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 円淀市第十一セクター。

 市内では比較的田舎と呼ばれるようなこのエリアの一角に、寂しげにポツンと取り残された小山があった。小山というだけあってそれほど大きくはない。

 それは公園に造られたよくある、丘よりも少し大きいくらいの「山」と言ってもいいかわからない程度のもの。


 そしてその小山には石畳の階段があり、頂上にはこれまた小さな神社があった。

 人の背丈よりも少し高い程度の鳥居。ミニチュア感のある手水舎ちょうずや。二つの石灯篭。それと奥の方にあるこじんまりとした本殿がこの神社のすべてである。

 その本殿の裏には一つの扉が取り付けられている。

 これは一見木造のように見えるが、金属板に木材を張り合わせたそれなりに頑丈なもの。──何を隠そう、この扉の向こうこそが「幾何学屋」の拠点である。


「……赤字」


 扉の先。下に続く薄暗い階段を下りた先には、実に現代風のインテリアが広がっている。

 地下一階とでも言うべきだろうか。

 そんな2LDKの室内にはまず大きなテーブルが鎮座しており、そこで黒髪の青年が卓上に広げた書類に両手をついてうなだれている。


「十万五千円の赤字だ……」

「そうかそうか。もっと頑張らねばならんのう」

「……」


 キッチンの方から声がしたかと思えば……一人の少女がココアの注がれたコップを二つ、お盆にのせて運んできた。少女が青年のそばにコップを置くとその青年──天乃あめのツヅリは力抜けた様子で後ろのソファーに座り込む。


 その少女の名前はクルリアといった。

 白銀色のロングヘアに赤い瞳。服装は今は黒いキャミソールに黒いショーツという非常にラフな格好で、ツヅリの正面のソファーに、彼女専用の水色のコップに口をつけながら腰を下ろす。


「また副業しなきゃいけないのか……いやだな」

「不定領域に行けばいいだけじゃろう? 楽なものではないか」

「クルーには分からないだろうな。人間の脆弱さってやつは」

「何を言っとるんじゃ」


 彼女は呆れた表情を隠しもせず、テレビでも点けようとしたのかリモコンを手に取ってテレビのほうに身体を向けた。


「おおそうじゃ。今朝方、オモチが新しいやつを届けにきたぞ。ほれ」


 だがテレビの方を向いたときクルリアは思い出したかのように柏手を打つと、テレビ前の子棚に置かれていた封筒を取ってツヅリに差し出した。

「オモチ」というのはツヅリが世話をしているカラスの名前である。もふもふした大きなカラスで、いつも依頼書が集まるポストからそれらを咥えてこの拠点まで運んできてくれている。


 ツヅリは彼女が差し出したそれを受け取って封筒の両面を確認する。

 見た目はただの白い封筒。その表には「秋」とだけ書かれてあり、裏側をみてもそれ以外の文字は見当たらない。

 この封筒の形式ならば間違いなく「幾何学屋」への依頼書だろう。しかも「秋」ということは十八万から二五万の高額依頼。


「クルー。もしかしたら赤字を回避できるかもしれない」

「本当か?」

「ああ。受けるかどうかは内容次第だけど、この封筒は僕たちの生命線だよ」


 ぺりぺりと封を開けながらもツヅリの精神状態には安堵感と奇妙な緊張感が入り乱れ、無駄に大きな心臓の鼓動音が彼の耳にまで聞こえてくる。

 決して「楽な依頼であってくれ」とかいう気持ちがあるわけではなく、だいたいの依頼は金のために請け負うが、その中でも引き受け難い依頼があったりもするのだ。

「なんでも請け負うがなんでも請け負うわけじゃない」を「幾何学屋」は標榜している。

 封筒の中から一枚の紙を取り出した彼は、それをクルリアにも見えるようにゆっくりとテーブルの上に開いて置いた。


「……ほう」


 依頼書にあった内容は次の通りだ。

 依頼主は円淀市第七セクターに住んでいるらしいのだが、一か月前の豪雨によって持山で大規模な土砂崩れが発生した。

 街道があったりするわけでもないただの山奥なのでなにか被害があったわけではない。しかしその土砂崩れ以降、その山付近で不自然な現象が頻発するようになった。

 狩りの最中に狙っていた動物が忽然と消える、山の方から地響きのような奇妙な音が連続で聞こえるなど。極めつけは、自分の猟犬が山に入った途端に目の前で消えてしまったことだという。

 それでその山の調査を依頼したいのだと。


「おぬし、これは……」

「……」


 ツヅリは難しい顔をしてしばらく悩んでいたが、じっと依頼書を見つめるとテーブルをバンと力強くたたく。


「いや、受けよう。大丈夫! 何の問題もないさ」

「ふむ……おぬしがそれでいいなら」


 ツヅリはこの依頼の内容に対して、今までの経験から状況になんとなくの目星をつけていた。

 依頼主の置かれた状況。解決の糸口。

 だから問題ないと言えば問題ないのだが……。いや、ある意味で問題が生じる可能性があるというべきか……。

 とどのつまりはこちらの懐事情も十分に考えなくてはならないということだ。


「明日の朝出発しよう」


 どの道、この依頼を受けなければ「赤字になる」という未来を避けられなくなってしまうだろう。

 赤字になったらどうなるか? どこかからお金を借りてこなくちゃあならない。あるいはより危険な稼ぎ方をする羽目になるかもしれない。

 どちらもまったく勘弁願いたい。

 彼はクルリアに準備をしておくように促すと、自分自身も小さなバックを引っ張り出してそこに荷物を詰め込み始めた。


 次の日。

 まだ薄暗い朝四時に、神社のある小山の脇道から一台の古びた黒い自動車が出発した。

 ガタガタと揺れながら走り出したその様はまさに「おんぼろ」といった具合で、中に乗車している人間が心配になるほど。


「おぬしぃ、この車そろそろ替え時ではないか?」

「替え時は完全に壊れた時だって言ってるだろ。こいつはまだ走れる」


「幾何学屋」の拠点がある第十一セクターから依頼人のいる第七セクターまで、車でおおよそ四時間ほどかかる。

 依頼書には「一週間以内朝八時以降であればいつ来てもらっても構わない」と書かれていた。

 とは言え依頼人だって用事が全くないわけじゃないだろうし、入れ違いで待つことになるのも億劫。それなら早い時間に行って会ってしまった方が面倒が少なくていい。


 そうして車を運転して、バイパスから高速道路に入って一時間ほど経った頃、ツヅリは助手席のクルリアが何やらモジモジしていることに気が付く。


「……クルー、ちょっと休憩したいから次のサービスエリアに寄るぞ」

「! ……そうか。分かった」


 そろそろ第十一セクターと第九セクターの境目に当たる地点に差し掛かる。

 そこには大型サービスエリアがあり、それを過ぎると向こう一時間は簡易的な休憩所はあれどサービスエリアは存在しない。

 丁度いい。ここら辺で食料を買っておくのも悪くないだろう。


 それから五分ほどしてサービスエリアに到着する。

 外は太陽が顔を出して少しだけ明るくなってきていた。駐車場に車を停めるとクルリアはせかせかとシートベルトを外して車から降り、急ぎ足でトイレのほうに向かっていく。


「売店にいるからなー」


 その後ろ姿に声をかけてツヅリは階段を上って売店の中に入った。

 このサービスエリアには売店のほかに大きな食堂が二つあるが、今回はゆっくり食事をするような時間はあまりない。カゴを手に取って店内を物色し、おにぎりやらサンドイッチやら飲み物やらをカゴに放りこむ。


 クルリアはおにぎりの中だと筋子が一番の好物。

 飲み物は濃い目の緑茶、それとイチゴミルク。あるいは牛乳。

 デザートは雪山乳業の牛乳プリン。次点でいちごプリンかただのプリン。

 残念ながらこのサービスエリアにはプリンが置いてないので、申し訳ないが杏仁豆腐で我慢してもらうこととしよう。


「あれ、ツヅリ君じゃん」


 冷蔵ケースから自分用のエナドリを取り出したところで、どこかで聞いたことのあるような声で名前を呼ばれてツヅリはおもむろに振り返る。


「相模さん?」


 そこに見慣れた顔があることにツヅリは静かに驚く。

 ──相模シオリさん。そこに立っている女性は彼の知り合いで、公安局第十一支部に勤務している公安局職員だった。

 ツヅリとは住んでいる場所がほど近く、いわゆる近所付き合いみたいな感じで顔を合わせたり世間話をすることがよくある。ツヅリが一人暮らしなのもあり、作って余ってしまった料理をおすそ分けしてくれることもあった。


「どうしたんですか、こんなとこで」

「それはこっちのセリフだよー。私は今日は非番だから、せっかくならドライブでもしようかなって」

「おおー、いいじゃないですか」

「ツヅリ君は?」

「僕は……これからキャンプに行く予定で」

「神社の方は大丈夫なの?」

「まあ基本的に無人ですからね。僕は掃除したりして管理してるだけなので問題ないですよ」


 相模さんは「そうなんだ」というと、何かを思い出した様子でちょっと不安そうな表情になった。


「こっちの方向ってことは、第九セクターか第七セクターだよね。気を付けてね」

「気を付けてって……なにかあるんですか?」

「この前そっちでおっきな土砂崩れがあったらしくてさー。まあ、私も人伝いに聞いただけだから詳しくはないけど……一昨日も雨降りだったしまだ地盤が緩くなってるかも」

「本当ですか? いやだなぁ、キャンプ場所がダメになってなきゃいいんですけど」


 それから相模さんとは少しばかり世間話をして別れた。

 職務中は髪を頭上でツインテールにして結んでいる彼女だったが、今日は髪を完全に下ろしてしまっており、薄青色のロングヘアがやけに目新しく映り新鮮だった。


「戻ったぞ」


 ちょうど相模さんと別れたところに、用を足し終えたクルリアが彼と合流する。

 彼女はツヅリの隣までくると、だぼだぼの白いパーカーの両袖に手を突っ込んでもじもじしながら顔をそらして言いにくそうに口を開いた。


「その、すまぬな。気を遣わせてしまったようで」

「気を遣う? 一体、なんのことだか」

「気取りおって此奴め」


 クルリアが澄まし顔のツヅリの脇腹をずいと小突く。

 思ったよりも力が入っていたのか、それを受けたツヅリは少しよろめいて転びそうになった。


「っと……クルーが好きそうな物、カゴに入れておいたから。他に何かあったら持ってきてくれ」

「なに、おぬしが選んだのなら問題なかろう。気にしなくてもよいぞ」


 そうは言っても一応はカゴの中を確認してもらい、二人はそそくさと会計を済ませると駐車場に戻っておんぼろマイカーに乗り込む。

 さて。

 あとはここから三時間の道のりである。

 車に乗り込んだツヅリとクルリアは揃って、自分の座席の下に置いた布団くらい分厚いクッションを入念にセットし直した。






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