第6章 第5話
~ 裕のマッチポイント これを取るとベスト8 インターハイ進出 ~
8 裕のマッチポイントは続いている。どっちもヒリヒリする展開のはずなのに、なんか楽しそう。ポイントごとに笑い合いながらやってる。仲良しの二人が遊びでゲームしてるみたい。
あれ、真司君何やってるの? 隣のコートまで入って行って、ライン跨いで構えてる。「あー、ここに来るんで。すみません。すぐ終わりますから」って謝ってる。そして、「奈良! ここにスライス打ってこい! 全力で返すから!」って叫んでる。
裕は、「えー? なんだよそれ」って言いながら、ニヤッとして外側にトスを上げてる。
あーあ、そんなのに乗っちゃって。センター打っとけばいいのに。あんたどこまで甘ちゃんなのさ。男子のやることって良く分かんない。
裕は、左腕をしならせて、ボールの左上を鋭くカット。打ち出されたボールはネットを超え、ライン際で落ち、さらにスライドをして、片手バックを構えた真司君の前へ。予めそこにいなきゃ絶対取れないサーブ。
真司君はストレートに逃げず、殆どネットと並行くらいの角度でクロスにスピンを落とす。
裕は逆を取られて一瞬対応が遅れたけど、長い手足を伸ばして飛びつく。ダイブした。ああ、届いた。ボールはネットを山なりに超えて、ゆっくりとコートの真ん中に落ちる。これなら真司君は十分間に合うだろう。逆襲だ。
けれど、もうそのとき、真司君はラケットを下げ、笑顔でネットに向かっていた。そうか、始めから最後のポイントにするつもりだったんだ。
裕も起き上がって、笑顔でネットに向かい、握手しながら、
「いやー、すげーリターンだった。さすがだったな手塚! 目に焼き付けておくよ」って声を掛け、
「あー、もう、お前にはやられたよ。俺の全部を出し尽くしても及ばなかったな。だけど楽しかった。インハイ頑張れよ。期待してるぞ」ってポンポン肩叩いて声掛け合ってる。
ゲームセット&マッチバイ 都立K高校 奈良裕 スコア8-1。
断トツの優勝候補、昨年王者の手塚真司を粉砕。まさにアップセット。
だけど、見ていた数少ない観客は皆が分かっていた。
これは、番狂わせでは、ない。
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ラケットバッグを下げた裕が引き揚げてきた。
K高の部員たちと一緒に、
「裕、ナイスゲーム、お疲れ様。そしておめでとう! インハイ決めたね。あとW大の推薦もきっと大丈夫だね」って声掛けて労った。私、嬉しくてピョンって飛んで抱きついちゃった。だけど、ゲゲっ、イヤー、汗びっしょり。忘れてた。はは、まあいいわ。今日は二人で目指してきた特別な日だもんね。
そしたら、雄介君が裕の背中に抱きついてきて、サンドイッチ。こら、あんた、どさくさに紛れて何やってんの? と、思ったらほかの部員も集まって抱きついてきて、こんな暑いのに、みんなで押しくらまんじゅうしながら、「やったぞー! 裕先輩おめでとうー!」ってギューギューしあった。
裕は、「はは。ありがとうな。みんな喜んでくれて、すごく嬉しいよ。だけど、手塚から見えるから、あんまり喜ぶのはやめて、移動しような」って、相変わらず優し気なこと言ってる。
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お昼を食べたベンチに移動し、裕は、冷たいお茶飲んで、シャツを着替える。
次の試合は何時からかな。さっきのは事実上の決勝戦だったけど、最後まで気を抜かないで行こう。って思ってたら、裕が立ち上がって、
「大会本部に行ってくる。みんなはここに居てくれ」って言って、室内コート棟へ歩き始めた。ん? ちょっとびっこ引いてる? 私は慌てて追いかけてって、
「ちょっと、どうしたのよ? 次の試合あるんだから身体休めとこうよ」って言ったら、裕は私見て、眼を細めて微笑んで、
「ごめんな。次の試合はないんだ。棄権する」って、さらっと言ってきた。
「えー? なんでー?」
「最後のポイントで逆取られて足ひねった。ほら」って、右足のソックスを下ろすと、ああ、青黒く腫れあがっている。一目みて、プレー続行は無理って分かる。
「そうだったのか‥‥‥。全然そんな風に見えなかったけど」
「最後のポイントがあんな変則になったからな。それで怪我したんじゃ、手塚が気にするだろ。だから我慢してた。まあ、嬉しくて、あんまり痛くなかったというのもあるけど。もう今は、ちょっと無理だな。イテー」
「えー? 私、あんたが優勝するの楽しみにしてたのにー。あんな挑発に乗っかるからよー。裕のバカー」
「あはは、ごめんごめん。だけど、あれやられちゃ、そりゃ乗るだろ? 納得して終わりたいってのが伝わってきたしさ」
「私、裕が優勝したらご褒美あげようと思ってたのにー。持ち越しになっちゃったじゃないの。もう、バカー」
「え? ご褒美って何? なにくれるつもりだったの?」
「そんなの内緒よ。内緒。女の子に言わせんじゃないのよ」
「それ、形のあるもの?」
「あるって言えばあるし、ないって言えばないわね」
「禅問答かよ。それじゃ、物?」
「物ではないわね。どっちかというと精神的な活動ね」
「ああ、大体見当がついた。そうか、それは惜しかったなー。今から湿布してテーピングして出らんないかな」
「やめときなさいよ。あれじゃ無理よ。インハイ本番まで一カ月ちょい、充分間に合うから、悪化させないで早く治そ」
「そうだな。来週末のミックスダブルスには間に合うといいな」
「でも無理しないで。金曜夜に練習出来ればよし、くらいに考えとこう。だけど‥‥‥」って言いながら、私、裕の胸に両手ついて、そのまま固まっちゃった。
「お、どうした」
「少しこのままにしといて。悔しい‥‥‥ちょっと泣く」
裕は、「はは、そうか」って言って、両手を私の背中に回して、優しくさすって、上から「こんな形で終わっちゃって悪かったけど、今日はありがとうな。インハイ決められたのもお前のおかげだ。試合中も、お前がずっと俺の中にいてさ、お前の声の通りにプレーしてたら勝てたんだ。ホントにお前は俺の可愛い勝利の女神だよ」って、ささやいてくれた。
それ聞いて、私、「ちょっと」どころじゃなくて、わんわん泣いちゃった。
9 大会本部で、怪我のため次戦を棄権することを伝えて、湿布とテーピングを貰って、杏佳に応急処置して貰った。競技委員長は、
「手塚君に圧勝したのに残念だったねー。まあ、怪我をしっかり治して、インハイは頑張ろうね」って励ましてくれた。
ベンチに戻って、部員たちに棄権することを説明したら、「えーっ?」って騒然となってたけど、もちろんすぐ事情を理解してくれて、「今日はインハイ決めましたからね。それで十分だと思いましょう。それじゃ、裕先輩おめでとうの胴上げ!」ってことで、去年と同じ場所で、杏佳も混じってワッショイワッショイ胴上げ。楽しー、ヒャッハー。
と思ってたら、近くで誰かがジッと見てるな。
「あれ? 手塚。見てたのか。お前の前で胴上げしないようにって思ってたんだけど。わざわざ来たんじゃしょうがない。勘弁してくれ」
「そんなことはいいよ。あれだけやられたら、かえってスッキリするだろ。だけど怪我で棄権だって? さっきの最後のか?」
「いや、夢中でやってたから分かんない。試合後に痛み出した。俺さ、ケチってハードコート用のシューズ買わずに、オムニ用の履いてたんだよ。やっぱグリップ効きすぎてグキっとやったな。そういう準備の面も含めての実力だからな。今日はここまでの選手だったんだって納得してる」
「はは、なんだかお前らしいな。まあそう言ってくれると少し楽になるよ。‥‥‥それから杏佳先輩」手塚が杏佳の方を向き直り、
「え、何? 私?」って、杏佳が人差し指を自分に向ける。
「奈良は去年よりずっと上手くて強くなってた。よくここまで鍛えた。杏佳先輩、ほんとに優秀なコーチだよ。‥‥‥それと、俺は今日、二人から引導渡されて、プロの選手になるのは諦めました。究極のレベルではパワーとスピードにひれ伏すしかないって、自分の限界がよく分かりました。実は前から薄々分かってたんだけど、今日、はっきり突きつけられた。背中押してくれてありがとう」
「そうか、そうするのか。うん、いいんじゃない。私も同じだったから良く分かるの。真司君、すごく上手なのに、なかなか伸びなくて、だけどチーム背負って、なんか苦しそうだったから、楽になってもいいのにな、って思ってた。‥‥‥それにね、うまく出来ているもので、一つのことを諦めると、また同じくらい大事なものが手に入るから、心配要らないわよ。ねっ!」って言いながら、杏佳は顔を傾けて僕に微笑みかけた。え? それ、僕のことなんだ。
手塚は僕を見て、「はは、奈良か。確かにこの男には無限の可能性を感じる。こんな素材、今まで見たことなかった。杏佳先輩が育ててみたくなるのも分かる。だけど、お前、まだまだ下手くそだから、今度一緒に練習しよう。オレもいろいろ教えたいことがあるんだ」って言ってきた。
「お、いいな。宜しく頼むよ。お互い、インハイ控えてるからな。頑張ろうな」
「ああ、怪我、早く直せよ。じゃ、杏佳先輩も。また」って言って、手塚は背中向けて、かっこよく去って行った。
さて、引き上げるか‥‥‥と思ったら、もう一人いた。50がらみのおじさん。誰?
「杏ちゃん、忘れないでよ。紹介してよ」って話掛けてくる。
「ああ、米山さん。ごめんなさい。裕、こちらはヨネックスの米山さん。さっきの試合見てて、裕に挨拶したいって」
「奈良裕くんだね。試合見てたよ。君、いい選手だねえ。全然知らなかった。これからの伸びしろもすごくありそうだし、注目させて貰うよ。これ、名刺」
僕が名刺を見てみると「株式会社ヨネックス 営業第一部部長 米山修二」って書いてある。ヨネックスの営業部長って、すごく偉い人なんじゃない。取締役とか?
「ありがとうございます。『米山さん』ということは、創業一族ですか?」
「一応そうなんだけどさ、分家の三男なんで、出世ラインからはちょっと外れてるな。まあ、それをいいことに、好き勝手に外回りやって、いい選手見つけては囲い込んでるんだ」
「裕、米山さんは開発よりも現場が好きなのよ。これまで何人も優秀な選手スカウトしてプロに育ててる。相馬眼ってやつなのかな」
「まあ、そういうわけで、今日はダイヤの原石見つけたから声掛けとこうと思ってさ。インハイまで使ってみたいラケットや用具があったら言ってよ。違う銘柄のラケットを試してみるのもいいと思うよ」
「ありがとうございます。だけど、このブイコア2本は大切な人から貰った大事なラケットなので、インハイまではこれでいきます。もう慣れちゃってますし」って言ったら、米山さんが「へー」って表情で杏佳を見て、杏佳が顔赤くしてる。
あれ、なんか変なこと言ったかな。
「あ、でも、もし頂けるのであれば、今日着てたみたいな80年代のウェアと新品のR22を1本お願いします。どちらも個人じゃ手に入らないんです」っておねだりしたら、
「ははは、なんか随分マニアックなもの欲しがるんだな。まあ、探しておこう。ウェアはそれだけ大きなサイズなら、売れ残ったデッドストックがあるかも知れないな。じゃ、また連絡するよ。俺もインハイ行くから、またその時会おう」って言って、米山さんは帰って行った。
10 以上の次第で、突然の終戦になっちゃったけど、僕のインハイ予選はこれにて終了。東京都ベスト8 インハイ進出。ま、でも上出来上出来。
その後、例によって、すき家で打ち上げ。
杏佳はこないだのグエグエで凝りたのか、今日は並盛牛丼に卵かけて「これってもう飲み物よねー」って言って、ニコニコしながらスプーンで美味しそうに食べてた。さらに「デザートもいい?」って僕に聞いて、プリンも付けてた。おう、どんどん頼め。
部員たちとは有明でお別れ。僕は杏佳の車に同乗して、「いいって。大丈夫だよ」って言ってるのに、そのまま府中のH病院に強制搬入。吉崎院長先生が直々に診察してくれた。
初めて会う院長は、杏佳と並んで座る僕をじーっとみて、やや険しい眼差しで、「ほう、君がねえ‥‥‥」と言うので、背中にゾクっと緊張が走ったが、続けて「奈良ちゃんの息子かー! いやー、男前だな。何、足ひねったのか、どれ?」と明るく言い出したので、ズルッと脱力した。お母さんがうまく言ってくれてたのだろう。
レントゲンとエコー検査を受けたところ、「ああ、大丈夫そうだね。骨折はないし、靭帯損傷も殆どない」ということで、冷感湿布と弾性包帯で固定してくれて、
「はい、これでいいよ。大した捻挫じゃないけど、少なくとも五日間は運動せずに、安静にしてな。明日のバイトは休んで、足高くして寝てた方がいいぞ。急性期に立ち仕事はきついからな」とアドバイスしてくれた。
急なお休みで大将には悪いけど仕方ない。何より大事に至らなくてホッとした。
せっかく杏佳がエントリーしてくれたんだから、土曜日のミックスダブルスは万全の状態で臨みたいな。優勝したら、ご褒美もあるかも知れないし。




