第7章 第2話
~ インハイの相手は王者小武海明に決定。練習強度を高めることに ~
4 月曜日の午後7時、いつもの平和の森テニスコートのベンチ前で、杏佳が肘を持って柔軟体操しながら、「裕、今日はね、もう一人練習相手が来るわよ。助っ人呼んだの」って言ってきた。
「えー、誰だろ。助っ人って言うくらいだから、腕効きなんだな」
「そう。すごく優秀よ。あ、来た来た」
見ると、コート脇の小道を、見覚えのあるやや小柄な人影が歩いてきた。ああ、そういうことか、それはいいな。
人影は、コートのドアを開けて、「よう、奈良。今日から練習に混じるぜ」って言いながら入って来た。ラケットバッグを背負った手塚真司だ。
「ああ、手塚だったのか。それは助かる。来てくれてありがとな」
「まあ、俺の練習にもなるしな。あと、俺のことは『真司』でいいよ。もうテニス仲間なんだしな。お前も『裕』でいいだろ?」
「ああ、そうしよう。よろしくな真司」、「こちらこそ。頼むぞ、裕」って言い合いながら、笑って握手した。
「インハイ本戦は小武海と当たるんだって?」
「うん。一回戦突破すればだけど」
「まあ、お前なら問題ないだろ。だけどさすがに小武海は強敵だなあ。俺は対戦したことないけど、去年試合見たぞ。ちょっと高校では別格の印象だったな」
「どんな選手?」
「まあ一言で言えば、パーフェクトだ。パワー、スピード、スタミナ、体格、テクニック、どれを取っても高レベルで、全く隙がない。厚い握りでグリグリとスピン打ってくるし、サーブ&ボレーもできる。悪いが、お前とは完成度で天と地ほどの差がある。現状でも、プロを含め、日本のトップクラスと言っていい」
「そんなのどうすりゃいいんだよ?」
「うん、確かに小武海はすごいんだが、お前のサーブは通用するはずだぞ。いくら小武海でも、お前のサーブがいいとこに入ったら、そうそう返せない。ボールに触れなければそれまでだからな。だからとにかくサービスキープが大事で、どこかで一つ小武海のサーブをブレイクして逃げ切るほかないな。あいつはサーブも強力だから、ファーストはなんとか返してストローク戦でしのいで、セカンドは全部セイバーだな」
「結局そうなるのか。それじゃストロークを磨かないといけないな」
「そういうことだ。だから今日はトップスピンロブ教えてやるよ。あれ、ストロークにも使えるから重宝するぞ。バックのハイボールが苦手な選手なんかは、あればっかりバックに集められたら、もうやりようがないからな」
「え? いいのか。お前の専売特許だって‥‥‥」
「そんな特殊なもんじゃない。要するにワイパースイングで真上に擦り上げればいいんだ。バックは今の握りのままでいいけど、フォアはもっと厚くした方が打ちやすいな。じゃ、早速始めよう」
******
コートの一方に杏佳と真司が、僕がもう一方に入り、アップでボレーボレーしたあと、軽くストロークをして、
「それじゃ、トップスピンロブ始めるか。最初はバックから。まずは、きつくスピンかけて強く打ってみろ」って言いながら、真司が速いボールを僕のバックに出してくる。僕は面を伏せ気味にして、ワイパースイングで擦り上げながらクロスにいる杏佳に返球する。ネットの2m上を通過してサービスライン超えたところでボールは「キュッ」っと落下し、エンドライン付近で跳ねた。
「うん、出来てる。いいスピンだな。強く打ってもちゃんとコートに収まってる。腕が長いからスイングスピードが速いんだな。まるでフェデラーみたいだ。それじゃ次はトップスピンロブ打ってみろよ。イメージ的にはラケットを下向きにして、垂直に上に向かってボールを撫でるようにワイパースイングする感じ。一緒にやってみろ」って実際に振って見せてくれる。ホントに真上に振るんだな。
真司が出した球を、僕は、ラケットを下に向けて、そこから殆ど真上に向かって擦り上げた。こんなんでまともに飛ぶのか? 案の定、かすれたような当たりになり、ボールはネットの遥か上を超えるも、すぐにスピンで落下して、サービスライン付近で跳ねた。
「ああ、それでいい。今のは短すぎたけどな。トップスピンロブは短いと単なる山なりのチャンボになっちゃうから、もっと、高く、遠くへ打つこと。きついスピンがかかってるから、大丈夫。ちゃんとコートに収まるぞ」
次のボールは、思い切って、ボールを擦り上げながら、高く遠くに打ってみたら、なるほど、真司の言うとおり、高い放物線を描いたボールは、頂点から「キャッ」と急降下し、エンドラインぎりぎりに落ち、杏佳がコートのはるか後ろから苦し気に返球することとなった。
「ああ、できるじゃないか。ナイスロブだ。あれ打てると、頭上にもパスが打てるわけだから、グッと楽になるぞ。もちろんストロークで使ってもいい。相手を遠くまで押し込めるから、打ってから前に詰めればいいんだ」
「ああ、今のよかったな。どんどん数打って覚えよう」
とはいえ、一つの技術はそう簡単に身に付くものではなく、時折フレームに当たってホームランになったりしたけど、30球、40球と打つうちに、そこそこ球筋も安定してきた。なにしろ、二人ともストロークがすごく上手なものだから、僕がミスらない限り、ちゃんと返って来るので、いつ終わるとも知れないラリーが延々と続くことになる。なので、僕はバックのトップスピンロブだけ、10分、15分と打ち続けた。これは本当にいい練習だな。
「うん、だいぶ良くなってきた。そんなに難しくないだろ? これ、壁打ちでも練習できるから、朝やるといいぞ。インハイまであと6回練習できるから、試合でも十分使えるレベルに持って行けるだろう。それじゃ、今度はフォアをやろう」って、真司が合格のお墨付きを出してくれた。
よし免許皆伝も近いぞ。頑張ろう。
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5 「はーい。じゃ、最後にゲームやろう。4ゲームマッチね。最初に真司君と裕がやりなよ」
「よーし、やるぞー。真司、負けねーからな」
「こっちのセリフだ。言ってろ」
「ルールは私と同じで、裕のサーブは真司君がコースと球種を指定すること。あと、真司君は2mくらい前からサーブ打って」
「え? 俺が前から打つの?」
「そう。私もいつもサービスラインから打ってるわよ」
「‥‥‥それは、俺のサーブじゃ弱すぎて練習にならないと‥‥‥」
「そんなことない。いつもなら十分練習になると思う。だけど、今度の相手、小武海君なのよ。同じくらいの強度でゲームやりたいのよ」
「‥‥‥ううん、それはちょっとなあ」
そしたら、杏佳が突然コートに両ひざをついて、
「真司君、お願い! 本当に申し訳ないんだけど、真司君の気持ちもよく分かるんだけど、裕のために必要な練習なの! 私じゃ不足なの! お願い、助けてあげて!」って言いながら、両手もついて頭を下げた。僕はそれ見て驚いて、すぐ杏佳の隣に行き、
「何やってんだ、杏佳、顔を上げろ。それは俺がやる!」って言いながら、コートに両手両ひざついて、
「真司、頼む! 練習で小武海レベルのスピードを体感しておきたいんだ。そうじゃないと圧倒されて終わっちゃいそうな気がするんだ。頼む!」って、頭を下げて真剣にお願いした。
それ聞いて、真司は、憮然とした顔で、鼻からフーっと息を吐いて、
「‥‥‥まったく、美しい師弟愛だな。二人で土下座までされちゃったら断れないじゃんか。まあ、断る気もなかったけどさ。二人とも顔上げてくれよ。分かったよ。そのルールでやろう」って苦笑いして答えてきた。
「おお、ありがとう、真司。感謝するよ」
「その代わり、絶対に小武海に勝てよ。俺にこんなことまでさせて、負けたら許さんぞ」
「うう、勝敗は分からないが、全力を尽くすことだけは約束する」
「ま、それでいいだろ。それじゃ始めるぞ」
「じゃ、あたし、審判やるねー」って言いながら、杏佳が審判台に上がって、膝の砂をパッパと払った。
始めてみると、真司はゲームもすごく上手だった。僕のサーブは、コースも球種も全部バレてるから、リターンは当然返って来るんだけど、いいサーブが入ったときは、「なんとか返ってきた」ようにチャンボを返球し、セカンドとか甘くなるとハードに叩いてきたりして、小武海戦を想定した練習をしてくれているのが良く伝わってきた。
そして、サーブは、コートの中から、「ビシッ!」っとフラットを打ってくる。
「は、速えー! そんなの触るだけで精一杯だ。無理無理ー」
「うるせー。甘ったれてんな。小武海はもっと速いぞ。なんとか返せ。返しさえすれば何が起きるか分かんないんだから。とにかくファーストはしつこく返してれば『もっといいサーブを』って思って、フォルトが増えるからな。そしたらセカンドはセイバーで全部出ろ。それ、次行くぞ!」 ビシッ!
「ひー、鬼コーチがもうひとりー!」
そんなわけで、「ゲームセット&マッチバイ真司君。スコア4-0でーす」
「参りましたー。完敗ですー」
「お前、インハイ予選で俺を粉砕したときの雄姿はどこへ行った? サーブもろくに返ってこないし、せっかく練習したストロークを出す暇もなかったじゃないか。壁打ちじゃリターンは練習できないけど、トップスピンロブは次回までに練習積んで来いよ。次回はリターンからのストロークを中心にやるぞ」
「はい、真司コーチ、また宜しくお願い致します‥‥‥」
******
6 練習後は、杏佳の車に乗り込んで、先に真司の家まで送って行ったんだけど、僕はその間、TTクーペの後部シートに押し込められることになった。
「このシート狭いんですけどー。頭ついちゃうんですけどー。こんなの人権蹂躙のレベルだぞ」
「うるせーな。俺が先に降りるんだから仕方ないだろ。大人しくしてろ」
「お前んち、どこなの?」
「小平の学園南町。商店街抜けたとこ」
「ああ、それなら近いな。それで学校も国分寺のW実業なのか。大学もW大に進むのか?」
「うん。商学部。ウチは親父が中規模ゼネコンの社長でさ。どのみち後継ぐことになるんで、大学生の間は好きなことやらせて貰って、その後、どこかのゼネコンで何年か修行かな。お前はどうすんの?」
「俺は法科大学院に進んで、司法試験だな。親父の後継ぐことになるんだろう」
「プロは目指さないのか?」
「えー? プロー? テニスのプロになったって、飯食っていけるの、ほんの一握りだろ? そんな分の悪い博打打てないって。無理無理ー!」
「バ、バカッ! だからお前がその『ほんの一握り』だよ! いい加減目を覚ませ。小武海だって強敵だけどな、お前なら勝てる可能性十分にあるぞ。現時点では圧倒的に小武海がリードしてるけど、ポテンシャルと伸びしろは断然お前だ。結局のところ、高三の今の到達点は問題じゃない。最終的にどこまで辿り着くかなんだ」
「えー? そうかー。俺、大学入ったらボディビルやろうと思ってたんだけどな」
「ボ、ボディビル‥‥‥。まあ、お前の人生だからな、無理にとは言わないけどさ、その眩しい才能をどぶに捨てないでくれよ‥‥‥。涙出てきそうだ」
「そ、そこまで言う? それじゃ、インハイ終わるまではテニスに集中して、そのあとのことはゆっくり考えるよ」
「ああ、そうしてくれ。小武海に土付けたら、プロから声かかるかも知れないしな」
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「さあ。そろそろ着くわよ。そこの角のビルかな」って言いながら、杏佳が「手塚建設株式会社」の看板が出ているビル前に車を寄せる。
「そう、ここ。この4階と5階が俺んちなんだ」って言いながら、真司は車の降り際に、後ろを向いて、
「裕。俺はさ、もうプロになるのは諦めたんだけど、こないだ杏佳先輩が言ってたみたいに、やりたいことが見つかったんだ。できれば、会社継ぐまで、追いかけてみたいんだ」
「へー、よかったな。何?」って聞いたら、真司は視線を左右に振って、ちょっと逡巡したあと、僕の方を向き直って、
「‥‥‥俺はプロのコーチになりたいんだ。お前を鍛えて、どこまで行けるか見てみたい。お前の専属になって、世界を回ってみたい。それが俺の新しい夢なんだ。お前、杏佳先輩もそうだけど、俺の人生も背負ったぞ」って、僕の眼を真っすぐ見て語りかけて来た。
「おーいー。なんとも荷が重い話だなー」って僕が情けない声で答えると、
「ははは、まあ今のとこは話半分でいいよ。俺の勝手な願望だからさ。だけど、インハイはその第一歩にしような」って、真司が笑って頷いてきた。
「まあ、それじゃ、考えとくよ。まずはインハイに集中だ」と応えたら、
「そうだな。じゃ、またな。杏佳先輩も、また」って出ていこうとするので、慌てて、
「おいおい、シート倒してくれよ。ここから出してくれ」って頼んだら、
「ヘっ、やだね。隣に乗せると美人コーチに悪さするだろ。最後まで入ってろ」って言いながら、真司は口の端でニヤっとして、バフっとドアを閉めて去って行った。
「‥‥‥ま、そういうことだから、あんた今日は最後まで後ろに入ってなさい」
「えーっ。なんだそれー。勘弁してくれよー」
その帰り道、僕は運転席と助手席のシートの間に顔を出して、杏佳とずっとアハハっておしゃべりしながら帰った。かえっていつもより顔が近くて、楽しくて話も弾んだ。杏佳は、「将来ね、真司君がコーチやってくれるなら、私、あんたの彼女に専念するわよ。もう今でもちょっと手に余るようになってるからね。選手としての裕は真司君に譲ってあげる」とも言っていた。
だけど、顔が近いもんだから、真司の妨害工作は裏目に出て、信号待ちなんかで、杏佳がこっち振り返ってイチャイチャしたりして、結局悪さすることになってしまった。
真司に悪いことしたな。だけどお前のせいだぞ。
今回は少し量がありましたね。お疲れさまでした。練習シーンだけですと、分量が少なくて読み応えがありませんから、どうかご容赦下さい。
ちなみに、オールドファンにしか分からないと思われる、神和住純さんは、名前がカッコよくて、ハンサムで、華麗なサーブ&ボレーで、とても魅力的な選手でした。世界トップ選手にも、結構勝ってましたからね、実力もありました。
さて第7章は、オマケ編が充実していて、3つついています。最後のは「洋介師匠三部作」なので、実質5つもあります。いっぺんですと、かなりの量になりますから、2つと1つに分けてアップしようと思います。
それではまた明日。




