冒険者と軍
ギルドに人だかりができていた。受付には、きちんと整った軍服を身に着けた男性とフリジットが会話をしている。
フリジットは引きつった笑みを浮かべながら、応対していた。
「……やっぱ今日は休みにしようかな」
レニーは今しがた閉じたばかりの扉を開けて、宿へ帰ろうとする。
「あーちょっと! レニーくん! 帰らないで!」
フリジットは瞳を潤ませながら、両手を組んでレニーを見つめている。レニーはしばらく見つめ合った後、背を向けた。
「お腹痛いから」
「ちょっとぉお!?」
素早く受付を飛び出したフリジットはレニーとの距離を詰めると、両肩を掴む。
「そんな軽いノリで帰ろうとしないでくれるかな!?」
ぶんぶんと肩を揺らされる。
「なんか騒がしいし、お偉いさんっぽいのいるし、オレいらないでしょ」
「レニーくん!? あなたこのギルドでも指折りの実力者なのよ!? ギルド所属でございますでしょ!?」
「何その口調」
「いいからとにかく来てぇ!」
片腕にギュッと腕を絡まれ、引っ張られる。受付前は混雑していたはずだが、フリジットの動きに合わせて道を空けていた。
「え、ちょっと」
軍服の男の前に連れてこられる。鼻下のヒゲが見事に整った、強面の男だった。ダークブラウンの髪をしており、カエルのような印象の瞳をしている。姿勢が無駄によく、美しさを感じさせるほどだった。
「仲がよろしいようで」
ヒゲを撫でながら、穏やかに言う男。フリジットはレニーからすっと離れる。
「あ、あはは。ええ、とても」
「わたしはデュロモイ・イスラミカと言う。軍の者だが……まぁ堅苦しいのは冒険者の好むところではないだろう。名だけ覚えてくれれば良い」
レニーにとっては一番ハードルの高い要求に内心焦りつつも、平静を装う。何なら肩書きだけで呼べたほうが楽なまである。
「貴殿、名前は」
「レニーです。レニー・ユーアーン」
「ほう。『賊狩り』か。海でも海賊相手に貢献してくれていると聞く」
「いえ、大したものではないです」
このギルドロゼアはサティナスという城下町に属している。海に近いということもあり、漁船の護衛を頼まれることもあった。漁の間に襲ってくる海賊もいるため、その対応を行うこともあれば、ちょっとした魔物退治になることもある。
とはいえ、漁船の護衛の機会はあまりない。軍が定期的に海賊退治や魔物討伐を行っているからだ。それに、海専用の装備が必要な場合もあり、日常的に使うわけでもないのに装備を揃える場合、かなりの費用を必要とする。整備も必要だからだ。
そのため、海で依頼をこなすことはかなり少ない。軍でも手に負えない魔物というのもあまりいないからだ。
海中で生息しているために遭遇することが少ない。遭遇しても釣り上げられる程度で十分対応可能。大きな魔物も、軍艦の装備で難なく追い返せる。
そういった事情もあって、通常の冒険者の役割は少ない。というか海洋生物相手であれば漁師のほうが戦える場合もある。冒険者へ依頼が来る、海賊や一部魔物相手の仕事が例外なのだ。
デュロモイは表情を変えず、フリジットとレニーを見下ろす。背が高いこともあり、自然とそうなってしまうのだ。
「先ほどフリジット嬢にも説明したが、クラーケンが出た」
「クラーケン、ですか」
クラーケンといえば伝承にも出てくる、船をも呑み込むとされるタコだかイカだかの魔物だったはずだ。レニーは詳しく知らないが、討伐難度は最上位だろう。
「生態系が崩れる可能性もある。漁業にも影響が出るのでな、迅速に討伐をしたい」
「はぁ」
レニーは意図がわからず、フリジットを見る。
「海中に潜られたりして軍艦じゃなかなか対応しづらいのよ。個人戦力の高い冒険者が専用装備で海中から海上へ出して、その後軍艦で一斉射撃とかしないと」
普通は完全な水中での巨大生物なぞ、冒険者でも難しいのだが。地上と勝手が違いすぎる。
「ま、海中から出せたとして、すぐに攻撃しないと意味ないな。その冒険者はどうするんだい?」
クラーケンに攻撃が集中するということはそこにいる冒険者にも危険が及ぶということだ。
「素早く逃げる」
フリジットは拳をぎゅっと握りしめ、可愛らしく言った。内容は全く可愛いわけではないのだが。
「……誰がやるんだい?」
非常に極端に言えば、巻き込まれて死ねと言っているようなものだ。相当の実力者でなければ無理だ。
フリジットは腕を組んだ。鼻を高くして語りだすのかと思いきや、逆にため息を漏らした。
「私です」
非常に疲れたトーンでフリジットが言った。ちなみに、と。フリジットは言葉を続ける。
「前回はルミナさんとあとツインバスターの二人で討伐してたかな」
納得のメンバーだった。ジャイアントキリングの称号スキルを持つルミナと、ギルドにいる最強の二人組冒険者だ。周りを見る。少なくともこの場にはいないようだった。
「じゃ、その三人でいいんじゃない」
「全員依頼でいません」
「……待ちでいいんじゃ」
「シーフードパスタ食べられなくなってもいいなら、それでもいいけど」
「連れ戻せばいい?」
レニーの問いにフリジットは首を振る。デュロモイは咳払いをする。
「前回はルミナ嬢とノア殿がクラーケンにダメージを与えて、海上へ頭を出したところでメリース嬢が大魔法で仕留めていた。クラーケンの状態もよく、その日はタコ料理の祭りがひらかれたほどだ。特にタコ墨のパスタは非常に絶品でね」
「……ルビーになる前の依頼か」
ルミナがルビーになる直前、そんな祭りがあった記憶があった。イカ墨パスタというのもあるが、タコの魔物から採れる墨で作られたタコ墨パスタのほうが美味しい。タコ墨が手に入る量が少ないため、高級で安定して提供されているものではないが、クラーケンは伝承になるほど巨大なため、堪能するには十分すぎる量が採れるだろう。
「クラーケンは墨で他の海洋生物を引き寄せて食す。どうやら墨は他の魚たちにとって高い栄養になるらしい。自らの墨をエサにそこらの魚を根こそぎ集めて食うというわけだ。そのため、クラーケンの付近は漁師たちにとっても大きな狩り場となるが、それはクラーケンを刺激しなければ、の話だ。それに一時的に大量に採れたところで、その後の漁が不安定になってしまえば意味がない。ほどほどの期間で討伐か撃退をせねば生態系が崩されて漁業が危うくなる」
「それで討伐依頼が来た、と」
「その通りだ」
デュロモイは強く頷いた。
「海中戦闘はフリジット嬢であれば問題ないだろう。頭を出したところを砲撃で倒しても良いが、フリジット嬢の危険度も上がる。一撃とは言わないが、クラーケンを仕留める、強力な魔法を使えるものがいればいいのだが」
視線がレニーに向けられる。デュロモイも、フリジットも、であった。
「レニーくん、なんかない?」
「貴殿はルビー冒険者と聞く。何かしら強力な魔法があるとありがたいのだが」
目をそらす。
「どのくらいの威力があればいいのさ」
「目玉の間を上位魔法で撃ち抜けるのであれば、それが理想だな」
デュロモイの返答に、レニーは顔を引き攣らせる。
「失敗したら? 射程距離の問題もある」
レニー自身、上位魔法が使えないわけではない。二つの魔弾を衝突させて爆発を起こすムーンレイズ。影の茨を生成し、蛇のように操作し、棘やミラージュで攻撃するローズマンバ。明確に上というわけではないが、特位に分類されるルナ・イクリプス(ほぼ使えないに等しいが)。
どれもこれも長距離に適した魔法ではない。一応、賊から奪った魔法紙や今まで知り合いから教わった魔法があるにはあるが、それでできるかどうか、微妙なところだ。
「その時は砲撃だ。無論、こちらの装備も貸し出すし、適切な人員も配置する。バフや魔力面では気にしなくていいはずだ。射程はそれで解決する」
「レニーくん、狙いは正確でしょ? 早撃ちでも狙いは外したところ見たことないし」
その瞳にはレニーへの信頼が見て取れた。フリジットとはたまに現地調査に赴くのがメインではあるが、依頼の処理や話を聞いたりしてレニーの評判を知っているのだろう。普段受付嬢であるが、こうしてクラーケンの相手を一人でできるだろうと思えるくらいには強い冒険者でもある。
あまり信頼を裏切りたくはない。
「……外しても恨まないでくれよ?」
レニーがフリジットにそう言うと、フリジットは笑みを浮かべた。
「もちろん!」




