冒険者と殴り合い
路地裏で、向かい合う。レニーの背後、十分離れた位置にデイリスがいた。
「オレはレニー」
「……ダイグだ」
ダイグは戸惑いながらも構える。レニーは、ただ自然体のままでいた。
「武器は使わない。魔法もだ。どっちかが諦めたり、倒れたら負け。いいね」
「あぁ」
「そんじゃ」
あくびをする。
「いつでも来なよ」
レニーがそういうとダイグは突撃してきた。肩を使って突進してくる。レニーはそれを半身になって簡単に避けた。避けた瞬間、拳が飛んでくる。レニーは腕を立てて防御をした。
重い衝撃と共に、よろめく。
「うぉおお!」
追撃の拳を頭の動きだけで避け、鳩尾を殴る。厚い鉄板でも殴ったかのような衝撃がビリビリと伝わってきた。
「いった」
思わず、腕を振る。
「このっ」
拳が襲ってくるが、レニーは身を低くして避けてみせると、左の膝に飛び蹴りを当てた。それで距離を取る。
「……デイリスさんは俺を受け入れてくれたんだ。俺の人生を。俺を」
「だから?」
「こんなに人を好きになったのは初めてだった。俺は、彼女の笑顔をもっと見たい」
「それは君の願望だ。彼女のじゃない」
「黙れ! お前に何がわかる!」
蹴りがくる。レニーはそれに合わせて懐に入った。相手の蹴りは空振りする。レニーは肘を鳩尾に突き刺す。
「ごっ!?」
「知る必要なんか、ないね」
よろめくダイグに、レニーは冷たく言い放つ。
「ちゃんと振り向いてほしかったんなら、キミは言葉を重ねるべきだったんだ。それで少しは折り合いもつけたはずだ」
「何が言いたい?」
「手遅れなんだ、キミは」
「――っ!」
今までで一番、感情が顔に出た。怒りに染まり、真っ赤になった顔で、レニーを殴る。
レニーは顔面を思い切り殴られ、地面を転がり、滑る。
「レニーさんっ」
デイリスの悲鳴があがる。レニーは素早く四つん這いの姿勢で転がる勢いを殺すと立ち上がった。
口元を拭う。口の中を噛んだせいで出血していた。ダイグは、レニーを見て目を見開き、そして目を泳がせる。
レニーの、この短い間でのただの直感ではあるが――ダイグはジェックスほどどうしようもないわけではなさそうだ。
「キミのこと、誰かに否定されたか」
ギリ、と歯ぎしりの音がした。
「あぁ、村に幼馴染がいたんだ。好きだった。少なくとも俺はな。必死に稼いで、それで想いを告げたんだ。でも、冒険者は野蛮だから結婚はいやだってよ」
「そうか」
レニーはゆっくりダイグに近づく。
「で、あの店にハマったってわけ」
「やけくそだったさ。冒険者として十分稼いだからな。酒と女で忘れられればそれでいいって。そう思ってた」
ダイグの視線は、デイリスに向けられる。
「デイリスさんの言葉は真逆だった。妹さんが受付嬢で、冒険者の仕事は立派だって。あのときの俺に、その言葉がどれほど慰めになったか」
「で、恩を仇で返したと」
「違う!」
拳が振るわれる。レニーは殴られた。ただ、殴られた衝撃に合わせて体を捻って受け流した。
そして思い切り殴り返した。
「同じだ」
「デイリスさんは妹をいい仕事につけるためにあの仕事を始めたんだ。もっとデイリスさんにはいい場所がある。俺が稼いできた金で十分、デイリスさんのやりたいことをやらせてやれる!」
拳が返ってくる。レニーはそれを避けながら、回し蹴りをダイグに叩き込んだ。
「ぐっ……」
鳩尾に突き刺さる。ダイグは大きくたじろいだ。
「腹ばっか狙いやがって」
「頭狙いづらいからね」
「このっ」
ダイグがレニーの頭を掴もうとするが、レニーはそれをするりと抜ける。どころか腕を掴んでその勢いを利用して壁に叩きつけた。とはいえ、軽くであるため、さほどダメージは与えられてない。
「ま、冷静になりなよ」
「俺は、冷静だ」
「そうかい。随分間抜けな面だ」
「ぐっ、いちいち癇に障る……」
レニーはため息を吐く。
「男のほうが基本的に、力は強い」
「だから、なんだ」
「女性に男が迫ってくるっていう、恐怖度をキミはわかっちゃいない」
デイリスを指さす。恐怖と不安で濡れている瞳がそこにはあった。
「馬鹿騒ぎが好きなのは、血気盛んな奴らだけなのさ。乙女には、目を背けたいものだ」
「お前が始めたからこうなってるんだ」
「そう。オレらはいつでもこうできるんだ。彼女はそうじゃない。節度が守れないやつが目の前にいるというその怖さを、キミは自覚できてない」
ダイグの動きが止まる。
「女性を安心させるための店のルールだ。そのルールを、どんな理由であれキミは破ったんだ。キミに彼女は守れない」
「……違う」
「デイリスさんがあの仕事をしないように金を渡せる客なんてのは、あの店にはわんさかいる。キミなんか、特別じゃないんだよ」
「……違うっ」
「デイリスさんはキミの野蛮さを受け入れて優しい言葉をかけてくれた。でもキミはどうだ? さっき、キミは彼女の仕事をなんて言った?」
――俺には金がある。デイリスがあんな仕事しなくてもいいように、養っていけるんだ。絶対に幸せにしてみせる。
「――あ」
「ああいう店は男に媚びを売る店だ、そう思われてるかもしれない。世間一般で、良くない印象を持たれているかもしれない」
レニーはデイリスを真っ直ぐに見る。
「でも、彼女は好きでやってる。あの店で、一時でも助かる人が、救われる人がいる。キミもそのひとりだったろ?」
「あ……あぁ……」
ダイグの顔が青ざめていく。レニーがダイグに迫る。だが、ダイグは何もしてこない。それどころか、壁に背中をつけて、逃げるように身を捩る。
「人の働く理由なんて、その人を見なきゃわからないだろ。なんでちゃんと見ようとしなかった? どうして救ってくれたはずの場所を、否定した?」
拳を握りしめる。
「何度でも言うさ。キミの価値なんてこれっぽっちもないんだ。隣にいようとする人間が、一番やってはいけないことを、一番考えちゃいけないことを、やったんだ。考えたんだ。だから手遅れなんだ、キミは」
ダイグが膝から崩れ落ちる。
「キミは報われなかったんじゃない。裏切ったんだ」
「そんな……違う……俺は」
「れ、レニーさん」
デイリスが駆け寄る。
「もう、いい。もういいから。もうやめよ? ね?」
腕にしがみつかれる。拳を握りしめているほうの腕だった。
「デイリスさん……俺は……」
助けを求めるようにデイリスを見上げるダイグ。デイリスはレニーに身を寄せた。
「――ごめんなさい」
震えている手にレニーは手を重ねる。
「わたしが、ダイグさんをおかしくしちゃったの。本当は優しくて、強い人なのに」
涙を流しながら謝る。
「わたしじゃどうしようもできないの。わたし、あの仕事が好きで。あの仕事を続けていきたいから……だから、あなたの傷は癒せても、人生までは救えないから……だからごめんなさい」
大粒の涙が地面に落ちていく。その涙を見ながら、ダイグは静かに項垂れた。
「――俺の、負けだ。諦めるよ、デイリスさんのこと」
その言葉に、嘘はなさそうだった。




