第8章 オマケ 「if」7年後のお話。昭和テニスマンはどこで何をしているのか? そして妖精は?
作者注 このオマケ編だけ先に読みますと、物語の前提や登場人物がよく分からないと思いますので、できれば第3章のオマケと第5章のオマケを先にお読みになることをお勧め致します。既にお読みになっておられる読者様は結構です。
第8章 オマケ 「if」 もし裕がプロにも弁護士にもならなかったら
1 「こんばんわー。ちょっと早いけどいい?」 お店の前で声が掛かる。
「お、これは洋介師匠、いらっしゃい。お久しぶりです。こちらどうぞ」 入口で深緑の暖簾をかけていた僕は、師匠を出迎え、白木で新調した緑寿司のカウンターに案内する。
「おお、白Yシャツに黒ネクタイ。白の和食コートに和帽子。キリっとしてかっこいいなー」 カウンターに座った師匠が、僕をしげしげ見て話しかけてくる。
「はは、見た目だけですよ。まだまだ半人前です。お飲み物何にします?」
「角ある?」
「ありますよ。濃いめハイボール二つですか?」
「うん、そうして。あと何かつまみもよろしく。お任せで」
「師匠、どうせすぐ飲んじゃうし、あとの二人も大酒飲みだから、ボトル入れましょうよ。4000円だから、一杯ずつ頼むより、ずっとお得ですよ」
「ああ、ボトルそんなもんなんだ。良心的だな。それじゃ頼むよ」
「はーい、女将さーん。角のボトル頂きましたー」って奥に声をかけると、丁度、
「あら洋介師匠、いらっしゃいませ」って言いながら、お盆におしぼり載せた杏佳が出てくるところだった。
緑寿司女将の杏佳は、小花小紋の入ったつゆ草色(薄青色)の着物を着て、足元は白足袋にベージュの草履。栗色の髪はアップにして後ろでお団子にして、べっ甲のかんざしで留めている。
「お、おお‥‥‥。すごい、なんかすごい美人女将。完璧に板についてる。杏ちゃんすごく着物似合うな」って、師匠が感嘆の声をあげる。
確かに杏佳は、この2、3年でさらに美貌に磨きがかかった印象だ。とはいえ、女ざかりはまだまだ先、ピークは35歳くらいか、っていう気もする。
「ありがとうございます。もう2年近くやってますからね。慣れたものですよ」
「でも毎日着物着るの大変だろ。お金もかかりそうだし」
「ううん、そんなでもないです。この着物ユニフォームだって、100%ポリエステルで涼しいし、上下に分かれてて、脱着も楽な作りなんです。通販で安いんですよ。マメに来て下さるお客様も多いので、着物は安くても沢山揃えるのが大事ですよね」って笑顔で答えてる。
僕は、二人の話を聞きつつ、ナイフでホッキ貝の殻を開け、ワタを切り離して、身に包丁を入れて厚みを半分にする。二つは湯通しして、菜の花を敷いてぬたに、もう二つは大葉を敷いて貝柱と一緒にお刺身にし、二種皿に盛って、
「はい、師匠。今日はいいホッキが入ったから、ぬたとお刺身にしましたよ。どうぞ」と言って、カウンターに置いた。そこに丁度、杏佳が濃いめハイボールを二つ持ってきた。
師匠は、ホッキ貝つまんで、「おー、これ美味いな。プリプリしてて甘い。いいホッキ」って満足そうに言ってる。
「そうでしょう? 大将が毎朝仕入れてきてくれるんですよ。ホッキは、僕と杏佳がインハイの時に食べた思い出の品で、今でも何かと仕入れてしまいますね。今日のは苫小牧産じゃないですけど」
「大将は最近どうしてんの? お店には出ないの?」
「やっぱり体力がだいぶ落ちてきてるようで、毎日八王子の市場で仕入れしてくれるんですけど、あとは土日のランチにちょっと来てくれる位ですかね。実質週三日勤務くらいの感覚じゃないでしょうか。年寄りなんで朝は強いんですよ。『仕入れやってないと絶対すぐボケるからな』って言って、軽トラで頑張ってます(笑)。おかげで僕は朝にジム行けてありがたいですけどね」
「しかし、裕が寿司屋継ぐとは思いもしなかったなあ。テニスは、まあ肩とか肘とか怪我がちだったんで仕方なかったけど、親父の後継いで弁護士になるのかと思ってた」
「いやまあ、僕もそう思って、3年生から本気で勉強始めたんですけどね。4年のときに子供できちゃって‥‥‥はは。それで両家で話し合って、『もちろん子供は生む。卒業後結婚して、裕は杏佳の実家のH病院で副事務長になる』って決まって、僕も異存なかったんです。僕たち全くの両家公認だったんで、『どうしてくれるんだー!』とか、特に混乱もなかったですよ。『ちょっと予定が早まったか?』くらいの感じで」
「へー、そうなんだ。けど、それじゃ寿司屋に繋がんないじゃないか」
「そうなんです。僕がH病院入り決めた頃に、丁度大将も店のこと考えてて、前の年に兄弟子も独立しちゃったこともあって、『俺の後継いでしばらくやってみないか。俺も手伝うから』って声掛けてくれたんです。僕も高校からバイトしてて、大好きなお店だったんで、吉崎院長に頭下げてお願いして、お母さんと杏佳も一緒に説得してくれて、当面はこちらをやらせて頂くことになったんです」
「はは、そりゃ女房とお腹の大きな娘から説得されたら、抵抗できないよな」
「ふふ。そうでしょ? うまくいきました」
「よかったな。それじゃ、今でも社長は大将で、お前は雇われ店長なの?」
「いえ、一応、このお店は僕の会社名義になっています。大将は、まあ、アルバイトというか、お給料でやって貰ってます。もう年金貰ってますし、沢山お金が要るわけじゃないんです。‥‥‥はい、鯵と鰯をお刺身にしましたよ。生姜醤油でどうぞ。鰯は酢醤油でも美味しいですよ」
「お、ありがと。だけどそれじゃ、給料とか家賃とか大変だろ。お前もまだ25なのに、ずいぶん苦労するな」
「まあぼちぼちですよ。それにここ家賃は格安なんです。たぶん相場の半分くらいじゃないかな?」
「お、この鰯美味いな。酢醤油だとキリっとするな‥‥‥。しかし、なんでまた、そんなに家賃安いんだ?」
「まあ大きな声じゃ言えないんですけど、大将がこのビルをH病院に売却したんです。今はH病院がビルオーナーで、一階店舗を『株式会社緑寿司』が借りてるんです。H病院は家賃で儲かっても税金取られるだけだから、店舗の家賃を安くして、全体の収支をトントンにしてるんです」
「そ、そんなずるいカラクリだったのか‥‥‥。そりゃ酒も寿司も、いいものが安く出せるはずだよ。大将はイケメンだし、女将は超美人だし、そりゃ流行るだろ」
「ま、イケメンはさておき、カラクリはそういうことです。このビルもゆくゆくは杏佳のものになるわけですから、お金の心配はあんまりないですね。その代わり、僕は『吉崎裕』になっちゃいました、はは。奈良家は分家もありませんし、残念ながら親父の代で絶えますね」
「ちょっと、あんた、不満あるなら、あんときちゃんと言えばよかったじゃないのよ」って、杏佳が細く引いた眉を逆立てつつ、ハイボールのお替りを持ってきた。
「いや、別に不満なんてないさ。奈良か吉崎か、どっちかが絶えるわけだしな。まあ、でも、せめて俺が生きてる間は奈良の墓守ろうか。お前も墓参り一緒に来てくれよ」
「もちろんそうするわよ。奈良のお墓遠いし、家族で温泉に前泊しよう。ふふふ」って言いながら、杏佳が口に手を当てて、僕の腕にピトって触ってくる。
「おー、仲良きことは美しきかな」って師匠も笑ってる。
2 「こんばんわー。師匠、遅くなりました。ごめんなさーい」って言いながら、大柄な男女が入ってきた。昇さんと尚さんの小田島夫婦だ。
昇さんは一昨年C大の法科大学院を出て、今は司法修習生の二年目。あと半年やって、お父さんの事務所に入るのかな。尚さんは、去年第一子を出産し、今は休職して、子育てに専念しているところだ。三人で小田島家の三階で暮らしてる。五人家族だからウチと同じだな。
「いらっしゃい。うちはお通し出してないんですけど、まずは師匠と同じホッキでいいですかね。そのあと、お任せで握るということで」って昇さんに声を掛けると、
「いいよ、それで出してやってくれ。つまみ足りなかったらまた頼むから。あと、俺のボトルから、ハイボール濃いめ二つ。あ、尚ちゃんは授乳中だからダメなのか。じゃ、ハイボールとウーロン茶だな」って師匠が言ってる。未だに師匠がスポンサーなんだ。まあ修習生は安月給だからな。昇さんも、頭下げて、「ありがとうございます。お願いします」って言ってる。
尚さんは、「私も早くお酒飲みたーい。あと一年くらいかかるのかなー。長いなー」って言ってる。この人、綺麗な顔してホントに大酒飲みなんだよな。初めて見たときビックリした。師匠といい勝負だった。
しかし‥‥‥と、僕は、昇さんをしげしげと眺め、
「昇さん。ずいぶん恰幅が良くなりましたね‥‥‥。てか、はっきり言うと、相当にデブ化してますよ。プロレスラーって言いたいとこだけど、もはやお相撲さんに近づいてますよ。今何キロあるんです?」って聞いてみたら、
「今、115㎏だな。いや、尚の作る飯が美味くてさー、何年も食べ続けた結果がこれだ。特に尚の選手時代は、自分が食べられないもんだから、毎日ハンバーグだのとんかつだの、ご馳走作って俺に食べさせてな。ビールで晩酌もやってたから、てきめんに肥えた。もう、俺の腹筋は何年も前に旅に出たまま、行方不明だ。帰ってこないかもしれん。失踪宣告、民法30条だ」ですって。
「ごめんねー。特に減量中はさ、目の前で沢山食べてくれると、自分も食べた気になるのよ。楽しいのよ。女子選手、みんなそう言うよ。『孤独のグルメ』見て『おいしそー』ってなる感じ?」
「ああ、昇さんも、ボディビル界を席巻してた20歳の頃は、すさまじい肉体でしたけどね。すごくかっこよかった。ま、今でもイケメンはイケメンですよ。丸顔で可愛らしくなりました」
「そうよ。今のあんたも、私好きよ。お腹タプタプで可愛いわよ」って言いながら、尚さんが昇さんの肩にコテンって頭をもたげる。ああ、前からこの二人こうだった。変わってないな。はは。
「尚さんは、ビキニの競技には復帰するんですか?」
「うん、子育て一段落したらまたやろうって思ってる。30歳くらいかな。何しろ、私がいないもんだから、今や師匠の奥さん(作者注 ビキニの「絶対女王」高木優里)が日本ボディメイク界の独裁者なのよ。完全に支配してるのよ。私が業界を解放してあげないとね」
「人聞きが悪いな。圧政敷いてるわけじゃないだろ(笑)。スノーホワイトがお休みしてるからだろ。ライバル不在で本人も張り合いないと思うぜ。いや、今日も誘ったんだけどさ、品川のゴールドでセミナーあるんだって。絶対女王はひっぱりだこだ」
3 昇「そういえば、二人ともお店に出てるけど、恭子ちゃんはどうしてるの? 確か、まだ二つになったばっかりだろ?」
裕「家でおばあちゃんが見てくれてます。この時間だと、おじいちゃんが、つまり院長ですけど、お風呂に入れてるところですかね。ジイジはもう恭子にメロメロで、毎日仕事の後で一緒にお風呂入ってますよ。ジジババがいてくれるので、僕たち寿司屋に専念できてありがたいです」
師「あの豪邸に五人暮らしか。まだまだスカスカだな。もっと家族増やさないと」
裕「ほんとにそうですよ。五人でもスカスカなんだから、三人暮らしの時なんて、人口密度はアラスカ並みだったんじゃないですか」
杏「うん。だからいつも寄り添って生きてた。リビングにわざわざ四畳半の畳敷いて、ちゃぶ台でご飯食べてた」
「今は、二人加わって五人でちゃぶ台囲んでるけどな。もっといてもいいな」
「そうね。ジジババ元気なうちに、どんどん増やそう。ふふふ」 ピトッ。
昇、尚 「はは、相変わらず仲のいいことだなー。ご馳走様」
と、そこに、「おこんばんわー」って言いながら、別のお客様が二人入ってきた。杏佳が出迎えに出る。
杏「いらっしゃいませー。って、あれ? 奈良先生、と、お父さんじゃないの」
院「うん、今日はさ、恭子を早めにお風呂に入れて、奈良ちゃんと飲みに来ることにしたんだ」
奈「杏ちゃん、久しぶり。頑張ってるじゃないか。着物似合うなー。裕もしばらくぶり」
裕「また騒がしいのが来たな‥‥‥。ほかのお客様の迷惑にならないように、お父さん方はそっちのテーブルに座ってて下さい。おつまみをいくつか出して、そのあとお寿司でいいですね。全部お任せで」
奈「うん、いいよー。先にビール頂戴ねー。あと、おチビちゃんの世話してる女房どもを懐柔しないとだから、帰りに特上握り二つお土産にして」
裕「はい、女将さん、ビール二本、それからお土産特上で二つ頂きましたー」
杏「はーい。ただいまおビールお持ちしまーす!」
僕は、親父とお父さん用にネタケースからホッキを四つ取り出し、ナイフで殻を剥く。
今日も店内は賑やかだな。
ああ、こんな穏やかな暮らしがずっと続くといいな。
このお話しは、わたくしが新横浜の寿司屋で飲みながら思いついたもので、想像に任せて突発的に書いてしまったものです。
よその作者様のラノベを読んでおりますと、こういった「if」ものがちょくちょく出てきて(第2ヒロインとくっついて子供出来ちゃったりとか)、「ああ、後から『なかったこと』にしてもいいのか。面白いな、こういうスピンオフ書いてみたいな」と思っていたのです。
なので、二つの物語がこの通り進行するかどうかは、全くお約束できません。てか、進まないんじゃないかと思います。
それから、昨日、ついに評価点が100ポイントを超えて104ポイントになりました! 大変ありがとうございましたー! 実家の群馬藤岡に帰って、スマホで確認してニヤニヤしてました。わたくしは家族や友人知人に一切声かけてませんから、固定の読者様の評価だけですからね。すっごく嬉しいです。
それではまた明日。暑いからエアコンはきつめで。
小田島 匠




