冒険者とボックスファイト
翌日の夜。
依頼のあった村の畑。そこで、フリジットとレニーはふたり並んで、畑の中央部を眺めていた。
「……なんか、思ったよりでかいんだけど」
隣で呟くレニーに、フリジットは同意した。
「……うん、大きい」
ボックスカンガルーは、畑の中心で野菜を食べていた。背丈は成人男性よりも高めくらいであろうが、筋肉量が凄まじかった。肩が爆発するのではないかと思うほど筋肉で盛り上がっている。大腿部も骨付き肉の肉の部分くらいには急に筋肉で固められているように見えるし、尻尾も、フリジットが戦ったことのあるボックスカンガルーの二倍は太い。
「さてさて、どのくらい強いかな」
フリジットはガントレットを突き合わせる。金属のぶつかり合う音が響く。
フリジットの格好は戦闘用のものに変わっている。動きやすいノースリーブの赤い上着に白いズボンに、キュアノスウルフというガントレットを装備している。
ボックスカンガルーに向かって歩き出す。ひとまず、畑の被害は気にせず、ボックスカンガルーさえ倒せれば良いとのことだった。ありがたく、好きに戦わせてもらう。
ボックスカンガルーは耳を立てるとこちらに顔を向け、そして威嚇するように立ち上がり、上半身を魅せつけるように胸を張った。
ボックスカンガルーの武器は三つ。
爪が変化したグローブのような拳闘骨と呼ばれる特殊な部位。カンガルー特有の強靭な足、そして尻尾。
真正面から戦う相手ではない。罠を仕掛けたり、不意をついたり、弱点をついたりする。そのほうが楽に倒せるからだ。
フリジットはそんな手段に頼らない。
非常時に味方を魔物の攻撃から守り、反撃する。それがフリジットがパーティーで担っていた役割であり、そして、その役割であるにはどんな魔物とも殴り合える強靭な身体が必要だ。
「ほら、来てごらん?」
腰に手を当てながらフリジットは挑発する。軽くウインクまでして。
ボックスカンガルーは額に皺を刻むと、飛びかかってきた。
ボックスカンガルーが姿勢を低くして、下から拳を突き出す。瞬発的な加速で空気を切り裂きながら、ボックスカンガルーの拳が炸裂した。
フリジットは片腕を立てただけでそれを防ぐ。キュアノスウルフが蒸気を吐いた。
「へぇ、良い拳だね」
ボックスカンガルーはステップを踏みながらフリジットの周りを回る。そして、短いパンチを何度も繰り出してきた。
フリジットはそれを目で追いながらギリギリで避けるか、防御を行う。
「よっ、ほっ……わお」
激しい拳の連打だが、フリジットにまるで涼しい風でも受けているかのような、余裕のある表情だった。ボックスカンガルーの拳は、軽く振るっただけで木の実のかたい殻を粉砕できる威力だ。空中にクルミを投げたら一瞬で粉々にできるだろう。
まぁフリジットからすればその威力を軽く超えている攻撃なんて散々見てきている。対処は簡単だ。
「ふんふんふん」
拳を見ながら、フリジットは何度も頷く。
「オッケー、このリズムねぇ」
そして、拳を構えた。胸の前に拳を置き、頭を小刻みに動かす。ボックスカンガルーとフリジットの身長差の関係で、ボックスカンガルーの拳の届きやすい高さがフリジットの頭の位置になるのだ。そのため、自然と頭への攻撃が大半になっていたので、頭を振るように動かせば、かなりの攻撃を避けられた。
「さん、にー、いち」
ゼロ、の掛け声と共に拳を突き出す。ボックスカンガルーの拳闘骨とフリジットのキュアノスウルフが衝突し、火花を散らした。
ボックスカンガルーが怯む。フリジットは弾かれた腕に抵抗せず、腕を小さく回して構え直した。
「ふふん。いいかも」
ボックスカンガルーは拳を目にもとまらぬ速さで連打する。砕いた岩を纏めて投げたような細かさと凶悪な威力を持つパンチである。
フリジットはそれを全てパンチで返し始めた。迫るパンチを下から殴って弾くのである。キュアノスウルフは適切に防御をすると衝撃が合金に伝わり、魔力を生成する。よってしっかり防御することが、有利な状況を作り出すことに繋がるのだが、一秒にも満たない殺人級の連打を全て適切に防御するよりも、こちらのほうが相手の体力を削げる。
――まぁ、普通に急所とか殴りに行くと決着がすぐについてしまうので……こういう戦い方をしたほうが運動になるし、ストレス発散になるのだ。
夜の闇の中で、無数の拳がぶつかり合い、火花が散る。あまりの数にそこだけ明るく見えるほどだ。傍から見れば何かのパフォーマンスにでも見えただろう。
激しく周りを回りながら拳を打ち続けるボックスカンガルーと、中心で向き合いを続けながらパンチで弾き続けるフリジット。
相手のボックスカンガルーはルビー級の冒険者でないと失敗する相手であるというのに、余裕な表情を崩さず、ほいほいと弾きを繰り返す。
ギリ、と歯ぎしりの音が聞こえたかと思うと拳のラッシュが止まった。ボックスカンガルーは不意をつくように足を浮かせ、尻尾で自立した。両足による蹴り――カンガルーという生き物の最大の武器だ。
「おっ、きたきた」
フリジットは両腕を交差し、受ける。キュアノスウルフが蒸気を吐き出す。それが尾を引くように伸びるほどに、フリジットの体が浮いた。
蹴り飛ばされた。
フリジットはすぐに地面に足をつけて衝撃に耐える。地面をえぐりながら、前蹴りの威力を完全に防御しきった。
「おかえり」
隣でレニーの声がしたのでそちらを向く。レニーとの距離はかなりあったはずだ。だというのにここまで蹴り飛ばされたということは、あのボックスカンガルーの蹴りは大抵の冒険者を一発であの世行きにする威力なのだろう。下手な盾役が受けようものなら盾ごと体を壊されるに違いない。
「……どう? 私の戦い方」
「凄すぎて全然見えない」
額に手を当ててボックスカンガルーの方を見るレニー。
「オレだと真正面で戦闘したらアウトだね」
「じゃあどうやるの?」
「もちろん後ろから攻撃する。カンガルーは前進しかできないからね」
軽くやりとりをしているとボックスカンガルーはフリジットに背中を向け、跳ねながらどこかへ去っていく。
「あ、逃げた」
「追いまーす!」
フリジットはボックスカンガルーの消えた方向へと走り出した。




