?ああ良い奴だったのに早死にしやがったあの野郎マドレア嬢を残して何してやがるあんな気の良い人があの歳で未亡人だぞ!?それで…そうその結果が今のこの商会、ホルド商会よ!ロストアでパルデニアの品と言えばホルド商会!そう呼ばれるほどに私が一代で築き上げた自慢の商会なのです!」


拳を振り上げ熱弁するホルドは活き活きとしていてこの短時間で若返ったように見える、その変わりっぷりはまるで茹でた蟹の甲羅のようだ。


「ふぅ、だからまあ何と言いますか、パルデニアとは切っても切れぬ縁と言いますか、恩があると言いますか、それで商会名をホルド商会に改名した時に商会の旗印も稼ぎ頭だった琥珀蟹にしたんですよ」

「アルタニア王国の商会なのに旗印がアレだったのにはそんな物語があったんですなぁ」

「ええ、だからあの時の、貴方たちとの商談の打ち切りは心苦しかった…確認ですが、クアンカ殿は一時期この町に居たパルデニアからの民で間違いないですかな?」

「その通りです、昨今この町の外で発生している襲撃、貴方たちの隊商への襲撃も私たちです…申し訳ない」

「ふうむ、商人としてはここで怒り罵声を浴びせて賠償金を請求するべきなのでしょうが。“パルデニアの呪い”の話が町に広まった時、既にパルデニアからの交易品は止まっていて倉庫の整理などの仕事も減っていました、ですが優しい王の国の人たちを、旧友の故郷の人たちを助けたい一心で無理にでも仕事を作ってやってもらっていました」


クアンカの頬を伝うのはモニカの嘘泣きとは違い正真正銘の涙である。

多くの難民たちがホルドの商会から仕事を斡旋してもらう事で稼ぎを得て何とか生活をしていた、だがそれは本来必要の無い仕事を作り出し従事させる事で敢えて給金を発生させていたものだった。

明らかに商人の利に反する、儲けも無ければ先を見据えての投資でもない、あまりにもお人好し過ぎるその行動はまるで父王の施策を見ている様だと残された娘は思う。


「ですが町中にパルデニアの名の付くものを恐れ避けたがる風潮が広まった時、ロストアの従業員の心情も考えればそれ以上はどうする事も出来ませんでした、だからこれ以上は仕事が無いと、そう言ったのもまた私なのです」


項垂れ鼻をすすり上げるホルドの手に手を重ね、クアンカは無言で首を横に振る。

大の大人が二人手を取り合ってすすり泣く様は少々アレだが…モニカとて感極まるものは同じで三者三様の思いで流れる涙は収まるのに多少の時間を要した。


「皆さんを直接当商会で雇うのはこれまでの経緯と他の商会や領主との関係を考えれば難しい、ですが可能な限りの助けになれればと」

「おお、ホルドどのぉ」

「さて…そうなると商利はこの際どうでもいいですが、それでも勝算は欲しいところです。この商会で働いている者は多い、彼らを巻き込んでこの商会を潰す訳にはいきませんから」

「傭兵団ですか、私を団長に任命すると仰いましたがモニカさんには何か考えが?貴女自身が団長に名乗りを上げる手も、いやそれ以上に騎士様が団長ならもっと話が早い」

「それは…少々込み入った事情があり難しいのです」


よしやるぞという雰囲気が湧き上がってきたところでいきなり歯切れが悪いが、モニカもルドガーも今半端に表に出ていくのは避けたいところだ。

傭兵団の団長になどなれば、間違いなくかの者は何処の誰だと調べられるだろう。


「ですがクアンカさんならば適任でしょう?今実質的に難民を取り仕切っているのは彼で、元々領主の相談役や民兵の隊長も任されていたと」

「ほほう、それは確かに説得力としてはなかなかです、が今一歩弱いか。ふむ、民兵の隊長と言うところは領主の私兵隊長であったという事にしておきましょう」

「え?いや私はそこまでの権限は」

「なにこう言っては何ですがその町も領主様も今はその、無いのでしょう?領主から何等かの役職を与えられていたというのは本当なのですからそれくらいは大丈夫でしょう、多少のはったりは必要ですよ」

「そうそう、その鎧だって貢献を認められて領主から下賜された品という事にしましょう!」


額の上に上げられた蟹のバイザーがキラリと光る、その蟹が俺の出番かと爪を振り上げた、様に見えたのは流石にモニカの希望的観測が生み出した産物か。

だが傭兵団の団長を名乗る男がこれだけ立派な鎧を身に着けていれば間違いなく箔が付く、どこぞの領主に仕えていた私兵たちが前身の傭兵団であれば自然とその練度にも期待が集まるだろう。


「本当に大丈夫ですかね?嘘がバレて死罪なんて事には…」

「クアンカさん」

「はい」

「元々生きるか死ぬかの瀬戸際だったじゃないですか!」

「もっといい事言って下さいよ!」


頭を抱えるクアンカとは対照的にモニカとホルドはいたずらっ子の顔である、実に楽し気で、もうやるしかないと覚悟も決まった顔だ。


「まずは団長は問題ないですな。傭兵団の人員についてはどうでしょう?ある程度まとまった人数と練度が求められますが」

「人数は増えたり減ったりして正確な人数は把握出来ていないが…100と少しですね」

「その中で戦える者は、もちろん現実的にです」

「今武器を持ってるのは80人近くいますが、無理して頑張ってるのや子供もいる事を考えると…60人くらいかと」

「ふむふむ、戦闘要員60名、随行する支援要員40名、少し非戦闘要員が多いですが小規模傭兵団としては十分に活動できる数ですね」

「それじゃあホルドさん!」


ううむ、と引き続き考え込むホルド、ぶつぶつと呪文の様に口から漏れ出る言葉は維持費や必要食料、体裁を整えるためのあれこれなど多岐に渡るようだ。

商利はこの際どうでもいいとは言ったが赤字では問題なのだ、そうなれば灰色狼傭兵団の様になってしまう。


「うううううむ、形としては出来ていますが…すぐに解散してしまうようでは信用に関わる、この場合は私たちの商会も含めてです。今の状況を乗り越える為に傭兵団を名乗るのはいいとしてその先をどうしたものか、来春以降の活動予定が見つからない可能性が高い…」

「確かに、その…灰色狼傭兵団でしたか?その人たちも仕事が無くて私たちに掛かった賞金目当てにやって来ているって話でしたよね」

「南の帝国がパルデニアに侵攻した以上、その野望は明らかですので帝国に備えての需要はあると思いますが、良くも悪くもパルデニアの呪いによって戦いは中断している状態ですからね、いつどうなるかが読めない」

「戦う事でしかコインを得られない職業の難しさ、不安定さですね…」

「しかし傭兵団という考えは良いのです、先ほども言ったように商会で直接雇うのは難しいが、貴方たちが独自に傭兵団を名乗り上げ、あくまでもホルド商会はそこに商機を見出し投機する後援者という立場でなら、契約上の仲間という形であれば、少なくとも利益で動くのが基本の商人ギルドやそこから依頼が出ている冒険者ギルドは抑えられます、抑えてみせましょう」


その力強い言葉に思わずモニカもクアンカも拍手する、町の主要ギルド相手に大立ち回りを演じるのは大商人ホルドの真骨頂と言えるだろう。


「…ですが、ううむ領主様にはどう話を通したものか」

「私、あまり傭兵団については詳しくないのですが、傭兵団の設立や契約には領主様の許可が必要になるのですか?」

「絶対に必要という決まりはありません、ですが戦場に武装した所属不明の集団がいたら混乱してしまうでしょう?だから傭兵団の名前や旗印を予め届け出ておくのが一般的ですね、今はどこに味方しているのかも含めて」


特に大きな会戦にでもなれば、両陣営に多くの人が集い多くの旗印が掲げられる。

王直属の正規軍、どこどこの領主の軍、騎士団、私兵隊、民兵隊、傭兵団…それらが今どこにいるのか、どう指示を出すのか、ほとんどの場合は掲げる旗印で判断されるのだ。

大軍を率いる立場になり得る者の元には紋章官という各勢力や集団の掲げる紋章を記憶し、それがどの様な立場にある者たちかを助言する職業も存在するほどである。


「それは重要ですね、しかしそれだと偽物の旗を掲げるようなのも出てきませんかね」

「実際の所そういった例もあります、ですが例えば灰色狼傭兵団が別の旗印を掲げて敵を騙し戦果を挙げたとしましょう、その時の戦果に応じた報酬は得られますがその活躍や実績は灰色狼傭兵団のものにはなりません、その旗印を掲げて戦っていないからです、そして当然ですがそれ以降は相手勢力から信用されなくなります、これは雇い主の候補を大きく失う事を意味します」

「長い目で見れば大損、ってことですか」

「そういう事です、だから旗印とその団の持つ歴史というのは大事なものなのです」

「…隊商から荷を奪ってこの町に食料不足も引き起こしてる私たちの歴史は、とてもマズイのでは」

「うーむ…ギルドや町の住民はコインでなんとかなるでしょう、幸いにも人死にが出ていないので。しかし領主様がなぁ…領主の立場からすれば領内の治安を乱され統治能力に疑問を抱かせた、つまり恥をかかされた状態ですから」


貴族という面倒な者たちはとかく名誉や名声、噂や評判、そして体面などという実体の無い物を気にしがちである。

コインという実体を何よりも重要視する商人とも、名声は欲しいがコインも無いと飯が食えない冒険者とも、物事の考え方が根本的に異なるのだ。


「あのホルドさん、ロストアの領主様というのはどのような方なのでしょうか」

「ロストア卿ですか?一言で言うなら大人しい方です、何事も変わらぬ事を良しとし些細な事には目をつむるおおらかさを持ち、町を維持し治めるのに長けていて外事には可能な限り関わらないという方針です」

「ああ良い領主なんでしょうが、もし町が戦争に巻き込まれたりしたら役に立たないタイプの臆病な領主ですね」


クアンカが何ですかと二人を見返す。

人の良いところを見ようと努めるモニカ、人の悪いところは敢えて言わないホルド、思ったことはそのまま口にするクアンカ、この三人も物事の考え方が根本的に異なるようだ。


「でも、些細な事には目をつむって下さるのでしたらクアンカさんたちの事も…」

「いやモニカさん?積み荷の強奪と町の食料不足はとても些細とは言えませんが」

「う、ですよね…。でも領主様の軍はこれ以上の討伐隊を出さないと言っていましたし、こう情に訴えて…」

「待ってください何ですか今の情報は、いったいどこの誰から聞いた情報です、酒場ですか?宿ですか?」

「ええと、そう言っていたのは…領主様の直売所にいた私兵の方です。一度討伐隊が派遣されて、それで戦利品が…だから、あれ?そうですよ!領主様は襲撃がパルデニアの民によるものと知ってそれ以上は軍を派遣しない事にしたって!」

「軍が本格的に動かないのは人的被害が軽微だから、そう思っていましたが…見えた、見えました!勝算が出てきましたよ!」


クアンカが何事ですかと二人を見つめる。

うおおぉぉと小躍りするホルドは控えめに言って滑稽だが、両手を上げてくるくると回るモニカは無駄に優雅で眼福である。

勝利の舞(?)に巻き込まれたクアンカも結局踊らされ、果汁水の陶器壷は瞬く間に空になった。




翌朝、陽の昇る前に商館を出た一行は領主の館の前に来ていた。

毛皮で作られた手袋と首巻を借りてもなお吐く息は白く指先はじんじんと痺れるような感覚がする。

空には北方諸国では見慣れた薄灰色一色がどこまでも続いていて、道中で見た桶の水はしっかりと凍っていた。

もう冬がそこまで迫っている、天候次第ではいつ雪が降り始めても不思議ではない、早い年であれば降り積もっている事もあった時期にきている。

果たして廃坑に陣取った難民たちは無事だろうか、もし廃坑の内部にまで押し込まれていたならば暖を取る事も難しいはずだ。


「一刻でも早くと思ったけど、やっぱり領主はまだおねんねか」

「クアンカさん素が出ていますよ、皆が心配なのは分かりますけど中に入ったらそういう物言いはダメですよ、領主様からの印象が悪くなります」

「そうですな、傭兵団団長になったからにはこれ以降はずっとダメですぞ?」

「む、公式の場では留意する…ます」


モニカ、ホルド、クアンカ、そして各種申請の書類などを持った商会スタッフが数名といつもは商館前にいる例の用心棒からも数名。

大仕事に挑むのだと意気揚々とやって来たはいいが、事前に通知の無い訪問のため寝ている領主を起こしてまでの対応は行えないという。

館で働く者たちも領主の機嫌を損ねたくは無いだろうから仕方がないが、それでも町の名士たる大商会の商会長ホルドを無碍に追い返す事はせず、領主が起床次第取り次いでくれるという約束を貰ったのでこうして寒空の下で待っているのだ。


「領主様が野盗…襲撃者の正体を知っていて、パルデニアの民に対して少しでも哀れむ慈悲の心を持っているのであれば、これ以上の町への被害を無くすと確約する事でこの件を終わらせようと考えてくれるでしょう」

「なんせ町の外の事には関わりたくないって領主だもんな」

「クアンカさん?ねえ、ク ア ン カ さん??」

「っふぉぅ…」


やっぱり傭兵団はモニカさんが率いるのがいいんじゃないかなぁ、などと思ったのはホルドだけではあるまい。

騎士ルドガーの事を親分の様に慕う用心棒も、騎士と従者という関係でありながらモニカの発言力が強い事には薄々気付いている。

時々あの二人の関係が逆に見えることがあるんだよ騎士モニカと従者ルドガーってよ、とは、ある子分の言である。


「やあやはり貴女でしたか、ホルド殿一行の中に職業を騎士の従者と名乗る美しい方がいると聞いてそうなんじゃないかと」

「あら?貴方は確か…直売所の?」

「美しい従者殿に覚えておいて頂けたとは光栄です、ロストア私兵隊のアトノです。…祖母がパルデニア出身でした」


領主の起床と面会に応じる旨を伝えに出て来たのは、いつか領主の直売所で情報と安いエールをご馳走してくれた私兵だった。

これ以上の討伐隊が派遣されない事を喜んでいたが彼だが、その体に僅かながらもパルデニアの血が流れている事もその一因だったようだ。

名乗り返したモニカと固い握手を交わしたアトノは、恐らくここ最近の情勢も把握しているのだろう、とても複雑そうな表情をしていた。


「お待たせしましたホルド殿、領主がお会いになるそうです。よろしければ朝食も用意するのでご一緒にどうかと仰られておりますが」

「いや、それは大変嬉しいお申し出なのですが、少々急ぎの要件がありこうして朝早くから押しかけてしまいました、どうぞお気遣い無くと」


領主の館の朝食と聞いて主に用心棒の面々の目が輝き、すぐに落胆の色で染まった、きっと後でとても何か言いたげな視線をホルドに送ることだろう、領主の食卓とはいかないまでも何か用意せねば収まるまい。

とは言えここに同行しているのはホルドと付き合いの長い商会の中でも信頼されているメンバーのようで、事態が急を要する事は理解しておりその場で大っぴらに不満を面に出す事は無かった。


「…そうですか、この名誉を辞退なさるとはよほどお急ぎなのでしょう…もしや街道で発生している野盗被害に関する案件でしょうか」

「はい、その通りです。可能な限り早く領主様のご裁可を頂きたい申請を持って参りました」

「アトノさん、これ以上領内で血も涙も流れないようにするための提案なのです」

「…とっとと着替えを済ませるよう領主の尻を叩いて来ます、皆さんも中へ、そのまま食堂の席をご利用下さい!…衛兵!!」

「な、あの確かに急ぎの要件ですが領主様を怒らせるような事は…」

「それアトノさんの立場が危うくなりませんか!?」

「“この件”を解決出来る内容なのでしょう?であれば今これ以上に重要な案件は存在しません、私も、兄も、むしろ待ち望んでいた変化です!」


ぐんぐんと加速し、最後は大声でこちらに声を飛ばすアトノは颯爽と館の中へ吸い込まれていった。

やや茫然と、しかしハッとして後を追うホルドたちに朝の仕事を開始したばかりの使用人たちが何事かと視線を向ける。

重い書類の束を持つ商会スタッフが寒さも相まって足をもつれさせ盛大に転べば、入り口の横に立っていた衛兵はそれを助けるべきかそもそも一度一行を止めるべきかと焦り、宙を舞った書類を追いかける用心棒の野太い声に庭師は震え上がった。

そんな大混乱の最後、アトノに文字通り背を押され現れたのは、髪は跳ね明らかに正装では無い服の上から上等そうなガウンを纏っただけの覇気の無い人物、まだ少し眠そうなロストア卿その人であった。


「あー、と、朝早くからこのように押しかけてしまい、いやこのような展開は我々も想定外だったと言いますか、とにかくお時間を頂けました事お礼申し上げます」

「あー、うむ、まあなんだ、大事な要件と聞いたのでな、領主としては着替える時間をも惜しんで…」

「…ちゃんとした格好じゃないとヤダって駄々こねてたのはどこのどいつでしたかね」

「しーっ!そういう事は言っちゃいけないのがお約束でしょ!私にも面子というものが…」

「何を今さら、引き篭もりのロストア卿の噂なんて他の誰も気にしちゃいませんよ」


んー!と声にならない唸り声をあげる領主とその私兵、兄という言葉を先に聞いていなかったら揃って顔を真っ青にしているところだったが、周囲に控えている館の人々の反応を見る限りいつも通りの光景のようだ。

そしてこのロストア卿の事をクアンカは戦争では役に立たないタイプと表現したが、…なるほど、と皆が思ったのは内緒である。


「それでホルド殿たちが街道での…っるさい何が酷いんですか!で、街道での野盗被害に関して何やら良い提案…おい今のは取り消しだ朝食は後でいい!兄貴も勝手に喋るな!…で、ええと?」

「ロストア周辺の街道にて発生している隊商への襲撃事件に関しまして、私共ホルド商会から…あのよろしいですか?」

「ああ続けてくれホルド殿、ほら大事な話だからしっかり聞いて下さい、背筋も伸ばす!」

「まず(くだん)の襲撃者ですが、その構成人員については領主様におかれましても把握済みかと存じます…把握していますよね?」

「…おい返事しろ。いやそこは喋っていいんだってあーうるさい黙れ、ホルド殿彼らが町を追われたパルデニアの民であろう事は知っている、その体で続けてくれ」

「で、では…コホン。現在襲撃を行っている集団はパルデニアからの難民たちであり、そのほとんどが非武装の民です、彼らはコインで食を得る事が出来ずこの幸薄い時期において生きる為に仕方なく荷を奪っておりました」

「商人ギルドからの報告は受けている、町の食料の供給状況についてもだ、状況は決して軽いものでは無く彼らの罪は大きい、だからこそ彼らの境遇を哀れむ事こそあれ赦免する事は叶わぬのだ。…ん?ああ…と、そう領主が言っている」


ツンツン、からのコクコク、と頷き満足そうな顔をするロストア卿、それでいいのかというツッコミは流石に声に出されずにしまい込まれた。

そして領主側が把握している状況、その胸中などは事前に想定していた通りであり、そこに確かな手応えを感じる。


「では、本題に…。まずここに居りますのはパルデニア出身の遍歴騎士の従者、モニカ嬢です」

「以前に直売所にてこの者が騎士装の男と一緒にいる所を見ております…鼻の下伸ばすな」

「ご紹介ありがとうございます、アトノ様、ホルド様。領主様に申し上げます、わたくしと騎士ルドガーはパルデニア出身者としてこの事態を深く憂慮しており、その平和的な解決を図るべくかの難民と接触して参りました」


接触してきた、この言葉に幾人かの使用人からヒッと声が上がる、館の中に若干の緊張が走った事からも難民たちがどの様に思われているかは明白だ。

この緊張をもたらしている原因は間違いなく“パルデニアの呪い”だが、厄介なのはその呪いと言う名の病が未知のものであり、どのように広がる可能性があるのかが分からない点である。

更にそれらを加速させているのが噂も存在も宙を舞っており、確認のしようも防ぎようも無いと考えられているからであろう。


「ええい皆狼狽えるな!…兄貴もだ!確かに不安が無いと言えば嘘になるが、ほれホルド殿たちを見よ、ずっと一緒にいる彼らが平然としているのに何を恐れる必要がある。そうだなホルド殿?」

「はいもちろんです、“パルデニアの呪い”は確かに恐ろしく感じますが現在までにこのロストアで感染者が出たという話は聞きません。唯一の噂として…最近帝国兵と戦った領主様の私兵隊にその感染者が出たのではないか、とだけ」

「ふむ、その話は…私もその戦いの場には行っていたがこの通り問題は無いとだけ答えておこう。…おい何で今さら離れる傷付くだろうが兄貴」

「あの、そんなに襟を強く引っ張っては…。ええと、我が商会はご存知の通りパルデニアとの交易品を多く扱っておりましたが、荷が途絶えたのはパルデニアの滅亡より少し前、その荷は多くの人の手で運ばれ多くの住民の食卓に並びました、それでも問題は起きていなかった。あれは滅亡したパルデニアが残した帝国への呪いと言われておりますがまさにその通りで、それ以前に既にロストアにあった品は何も問題は無いはずなのです」


その言葉だけでなるほど納得、と言う訳にはいかないだろうが、それでも落ち着いた論理を聞かされれば緊張と恐怖は和らいだ。

呪いに怯える者たちとて、以前はパルデニア産の食材を好んでいたのだから。


「さて、ここで領主様に伺いたいのですが、ロストアの町がパルデニアの民を受け入れたのはいつ頃だったでしょうか」

「…声が小さい、今から5か月ほど前だな?そうだな?確かにそうだったな、うん。そのくらいの時期に一気に流入して来たはずだ」

「私もその様に記憶しております、食料の流通量に変化が起きたのも新たな仕事が発生していたのもその頃でした。さて、この言い方は少々アレですが…その時期にロストアに来ていたパルデニアの民は、呪いが広まる以前に既にロストアにあった品と同じではありませんか?」


これは領主やアトノに対してというより、壁を背に話を聞いている周囲の館の者たちに対しての言であった。

既に独自に情報を集め様々な話し合いや対応の検討を行っていたであろう領主たちは、難民が呪いの感染者では無い事には気付いているはずだ、だがそれでも目に見えない物を「無い、大丈夫だ」と言うのは難しい。


「ほう、良い着眼点だ。それではその呪いより以前からこの地に居たパルデニアの民たちと接触してきた従者モニカよ、パルデニアの騎士が直接彼らと会って説得して来てくれた、と?…もういい面倒だから俺に任せろ」

「え…と、アトノ様、それから領主様?先ほどホルドさんが申し上げた通り、彼らは生きる為に仕方なく荷を奪っていたもの、説得などせずとも最初から彼らもそれは本意では無かったと」

「ふむ…彼らに非は無いが罪は有る、我らにも慈悲はあるが示す為の材料が無い。これでは事態は解決せぬ、例え恩赦を与えたとて彼らは飢え、被害を被った町の者には補償をせねばならん…大丈夫だ兄貴に全額負担する余裕が無い事くらい分かってるって」

「はい、これまでの経緯を無かった事には出来ないでしょう、ですが償う事は出来ます。まずはアトノ様…と領主様にクアンカさんを紹介させて下さい」


勢いよく立ち上がったのはホルド一行の中で一番目立っていた騎士装の男である。

従者がいるのであれば横にいるのは当然、その仕えたる騎士なのだろうと誰もが思っていたが、アトノだけは以前に会った騎士とは別人であること、そして事前に聞いていた一行の情報の中に“騎士”がいないことに気付いていた。


「えーはい、クアンカと申します、以前はパルデニアにて領主の…私兵隊長をしてっいましたっ」


緊張して声が若干上ずっているのは領主の前なのだから仕方あるまい、決してとうとう身分を偽ってしまったと冷や汗ダラダラなのでは無い、…無い。


「私兵隊長か、それでは副隊長の私よりも階級は上ではないですか、会えて光栄だクアンカ殿。多くの敵を斬った歴戦の猛者かそれともパルデニア王家と縁のあるような由緒正しい血筋の方だったりするのかな?」

「おおおお王家など滅相もありしません!そんな私兵ですよ私兵!?私兵が王家とどうのこうのなんてあるはずがあはははは!私はただの住民で殺生など…あ、ええと、住民との折衝をですね…そう、折衝役!折衝役として活動を…」

「そーですよクアンカさんは折衝役として多くの功を上げて…そうそれで領主よりこの鎧を下賜された人物なんです!うふふふふ…」

「…まあ、そうか、確かに私兵で王家の縁者など普通はあり得ないか…何だよ兄貴。それでクアンカ殿は今どのような?」


一生分の冷や汗をここで出し切ったんじゃないかというほど、ダラダラでドキドキでバクバクなはずも無い、…無いったら無い。

蒼白な顔面を外気の寒さによる青白さということにして、砕けそうな腰をモニカの方がもっと怖いと鋼の精神を発揮して、零れ落ちる涙をこれは物語に添える悔し涙だと自分に言い聞かせて。

これより“騙る”は亡国に仕えし悲劇の男の物語。


「突如として現れた帝国の兵によって町は蹂躙され多くの民が命を落としました、館に立て籠もり最後の抵抗を続ける領主の命により私は生き残った民を引き連れ北へと脱出しました、振り返った私たちの目に映ったのは燃え上がる住み慣れた町と領主の館…!涙をこらえ重い足を無理矢理に前へと進め、しかしやっとの思いで逃げ込んだその先々の町でも追撃の手は止まず、逃げに逃げ、もはや同じパルデニアの民である事以外には互いの何も知らぬ者同士で手と手を取り合い、幾重もの凶刃をかわした末ついには国境を越えロストアへと…その後は皆さんも知る通りです。これまで難民たちによって繰り返された襲撃も私の指示によるもの、どうか罰するならば私を、叶うならば償いの機会をお与え下さい!」


館の者たち、主に武装した私兵たちから同情の声が漏れる、苦難の道の果てに何という…、おのれ帝国め…、と。

そしてそれは同じ立場のアトノも同様であった、もしロストアが帝国に蹂躙されたなら、その後に待ち受ける運命がこのようなものであったなら、それでもなお仕えた領主の最後の命を守り民を率い続けているクアンカの何と崇高な事か、と。

…実際にはちょっとまとめ役に向いていただけの地主で領主の命令でも私兵でもその隊長でも無いのだが。

とにかく、クアンカの少しの実話と、ホルドによる少しの脚色と、モニカによる少しの演出によって、観客は涙したのだ。


「クアンカ殿、貴方に敬意を。貴方の生き様とその決意に…!…うるさい泣いてない兄貴こそ何だその顔は」

「おお!?アトノ殿、りょーしゅさま、そのよーに泣かないでください、わたしはわたしの使命をまっとーしたまで!」


クアンカめ、事前に練習していたセリフ以外は下手くそだな、とは思っても言わず、ここが好機とばかりにホルドは勝負に出る事にした。

大商人ホルドの大勝負にして大仕事、そして大盤振る舞いの奇策である。


「このような…おお、このようなクアンカ殿を匿ってモニカさんが昨晩私の元へとやって来たのです、なんとかならないものかと…ッズズ!私は商人である以前に人です、人として何をするべきか…これまで私がパルデニアとの交易によって得た財はこの時の為だったのではないかと!」

「ああ…私の感情に任せた行動をどうかお許しください、そして私がクアンカさんを我が騎士と偽り壁門を越えさせた事も、それを見抜けず通してしまった迂闊な門兵にもどうか寛大なる措置を…!」

「む、むむむ、そうだな…?私の部下が迂闊…」

「おお!ありがとうございますありがとうございます!流石は領主様アトノ様!それでは早速こちらの資料をご覧下さい…」

「ああなんて慈悲深い領主様たちなのでしょう!感謝致します!ではクアンカさんたちにも慈悲をよろしくお願いしますね…?」

「お、おお?おお!…おお?」


ホルド流奥義、情に訴えまくしたてる。

モニカ流奥義、無意識にナイフを突き立てる。

…効果は抜群だ!


「傭兵団の設立とその運用、ロストアへの貢献と展望…?」

「ではクアンカ殿、例の宣言を」

「はい!…んー、んん。私クアンカは共にパルデニアから脱出した民たちを代表して、新規の傭兵団を立ち上げその初代団長を名乗り、皆と共にロストアへの持久的な食料の供給と治安維持に努めたく思います」

「はい拍手!」


館の使用人や私兵たちからは無視出来ぬ数と大きさの拍手が巻き起こる。

…実際のところ宣言のその意味や意図は読み取れていないが、ホルドの上手い仕切りと先ほどのクアンカの歩んだ道を思えば、応援したくなってしまうというものだ。


「ま、待て待て、傭兵団と言ったな?その規模は?それに食料の…供給だと?…待てこっちの食料供給はいらん、だから勝手に朝食を運ばせるなって!まだ大事な話の最中だろが!」

「そちらにつきましては、お渡しした資料の3、4枚目をご覧ください、人員構成や活動可能な範囲等についての記載がございます」

「アトノ様、疑問はごもっともですが、要は私たち傭兵団は民兵に近い存在になれるのではないかと。今は“必要に駆られて武器を手に取っています”が、本来は農民や職人ばかりの集団なのです」

「民兵…なるほど民兵か、普段は住民であり有事の際には武器を持ち参集に応じる、民兵的な傭兵団。だが私たちが納得したとていきなり町の住民として受け入れるのは困難だ、目に見えぬ恐怖を払拭するには時がいる」

「はい、そこで資料の6枚目を…現在クアンカ殿たちは町の北東に広がる森に、そこに残る廃坑と当時の開拓跡を拠点としています。この土地を…ホルド商会が領主様より借り受けたく存じます」


領主とアトノが顔を見合わせる、使用人たちからもざわざわと囁きが聞こえるのはこれが前例の無い、少なくとも公式かつ大規模な話としては聞いたことの無い商談だからだ。

大前提として王国内の土地は全て国王のものであり、その中で区切られた領地を治める領主にはその土地を自由に使う権利が与えられているが、土地を勝手に手放す事は許されていないし、貸し出す場合にも治安が維持されるよう住居や商店などの小規模、農園や農場などの中規模な広さまでの土地が常識の範囲とされている。

広域に渡り何に使われているか不透明な土地が存在するのは治安維持の観点から問題であり、公式な記録としてそのような土地の貸し出しが行われた事は無いのだ。

だが実際には王国の建国よりも古い歴史を持つ古豪が所有する広大な土地が存在したり、国や領主にも益があるとして土地の利用を許されている地域も僅かながら存在する。

例えばその場合、地主は領主に税金という形で“それなり”のものを支払い土地の所有権を借りる体をしているし、新たに森や荒れ地を開拓して広い区画を使いたい者も領主に認められたうえで“それなり”の税金を支払っている。


「…ホルド殿、この資料によると町の北東に広がる森の大部分を商会で借りるとあるが、居住地の確保と考えるには広すぎる。それに森の中では領主の目が届かぬ、これではホルド殿が信頼でき大金を積まれたとしても厳しい条件だ。…仮に領主が許しても国王が許さぬかもしれん」

「もちろん分かっております、そこで資料の7枚目を…クアンカ殿からも」

「私たちの多くは農民であり職人です、工具や農具の類さえ入手出来ればこの地で一から人生をやり直す覚悟もあります」

「…これは、本気でこれを実現させるつもりか?可能だと思っているのか?あまりにも遠大な…後々やはり無理でしたなどと言われては…」

「アトノ様、そして領主様。どうか私たちに償いと再起の機会を、そして共に歩む道を。…それに私たちはパルデニアの民ですよ?あの王国の民、あの国王に愛し愛された民、信頼する事も信頼される事も得意で…天秤の両側に困っている人が居ればその両方に手を伸ばす民です」


むむむむむとアトノが唸る、示された計画は筋が通っていて、人的条件も悪くは無い、感情論で言えばアリ寄りのアリだ。

それでも最後にもう一押しが欲しいと思ってしまうのは、実行するならば今すぐでなくてはならず、先に方々に確認を取る余裕も無いからだ。

果たしてこの前例の無い荒唐無稽な話がロストアの住民たちに受け入れられるのか、アルタニアの国王に受け入れられるのか、後世の世に受け入れられるのか。

答えを出したのは悩むアトノでは無く、そもそもこの決断を下すべき本来の人物。


「悩み、後悔し続ける時間ほどつらい時間は無い。アトノ、受けようこの話を」

「兄貴!その決断がどれだけの影響を及ぼすか分かって言ってるのか!?」

「無論だ…パルデニアのクアンカ殿、それからモニカ殿、私は貴方たちに謝りたい、この通りだ。亡きパルデニア王にも顔向けできぬが、せめて今ここにいるパルデニアの民だけでも救いたい」


立ち上がり、食卓に両手をついて深く頭を下げるロストア卿の声は震えていた。

隣にあり同じ世界を見て来たであろう弟も、兄の肩に手を掛けかけてやめ、その震える拳で自らの太腿を打った。


「この館のな、屋上に上がって南を向けば遥かパルデニアの大地が見える、その営みは見えずともそこにパルデニアがあったのだ。ある日その視界の奥に煙が立ち上がるのが見えた、そして火が見え、それは野火のごとく広がりどんどんとこちらへ近づいて来た、私は怖かった、火も戦いも。パルデニアで異変があった事はすぐに分かったが私が命じたのはロストアの警備強化だけだった、アトノは兵を差し向けるべきだと主張しておったのにな。やがて近づく火は収まり代わりに人の波が南から押し寄せた、門は開けたがそれ以上の事はしなかった、南で起きた事態に巻き込まれるのが恐ろしかったのだ。もし何かするべきならばそれは王国単位での話になるであろうと、アグノートの奴がどうにかするであろうと、そう思って今日まで何もしなかった。…それを、ずっと後悔しておる」


アルタニア王国領内で最南の町であり、パルデニアとの国境にも近い町ロストア。

そこから燃えゆくパルデニアを見ていたロストア卿は、恐怖と共に後悔を抱えて日々を過ごしていた、自分の決断次第では救えた命や場所があったのではないかと。

だが追い打ちをかけるかのように現れた“パルデニアの呪い”という存在により後悔は恐怖で覆い隠され、街道で私兵に討たれた野盗の真実についてもその遺体の様に布を被せて覆い、視界から隠してしまっていた。

今、天秤のいずれにも手を伸ばさなかった自分の前に、その両方に手を伸ばそうという者たちがいる。

同じようには出来ないと思いながらもその為政に敬意と憧れをもっていたパルデニア王の、残された民がいる。


「今この町のすぐ外で、あの日見た破壊と後悔の火が再び上がろうとしておる。…先日私は何と言ったと思う?ギルドが動き、王都から傭兵団も来た、これで事は終わる、だ。自分がその火に関わらず他の誰かが対処してくれる事を喜んだのだ、そしてまた後悔しておる、もうこれ以上後悔を重ねたくはない」


この領主は本当に悪い人間ではないのだろう、少々気は弱いが。

それはその本当に悔しそうな顔を見れば分かる、それを気遣う弟の存在も、静かに頷く館の者たちの様子もそれを物語っている。

ホルドだってこの領主を相手にあくまでも理を説いて話を付けようとしている、少々情に訴え過ぎではあるが少なくとも町に大きな影響力を持つ大商会の商会長として、その立場や権威を材料として臨む事を良しとはしなかった、話せばきっと分かってくれるであろうと。

思えばこのロストアの町に着いてだいぶ経っているが、その間積極的に情報収集に努める中で一度だって領主への不満を聞かされる事も不穏な噂を聞くこともなかった。

パルデニアの王は常に正しく常に平等で民を愛し愛された、聞こえてくる噂が全て良いものであったが故に史上最も優しき王であると知れ渡っていた。

ならばロストアの領主はどうか、常に町の事を考え常に町の安全を願い、いかなる悪評も聞こえず誰も領主の話をしない、それは立派な為政者なのだろう。

“引き篭もりのロストア卿”とは、内務に注力する者であり、他の貴族からはとりあえずあの者に任せておけば問題無いだろうから放っておけ、とそう言われる人物である。


「アトノ、私兵隊を集めてくれ。多くの冒険者と傭兵団が集い既に刃が交えられている可能性が高いのだ、伝令を飛ばしたくらいでは容易には収まるまい」

「私兵隊集合!町の各部隊にも東門への集合をかけろ!…っと、各門の門衛担当部隊にまで声をかけるなよ?」

「ホルド、今すぐに調印を。あの森の商会への貸与と、“そこを開拓し新たな村を作る”提案をロストア領主の権限で許す」

「かしこまりました!さあ皆、必要書類を並べて。領主様の書記官と財務官殿はどなたかな?」

「クアンカ、新たな傭兵団の設立を認め周知させる。領内にてホルド商会と契約を結びその業務に従事する事を領主として承認する」

「ありがとうございます!皆と協力し豊かな村を造り上げてみせます!…数年後にはロストアの市場に村の産物が並ぶような!」

「モニカ嬢、及びパルデニアの遍歴騎士ルドガー、両名を傭兵団の指南役として認知し、必要と判断する限り領内での自由な行動を認める」

「感謝いたします!…全てを見捨てず全てに手を差し伸べる、まるで亡きパルデニア王を見ているようです」

「はは、間近で見て来た様に言うのだな。それに感謝するのはこちらだ、私にこの機会を与えてくれたことに。だが…ありがとう、最高の褒め言葉だ」


慌ただしく人が動き、各所で声が飛び交う。

止まっていたロストア卿の時間が動き始め、ロストアの町に朝日が昇る。

吐く息を白く輝かせていた冷気は朝霧と共に霧散し、領内には久しぶりの陽気が戻って来た。

どうやら今年は、遅い雪の降り始めとなりそうである。


「ホルドさんや、ここはどうするのかね?このままでは卿に印を押して貰えぬ」

「どれどれ、ああそうだったここは決まっていないんだった。クアンカ殿どうしますか、貴方の名前にしておきますか?」

「何の話です?ああそうでしたね、ですが私の名はちょっと…流石に心臓が持たなそうです。モニカさんはどう思いますか?」

「なんですか?ああー…。もういっそこれも領主様に決めていただくというのはどうかしら」


次々と書類が用意され、急ぎの内容確認が行われ、ポンポンと領主とホルドの印が押されていく。

領主の側近から指摘が上がったのは傭兵団の新規登録を認める事を印した証文である。


「ふむふむ、であれば卿よ、よろしければこちらを決めては頂けませぬか?」

「ふむ?傭兵団の名前、か。登録する内容はこれで良いとして、ほう旗印はホルド商会と同じものを使うと?」

「はい、新たな旗を作るのは手間ですし、ホルド商会の旗であれば町の住民にも馴染みがあります、心情的にも見慣れぬものよりは良いかと。何より我が商会の旗印はパルデニアとの交易で財を成した私がその感謝も込めてこれにしたのです、パルデニアのクアンカ殿たちが掲げるにも丁度良いかと思いまして」

「なるほど確かに、であれば名前もそれで良いではないか」


━━━


・・・・・・以上を申請し、国王の認可を求めるものである。


アルタニア王国 ロストア領主 アーケンス

琥珀蟹傭兵団 団長 クアンカ


                         ━━━


急ぎ運ばれてきた朝食を皆が立ったまま掴み口へと放り込んでいく。

食卓の上に無造作に置かれた冑から、俺にも寄こせと爪が伸びたように見えたが気のせいだろう。

武装を済ませて戻って来たアトノがパンにかぶりつきながら最後の印が押されるのを見届け、クアンカと共に出て行った。


「あとは皆の無事を祈ろう」

「本当にありがとうございました、ええと…あら?そういえば領主様のお名前をお伺いしていませんでした!」


大きな決断を成し遂げ、前に進む勇気を出し切って疲れたのであろう。

ロストア卿はふらふらと後ずさると腰が砕けた様にストンと椅子に腰かけ、ワナワナと震える手から力が抜けると大きな大きなため息をつくのであった。




それからのホルド商会はさらに大きく飛躍し、アルタニア王国内でも屈指の大商会へと成長していく。

王国南部の街道を行けば琥珀蟹の旗印がそこかしこで見られ、隊商と旅人の安全は同じ旗を掲げる傭兵団によって守られた、領主から村の運営を任されるほどに信頼されたホルドはその最期の時までロストアの町に豊かな食を届け続けたのだ。

王都にもその名を轟かせたホルドの遺骸はその功績と共に王のお膝元に埋葬される事となり、ロストアから王都へと向かう葬列には食を助けられた民が、安全を守られた旅人が、そして様々な商会旗を掲げる隊商が合流し長い列を作った。

その先頭にはロストア旗を掲げるロストア領主アトノの姿が、その両翼には琥珀蟹とパルデニア紋章を掲げる琥珀蟹の騎士と昔馴染みの騎士があり、王の葬列にも匹敵する数と種類の旗に運ばれ、その魂は空へと旅立ったのだ。



第二幕:「旗と蟹と傭兵団」 了


第二幕は以下のキャストでお送りしました!

・モニカ

・ルドガー

・アルタニア王国の大商人ホルド

・パルデニア王国の元地主クアンカ

・アルタニア王国の私兵アトノ

・アルタニア王国の領主アーケンス

ご登場ありがとうございました~!


引き続きご感想ご指摘、その他諸々のご意見など大歓迎。

今の心配はタグにハッピーエンドってのも付けてみたけどこの各幕の終わり方をハピエンと思っていただけるのかどうか…ううむ?

さて、作品概要にも書いたのですが本作投稿の2025/02/25の時点で、書き終わっているのはここまでになります。

リアルの状況により以降の投稿は遅くなってしまう可能性があります、予めご了承くださいませ…。

とっとと書けや、寝る間も惜しんでなっ!!等の鞭も喜びますが人生に飴も下さい(切実

ではでは、皆様良いハンターライフを(←

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