冒険者と天狗
ノアは山を登っていた。ヤタにたどり着いて数日だが、道場破りを続けていたら面白い話を聞いたからだ。
東にある山の奥に、天狗がいると。
人並み外れた力を持った人間を、ここでは天狗と表現するようだった。刀を二本下げており、しかし誰も刀を抜いたという話は聞いていない。魔物に襲われたところを助けられたという話を聞くが、刀は抜かずだったらしい。
二天、というこの国における剣聖のような存在ではないかと予想を話す者もいた。
天狗の話は眉唾物と、誰もが前置きをした。だが、噂の魅力に惹かれずにはいられなかった。
山を登りながら、ノアはなぜ噂止まりなのかを知る。
魔物の巣窟だった。ヤタ特有の、かなり強力な魔物だ。ルビー級でも、この山を登るのは厳しいだろう。
こんなところに人がいるのか?
そんな疑問が尽きない。空気は薄くなり、天の機嫌は悪くなっていく。ノア自身の身体能力は並ではない。この程度を問題にするわけではないが、好き好んで住もうという気が知れない。
頂上にたどり着いて誰もいなかったら帰ろう。魔物相手でかなり修行にもなったし。
そう思っていたときだった。
人が、いた。
筋骨隆々でガタイのいい、男だった。黒髪黒目で、簡素な服を着ている。腕には包帯を持ち、腰には刀が二本ある。山小屋の傍で火を起こしているようだった。
「あの」
ノアが声をかけると、男の目がぎょろりと向く。
「俺、ノアっていうんだ。あなたは」
「あん? なんだてめえ」
睨まれる。
「強い人がいるってここに来たんだけど、知らない?」
男は立ち上がる。
「ここにゃ俺しかいねえよ」
「へぇ。じゃあ――」
剣を握る。
「――あなたってことだね!」
斬り掛かった。常人では視認できないスピードで近づき、剣を振り落とす。
……だが。
「なめてんのか?」
男の目と鼻の先で剣は止まっていた。男は動じず、じっと剣を見ている。
「見えてるんだ……」
ノアの剣筋を捉えられる人間は数えるほどしかいないが、この男、さも当然という風にじっくり見てきていた。
剣を引き、頭を下げる。
「俺と勝負をしてほしい」
間違いなくこの男は今まで戦ったどの生物よりも強い。ノアは直感的にそう思った。男と戦えば自分に足りないものが何か見える気がした。
「おちょくってきて今度は勝負か」
頭をかき、男はため息を吐く。
「メシ食ってからな」
○●○●
ノアとメリースは幼馴染だった。二人で仲良く遊んで、おとぎ話を聞いて、育った。
メリースは珍しくお姫様ではなく、魔女という存在に憧れた。物語の主人公にガラスの靴を履かせて、お姫様にしてしまうそんな魔女という存在に。
魔法を使って誰かを幸せするような人になりたい。それがメリースの最初の夢だった。ノアは騎士に憧れた。魔物を倒し、弱きを守る騎士に。強くなって、メリースを守るんだと、そんな安直なものだった。
二人が他の人間と違うのは、実際才能があったことだろう。
メリースはたまたまやってきた冒険者から魔法を教わり、才能を開花させた。ノアもまた父親が元傭兵だったこともあり、剣を習い、腕を磨くことができた。
冒険者になってからもメリースは魔法を、ノアは剣の腕を磨き続け、今のカットサファイアにたどり着くことができた。
どんな強い魔物も二人だから怖いだなんて思ったことはない。
ノアは唾を呑み込む。
「んじゃ、やるか」
腕を組んでそういう男。
――ちょっと怖いかも。
ノアは剣を抜いて、構えながら思う。相手の男は何一つ構えていない。だというのにただならぬ雰囲気があった。
「カットサファイア冒険者、ノア。行くよ」
「そりゃご丁寧にどうも。ミヤモトだ。好きに打ち込んでこい」
手招きするミヤモトに、ノアは挑んだ。
○●○●
『俺もこんな風に強くなりたいな!』
目を輝かせて言った子どもの頃のノア。その純粋な顔を、メリースは今でも覚えている。そんなノアを英雄にしてあげられるような、そんな魔女にメリースはなりたかった。
強い剣だとか、そういうのを授けて英雄にする。
きっと強いノアはもっと格好いいだろうから。そんな彼を見てみたいから。
昔から、ずっと好きだった。ノアも好きでいてくれて、結ばれて、それが幸せで浮かれていたけれど、自分たちは冒険者なのだ。
いつまでも夢見心地ではいけない。
才能に任せて、魔法だけに頼り切っていたらきっと後悔する。
喧嘩になった原因。あのときの戦闘は確かにメリースが少し前に出すぎていた。ヒヤリとした程度だったが、ノアはそれでも喧嘩になるほどメリースの身を案じてくれた。
大切に想われて嬉しい限りだけれど、メリースの弱さがノアの致命傷に繋がるなんてことは死んでも嫌だった。
冒険者として。死というものが身近にあることを自覚し、強くならなければならない。そしてできれば、英雄になったノアを一番近くで見るのだ。だからメリースは魔法使いの役割として最高峰の賢者を目指す。一番になるのなら魔法を使えるだけでは満足していられない。
メリースは目を開けて、レニーと対峙する。
「なぁ使う魔書っていつも決まってるけどどうして?」
「そりゃこっちの方が魔力の通りが早いからよ。咄嗟に防御しやすいし」
「攻撃に使う魔書は?」
メリースの腰を指差しながら、レニーに問われる。
「こっちの方が魔力を練りやすくて高火力の魔法が撃ちやすいの」
「……逆にしたら?」
「へ?」
レニーの提案に、メリースは思考が止まる。
「ノアが危ないときにしっかり防御できたほうがいいじゃない。攻撃も威力高いほうがいいし」
「……ノアを守る必要ある?」
あっけらかんと。
レニーは言い放った。




