冒険者とムクロ
ダンジョンを進む。
――五階。トパーズ級冒険者以上に探索が許された四階。それよりも先の場所だ。
レエーラはカットトパーズ。ブレメントと魔法使いの女性はトパーズ。少年はパール。
前衛の少年は本来探索が許されているわけではないが、現状、他のパーティーメンバーがトパーズふたり、カットトパーズのレエーラであるためにパーティー単位であるのなら探索が認められる。
それにしても。
「大丈夫?」
隣の少年に声をかける。汗を流しながら、呼吸は浅くなっている。
「平気」
強がりの笑みを少年は返した。
パーティー単位での同行は認められているとはいえ、レエーラと少年が前衛を務めている。弱った魔物をブレメントがトドメを刺したり、合間に女性が魔法で攻撃するといった程度だ。
連携も何も無い。後ろに控えているふたりのためにあるパーティー。もっと言えばブレメントのためのパーティーだ。
「そろそろ帰らない?」
振り返りながらレエーラは提案をする。ブレメントは片眉を上げた。
「なんでだ?」
この人、状況がわかってないわけ?
「だって、この子の体力が限界近いみたいだし、帰りも考えたら引き返したほうがいいと思うの」
「今までで一番奥地まで進めてる。休憩は挟んでるし、問題ないだろ。な?」
少年に向けて、ブレメントが圧をかける。少年は力なく頷く。休憩といえど、限度がある。ダンジョン内に完全に安全な場所はない。
――助けて
ダンジョン内で声が響く。女性の、力ない声だ。全員が立ち止まって、顔を見合わせる。
「今の、人の声?」
女性の問いに、ブレメントは考え込む。
「俺より潜れるやつは限られているが」
カットルビーの冒険者がひとりいるが、ダンジョン内をそこまで探索しない。
「しかし女性の声だ。もしかしたら本当に困っているかもしれない。助けに行かねば」
強く頷いてブレメントが向かおうとする。しかし、レエーラが立ち塞がる。
「たまたまそう聞こえただけよ。山の中で似たような動物の声はいくらでも聞くわ」
山で助けを呼ぶ声がしても近づくな。近づくとしても慎重に、だ。動物の声が人間の声に聞こえるときもある。正式な救援の依頼でもない限りは、積極的に向かう必要性は薄い。
「引き返しましょう。限界だわ。強い魔物に出会ったら大変」
「なーに、俺らなら問題ないさ。行こう」
少年の背中を叩き、先へ進ませる。少年はゆっくりと声のした方向へ歩き出した。
「さすがブレメント様。格好いいわ」
媚びるような女性の声に、ブレメントがご満悦のようだった。レエーラは舌打ち混じりに、少年より前へ進む。
――助けて
まだ聞こえる。空気が冷たく、重たくなっていく気がする。長年の勘がこの先はまずいと言っている。しかし、隣の少年も、もちろん自分もブレメントに逆らう力はない。
歯がゆい想いを抱えながらも、レエーラは前に進み、そして正体を知った。
通路の曲がり角。そこを少し進んだところで「ソイツ」に遭遇した。
「あ、あひ……」
隣の少年が座り込む。レエーラも、その正体に震え上がるしかなかった。慌てて、隣の少年を抱え起こす。
ムクロを背負った巨大蜘蛛……いやサソリか、そういった体を持つ巨大な魔物がそこにいたからだ。
体中に糸をまとい、六本の足に加えて、二本のハサミ。背中には無数の人骨の上半身。
「助けて」
長い髪の、白骨がその声を発していた。その隣には武装した兵士のような白骨がカタカタと顎を鳴らす。そしてカン、カンと盾と剣を打ち鳴らす。
「なんだこいつ」
こんな魔物知らない。今まで遭遇したことない。
「おい、行け! 隙を見て俺が攻撃する!」
少年の背中を押し、ブレメントが叫ぶ。数歩前に出た少年は怯えた顔でブレメントを見てから、正面を見た。
ハサミを大きくゆったり広げながら、無数の赤い瞳が怪しく光る。
「う、あ」
少年は両手剣を構えて、ガタガタを震える。
「撤退しなよ! 敵うかどうかわからないじゃない!」
「やらなきゃわからないだろ」
わからないからやめとけと言ってるんでしょうが。レエーラはそんな怒りを抑え込む。
「うわあああああ!」
大きく上段に振りかぶって、少年が突撃する。
「待って!」
レエーラの静止を聞かずに少年は剣を振るい――
そして、簡単に掴まれた。
ハサミで掴まれ、持ち上げられる。
「あ、あ……やだ……」
ゆっくり魔物は口を開く。レエーラは反射的に飛び込んだ。剣で斬りかかる。
もう片方のハサミがレエーラを襲ってくる。
「カットサーキュラー!」
盾でハサミを抑える。しかし、切断魔法でもハサミは削れず、少しずつ挟み込もうとしてくる。
「ぐ、この……!」
「ファイアランス!」
後ろで魔法名が聞こえる。おそらく女性が魔法を撃ったのだろう。見るからに火が弱点ではありそうだ。
――La
しかし、上の長髪の白骨が歌うと、魔法の壁がファイアランスを完璧に防いだ。
「うぉおお!」
青い光を纏いながら、ブレメントが突撃する。剣を無防備な魔物の顔に振り下ろす。
だが。
兵士の白骨の腰骨が蛇のように伸び、盾で攻撃を防ぐ。剣を振るってくる。ブレメントの纏う青い魔力を斬り裂いて、ブレメントを斬る。
「ぐあっ!」
ブレメントは素早く後退する。胸を斬られたらしく、装備が破れていた。浅い傷から、血が滲む。ブレメントはそれを指でなぞり、青ざめる。
「血……血だ……」
カタカタカタ。
と、魔物の背中から白骨が湧き出てくる。長髪と兵士だけではない。ローブを来たものや、戦士のようなもの。それらが顎を揺らして嗤う。
魔物はぽいっと、飽きたように少年を投げる。真横の壁に激突し、血を吐く。
「が――」
声にならない叫びを上げてから、ズルズルと地面に座り込んだ。
「く、そ……」
レエーラに迫るハサミもじわじわと狭まってくる。魔法で抵抗しているが、時間の問題だろう。ブレメントを攻撃した兵士の白骨がケタケタと嗤う。
いつでも仕留められると言いたげに。
「に、逃げるぞ!」
ブレメントが走り出す。
「ま、待って!」
女性も逃げ出したブレメントの後を追って駆け出す。
レエーラは絶句した。仲間を助けようともしない。自らこの事態を招いていながら、尻尾を巻いて逃げていった。
「受けるんじゃ……なかった……」
迫るハサミに、死を感じる。
――ダンジョンは人の心を捕らえる。
聞いたばかりの言葉を思い出す。
「あぁ、なんで今思い出しちゃうかな……!」
魔力を絞り出し、耐える。ハサミに剣を突き立てて、どうにかしようとする。
レエーラの、望みは名声でも、なんでもない。ただ、生きて、生き続けて。
そして、いつか思い出に出会いたかっただけ。ただ、それだけなのに。
白骨たちが黒いオーラを身に纏う。何か大技でもするのか、全身が震え上がる。
――グォオオオオオオ!
叫び。
ただの叫びのはずだ。どんなに姿がおぞましくても。そんなに声が大きくても。
だと言うのに骨は軋んで、耳鳴りはして、力が削ぎ落とされた。
魔法が解除される。
「あ」
終わった。
そう、直感した。辛うじて足掻いていたという糸を斬られた。
レエーラは思わず目を閉じた。
…………。
………………?
何も、来ない。暗闇の中で、痛みも、苦しみも何もない。
もしかして、即死だったか?
いや、そんなはずはない。
だってちゃんと感覚が、ある。生きていると、流れる血が訴えてくれている。
抵抗できる手段はなかったはずだ。
なのに、どうして――――
「――大丈夫かい?」
目を開ける。レイニーがいた。体をゆっくり降ろされる。どうやら抱きかかえられていたらしい。
「え、レイニー!?」
周りを見ると、あの少年も近くにいる。逆に魔物は遠ざかっていた。
「相当賢い魔物みたいだね。都合がいい」
レイニーは屈むと、少年にポーションらしき瓶を向け、全身にかける。ポーションの冷たさのせいか、少年が目を開けた。
「動けそうかい?」
少年は首肯する。
「衝撃が強かっただけ。骨まではいってない。ごめんなさい。足手まといで」
「ポーションを飲んだほうがいい」
レイニーがもうひと瓶開けると少年に渡す。意識が戻ったのであれば、ポーションは飲んだほうが効果がある。
「ありがとう」
少年は夢中になってポーションを飲む。飲みきって、ポーションの瓶をレイニー返した。
「レイニー、きみ……」
「ま、色々聞きたいことはあるだろうね。けど、今は命優先だ」
ポーションの瓶をしまい、レイニーは立ち上がる。
「いやぁ、凄い魔物だね」
魔物の口が開く。赤い光球が生成されていく。
――La
長髪の白骨が歌うと、光球の光が増す。
「なるほど。魔法のチャージをしてたと」
「まずい、逃げて!」
レイニーは屈み込むと、引き抜いた黒い剣を地面に刺した。
そして、レイニーに向けて光球が発射された。
「シャドースプラッター」
黒い斬撃が光球を防ぐ。そして互いを削り合う。
光の中で、レイニーは腰から杖を引き抜いた。
「スパイラル」
光球を貫いて、魔弾が飛ぶ。光球が霧散し、そして、魔弾は長髪の白骨へ飛んでいく。
しかし、兵士が前に出て、魔弾を盾で防いだ。光球を貫くさいに威力が大幅に削られ、盾ごと貫くには至らなかったようだった。
構えを変えながら、レイニーは視線を鋭くし、口角を上げた。
「うん、倒しがいがありそうだ」
その姿は、まるで、英雄のようだった。




