その9
「そんなの、できない……いえ、できません」
クレメンタイン侯爵の決定を伝えると、その少女は怯えたように首を振った。
「どうして、リナリア!? あ、えっとリナリアじゃないんだっけ、えっと……」
メリッサが落ち着きなく両手を振り回している。
リナリアの事情が明らかになり、モニカ達はメリッサが自室に匿っている少女に状況を告げに来ていた。
しかし、優秀で評判のいい彼女を養子にしたいとの侯爵の申し出を少女は恐れるばかり。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
壊れた機械のように謝罪を繰り返し跪き、土下座の姿勢を作った少女の隣に、メリッサが慌てて飛びつく。
「私は嘘つきです。どうか罰してください」
「そんな、顔を上げてよ」
「あなたを欺き、学院を欺き、その上リナリア様のお役には立てなかった。そんな私が、私としてここで生きていくなど、考えられません」
「なんで。君が誰でも、私の友達なのに。ねえ、よそよそしい喋り方はやめてよ」
少女の瞳に涙の粒が光っている。
「私は卑しい人間です。いえ、人間と名乗るのも烏滸がましい。リナリア様の道具です」
「なにそれ。そんな悲しいこと言わないで」
「事実です。それ以外に価値なんてありません」
「ない訳ないじゃんッ」
怒鳴り声に、びく、と少女が肩を震わせる。
「君は、私の大切な友達なんだよ……もっと君自身を大事にしてよ」
「私なんて、大事にされる価値など……」
メリッサは彼女の身体に縋り付き、両手でその身を起こした。
「価値とか難しいこと、わかんないよ。私、君のほんとうの名前を呼びたい。これからもずっと。それだけじゃだめなの?」
必死に訴えるメリッサもぽろぽろと涙を零している。
「ですが……私のしたことを考えたら女神様に顔向けが」
「あのさ」
これまで黙って二人のやり取りを見守っていたモニカが、口を挟んだ。
「女神の目がそんなに気になる?」
突然の質問に少女は固まっている。
「大切に想ってくれる友人がいて、今の生活も続けられて、何も問題はないじゃない。女神への信仰のために今ある幸運を手放すと?」
「……もちろんそのつもりです。私なんかに、都合のいい幸運が訪れるなんて、女神様はきっとお許しになりません」
「侯爵に養子に欲しいと言われたのも、ひとに大切に想われるのも、あなた自身の行いの結果でしょ。女神は関係ない」
「そんな事ありません」
彼女は立ち上がって、机の上から一冊の本を抱えた。
ところどころ表紙の傷んだその本こそ、話に聞いていたピエリス神話なのだろうなとすぐにわかった。
「女神様に勇気づけられたからこそ、役立たずの道具の私でも、今日まで生きてこられたんです」
両腕で本を抱え込んだ姿勢で、彼女は再び跪いた。
「女神様に見捨てられたら、私、耐えられない……! だから、見限られる前に自分から罰を受けます」
その卑屈で自罰的な物言いの奥に、彼女がこれまでに召使いとして置かれた過酷な境遇が透けて見えた気がした。
「お願いです……罰してください」
モニカはルイーズを見た。その頭がゆっくりと頷くのを確認する。
「なら、女神が許せばいいのね」
「え?」
「女神は役人でも裁判官でもないわ。だからすごく恣意的な審判になるけど、いいわね?」
モニカはフードに手を掛けた。
大きく衣擦れの音を立てて重たい布を脱ぎ去る。宙に投げ出された衣類の塊をルイーズが受け止めた。
「わたしに許されるために罰を望まれるなんて、複雑だもの」
フードを取り払った頭上に光輪が浮かび、四方に淡く光を放つ。
驚いて言葉を失う少女たちを見下ろして、なんでもないように告げた。
「わたし別に気にしてないし、好きなように生きて頂戴。以上。建国の祖、女神ピエリスが告ぐわ」