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 エーテルが創り出す空間は基本的に現実空間に依存する。

 それは現実空間をそのままコピーしたようなテクスチャの場合もあれば、構成だけ同じの似て非なる全く別物の空間になることもある。

 とはいえどちらにしても、空間異常の発生場所が都市部ならだいたいはビル群が立ち並ぶ空間になる。海ならば海水に満たされた空間になるだろうし、それこそ山ならば土や草木が生い茂る空間になるだろう。


 しかしながらそれらに当てはまらない例外が存在する。

 それはその空間に、その場所の「核」となる存在がいた場合だ。


「……おいおい、ちょっと冗談がきついんじゃないか?」


 エーテルの空間異常によって生み出された仮安定領域へと、切り開いた入口から侵入したツヅリとクルリア。

 その先に広がっていた光景は、長年経験を積んできた彼らにとってもいささか目を疑うものであった。


 一歩踏み出すと、足元からパキパキと奇怪な音と感触が伝わってくる。痛いほどに冷たい風が全身に吹き付けて思わず身震いをしてしまう。

 視界を埋める白銀の色。極めつけは空からぱらぱらと降ってくる粉雪の存在だ。

 ツヅリは防護マスクの暖気機能をオンにするとサングラスを外し、ショルダーバックからゴーグルを取り出して装着する。パーカーのフードも耳が隠れるくらいしっかり被った。


「ひとまず……どうやら状況は面倒くさい」

「文句を言っても仕方があるまい。さっさとヌシを見つけるとしようぞ」


 そっくりそのままかどうかは判らないものの、周囲の地形は現実空間の地形情報をトレースしたものであるようだ。

 しかしながら、乱立している草木はどうやら「氷塊でつくられたオブジェクト」であり、生物としての植物ではない。精巧な氷細工とでも言うべきもの。

 雪と氷に覆われた山。それがこの仮安定領域らしい。

 通常の異常領域ではまず見られない特異な変化。これでこの空間を変質させた「何か」がいることが少なくとも明らかになった。


「エーテル信号は感知できそうか?」

「ふーむ……かなり微弱ではあるが、どうやら山頂の方角のようじゃな」

「よし」


 それだけ分かるのなら十分だろう。

 ツヅリは防水用のブーツで来なかったことを後悔しながらも、出来るだけ早くこの依頼を終わらせることを心に決め、方位磁針を片手にかなり雪の積もった山の中へと進み始めた。


「とはいえこの感じ、震源体ではないぞ」

「そうかぁ……ちょっと期待してたんだけどな……。領域の変化もこの程度だし、お察しだった?」

「稼ぎが増えるだけめっけもんじゃろ」


 震源体──正確には極密度震源体、通称「ターミナル」。

 この名前は「生きた極限エーテル」とも呼ばれる特殊な個体を指す言葉である。

 似た個体に「エーテル信号体」と呼称されるものがあるけれど、これら二つには大きな差が存在する。

 エーテル信号体と極密度震源体はどちらもエーテルが特異な凝集をして生まれるというのが通説ではあるが、人の視覚では認識できないエーテル信号体とは異なり、極密度震源体は肉眼での視認が可能という特徴を有している。


 また「エーテル信号体」などの名称からも分かる通りどちらもエーテル信号を周囲に振りまいているが、周囲への影響が比較的微弱な前者に比べ、後者はその比ではない量のエーテル信号を放っている。

 極密度震源体が現実空間に露出した途端に周囲十キロメートルに渡って計器や機器に変調をきたした、なんて話もあるくらいだ。

 そんなんだからエーテルの揺らぎ方も尋常ではなく、露出によって引き起こされる空間異常もかなりひどいものになる。


「しかしおぬしよ。ヌシにまみえる前に、先に犬ころを見つけておいた方がよいのではないか?」

「おっと。そういえばそうだった」


 急な寒暖差に頭がおかしくなって記憶が飛んでいたらしい。

 クルリアにリマインドされたツヅリは、ショルダーバッグをごそごそまさぐって手のひらサイズのプラケースを取り出した。

 その中に入っていたのは人型をした大量の紙束。

 紙人形──いや式神という表現が合っているだろうか。計二百枚ほど用意してあるその式神の表面には、そのすべてに幾何学的な模様が中心付近に描かれている。


 彼がその式神の束に指先を触れた次の瞬間、それらが次々に勢いよく空中に飛び上がり、ツヅリの周囲を取り囲むように輪を描いて整列した。


「二体……そことそこは残れ。他は白い柴犬を探し、見つけたら合図を出すこと。 ──よし、行け」


 周囲に展開して旋回する式神の群れに対して大きな声で指示を出すツヅリ。

 それを受けた式神たちは描かれた幾何学模様に色とりどりの光を点滅させ、流れるように上空へと急上昇して四方八方に散開する。場に残った二体の式神はツヅリの背後に回り、彼の後ろを追従する態勢に入った。


 それから山を登り始めて数十分ほど経過した頃。


「……おっと」


 前方の視界に違和感を覚えたツヅリは足を止める。

 彼らの進行方向およそ百五十メートル先の地点。そこにいたのは数十体の不定形の異形であった。黒いもやとエーテルの揺らぎによるモザイク障害のその内側に、流動的ななにかが蠢いているのが見える。

 ツヅリたちがそれらを認識してから数秒後、それらの不定形の異形は急速に実体を形成し始め、それと同時にエーテルの揺らぎが次第に収束していく。

 現れたのは顔を持たない白磁色の人間型実体。

 エーテル信号体である。


「大所帯だなあ……異常領域内だからって活気づいてるのか?」

「婆がやってあげてもよいぞ」

「いいよ別に。この程度なら出費はないし」


 任せてくれと腕まくりをした彼はポケットから銀色の指輪を五つ取り出して、皮手袋の上から左手の指に一つずつ嵌める。

 腕まくりをしたその左腕には先ほどの紙人形に描かれていたものと似た幾何学的な模様が、その前腕から二の腕にかけてびっしりと刻み込まれていた。

 一見するとタトゥーのようにも見えるが、全くの別物である。

 続いて腰の携帯ポーチから鉱石の欠片のような物が入った試験管を抜き取ると、そこから欠片を五つ取り出して、先ほど装着した左手の指輪に一つずつはめ込む。

 同時に幾何学模様がゆっくりと紫色に光り輝き、彼の左腕にまとわりつくような円環が何層にも分かれて展開された。


 白い人型実体を有したエーテル信号体の群れが、勢いよく山を駆け下りて百五十メートルほどの距離を一気に詰めてくる。

 ツヅリは彼らに対して左拳を向けて腕を伸ばした。


「悪いけど、この体をくれてやるわけにはいかなくてね」


 左拳を中心にして紫色に輝く大きな魔法陣が五つ展開される。

 そしてそれらの魔法陣がゆっくりと回り出したかと思えば、輝きを増しながらその回転速度が規定速度に達した直後───閃光とともに夥しい数の光弾がそこから射出され始める。

 ドドドドと重たく鳴り響く音に合わせながら放たれた光弾は、容赦というものをほとんど必要としないガトリングガンのように辺り一面氷の世界をえぐりながら、向かってくるエーテル信号体ごと無慈悲に氷の山に突き刺さった。


「視界確保、左四十度」


 ツヅリが左後方に展開している式神に指示を出す。

 彼を追従していた式神は左右横方向にそれぞれ展開して、正面で回転する魔法陣と閃光でナイトパーティ状態の彼の両眼の代替を務めていた。

 

 しばらくして──魔法陣の回転が収まり、ツヅリは伸ばしていた左腕をぶらりと下げる。

 エーテル信号体はもういない。彼の立っているその正面は氷の木々や雪面が粉々になぎ倒され、放射状に無残な跡が広がっている。

 おもむろに左手から指輪を外す。左腕の幾何学模様からゆっくりと光が失われていく。しかしまだ腕の熱は失われていないようで、粉雪が付着した瞬間にジュっと音を立てて蒸発してしまう。

 指輪に嵌められていた欠片はすべて灰のような状態になっていて、すうと吹いた風によって欠片の残りかすが飛ばされていった。


「いつ見ても騒がしいの。どうにかならんのか?」

「しょうがないだろう。これが一番効率がいいんだから」


 耳をいじりながら文句を言うクルリアを横目に、ツヅリは積もった雪の中に左腕をずぼりと突っ込む。じゅわじゅわという小気味のいい音に合わせて、すーっと冷えていく心地良い感覚が左腕から全身にかけて流れていく。

 

「山頂まであとどのくらいだろうな」

「二時間くらいじゃろ」

「信号の方向は変わってない?」

「変わっとらんな。山頂の方角から微動だにしておらん」


 領域空間がそこまで広くない場合、ヌシが動かないのはままあることだ。

 とはいえあまりに狭い場合だと逆にそれが原因で、現実空間に侵出しようと暴走状態だったりすることもあるけれど……。

 まあ動かないでいてくれるのならそれに越したことはないだろう。

 しかも今回に限ってはこんな雪と氷の中。ただでさえ靴下に雪水がみているのに、こんな環境でヌシと追いかけっこなんてまっぴらごめんである。


「それならさっさと登り切って……ん?」


 その時。少し勢いの増した降雪で悪くなった視界の中、うっとおしくも見上げた山頂からなにか赤い光が撃ち上がっているのが確認できる。

 それは紛れもなく式神が合図に使用する信号光弾であった。

 





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