冒険者と参考資料
「あの、レニーさん」
「なんだい、ベアトリスさん」
受付に置かれた分厚い本を、ベアトリスはおそるおそる指差す。
「この本は」
「うん、トパーズに昇格する際に貸し出してもらえる参考書」
「私、目指してるのはカットトパーズなんだが」
「うん」
筆記試験が必要になるのは、カットトパーズからだ。カットトパーズではトパーズほど問題数が多いわけでもなく、参考書も少し薄い。トパーズの参考書は鈍器にもできそうなほどの厚さがあった。カットルビーとルビーでは小冊子がプラスされるが、問題として出る数は少ない。
「常駐冒険者だから受ける依頼も範囲が限られてるだろ」
「そうだな」
村人から舞い込む依頼がメインとなるため、獣退治や仕事の手伝いなどが主のはずだ。
「この機会だし、知識だけでも多めに得ておいたほうがいい」
様々な依頼を選ぶ通常の冒険者と違って経験の幅がない。さらにパーティーではなく、ソロでとなると、その場の判断力で生死が分かれる割合が大きくなる。
カバーできる人間がいない分、知識は多く持っていたほうがいい。そのほうが判断の幅も広くなる。
「一年期間もらったのならトパーズに上がれるかもしれないし、早めにやっておこう」
「ト、トパーズに……? 私が?」
「うん。強さがいまいちわからなかったけど、ラッシュコボルトを一撃で仕留められるのなら流れでトパーズにも推薦できるかも。装備は整えてる?」
「い、いや村の人達からもらったものがほとんどだが……」
であれば、装備を上等なものに変えるだけで戦闘力は変わるだろう。役割は武道家であったから、拳を保護できるだけでも違うはずだ。武具は手入れをすれば数年は使える。杖に無理やり魔力を流し込んだり、等級が上の魔物に挑んだり、スキルで武器を変質させたりしなければ基本長持ちするのだ。
「うん、装備も整える気があるのならだいぶ良くなると思うよ。あとはこいつをどれだけ把握できるかだ」
参考書に手を置きながらレニーが目だけをベアトリスに向ける。
「君のやる気と根気次第だ。ま、できそうになければ途中でカットトパーズ用のものに切り替えればいい。強さに問題がない、実績も常駐冒険者として積んである、っていうのなら勉強にその分時間を割ける」
唾を飲み込む音がした。
「じゃ、じゃあ、がんばって、みる……」
戸惑いながらも、ベアトリスは頷いた。
今まで微笑みながら、現状を見守っていたモーンが口を開く。
「わからないことや知りたいことがあれば支援課に来てもらえれば教えられますので。いつでも」
「ありがたい。助かる」
レニーが手をどかし、ベアトリスは参考書を持ち上げようとする。
「思ったより重い……なっ!?」
すぽっと、手から滑り落ちる。レニーは屈み込むとそれをキャッチした。危うく、ベアトリスの足の上に、参考書の角が突き刺さるところだった。
「す、すまない」
「……君といると足腰鍛えられそうだ」
参考書を手渡す。抱きかかえるようにして参考書を抱えたベアトリスは恥ずかしそうに俯いた。
「ま、手伝ってほしいことがあったら言ってくれ。手伝うから」
レニーがそう言うと、ベアトリスは頷いた。
○●○●
それからベアトリスの勉強の日々が始まった。
参考書を読み、その内容を実感できる依頼を受け、仕事をこなすというサイクルを行っていた。レニーは基本、自分の仕事をしていたが、ベアトリスと時間が合う場合は手伝った。
武具に関してはモーンやフリジットに聞きに行っておすすめの武器屋を教えてもらっているようだった。
「レニー」
酒場にて、名前を呼ばれる。目を向けるとルミナがそこにいた。
「やぁルミナ。座るかい?」
レニーの問いかけにルミナはこくりと頷く。そうしてレニーの向かい側に座った。
「勉強、してるの?」
テーブルに目を向けられる。その上には参考書があった。ルビー等級で追加される小冊子もある。
「まぁね」
「結構、定期的」
「教える側になることもあるから、把握しておかないとね」
今まさに教える立場になっているし。
「偉いね。ボクはあまりしないから」
「カットサファイアになれてるんだから知識面は問題ないでしょ」
「うん。だから、してない」
はっきりと言われ、苦笑するしかなかった。
「レニーはなんでしてるの?」
「覚えるのが苦手だから」
小冊子をパラパラめくる。覚えているものは半分もないだろう。名前と同じで用語が中々覚えられない。
「世話になった冒険者の影響もあるかな」
「ラウラって人?」
「そうそう。ソロなんだから事故らないように覚えておけって」
ギルドでは参考書だけではなく、依頼に合わせた資料というものを貸し出してくれる。採集が目的の依頼に関しては確認のために必ず借りるものであるし、討伐依頼の際にも馴染みがなければ事前に資料を借りて目を通しておく。盗賊退治には個別の資料はないが、ノウハウ的な資料は借りられる。
等級関係なく、参考書や資料はいつでも借りられる。返却期限が設けられているので、それを無断で過ぎると厳重注意され、ひどすぎると降格の原因になる。
まぁ、そんな事態は滅多にないが。
「説明ができるようになる、っていうのが一番大きいかもね」
「そう?」
「詳細を知っておけば説明ができる。説明ができれば、他人に安心感を与えられる」
「安心……」
「そ。事情を詳しく知っている人間が来たほうが何とかなると思えるでしょ? 盗賊相手にするときにオレがいるとか」
「なる」
ルミナは強く頷いた。
「だから定期的に資料とか読んどくのさ。酒場での勉強も許してもらってるしね」
よほど混み合っている時間帯でない限り、酒場の席は雑談や勉学の場としても良いことになっている。酒場もギルドの一部であるから、という理由だ。受付や掲示板付近に休憩場が設けられていないのは酒場を利用しろという意味合いもある、らしい。
酒場ロゼアがギルドに併設されているタイプの酒場にしてはトップレベルに広いこともあって、のんびり過ごしやすい。
「色々、考えてる、ね」
「実力はないからどうにかしなきゃいけないところも多かったのさ」
知っておけばどうにかできる。観察すれば気づく部分も多くなる。情報は大事だ。
「……ボクが勉強したい、って言ったら。手伝って、くれる?」
参考書を見ながらルミナが問いかけてくる。
等級が上の冒険者の勉強を手伝うというのも変な話な気がするが、まぁトパーズを超えれば、問われる知識というのはほぼ同じようなものだ。
「何なら今からやるかい?」
レニーが参考書を指差しながら問いかける。
ルミナはしばらく無言になると、目をそらした。
「また、今度」
あ、これはしばらくやらないパターンだ。
レニーは確信した。




