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長い道のりを越えて、二人は這々の体で第七セクターの依頼人が指定した場所にたどり着いた。
何が疲労の原因かといえばまず間違いなくこのサスペンションがガタガタにいかれているボロ車のせいなのだろうが、ツヅリはあえてその原因から目を逸らすことにした。
到着した時刻は八時三十分過ぎであった。
だいたい八時手前には着くだろうという算段だったが、走り慣れない旧道と舗装されていない山道のせいで余計に時間がかかってしまった。
地域的にはいわゆる田舎と呼ばれるような場所。
木造の昔ながらな様式の家屋が多く、「風情」なんてものがわかるわけではないが、まあ……なかなか風情を感じさせる。
ブロロロと空ぶかしのようなエンジン音を立てながら、同封されていた写真に写っていた家の前に車を停めると、ツヅリは車内で持ってきた道具類など諸々の準備を整え始めた。
そうして車から降りてきた彼の姿は黒いケースを片手にぶら下げ、いかついサングラスに機械的な防護マスクを着用した、とてもじゃないがあまりにも不信感極まりないものだった。
「クルー。マスクがずれてる」
「面倒くさいのう……。毎度のことじゃが、何故こんなけったいな物をつけねばならんのじゃ」
「僕たちみたいなのは舐められたら終わりだからね。見た目だけでもそれらしくしておいたほうがいいのさ」
──真っ当な商売とは言えず、財経局に収支報告すら出していない(脱税)稼業。そんな仕事だからこそアウトローな連中と取引することも少なくなく、やはりある程度の体裁が必要となってしまう。
クルリアが顔に付けた、まるで「戦隊モノの悪役」のようなマスクの角度を手直しするツヅリ。
海外のフリーマーケットサイトで三千円ほどで購入したそれは、見た目こそあれだがサイズはクルリアにピッタリの代物であった。
そうして。今度こそ準備を整えて家の門の方に向かおうとすると、門の影から一人の老人がツヅリたちの様子を伺っていることに気が付く。
「……あなた方が『幾何学屋』ですかな?」
「ええ、いかにも。今回の依頼主の方でお間違いありませんか?」
紺色の甚平を着たその老人は、訝しげな目つきでこちらを見ながらも物腰穏やかな態度でこちらに歩み寄ってくる。
「わざわざご足労くださってかたじけない。須陀羅と申します。立ち話もなんですから、どうぞ中に入ってくだされ」
須陀羅と名乗ったその老人は視線こそ吟味するものだったが、ツヅリたちの出で立ちについては何も言及することはなく、そのまま踵を返すと二人を門扉の向こうへと案内しようとする。
「ああいえ、気を遣わないで結構ですよ。できれば──すぐにでも現場の状況を見させていただきたい。依頼を正式受託するかどうかの確認もありますので」
「おや……そうですか。お茶でもお出ししようかと思ったのですが……まあ私としてもそれなら楽に済みますな」
老人が腰に下げていた鈴を家の方に向かって鳴らすと、庭先から一匹のハーネスをつけた黒い犬が軽快な走りで駆け寄ってくる。
彼はその口元から金属製の棒を受け取り、縦に引き伸ばすとそれを杖にして地面を突いた。
「では早速山の方に案内しましょう。少し歩きますので、足元には十分注意してくだされ」
件の山へは彼の家の裏手にある小道から行けるようだった。
一緒についてきた彼の黒い犬がクルリアのことを警戒するような素振りを見せていたが、やはり動物は人間よりも多少なりとも感覚が敏感らしい。
「ここら一帯の山は先祖代々受け継いできた、それなりに格式のある土地でしてな」
道中、須陀羅老人は今回の件に関する事情を軽く説明してくれた。
「最初は公安局のほうにお願いしようと思ったのですがな……ネットで調べたところ、土地が接収されてしまう可能性があるとのことで。そこで、なにやら名の知れているらしきあなた方に依頼したというわけです」
「ははは。なるほど……たしかに公安局は調査を名目に、実質的に土地を取り上げたりしますからね。中にはここ一年ほど、立ち入り禁止状態の場所もありますよ」
公安局は基本的には地域の治安維持を担っているが、その他にも地域各所でのエーテル環境整備を行っている。加えてそれに付随する各局の研究にも協力しており、実際に研究区画に指定された土地やエリアの立ち入り禁止や警備を主導しているのは彼らである。
ちなみに土地を一年以上立ち入り禁止にされている可哀そうな人物はツヅリの知り合いだった。
「しかし…公安局に依頼しようとしたということは、エーテル異常が原因だとすでに確認されていたのですか?」
「そういうわけじゃありませんが……ただ、ここらを先代から受け継いでもう数十年ですから。そういうことはある程度理解しておるつもりです。先代は「エーテル」などと横文字ではなく「地場」と言っとりましたが……それが乱れると良くないことが起こる。神隠しや祟りの前触れだとよく言い聞かされたものでしてな」
そこまで言うと彼は深い溜息を吐いて頭を横に振った。
心なしか歩くスピードも少し落ち、ツヅリはどうかしたのかと老人を見やる。
「しかし、まさかうちのナスビが持っていかれるとは……」
「……ナスビというのは消えた猟犬の?」
「真っ白な体躯のしっかりした柴犬でしてな。先代が飼っていた猟犬が生んだ子なんですよ。その母犬も去年に死んでしまいましてね」
どうやら消えてしまった犬というのは、彼にとってなかなか大事な存在であったらしい。……いや、ペットというのは大概にして飼い主にとっては大切なものではあるだろうが。
しばらくすると前方が開けて木々のないちょっとした広場のような場所にでる。相模さんとの会話を思い出したわけではないが、ちょうどキャンプでも出来そうな場所だ。
その広場を一直線に横断するように向こう側まで進むと、生い茂る草木の手前で老人は振り返って「ここです」とツヅリに示した。
「ここから先が件の山となっております。先月の豪雨で酷い土砂崩れがありまして、山の中はかなり荒れておりますが」
「……なるほど」
ツヅリとクルリアは正面の木々と、その奥にあるなだらかなラインの山を見据える。地滑りも起きていたのか、そこから見える山頂付近には広範囲で土の色が見えている場所もあった。
そんな彼らの視界には、その景色がところどころモザイク状にぼやけて見えている。そのモザイク状のものはエーテルの揺らぎであり、普通人には認識できないもの。
……確かにエーテル濃度がおかしい。しかしながらエーテルが励起している様子はなく、やはり発生から一月が経過しているために状態がある程度安定しているのか、不定領域のレベルは越えているようだ。
「改めて確認なのですが──今回の依頼内容としては、一つにこの山一帯の空間異常の修復。そして二つ目に須陀羅さんの猟犬の捜索の計二点でよろしいですか」
「そうですが……修復というと、もとに戻せるのですか」
「ええ、不可能ではありません。それともう一点確認しておきますが、報酬金の方はいくらのご提示で?」
「……二十万でお願いしたいですな」
「了解しました。この依頼、引き受けさせていただきます」
ツヅリは黒い革製の手袋をポケットから取り出して装着する。
「早速作業に取り掛からせてもらいます。一応、危険ですのでこの先には絶対に立ち入らないようにしてください」
「もちろんです。……ところで、どのような事をされるのか、待っている間眺めさせていただいてもよろしいですかな?」
「ええ、構いませんよ。ただし十分に離れているように」
黒い犬を連れて広場の中心のほうまで距離を取った老人。それを確認した彼は、基点を探すべく地面を注視しながら山の手前を歩きはじめる。
「さて、どこから始める?」
「まずはいつも通りに空間の固定からだ。ケースから杭を出してくれ」
しばらくして他よりも濃度の高いポイントを見つけた彼がクルリアに頼むと、彼女は黒いアタッシュケースを開いて中からハンマーと金属製の太い杭を取り出す。
エーテルによって起こる空間異常にはいくつか種類があるが、今回の場合はエーテルが急速に励起して不協和を起こし、新しい空間が形成されてしまったケースとなる。
状態としては、現実空間の上に不安定なテクスチャが一枚覆いかぶさっているような状態である。今回は不定領域の次の段階、仮安定領域ぐらいではあるだろうがそれでも完全に安定しているわけではない。
だからまずはそれを一時的に仮留めする。
見つけたポイントに狙いを定め、ハンマーで杭を思いっきり地面に突き刺した瞬間、痺れる感覚や軽い衝撃波とともに周囲の空間にブレが生じる。
まるでテレビ放送の中継映像が乱れた時のような具合に。
「クルー、入り口は作れそうか?」
「問題ない。思ったより領域は安定してきておるようじゃ」
──ならばやはり、内部にあれがいてもおかしくないか。
「ほーれっ!」
杭を打ち込んだ付近の空中をまさぐっていたクルリアが、力強い声とともに空間を手刀で縦に切り裂いた。
二重に三重にブレてモザイクなのか何なのか分からないぐらいだった景色に、一本の綺麗な亀裂が入り、そこから布やカーテンがめくれるかのように景色がめくれる。
めくれたその向こう側は白一色で何も見えはしないけれど──。
「これでよいか?」
「オーケーだ。さあ、調査開始といこう」