冒険者と妹の話
夜。
レニーが休んでいると、こっそり歩み寄る足音が聞こえた。目をうっすら開けると、アイリスが降りてきていた。何か用があるのだろう。レニーは目を閉じた。
「ささー」
小声でそんなことを言いながら、気配が近づいてくる。
「寝てますなぁ。えっ? あっ、可愛い……」
「……起きてるけど」
目を開けると、間近にアイリスの顔があった。
アイリスのまるっこい目が瞬きをする。
「――ひゃんっ!」
ざっと、後退りをされる。ワンピースタイプのネグリジェを着ていた。露出の少ない、柔らかめの生地のもののようだった。
「れ、レニーさん」
「何しに来たんだいキミは」
「え、えと」
アイリスは左右に目を動かしてから、人差し指同士を合わせる。
「レニーさんが起きていたらお話しようかな、と」
「ふーん」
「隣、いいですか?」
「どうぞ」
こっそり隣に座るアイリス。小さく縮こまるような座り方であった。
「いやぁ、残念ですね。明るかったら私のせくしーな姿見れたかもしれないのに」
「スキルで夜目が効くから普通に見えてるよ。可愛らしい服」
アイリスは無言で顔を赤くした。恥ずかしかったらしい。
レニーはマジックサックの中から、掛け布を取り出す。
「使うかい? キミは気にしなければだけれど」
「あ、どうも。普通に少し肌寒いのでありがたいです」
すっとアイリスが布を受け取って、包まる。
「私、明日には帰らなきゃなので」
「言ってたね」
長期の休みと言ってもいつまでもサティナスにいられるわけではないのだろう。食事のときにも同じような話をしていたのを、覚えている。
「悪かった」
「何がですか」
「せっかくの姉妹の時間だっただろうに」
「お姉ちゃんが安心できるのが一番です。凄く、私でもびっくりするくらい安心してるみたいでしたよ、お姉ちゃん」
アイリスはレニーの顔を上目遣いに見る。
「ありがとうございます」
厄介な客とやらはまだ現れていないが、精神的な安心が確保されているのは大きいだろう。
「あーあ。これでレニーさんをお兄さんと呼べる結果になれば万々歳なんですけどね。ちょっとそういう願望ないですか? お兄ちゃんって呼ばれたい的な」
「ない」
「かー」
額に手を当ててわざとらしく残念がられる。
「レニーさんはどうやったら恋をするんですか」
「さぁね。ないものを探しても意味ないよ」
「……お姉ちゃんにいいと思ったんだけどなぁ」
「デイリスさんは結婚相手でも探してるの」
「探してないですけど。私は……その」
悲しげに目を伏せる。
「私は、お姉ちゃんのおかげで今幸せなんです。だからお姉ちゃんも幸せになってほしいって……そう、思ってるんです」
「それが、結婚?」
「はい」
きゅっと、膝を抱える。
「受付さんは、結婚相手いるの」
「いない、ですけど」
「幸せなんでしょ? 相手いないの」
「……私は、受付嬢の仕事凄く好きなんです。お姉ちゃんのおかげで勉強ができて、受付嬢になれて、毎日楽しくて。私は好きなように生きてるじゃないですか。だから幸せなんです。でも、お姉ちゃんは、お姉ちゃんの人生はどうなんだろって」
「本人に聞いた?」
アイリスは首を振った。
「答えなんて決まってるんです。私が聞けば、お姉ちゃんの答えは今でも十分幸せだって。そう言うんです、きっと。でも本当は違うんじゃないかって思うんです」
「受付さんのために働いてたから」
強く、頷く。
「レニーさんがカルキスにいたころ。レニーさんとお話するとよくお姉ちゃんを思い出してたんです。なんか、雰囲気が似てたから。普段素っ気ないけど、自己中じゃないというか。むしろ誰かのために動いてるっていうか。なんだかんだ付き合ってくれるところとか……うまく言えないんですけど、似てるから。ほらお似合いって言葉あるじゃないですか。似てるから、恋人になれるのかなって」
「それが、オレに依頼した本当の理由?」
「あわよくば、なので。メインは依頼したときの理由です」
アイリスはため息を吐いた。
「ダメ元だったんです。実際やっぱりダメっぽいですけど。でも、依頼して良かったと思います。他の人だったらきっと、あんなに安心してくれなかったでしょうから」
レニーは天井を見上げながら、デイリスの言葉を思い出す。
――運命の人って言葉嫌いなの
レニーは、どうだろう。アイリスはどうなのだろう。
「キミは結婚できたら幸せだと思う?」
「そりゃ、皆幸せそうですし。私も憧れはありますよ? 素敵な人と出会えたらいいなぁって」
「探さないのかい」
「……それは」
アイリスは言葉に詰まった。
「オレはソロ冒険者でいること。それでしか生きられない。そういう生き方を叩き込まれたから」
「家族に、ですか」
「いいや。オレを拾ってくれた人だ。家族の記憶は、これっぽっちもない」
「……すいません」
「気にしなくて良い。話すということは気にしてないってことだ」
思い出があれば棘となって心を刺していたかもしれない。記憶がなくて、潰れているのだから痛みようがない。
「幸せのカタチっていうのが、オレにはよくわからない。ドラマチックならいいのか、愛する人、愛してくれる人を見つければいいのか」
昔から伝えられるハッピーエンドというものは結婚して終わり、というものが多い。孤独な英雄は死ぬ。愛を手に入れた英雄は、結婚して終わる。
己が悲劇的な末路を迎えたい――そんな人間はいないだろう。誰しもハッピーエンドを求めるし、親しい人のハッピーエンドを願う。
「わからないけど。オレは受付さんの話を聞いて、キミらやっぱ姉妹なんだなって思ったよ。それがたぶん、受付さんにとっての答えなんじゃないかな」
「答えって……」
「受付さんが、受付嬢で幸せを感じてること。オレで、デイリスさんが安心できていること。そういうところさ。納得するかしないかは自分の胸に聞いてみるといい。ひとつ言えるのは、受付さんは自分で受付嬢になった。デイリスさんも自分の気持ちで今の仕事をやっている。誰かのせいじゃない限りは、思い詰める必要はないんじゃないかな」
レニーは微笑んで、アイリスに語りかける。
「…………すぴー」
アイリスは眠っていた。気持ちよさそうに、口を開けたまま、穏やかに。なんなら、体が傾いて、レニーの肩に頭をのせてくるくらい寝入っていた。
「――――心配なさそうだ」
レニーはため息を吐いて、寝直すことにした。




